1-8 枢機卿会議
帝国歴705年:5月29日
帝都・教会本部、枢機卿専用円卓会議室。
八人の枢機卿が集まり、静かに報告書を読み込んでいた。
その空気は、いつもの形式的な会議とは違い、どこかざわついていた。
「……これは、修道院の改革報告か?」
最年長の枢機卿、グレゴリウスが眉をひそめる。
彼は保守派の筆頭であり、信仰の形式と伝統を重んじる人物だ。
現在最も次世代の教皇に近いと言われてもいる。
「いや、これはもはや地方教会の再建計画だな。辺境の修道院に収まる案件ではない。しかも、たった一人の修道女によるもの。」
そう呟いたのは、実務派の枢機卿、セシリア。
彼女は財務と教育を担当しており、数字に強い。
「エリシア・フォン・グランディール……断罪された公爵令嬢か。聖女ミレーネの告発で辺境の修道院へ追放されたはずではなかったか?」
「その“断罪された令嬢”が、腐りかけの泡立つ水を浄化し、厨房を再建し、寝具を刷新し、業務フローなるものを整備し、資金流用まで摘発したらしい。」
「……枢機卿ラファエロ、これはあなたの推薦でしたね?」
視線が集まる。
ラファエロ・アムネジアは、静かに頷いた。
銀髪をまとめた老女枢機卿は、報告書の端を指でなぞりながら言った。
「ええ。彼女の父親とは学院時代の同期です。断罪の際、追放先の選定を任されました。……正直、ここまでやるとは思っていませんでしたが。」
「グランディール公爵閣下か・・・彼は学院時代は常に主席であったな。その娘も早くに帝姫教育を終えた才女と聞く。ここ数年の帝国の好景気に一役買っているとも噂されておる。…それでこの報告か。…だがこのまま放っておくのは危険では?教会の秩序を乱す可能性もある。」
グレゴリウスが警戒を露わにする。
「逆です。彼女は秩序を“整えて”います。しかも、誰も傷つけずに。横領していた修道院長を即座に処分せず、反省と懺悔の機会を与えています。悪即斬の聖女派とは違って。」
ラファエロの言葉に、セシリアが頷いた。
「報告書の内容は、実務的に見ても完璧です。さすがに最初は実家のコネを使用した様ですが、その後の本部からの通例資金援助による業務管理、衛生、食事、寝具、衣類、農業、信仰教育……すべてにおいて改善が見られます。しかも、修道女たちの満足度も高い。完璧なる”高潔な信仰”を見出すための環境を整えたと言って良い。」
「だが、これは異端的だ。信仰よりも実務を優先している。」
「それが、今の教会に必要な視点かもしれませんよ。」
ラファエロはふふっと微笑み、報告書の最後の一文を読み上げた。
『信仰は、健康な体に宿るもの』
「この言葉を、軽んじるべきではありません。充実した健康な身体なくして、修行も、祈りも、断食も成しえません。」
沈黙が落ちる。
やがて、若手枢機卿の一人が口を開いた。
「では、監査官を派遣すべきでは?この改革が一過性のものか、継続性があるかを見極めるために。」
「……適任がいます。」
ラファエロは、静かに立ち上がった。
「ユリウス=グレイヴァルト。教会本部一級査察官。冷静沈着、改革に理解がある。彼なら、エリシア嬢の手腕を正しく評価できるでしょう。」
「“理性の紅筆”か……お主の懐刀ではないか。”紅茶の女王”よ。」
「ふふっ。グレゴリウス猊下からその名前でお呼び頂けるなんて光栄ですわ。…ええ。彼なら、感情ではなく理性で判断します。……そして、彼女の改革が本物なら、支援するでしょう。」
「……だが、ユリウスは以前より聖女派から警戒されている。派遣すれば、聖女庁が動く可能性もあるぞ。」
「それも見越してのことです。彼女の改革が、教会にとって真に有益かどうか――それを見極めるために、必要な一手です。」
枢機卿たちは頷いた。
こうして、教会本部から静かなる支援が動き出す。




