継続は力なりだよね⑦
境界線を越えた瞬間、頬を撫でた風の重みが変わった。
白い空ではない。頭上に広がるのは青く澄んだ空で、そこには本物の太陽ではなくダンジョンが生み出した擬似太陽が輝いていた。
光と風と匂い――千里眼で何度も見てきた景色と同じはずなのに、実際に身を晒すと、その迫力は桁違いだった。
「……ここが、ダンジョン319階層」
胸の奥で心臓が跳ねる。
秘境の中にいた時は、モンスターに攻撃しても気づかれることはなかった。
けれど今は違う。
私はこの世界で、“認識される存在”になったのだ。
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「まずは……気配遮断」
胸元に手を当て、スキルを発動する。
淡い波紋が身体を覆い、鼓動が静かに整っていく。
息を潜めるように、存在が薄れていく感覚。
「……よし。これなら、すぐには見つからないはずだよね」
森の奥からは巨獣の足音、枝の間からは黒翼の影、湿地からは鈍い気配が這い寄ってくる。
千里眼で見ていたときは単なる「映像」だったが、今は肌を突き刺す「生の恐怖」として迫ってきた。
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歩き出してすぐ、脳裏に妙な違和感が生まれた。
意識していないのに、足を踏み出した場所の地形が鮮明に頭の中に刻まれていく。
右に小川、左に大岩、その先に折れた樹木――すべてが地図のように整然と記録されていく。
「わっ……なにこれ。地図?」
瞳を閉じても、その地形は鮮やかに脳裏に浮かんでいる。
まるで歩いた場所が、そのまま線となって描かれていくように。
「もしかして……ランク25になって覚えたあれかな?」
探究者としての固有パッシブスキル。
自動マッピング。
歩くだけで、迷宮が自分の中に記録されていく――そんな力が新たに目覚めたのだ。
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「これなら……迷う心配はない。すごいよ!」
マントのフードを深く被り直し、胸元のマジックポーチを軽く叩く。
癒しの水も、日記も、四年間のすべてがここにある。
私はただ、前へ進むだけだ。
「白夜、晴天、閻魔……。私の力で、この階層を生き抜く」
気配遮断に守られながら、麻桜は一歩ずつ森の奥へ進み始めた。
四年間の秘境で培った力と、ランク25で得た新たなスキルを武器に――。
進路の先、森の奥から、低く唸る声が響いた。
漆黒の体毛に覆われた巨獣――黒獣狼。
体長は三メートルを超え、牙は鋼鉄をも砕くほど鋭い。避けては通れない。
秘境の中から何度も攻撃し、何度も倒してきた相手。
白夜では削るだけ。晴天でも決め手にはならない。
――だが、後頭部の頸椎の継ぎ目を閻魔で狙えば一撃。私は覚悟を決めると、魔力を素早く練り上げた。
「黒炎閻魔――一式」
瞬時に矢が形を取り、虚空を裂いた。
放たれた閻魔は音もなく黒獣狼の後頭部を貫き、その巨体を崩れ落とす。
呻き声もなく、ただ灰のように散って消えた。
脳裏に数字が浮かぶ。
獲得経験値:210,000
「……よし、想定通り。時間をかけちゃだめ。他のモンスターとリンクされないように。」
胸に広がるのは恐怖ではなく、自信だった。
秘境の中で積み重ねた答えは、外でも通じる。
白法のマントのフードを深く被り直し、私は気配遮断を維持したまま森の奥へと歩を進める。
私は深く息を整え、次の目的を思い浮かべた。
「……ボス部屋か、318階層への道。どっちかを見つけなきゃ」
境界線を越える前から決めていたことだ。
闇雲に戦っても意味がない。
必要なのは突破口――出口につながる道。
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脳裏に地図が描かれていく。
右に曲がればその線が、川を渡ればその流れが、瞬時に組み込まれる。
「……やっぱり、ランク25で得たこのスキル。便利すぎるよ。チートだよこれ。」
紙もペンも取り出さずとも、歩いた軌跡が正確に残る。
改めて自動マッピングの価値を噛みしめた。
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森の奥で、角を持つ猪鬼が地面を掘り返していた。
気配遮断のおかげで、こちらには気づかない。
「……今回は避けよう」
枝の影に潜む黒翼鳥が翼を広げる。
だが進路を変えて大岩の裏を回り込めば、接触は避けられる。
「秘境の中じゃ、ランクアップ目的のために相手したけど……今は必要ない」
戦うべき時と避けるべき時、その判断をつけられるのは生死を分ける。その判断力も四年間の積み重ねがあったからだ。
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ただし、どうしても避けられないこともある。
湿地の中、突如飛び出してきた巨大蜥蜴が、私の進路を塞いだ。
赤黒い舌をのたうたせ、鋭い眼光をこちらに向ける。
「……っ!仕方ない」
すぐに掌に魔力を集め、声を放つ。
「黒炎閻魔――一式!」
矢は一瞬で形成され、狙いすました逆鱗を正確に貫いた。
巨体が痙攣し、泥を跳ね上げながら崩れ落ちる。
獲得経験値:280,000
「……この子、森に擬態するとかやめてほしい……やっぱり、千里眼だけを信用していたら危険だよね。もっと注意しなきゃだね」
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戦闘を終え、再び歩みを進める。
脳裏の地図は少しずつ広がり、道筋が繋がっていく。
「ボス部屋に続く大広間か、それとも下層への階段か……今はどっちでもいい」
白法のマントのフードを深く被り直す。
気配遮断を絶やさず、千里眼で先のルートを確認しつつ。無駄な戦いを避けながら進む。
「ここからが本当の探索……絶対に、突破口を見つけてみせる」
319階層の森は深く、どこまでも広がっていた。
けれど、麻桜の脳裏には確実に、地上へとつながる地図が描かれ始めていた。
話が重複していたのを修正しました。ごめんなさーい!