覚悟と誓い(16)
あの重圧と無口さは、何だったのか。
だが、次に彼が口にした言葉で、息が止まった。
「僕がここに来たのは偶然じゃない。……篠原副支部長からの任務だった。120階層で白ちゃんと合流してほしい、って」
「 綾乃さん……」
その名前を聞いただけで、胸の奥がざわつく。
アルザスは真剣な眼差しをこちらに向けた。
「それだけじゃない。……僕は、四年間ずっと同じ依頼を受け続けてた」
「……依頼……?」
「――ある人の救出依頼だ」
心臓が跳ねた。
その一言で、綾乃の声が脳裏によみがえる。
――“ご両親は、ずっと依頼を出し続けているの。ご両親は信じてる”――
「……っ」
喉が震え、息が詰まる。
アルザスは続ける。
「誰もが諦めていた。けど、その依頼者二人だけは……一度も諦めなかった。毎日、ずっと信じていた。必ず見つけてくれと」
「……パパ……ママ……」
声にならない声が漏れる。
胸の奥が熱で揺さぶられ、唇が震えた。
(……そういうことだったの……? 両親が出し続けていた救出依頼……それを引き受けてくれていたのは、この人……だったんだ……!)
彼は空を仰ぎ、手で額を覆った。
苦笑混じりに続ける。
「追いつくのに必死だったよ。……でも、こうして無事に会えた」
その声には、言葉では表せない重みがあった。
四年間、諦めることなく依頼を受け続け、深層を探し続けた者の重み。
私は黙って彼を見つめた。
胸の奥が震える。
さっきまで恐怖しか感じなかった眼差しが、今は違って見えた。
「……無事に、会えたんですね」
気づけば、声が零れていた。
アルザスはわずかに目を見開き――そして、笑った。
どこか、仮面のように固かった表情が、ようやく解けたように。
「……ああ。やっと、だ」
アルザスは小さく頷き、黒曜石の瞳を細めた。
けれどすぐに、わずかに視線を逸らし、低く言葉を落とす。
横顔には、押し殺した安堵と、まだ語れない秘密の影が差していた。
「ルシアンの件もある。今の状況で、140階層の転送装置を使うわけにはいかない。
あれだけの冒険者が集まっている中じゃ……白ちゃんを守れない」
灰色の瞳が過った。先ほどの戦いが脳裏をよぎり、背筋に冷たいものが走る。
「……だから、念のため追跡を欺く。130階層のセーフティーエリアに戻って、転送装置を使おう。篠原副支部長と合流するために」
その声には迷いがなかった。
決断と、神崎麻桜という、私を守る意志だけが宿っていた。
私は思わず口を開きかけ――すぐに飲み込んだ。
(……140階層には人が集まりすぎてる。あの灰色の男のこともあるし……今、目立つのは危険すぎる)
胸の奥にざわめきが広がる。
不安と迷い。それでも、彼の黒曜石の瞳がまっすぐに射抜いてきて――私の心を揺らした。
「…………」
長い沈黙。
私はゆっくりと息を吐き、膝の上で震えていた手を握りしめた。
「……わかりました」
その言葉はかすれ、頼りなかった。けれど、それでも自分の口から出た。
頷くと同時に、張り詰めていた胸の奥がほんの少しだけ和らぐ。
アルザスは小さく頷いた。
だが、その顔には安堵の影と同時に、どこか切ない色が浮かんでいた。
「……必ず、守る」
低く、押し殺すように呟かれたその言葉。
彼が誰に向けて言ったのか、私には分からなかった。
けれど、その声音は奇妙に真っ直ぐで、心の奥に残響のように響いた。
――
私たちは階層を進んでいた。
一階層を二日で進む、私のペースに、彼は難なくついてくる。
その歩みは静かで、まるで風の一部のようだった。
だが――
「いやぁ、それにしてもさ。こうやって一緒に進んでるの、なんだか夢みたいなんだよね。僕さ、周りから“無口だよな”とか言われてるんだけど、ほんとはこっちが本当の自分なんだよね。だからさ、こうして誰かに聞いてもらえるの、すごく新鮮でさ…あ、それに……」
横で止まらない声。
灰色の男との死闘を思い返して緊張していた私の胸を、半ば強引に解いていくように。
途中に石碑は何度も現れた。
だが触れることはしなかった。
――追跡を避けるため。
それでも彼は走りながら、屈託のない調子で話し続ける。
「白ちゃんって、あれで、ちゃんと寝れてる? 僕は寝袋広げたらすぐ寝ちゃうでしょ、ダンジョン内だと、夢見がちょっと悪いこともあってさ……あ、そういえば昔、篠原副支部長にも“無口キャラ貫け”って言われたことあるんだよね。いやぁ、あれも大変だったなぁ。はは!」
私は隣をちらりと見た。
――喋りすぎ。
でも、その声がなぜか、不思議と安心を運んできていた。




