覚悟と誓い(13)
挑発。分かっている。
見える攻撃は、彼にはすべて読まれる。
虚写境――空間をずらすあの技を前に、真正面からの一撃は絶対に届かない。
(見える攻撃じゃ、意味がない……。じゃあ――“見せなければ”いい)
私は掌に白炎を編んだ。
だが、それを矢として放つことはしない。
白炎は刹那の“閃光”へと変質し、周囲を一瞬だけ灼いた。
「……っ!」
観衆が息を呑む。白炎は放たれなかった。ただ、光の幕が彼方へ走っただけ。
――その瞬間。
私は地を蹴った。
魔力を踏み込みに叩きつけ、足元の座標を強引に“半歩”ずらす。
(……ダンジョン転移――応用!)
視界がぐにゃりと歪み、私の輪郭は一瞬だけ空間の裏へ滑った。
ルシアンの灰の瞳が、その変化を追う。
「っ……ほぉ」
眠たげな声。だがわずかに驚きが混じる。
次の瞬間、彼の死角――背後に、私はいた。
掌には黒炎を編んでいる。
白炎の閃光は、ただの目くらまし。座標を飛んだ一撃こそが、本命だ。
「黒炎閻魔――改!」
漆黒の奔流が迸る。
空間ごと抉り、灰色のフードを直撃する軌道。
「爆!」
広間全体が、爆ぜた黒炎の光で焼かれた。
轟音、灼熱、衝撃。観衆は思わず目を覆う。
「何が起きた……!? また消えたぞ……!」
「ありえない……これが最強同士の戦いか……!」
白の亡霊の反撃に、世界がざわめいた。
――
爆煙の中。
ルシアンは、確かに黒炎を浴びていた。
フードの裾が焦げ、灰色の髪に煤が散っている。
それでも彼は――笑った。
「……はは……っ」
気だるい声のまま。だが、愉悦に濡れた笑みは隠しきれない。
「面倒だな……でも……最高だよ、“白”」
灰の瞳が、真っ直ぐに私を射抜いていた。
彼の指先が、軽く弾かれる。
空気が震え、床に刻まれた魔法陣の残光すら歪んでいく。
「――虚写境」
世界が揺らいだ。
音も光もねじれて、一瞬で広間全体が“壁”で囲まれたように沈黙する。
観衆の声は途切れ、空気は外から切り離された。
(……っ!? 隔離……!?)
気づいた瞬間にはもう遅かった。
140階層の広間はそのまま――“彼と私だけの空間”へと変貌していた。
ルシアンは気だるそうに肩を竦め、眠たげな声を投げる。
「いやぁ……観客がうるさいからさ。ちょっと静かにしようと思って。想像以上だ……」
そして、灰色の瞳が真っ直ぐに私を射抜く。
その瞳の奥に、眠気はもうなかった。鋭さと愉悦だけが光っていた。
「――で、さ」
口元がにやりと吊り上がる。
「君……女だろ?」
心臓が跳ねた。
喉が凍りつき、冷たい汗が背筋を伝う。
(……っ! まさか――!)
綾乃との約束が胸に響く。
“正体は決して明かさないで。外に出たときに、面倒になるから”――。
けれど、灰のフードの男はもう見抜いていた。
フードの奥に隠していたはずの自分を。
140階層のセーフティーエリアで――。
白の亡霊の正体が女だと、世界最強の男に見破られた瞬間だった。
「…………」
沈黙。
答えは返さない。それが綾乃との約束だからだ。
(……正体は、絶対に明かさない。ここで揺らげば、すべてが崩れる)
一拍。
だがその沈黙すら、ルシアンは楽しげに受け取った。
「あは……やっぱり面白いな。黙ってごまかすなんてさ。嘘が下手なんだな。ま、いいや。答えなくても、もう確信したし」
ルシアンは一歩、こちらへ踏み出した。
その足取りはだらしなく、まるで散歩でもしているように見える。
けれど床石の隙間が微かに震え、光苔がざわめくように脈動した。
(……っ。この圧……! 一歩で、ここまで――)
心臓が跳ね上がる。
それでも私は、背筋をまっすぐに保った。
「俺は、君が噂通りかどうか、ずっと気になってたんだよ」
「……」
「実際に会ってみると……あぁ、いいね。強がってるわけでも、見せかけでもない。本物だと思った…… いや、本物。」
灰のフードの奥で、彼の口角が吊り上がった。
ひと呼吸置いて、彼は肩を竦めた。
「女だってのは、俺だけの秘密にしておいてやる。その方が――君にとって都合がいいんだろ?」
胸の奥が、ひやりと震える。
灰の瞳は、眠たげなまま鋭さを帯びていた。
「……俺が初めて“人”に興味を持ったかもな」
口元がにやりと上がる。
「噂以上だった。“白の亡霊”、今日は楽しませてもらった」
ルシアンは指先を軽く弾き――空気を縫っていた隔離の幕を解いた。
世界が揺らぐ。
音も光もねじれて、広間全体がの壁”が消える。
観衆の声は戻り、周囲が一気に騒がしく聞こえる。その光景に観衆はざわめき、息を呑む。
だが彼は周囲を一瞥すらしない。
「……また会いに行くよ。次は、もっと面倒な遊び方でさ」
気だるげな声を最後に、ルシアンの姿はふっと掻き消えた。
残されたのは、まだ燃え上がる観衆のざわめきと――胸奥に残る熱。
私は深く息を吐き、フードの影で目を細めた。
ルシアンの姿が消えた瞬間、張り詰めていた空気が一気に爆ぜた。
「……いまの、見たか……?」
「ルシアンが、白の亡霊と……!」
「いや、あれは戦いなんて次元じゃない……別世界の……」
各国のクラン、ブラックランクたちでさえも、ざわめきを抑えきれない。
誰も動けなかった。
ほんの数刻前まで、あの場で起きていたのは――人の理解を超える“衝突”だった。
麻桜は静かに呼吸を整える。
フードの影に隠れた顔は、誰にも読み取られない。
「…………」
背後で旗が揺れる音だけが、妙に耳に残った。
だが足は、自然と前へ進んでいた。
石碑に背を向け、階段へと向かう。
――ここで立ち止まるわけにはいかない。
観衆の視線を浴びながら、白のマントはゆっくりと闇に溶けていく。




