表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

43/54

覚悟と誓い(10)


 149階層――ボス部屋前。

 空気は熱くも冷たくもなく、ただ“焦げた匂い”を帯びていた。

 岩肌に無数の黒い穴が開き、そこから赤橙の燐粉が絶え間なく漏れている。


 私は深呼吸し、フードを直した。

 双蛇の腕輪が脈を刻み、鼓動を整える。


 「……行くよ」


 扉を押すと、地鳴りのような羽音が迎えた。


――


 そこは燃え落ちた蟲の墓場のような光景だった。

 床一面に炭化した死骸が転がり、その中心で“帝”は鎮座していた。


 六肢を持ち、甲殻は黒曜石のように硬質。

 広げた翅は炎の紋様を宿し、振動のたびに赤黒い火花を散らす。


 「っ……!」


 次の瞬間、爆ぜた。

 翅が一度打たれるだけで、視界全体が火の粉に染まる。

 熱ではない。空気が着火し、酸素そのものが炎に変わっていく。


 「白炎白夜――三十式、一閃白夜!」


 閃光が駆け抜け、蟲帝の翅を焼き裂く。

 だが、焦げた殻がすぐに割れ、内側から新たな翅が芽吹いた。


 「再生……!」


 床下から触角のような炎の蔓が伸び、足首に絡みつこうと迫る。

 私は跳び、青炎の陣を展開する。


 「青炎晴天――第十式!」


 蒼炎が奔流となり、床全体を呑み込んだ。

 炎の蔓は焼き切れたが、蟲帝はその中央で身を震わせ、さらに巨大化していく。


 「面倒……だけど、ここで終わらせる」


 掌を胸前に掲げ、魔力を圧縮する。

 白と青を重ね、さらに黒を呼ぶ。


 「黒炎閻魔――改!」


 放たれた漆黒の奔流が、空間ごと抉り、蟲帝を直撃した。

 甲殻が砕け、胸奥の燐光を焼き尽くす。


 断末魔の羽音が洞窟全体を震わせ――やがて、炎ごと消えた。


 残されたのは焦げた殻片と、赤黒い宝珠。


 「……よし」


 息を整え、私はマントを翻した。


――


 その後の探索は、滑らかだった。

 148、147、146――確実に上を目指す。

 綾乃との約束が、胸を押していた。


 「……もうすぐ、120階層……」


 フードの奥で、小さく微笑む。


――


 141階層に辿り着いた瞬間。


 空気が揺れた。胸の奥にまで振動が響く。

 光苔が一斉に脈を打ち、床が低く唸る。


 「なに……これ……?」


 掌まで震えが届く。

 遠くの階層で、何かが“繋がった”のを確かに感じた。


 立っているだけで、心臓の鼓動が無理やり合わせられていく感覚。

 理解できない。

 けれど、ただ一つ分かる――“世界のどこかで、何かが繋がった”。


 私はまだ知らない。

 その瞬間、ルシアンによって140階層で石碑が刻まれ、310階層までの転送装置が連結したことを。



 140階層・ルシアンサイド

 

 刻名を終えたルシアン・ヴェリスは、退屈そうに肩を回す。


 「……あーあ。やっちゃったな。これでまた騒がれる。いや、それでいい。働かないと、アイツらうるさいし。これで少しは寝れる。」


 コートの裾を払って、背を向ける。

 だが、ふと立ち止まり、目を閉じた。


 耳ではなく、皮膚でもなく。

 空気の粒立ち、階層から伝わる“歩幅”。


 「……ふぅん」


 口元がわずかに緩む。


 「いるな。“白”。白の亡霊か?まあ、どっちでもいいのか。……すぐ下の方だ。足音が、はっきり聞こえる」


 誰もいない石碑の間で、彼だけが確信する。

 白の亡霊が、自分に近づいてきている――と。


 「へぇ……会えるじゃん。まずは挨拶。いや、攻撃すればいいか?まあ、どっちでもいい。挨拶に変わりはない。そう、挨拶だよ。」


 軽口のように吐いたその言葉は、

 静寂の空間に吸い込まれていった。


140階層セーフティーエリア。

 静謐を破るように、各国の旗が立ち並んでいた。ロシアの赤、アメリカの青白、WDAの紋章、中国の黒金。磨かれた兵装が壁際に整然と並び、クランごとの天幕が張られている。

 誰も動かない。だが、誰もが臨戦態勢にあった。


 石碑は、すでに光を宿している。刻まれた名は――“L”。

 その意味を理解できる者は少ない。だが、ここに集ったトップランカーや管制の通信を受けている者なら、誰でも気づいていた。


 ――ルシアン・ヴェリス。


 世界最強の怠惰。

 その灰のフードの男は、石碑のすぐ横に立ち、欠伸を噛み殺していた。


 「んぁ……騒がしいなぁ。そんな睨まなくても、俺、もう“L”で刻んだし」


 気怠い声。

 それでも誰も近づけなかった。

 その男が一歩動けば、世界の均衡が崩れる――誰もが本能で悟っていた。

 

 その男が、2日間も、ここに居座り続ける意味を。


――


 その時。


 階段の下から、白い影が現れた。

 ゆっくりと、しかし確実に。白のマントが静かに翻り、フードの奥の顔は見えない。


 「……誰だ?」

 「待て、カメラを回せ!」

 「……顔が……映らない……!」


 観測者たちのざわめきが走る。

 その中で、最初に声を上げたのはあるクランの副官だった。


 「白……! 白の亡霊だ!」


 緊張が、爆ぜた。

 各国の兵士が息を呑み、ブラックランクたちの視線が一斉に集まる。


 だが、フードの人物――麻桜本人は、その全てを知らなかった。

 彼女の胸にあるのは、ただ綾乃と交わした約束。


 (……正体は絶対に、明かさないで)


 万が一、ダンジョン内で他の冒険者と接触しても、自分の正体をバラしてはいけない。

 その理由は、外に出た時に余計な混乱や危険を避けるため。綾乃と約束していた。

 

 深く息を整え、視線を落とす。心臓の鼓動は早鐘を打っている。


――


 その時、灰の瞳が彼女を捉えた。

 石碑の傍らで眠たげに立っていた男が、初めて表情を変える。


 「へぇ……これが“白の亡霊”。認識阻害か?うん、認識阻害だな。 君、男? 思ったより小柄じゃん」


 麻桜はフードの奥で瞳を細める。

 約束を思い出し、冷たく返す。


 「……小柄で悪かったですね。あなたが“大きいだけ”だと思います」


 その言葉に、ルシアンの口角が上がる。


 「あはは……いいね。声までハッキリしないのか?まあ、いいか。強がりじゃなくて、本気でそう思ってる感じ。

 ……やっぱ来てよかったわ。退屈しない」


 灰色の男と白の亡霊。

 その会話に誰しも言葉を失っていた。

 ただ、歴史が動いた瞬間だけが、全世界の観測者の瞳に焼きついた。


灰のフードに隠れ、ルシアンの視線は鋭く白の亡霊へと向けられていた。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ついに他の冒険者との邂逅!でも一触即発な感じ…麻桜ちゃん逃げて
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ