継続は力なりだよね④
白い空の下、地面に引いた線からさらに十歩。そこが、私の「前線」だ。
――境界線までの距離、十メートル。
この範囲を絶対に越えない。それが、生き延びるための鉄則だった。
「……ここから先は絶対ナシ。出たら死ぬ、だから入らない」
声に出して自分に言い聞かせる。
境界に触れれば、私は安全な秘境から外に押し出される。そこは死に満ちた世界。踏み出せば、命を奪われる。だから、私は絶対に触れない。
今日の目的はただ一つ。
攻撃しても秘境の存在が露見しないかを確認すること。
⸻
千里眼の視界が広がる。草原のくぼみで、灰色の狼が三頭、鼻面を土に押しつけて何かを掘っていた。
「よし……まずは、白炎」
掌に魔力を集める。胸の奥にある「光」が波立ち、四千前後の魔力が鈍く光を放つ。
「白炎白夜 一式!」
白い矢が走り、狼の肩口に突き刺さった。血飛沫が舞い、獣はうめき声をあげてよろめく。だが、倒れない。
「やっぱ、一発じゃムリか……」
狼は狂ったように暴れ回る。牙を剥き、空を、草を、影を睨みつける。だが、私のほうは見ない。
「……ほんとに、気づかないんだ」
⸻
「次は……青炎晴天 三式!」
蒼い光の矢を三本編む。矢は放たれた瞬間に爆ぜ、閃光と轟音が草原を覆った。
青炎の波に巻き込まれ、狼たちは驚きの叫びをあげる。焼け焦げた草の匂いが千里眼を通して鼻を刺す。狼たちは四方へ散り、狂ったように走り去った。
「うわぁ……すご……。でも……やっぱり、私には気づかない」
私は胸を撫で下ろす。狼は炎の原因を探しているが、境界のこちらを睨むことはない。
ノートを取り出し、震える手で記す。
『白炎白夜 一式:致命傷にならず/敵は暴れるが秘境気づかず
青炎晴天 三式:有効/露見なし/安全距離 十メートル遵守』
ペン先がかすかに音を立てる。字が並ぶたび、胸の奥に確信が積み重なっていく。
⸻
「……黒炎も、試したいけど」
私は掌を見下ろす。
漆黒の矢を形にしたときの、あの圧迫感を思い出す。心臓を握り潰されるような痛み。呼吸が止まるような負荷。
「今日は……やめとこ。これは切り札。試すのは、本番にする」
呟いて、自分に言い聞かせる。
⸻
小屋へ戻る。机の上に並べていたガラスのボトルを手に取り、癒しの水を注ぎ込む。
「一本目……二本目……三本目。……ふぅ、準備オッケー」
これで最大魔力を超えても立て直せる。今日の検証で、実戦で必ず必要になると分かった。
棚を開け、布を取り出す。白色の光をまとったマント――白法のマント。
「……ほんと、神々しい。装備でマントは一番欲しかったやつ」
ふわりと肩にかけると、ひんやりとした冷気が体を包む。軽くて動きやすい。魔力の流れも少し滑らかになった気がする。
鏡に映る自分を見て、小さく笑う。
「ちょっと……魔法少女っぽいかも」
言った瞬間、顔が赤くなる。フードで顔を思わず隠してしまう。けれど誰もいないから大丈夫。
拳を握り、声に出す。
「……次は、巨大蛇に挑む。
絶対に、負けない。」
白い空に、その誓いが吸い込まれていく。
孤独な秘境の中、私だけが聞いたその言葉は、明日への燃料になった。
⸻
境界線の手前、十メートルの土に刻んだ線。その内側で、私は深く息を吸った。
「……よし行こう!」
千里眼にゴツゴツとした黒鉄の巨体が映る。草原を割って進む巨大蛇。螺旋を描くたび、大地が軋む。
⸻
「白炎白夜、十式!」
白い矢が一斉に飛び、鱗を焦がす。火花が散り、焦げ跡が点のように並んだ。
魔力消費は1500。残りはおよそ2500。
「……削れてる。でも、まだまだ」
「青炎晴天、七式!」
青炎が爆ぜ、蛇の胴を包む。炎が鱗の隙間を抉り、肉を焼いた。
消費は2100。残りは400。
「……っ、ここから閻魔にいったら……たりない」
⸻
私は迷わずボトルを掴んだ。
栓を開け、一気に流し込む。冷たい液体が喉を通り、血管を満たす。砕けかけた水槽に新しい器が重なり、魔力が再び満ちていく。
「……よし、これで大丈夫」
最大魔力は増え、残量は再び4000超へ。
安全を確保してから、切り札を放つ。
⸻
「黒炎――閻魔 四式!」
漆黒の矢が生まれ、世界の色が落ちる。矢は音もなく走り、蛇の胴を抉った。
肉も骨も痕跡ごと消え去り、虚空が穿たれる。
首を撃ち抜き、血煙が舞う。
巨大な目を焼き潰し、黄色い光が消える。
口腔を貫き、頭蓋を吹き飛ばす。
魔力は削られる。だがボトルで回復した今なら撃ち切れる。
断末魔の咆哮が空を裂いた。大地が震え、砂塵が巻き上がる。
やがて巨体は痙攣し、山が崩れるように地に倒れ込んだ。
⸻
脳内に文字が浮かぶ。
討伐成功。経験値:61万。
「……っ、やった! 本当に……!」
膝が震える。けれど、私は勝った。
しかしその直後、蛇の亡骸から宝玉や鱗片が転がるのを見て、胸が締め付けられる。
境界の外に。
「そんなぁ……」
境界線から手を伸ばせば届く距離。だが、越えられない。安全を失うわけにはいかない。
勝てても、報酬は拾えない。
⸻
記録と誓い
小屋に戻り、ノートを開く。
『巨大蛇 討伐成功/経験値61万/ドロップ未回収
白炎白夜 十式=1500消費
青炎晴天 七式=2100消費
黒炎閻魔 四式=2800消費/癒しの水 一本使用
安全距離 十メートル遵守』
私はマントを握り、声に出した。
「やった……初討伐成功だよー!!」
その言葉が秘境に吸い込まれ、胸の奥で燃え続けた。ノートの最後の行に点を打ち、ペン先を止めた。勝ちは勝ち。討伐成功、経験値六十一万。文字にすれば十分すぎる成果だ。
それでも胸の奥に、ぬぐえない引っかかりが残っていた。
「……もっと早く、終わらせられたんじゃないかな」
私はペンを走らせる。
『反省点:黒炎閻魔の使用順序』
今回の流れは――白夜で削り、青炎で焼き、最後に閻魔を重ねて仕留めた。
けれど蛇が頭をもたげ、咆哮した瞬間、思ったのだ。
あのとき、脳天を狙っていれば。
『仮説:黒炎閻魔による脳天直撃で、討伐に要する手数を大幅に減らせる』
私は命中精度に関しては自信がある。
毎日、白夜を百発、青炎を数十発。練習だけで一日何百という魔法を撃ってきた。千里眼で視界を固定し、矢を収束させることには慣れている。動く獲物でも、心臓や目を射抜くこともできるはず。
「……できる。私なら、できる」
だが、ため息が漏れる。できると分かっていても、試さなかったのは恐怖のせいだ。外したら、七百という莫大な魔力が無駄になる。そのリスクに怯えて、安全な手順を踏んでしまった。
『課題:判断の迅速化。命中精度には問題なし。初撃から急所を狙う勇気を持つこと』
私は最後にこう書き足した。
『次回、大型相手には閻魔による脳天狙撃を第一選択とする』
ペンを置き、ノートを閉じる。
「……次は絶対、もっと少ない手数で仕留める」
白法のマントの裾を握りしめながら、私は深呼吸した。
自分の矢は、外れない。毎日の積み重ねがそれを保証している。
ならば、次は迷わず最初から急所を狙う。
そう決意した瞬間、胸の奥に新しい熱が芽生えた。




