白の亡霊(23)
張られた拠点の空気は、まだ戦場の熱をわずかに残していた。
治療班の灯りが点々と揺れ、遠くで武具の金属音がかすかに響く。
胸の中で鳴る鼓動は、皆、まだ早い。
作戦卓の前。ナノが両手をそっと置き、全員を見渡す。
中性的な横顔から、柔らかな気配は消えている。落ちたのは、張り詰めた透明な声。
「――もう一度、作戦を確認する」
視線が吸い寄せられる。息が揃って沈む。
「偵察結果。ボスは“重力の撹乱”と“直線破壊の黒光”、それに“尾撃”“翼刃”が主軸。
アルザスの報告では、黒光は“視線の先”に射出される。必ず前兆がある。反応時間は短いが、ゼロじゃない」
ナノの指先が卓上の簡易図に印を刻む。
円で示したボス室。四方に退避線。中央に赤い点――“核”。
「黒光は“貫通”。受けてはいけない。今回はアイギスも導入し、アイギスのジャミングで照準を乱し、可動盾で“線”を曲げる。曲げ切れなかった芯は――」
「――切る」
寡黙な声が短く落ちる。剣鬼アルザス。
その二音だけで、全員は“最後の壁”を確信する。
「尾撃は岩盤破壊と破片の散弾。前衛は破片を優先で弾け。致命打はアイギスの傾斜障壁で滑らせる。
翼刃の範囲斬撃は、合図で**護天障壁**を重ね、角度を変える」
呼吸を一度整え、ナノは次へ。
「問題は重力。全体圧迫もあれば、急に“浮く”。“浮き”は無力化に近い。
アイギスはジャイロ安定装置を最大。アンカー杭を打ち、全列をロープで連結。転倒者は即座に引き戻す。
りう、重力が来たら“響き”で逆相をぶつけられるか?」
椅子にもたれていたりうが、片目を細めて口角を上げる。銀髪が灯りを掬ってきらめいた。
「やってみる。圧縮光で相殺して、“真上に飛ぶ”のは止められるかもしれない。
前兆が見えた瞬間なら、間に合うわ」
「助かる。カレンさんは“咆哮”対策。鼓膜じゃなく“内側”に来るタイプだ。歌で“芯”を繋いでほしい」
――戦場の歌姫カレンが、小さく息を吸って頷く。声は柔らかいのに、芯が強い。
「大丈夫。**星詠**の前奏を伸ばして意識のリズムを合わせる。
魔力回復と身体能力の維持は、StellaCielでコーラスを“リレー”します。長期戦でも落としません」
「ありがとう。持続が鍵だ」
ナノは印を指で結び、矢印を四方へ伸ばした。
「陣形は“矢羽”。先頭にアイギス一号、両翼に前衛。
二列目にアイギス二号・三号。ジャミング → 障壁 → 切断で“線”を潰す。
りうは二列目中央。閃光で照準ごと散らし、翼刃には一点集中の対抗火力。
カレンさんは三列目で歌域を保ちつつ、StellaCielと一緒に必要なら前に。
俺達CresCentは、前衛を軸に全列の“結び目”を調整して衝撃の向きを回す。――これが“基準動作”」
短い間。
誰も、無駄口は叩かない。息遣いだけが薄く重なる。
「削る順番は“尾”から。足場を守る。次に“翼”。範囲を削る。
黒光は“見たら避ける”。避けられない芯は――」
「――切る」
再び二音。刃のように短い。全員の心拍が揃った。
「決定打は、りう。**恒星核落下は“場作り”に最短十秒必要だ。
十秒――総員で壁になる。俺は結び目を最大に、前衛は自分の命は後回しの気持ちで後衛を守れ。
アイギスは出力限界まで障壁。
カレンさんは極光讃歌**で“魔力の沸点”を引き上げる。
十秒、稼げたら勝機が見える」
りうが、人差し指を軽く立てる。
いたずらっぽい目に、戦場の色が灯る。
「ナノ、ひとつ。黒光は“見てから回避”だと、コーラスが遅れる。
視線誘導を入れる。囮の光を“眼窩”に重ねて、向こうに“見せる”。照準を外側へ滑らせてから爆ぜる。
十秒欲しいなら、最初の三秒は私にちょうだい」
「取ってくれ。三秒作れば、残り七秒は俺たちが“地面”にしてみせる」
カレンが指先を胸元で結び、微笑む。
「じゃあ――最初の一音で“心”をまとめましょう。“ここにいる全員”が、同じ拍で呼吸できるように」
ナノは小さく頷き、最悪想定を置いた。
「重力が“落ち続ける”か“浮き続ける”か――二択の“はず”が“両方来る”可能性がある。連続切替だ。
アイギスの安定装置は片側が限界。片側が抜けたら――」
「――俺が切る」
三度目の二音。
誰も笑わない。みんな、その二音に救われている。
「第二形態の可能性。殻を捨てるか、密度を上げるか。どちらでも“いったん全員落ちる”。
その時は“斜め”に落ちろ。真正面はダメだ。誰かの真後ろも最悪。
カレンさん、落ちる瞬間だけ“声”を強く」
「任せて」
空気の重さが、少しだけ変わった。
戦場の前にだけ訪れる、あの静かな熱――覚悟の色が、全員の顔に等しく宿る。
「役割は重ねる。被ったら“強い方”に合わせろ。迷ったら前を見ろ。前にいるやつが“答え”だ。
……今回も誰も置いていかない。全員で行って、全員で帰る」
ナノは口角を、ほんの少しだけ上げた。
「矛も、盾も、刃(剣鬼)も、台座も、結び目も――全部そろってる。
勝てる」
目に見えない線が、ぴん、と結ばれた。
――作戦は、決まった。
扉の前。
ボス室へ続く巨扉は、低く唸りそうな重さで立ちはだかる。
アイギス十台が滑るように所定位置へ。可動盾が角度を変え、薄い銀膜の障壁がふるえる。
アンカー杭が打ち込まれ、連結ロープが列を縫う。
ジャミングの波が空気を一度だけざわつかせ、耳鳴りだけを残した。
りうは二列目中央。指先で小さな光を生み、消し、また生む。
カレンは喉奥を軽く鳴らし、歌域を整えると、一人ひとりの顔を見て頷く。
アルザスは前列右。刃をわずかに起こし、何も言わない。
ナノは全体を一望し、扉に向けて短く告げた。
「――開けるぞ」
鈍い軋み。
重い空気が、こちらへ流れ込む。視界の色が、ひとつ沈む。
「前へ!」
号令。
アイギスが、滑るように床を進む。ジャミングが走り、障壁が波打つ――
次の瞬間、世界が沈んだ。
重力が“落ち”、肺が圧される。床石が唸り、ロープが一斉に張る。
「――来た、“押し”! アンカー活かせ、“浮き”に備え!」
同時に、黒光。
見えない“視線”が心臓を射抜くように線を描く。
「一号、左に! 角度三十! 芯だけ来る――剣鬼!」
「……あぁ」
スッ――。
軽い音だけが残り、直線の“芯”は二つに割れて消えた。
熱の切れ端が頬を舐める。誰かが一瞬、息を忘れ――
「――“光はここに”」
カレンの一音が胸を押す。
薄く差す光。呼吸の拍が合う。心臓の打つ位置が、ぴたりと揃う。
「尾、来る! 破片優先! 滑らせて回せ、回せ!」
尾が岩盤を叩き砕く。石片が弾丸の雨になる。
アイギスの傾斜障壁が角度を変え、破片の群れを風のように流した。
杭が軋み、ロープが悲鳴を上げる。
「翼、開くぞ――“範囲”来る! カレンさん、音を強く!」
「――星詠、第二節」
空気が明るむ。
りうが片手を上げ、囮の光を空間に撒く。
予想通り視線が囮に吸い寄せられ、黒光は外側に逸れる。障壁が波立ちながら受け流す。
「三秒、もらうわ」
りうの声が落ちると、彼女の周囲だけ“時間の粒度”が変わった。
圧縮光が、掌の上で星核のように渦を巻く――
巨影が、咆哮を響かせる。
「重力、反転――“浮き”来る! 結び目増やす!」
身体がふっと軽くなり、ロープがふわりと浮き上がる。
ナノの両手が空に“結び目”を描き、護天障壁が斜めへ押し戻す。
「落ちるな、斜め! 真後ろに入るな!」
アルザスが浮いた仲間の前に一歩。
迫る翼刃のいちばん鋭い一点だけを斬り払い、残りは沈んでやり過ごす。
火花、痛み、しかし――致命はない。
「前半、守り切る! りう、あと――」
「――七秒」
短い返事。
カレンの極光讃歌が色を増す。魔力が沸騰するのに、体は静かだ。
“落ちずに燃えるための歌”が、皆の芯を支える。
「黒光、三射――間欠! 一号、右回し! 二号、左を上げろ!」
ジャミングが唸り、可動盾が踊る。
蛇行する黒い線――芯は、
「……切る」
スッ。
また軽い音だけ。剣鬼は“そこにいる”。それだけで、“線”は怖くない。
「尾、再来! 破片、上! ――上を見ろ!」
切り上がる破片を見上げると、りうの星図が空に咲いた。
「ここ」
指先一つ。
視線が釣られ、黒光が囮へ逸れる。翼が開き、りうの掌に“核”が宿る。
ナノは、前を見た。
この瞬間だけ、わざと低い声を出す。場を絞るために。
「総員、壁になれ。――十秒だ」
それは宣告じゃない。約束だ。
一秒。
二秒。
三秒――りうの“領域”が完成。
四秒。
五秒――カレンの歌が場の温度を一段上げる。
六秒。
七秒――前衛が血を吐き、それでも足は前へ。
八秒。
九秒――結び目が悲鳴を上げ、それでも結ばれる。
――十秒。
「――恒星核落下」
音が消え、世界が落ちる。
白い星核が黒殻の中心へ。触れた瞬間、内側から“空洞”が芽吹いた。
黒光が四方に暴れ、翼刃が空を刻む。
アイギスの障壁が砕け、なお再構築される。
アルザスが致命だけを斬り捨て、カレンの歌が血の出る身体を繋ぎ止める。
――閃光
洞窟に白昼が落ち、黒殻の核が吹き飛ぶ。
重力の歪みが痙攣し、尾が痙攣し、翼が怯む。
「――今だ。総火力」
ナノの合図。
りうの追撃光が骨板を穿ち、CresCentの矢が雨となり、StellaCielの術光が隙間を埋める。
黒殻が低い鐘のように呻き、空間が歪む。
だが――遅い。
りうが、指を弾いた。
「終わりにしましょう」
星核の余光が、圧縮され一気に爆ぜる。
黒鉄の鱗を最後の一枚まで剥がし取る。
黒い巨影は崩れ、粒子になって霧散していく。
静寂。
荒い呼吸だけが、生の音として残る。
りうがふらりと膝をつき、ナノが肩を支え、カレンが歌を収束させる。
アルザスは刃を納め、前だけを見た。
「……勝利だ。誰も置いてはいかない」
その言葉を合図に、抑え込んでいた歓声が解き放たれた。
でも、歓喜は始まりにすぎない。
アイギスの通信が震える。
新しい光が、水晶盤にまたたく。
救出、未到達、前人未踏――これからの時間を埋め尽くす言葉たち。
けれど今は、ただ。
互いの息と鼓動を確かめ合う。
次の一歩を踏み出すための、いちばん大事な儀式として。
これで白の亡霊編は終了です。評価、ブクマ増えるごとに飛び跳ねて喜んでいました!応援してくれたおかげで、無事に書けたこと、ここで感謝を言わせてもらいます。次は、三章に突入。引き続き読んで頂ければ嬉しいです!




