白の亡霊(18)
長い階段を登り切り、視界が一気に開ける。
そこは静謐な光に包まれた120階層――セーフティーエリアだった。
先頭を歩いていたナノは、足を止めて振り返る。
「……着いたぞ」
短く、しかしはっきりと告げる声が洞窟に響いた。
背後には仲間たちの姿。
ボス戦の傷がまだ生々しく残っているが、その顔には確かな安堵の色が浮かんでいた。
後方からゆっくりと、アイギスの車列が入ってくる。
車体はところどころ擦り傷を負っていたが、堂々とした姿を保っていた。
その中、りうは医療班に守られ、静かに横たわっている。
まだ目を覚ます気配はないが、脈は安定しており、肩で細かく呼吸を繰り返していた。
「……りう」
ナノは小さく呟き、目を伏せる。
今この場にいるのは、彼女が最後の一撃を放ったからこそ――そう思うと、ここに辿り着けたのは、彼女のチカラがあってこその偉業だろう。
カレンは岩壁にもたれながら、深く息を吐いた。
「ふぅ……やっと……ここまで来られましたね」
声は疲労を隠せないが、それでもどこか優雅で、歌姫らしい響きを帯びていた。
アルザスは無言で剣を拭い、鞘に収める。
その仕草ひとつで、彼がまだ戦場の緊張を解いていないことが分かる。
仲間たちが次々とセーフティーエリアに足を踏み入れ、やがて全員が到達した。
ここはもう安全。モンスターの気配もなく、ただ穏やかな光と空気が漂っている。
ナノは一歩前に出て、静かに言った。
「全員……よくやった。まずは休め。治療と回復を最優先だ」
その言葉に、仲間たちの肩から一斉に力が抜けていった。
嗚咽する声、笑い合う声、ただ床に腰を下ろして天井を見上げる者――さまざまな反応が広がる。
激闘を超えた者たちが、ついに辿り着いた安息の地。
だが、この先にはまだ未知の階層が待ち構えている。
それを誰もが理解していながらも、今だけは、束の間の安らぎに身を委ねる。
医療班はすぐに治療と回復に入った。
負傷者は次々と応急処置を受け、倒れていたりうも安静のままアイギスの中で見守られている。
しばしの休息を経て、全員が再び立ち上がれる状態を取り戻すと、石碑の前に集まった。
CresCentの名を代表としてナノが刻み、StellaCielの名は、マネージャーの紗耶が代表として刻む。
そしてブラックランクの三人――閃光姫りう、戦場の歌姫カレン、剣鬼アルザス――は、それぞれ個人として名を刻むこととなった。
刻まれた瞬間、石碑は淡く光り、120階層到達の証が確かに残された。
誰もがその光を見上げ、胸の奥に熱を覚える。
――長年越えられなかった壁を、日本の力で超えたのだ。
しかし、歓喜に浸る間もなく、ナノは仲間たちへ声をかける。
「……時間は限られている。次の121階層へ進むぞ」
空気が再び張り詰める。
全員が頷き合い、アイギスのエンジンが低く唸りを上げた。
目指すは未知の領域――人類未到達の121階層。
光の階段を下る彼らの背に、石碑の光がいつまでも揺らめいていた。
⸻
WDA会議室
その報せが届いたのは、現地時間で夜半を過ぎた頃だった。
「……入電! 日本支部より至急報告です!」
通信官が駆け込むと同時に、会議室の空気が一気に張り詰める。壁一面に広がる巨大スクリーンが点灯し、文字情報と同時に震えるような声が響いた。
『――こちら、日本ダンジョン対策本部支部。報告します。
119階層ボス《蒼淵竜リヴァイア・レギア》――討伐成功。
併せて、120階層セーフティーエリアへの到達を確認。』
沈黙。誰もが言葉を失い、瞬きすら忘れる。
「……討伐、成功したのか……」
最初に呟いた幹部の声は、驚愕と疑念がないまぜになって震えていた。
「記録を……もう一度読み上げろ」
「……間違いありません。討伐成功、120階層到達。現地刻印の映像も送信されています」
その瞬間、どよめきが爆発した。椅子を蹴る音、資料を落とす音、抑え切れない息の乱れ。長年、人類が前に進めなかった“壁”。その名を刻むことすら許されなかった119階層が、ついに突破されたのだ。
「119階層……あの竜を倒したのか……!」
「そんな馬鹿な……数年に渡り挑み続け、幾度も撤退を余儀なくされた怪物だぞ!」
「映像を……! 映像をすぐに回せ!」
会議室の中央スクリーンに、断片的な映像が投影された。
蒼い水圧の奔流。砕け散る岩盤。絶叫と咆哮の混ざり合う音。
そして、六本首の竜が光に還る瞬間。
その後ろに映ったのは――傷つきながらも立つ者たちの姿だった。
「……あれが……日本のブラックランク……!」
「閃光姫、剣鬼、そして……戦場の歌姫。
さらに、CresCentとStellaCielの主力まで……」
「国内最強どころか、世界級の編成じゃないか……」
その名を口にするだけで、重みが空気を震わせた。
⸻
SNSと報道の嵐
同時刻、各国のニュース速報が一斉に流れ始めていた。
――《速報》人類、119階層を突破。
――日本、120階層到達を確認。
――ブラックランク3名の奮戦、映像で確認。
SNSでは瞬く間に拡散され、ハッシュタグが世界のトレンドを埋め尽くした。
《クソヘビ撃破!》
《閃光姫の魔法、鳥肌モノ》
《剣鬼の一閃……震えた》
《カレンの歌声が国境を越えた》
それは国を超えた祭りのような熱狂だった。だが同時に、世界は知っていた。
これは単なる“快挙”ではなく、“転換点”だということを。
⸻
映像を見届けた議長が、深く息を吐いた。
「凄まじい光景だ……見事だな。これで、人類の旗は120階層に届いた」
別の幹部が口を開く。
「しかし、問題はこれからだ。
121階層以降の情報は一切不明……。未踏破領域に足を踏み入れることになる」
「だが、この勢いならば。彼らならば」
「期待をかけすぎて潰すなよ。特に……副支部長の件がある」
その一言に場が静まり返る。
そう――篠原綾乃、そして幼い未桜。未だ行方は不明だ。
「日本支部の判断を尊重する。だが、我々も可能な限り支援を惜しまない」
「……それでいい」
会議はそう結論づけられた。
⸻
日本支部の熱狂と覚悟
一方、日本支部。
刻印映像が届いた瞬間、管制室は歓声に包まれた。
「やった……やったぞ!」
「119階層突破だ! ついに人類が進んだ!」
涙を流す者、机を叩く者、抱き合って喜ぶ者。
しかし、その熱狂の中でも誰もが知っていた。
――まだ任務は終わっていない。
篠原副支部長と未桜の救出。
それが作戦の最優先であり、最大の使命だ。
⸻
それでも、人類は一歩を刻んだ
スクリーンには、120階層の石碑に刻まれる名前が映し出されていた。
CresCent。
StellaCiel。
そして――ブラックランク三名の個人名。
その光景は、ただの記録以上の意味を持っていた。
人類が“壁”を越えた証。
そして、日本が世界に示した勇気そのものだった。
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次なる扉へ
WDAは直ちに声明を発表した。
「日本の偉業を讃える。我々は120階層到達を、人類全体の勝利として記録する。
並びに、日本ダンジョン対策本部支部 副支部長 篠原綾乃、篠原未桜、2名の救出を全面的に支援を行う」
その言葉に、世界が再び沸いた。
――新たな時代が始まったのだ。




