白の亡霊(14)
――日本ダンジョン対策本部支部・特別作戦室
重々しい扉が閉じられると、室内の空気が一段と張り詰めた。そこに集ったのは、国内最高戦力――ブラックランク三名と、クラン代表者たち。
CresCentのクランマスター、ナノ。その傍らには閃光姫りう。ステージを終えたばかりのカレンは、クラン〈StellaCiel〉の側近であるマネージャーを伴い、清楚な笑みを浮かべて席に着く。
そして、孤高の剣鬼アルザス。無言のまま、鋭い視線だけを向けていた。
支部長は深く息を整え、静かに口を開いた。
「――今回の任務は、篠原綾乃副支部長と、その娘・未桜の救出だ」
全員の視線が集まる。
「突発ゲートに呑まれた彼女らは、未到達階層へ転送された可能性が高い。生存は未確認……だが、我々は放置できない。救出が最優先だ」
支部長の言葉に続き、壁面のスクリーンに映し出されたのは、異形の装甲車。
「同時に――今回の作戦には、新兵装〈アイギス〉を十台投入する」
ざわめきが広がる。
〈アイギス〉はモンスター探知と強力なシールド展開を可能とする移動兵装。
だが真価はそれだけではない。
「補給物資を大量に運搬可能だ。食料・水・回復薬――冒険者の消耗を最小限に抑える。ダンジョン内高速移動を補助する新型装甲車だ。
モンスター探知、シールド展開、ジャミング、段差走行、水辺の突破……。
乗車人数は十名、補給物資を積み込み、医療班とマッピング班を同乗させることができる。
つまり、これによりブラックランクとクランは常に最高のコンディションで戦闘に集中できる」
スクリーンには、110階層から119階層にかけてのマップが広がっていた。
すでに地形データは揃っており、危険箇所や水辺、崩落しやすいポイントも赤く示されている。
司令官が指し棒を走らせる。
「アイギスは110階層セーフティーエリアから投入する。戦闘がなければ、一階層およそ一時間。111階層の危険エリアから、八時間でボス前に到達できる想定だ」
会議室がざわめく。
これまでならば新層攻略に、一階層二週間から一ヶ月。
ブラックランクや最大クランでも、それほどの時間を費やすのが常識だった。
だが、アイギスの投入によって、その常識が覆されようとしている。
「もちろん、道中でモンスターの襲撃があれば、ブラックランクとクランが撃退に当たる」
「だが本来の目的は救出だ。ボス戦で体力を使い果たす前に、できるだけ消耗を抑えろ」
りうが口角を上げ、静かに言った。
「八時間でボス部屋に直行、ね。……面白いじゃない」
その言葉に、部屋の空気が大きく揺れた。
りうが細めた銀の瞳に闘志を宿し、笑みを浮かべる。
「ふふっ……アイドルの私が、世界が注目する舞台で人を救う。完璧に“絵になる”でしょ」
カレンは小さくウィンクしながら、隣のマネージャーを肘で突く。
アルザスは相変わらず無言だった。だが、握る剣の柄に込められた力が、その覚悟を示していた。
支部長は彼らを見渡し、さらに言葉を続けた。
「問題は119階層のボス、これまで日本の冒険者たちが幾度も挑んできたが、未だ突破できていない強敵だ。」
重苦しい沈黙の中、壁一面のスクリーンに映像が映し出された。
そこに映るのは――漆黒の地底湖から姿を現す、六本首の竜。
蒼淵竜リヴァイア・レギア
119階層の守護者にして、近年日本の冒険者を阻んできた“壁”だった。
「……また見ることになるとはね」
りうが腕を組み、真剣な眼差しで映像を睨む。
彼女は一度、CresCentの仲間とともにこの竜と対峙したことがある。
そして――仲間の犠牲を防ぐため撤退を選ばざるを得なかった。
支部長が口を開く。
「偵察部隊の記録でもわかる通り、リヴァイア・レギアの特性は水。
六本の首はそれぞれが高圧の水流を吐き、範囲は視界を覆うほど広い。
さらに、津波のような衝撃波で戦場そのものを呑み込み、鱗は瞬時に再生する。
生半可な攻撃では意味をなさない」
画面に、圧倒的な水流が人の隊列を一瞬で崩壊させる映像が流れる。
それは冒険者ではなく、偵察任務にあたった特殊部隊のものだった。
彼らの装備にはビーコンが組み込まれていたため、座標と状況の一部は本部に届いたが――記録は、全員が撤退する間もなく途絶えている。
「……近づけなかった。だから勝てなかった」
りうの声が、室内に低く響いた。
支部長が頷き、話を続ける。
「今回の作戦は、ただの攻略ではない。
副支部長・篠原綾乃、そして篠原未桜の救出が第一目標だ。
だが、そのためにはこのボスを突破せねばならない」
資料を見下ろしていたカレンが、そっと口を開く。
清楚な佇まいに、アイドルらしい柔らかさを纏いながらも、声には芯があった。
「……水の舞台、か。歌なら光を浴びれば映えるけど……あれは、立つだけで命を削られる舞台ね。でも――だからこそ、私の歌も力も試す価値がある」
アルザスは何も言わなかった。
ただ剣の柄に手を添え、瞳に鋭い光を宿す。
寡黙なその姿が、かえって周囲に重い覚悟を伝える。
支部長は全員を見渡し、言葉を重ねた。
「新装備――装甲車〈アイギス〉を最大限に活用し、そしてブラックランク三名と二大クランが護衛につけば、前人未到の119階層、リヴァイア・レギアを破れる。」
りうが口角を上げる。
「ふふ……最高じゃない。強さを試すにはこれ以上ない舞台ね」
カレンは一度目を伏せ、それからまっすぐに顔を上げた。
「救出が第一。歌と同じで、届ける相手がいるからこそ、私たちは全力を尽くす。そうでしょ?」
重苦しい沈黙の中、支部長は最後に言葉を置いた。
「――篠原綾乃、未桜。二人を必ず救い出す。それが最優先だ。
同時に、この119階層の壁を越えることで、日本の力を世界に示す。
世界は、今この瞬間を注視している」
室内の空気が、決戦前の静けさに変わる。
ブラックランク三名と二大クラン。
人類最高戦力が、一つの目的のもとに集結した瞬間だった。
今回の作戦は救出が第一目的だが――同時に、日本最高戦力による合同作戦でもある。
未階層の更新をもたらし、世界の冒険史に刻まれるだろう
静寂。
その重みを誰もが理解していた。
緊張に満ちた作戦室に、誰一人、後ろ向きの言葉はなかった。




