白の亡霊(13)
――その夜、日本ダンジョン対策本部支部
緊急会議室には、昼間からの騒ぎの余韻がそのまま残っていた。
公園で突発的に発生した不安定ゲート。
その中へ呑まれた二人の名前――篠原綾乃、副支部長。そして、その娘・未桜。
「……ビーコンタグの反応は、やはり119階層で途絶えています」
職員の声が重苦しく響く。
119階層――それは日本の冒険者たちが、血と命を費やして到達した限界点。
それより深い場所へ転送されたのなら、人類の足跡のない領域。
地図にも記録にも残らない、完全なる未知だった。
「未到達階層に……」
誰かが小さく漏らす。
すぐに会議室の空気がざわめいた。
生還例はない。
副支部長であろうと、子供であろうと、無情に飲み込むのが“深層”だ。
だが、黙って見ているわけにはいかない。
――支部の要である人材。
――何より、幼い命。
「……WDAには?」
「すでに報告済みです。至急対応会議を要請中」
答えを聞いた瞬間、誰もが静かに息を詰めた。
国内だけの判断では収まらない。
世界が動く。そう理解していた。
⸻
――同時刻、アメリカ合衆国ワシントンD.C.
世界ダンジョン対策本部――通称 WDA(World Dungeon Authority)
日本支部からの急報が、世界本部の会議室に届いたのは深夜だった。
巨大なモニターに映し出される報告書。
“篠原綾乃・副支部長、不安定ゲートにより転送”
“同行:篠原未桜(小学生・十歳)”
ざわめきが広がる。
その場に居合わせた各国の代表者たちの顔は、一様に険しい。
「……よりにもよって、日本支部の副支部長が」
「未到達階層に飛ばされた可能性が高いのか?」
「ビーコンタグの記録は119階層で途絶。つまり、それより深く――だ」
場の空気が重く沈む。
本部のあるアメリカでさえ、120階層以降、国内においては、119階層より下は、白の亡霊という、イレギュラーを除けば、人類未踏。
どの国も踏み込めていない領域。
救出を検討すること自体が、途方もない危険を意味していた。
「……だが、放置するわけにはいかん」
「篠原副支部長は、日本支部を支える中心人物だ。それに子供もいる」
静まり返る会議室に、低い声が響く。
全員が知っている。
これは、ひとつの国だけの問題では済まない。
世界規模での対応が必要だ――。
沈黙を破ったのは、年配の幹部の低い声だった。
「……救出作戦を検討すべきだろう」
ざわめきが広がる。
未到達階層に挑む――それは、日本にとって、前人未踏の危険を冒すということ。
だが、対象は日本支部の副支部長・篠原綾乃と、その幼い娘だ。
WDAとして、無視できるはずがなかった。
「国際的な人材の損失は避けられん」
「だが、投入できる戦力は限られる。中途半端な突入は、二次被害を招くだけだ」
重苦しい意見が飛び交う中、一人の幹部が言った。
「……日本には、ブラックランクが三名いる。彼らが所属するクランと共にに、依頼するのが最も現実的だろう」
その言葉に誰もが頷いた。
ブラックランク――各国に数名しか存在しない“国家戦力級”冒険者。
任務の危険度を考えれば、彼らしか頼ることはできない。
議長が静かに頷き、言葉を落とした。
「……日本支部へ正式に打診しろ。最優先任務としてだ」
こうして決断は下された。
⸻
――日本ダンジョン対策本部支部
支部長室には、幹部たちが厳しい面持ちで集まっていた。
机上に置かれた封筒には、WDAの刻印と共に極秘文書が収められている。
そこには明確に記されていた。篠原副支部長とその娘の救出――そのために必要なのは、国家戦力級。
――「ブラックランク冒険者への救出依頼」
支部長は息を整え、低く呟いた。
「……やはり、来たか」
国内に存在する三人のブラックランク。
国内最大クランCresCentに所属する“閃光姫”リウ。
ソロで深層を渡り歩く孤高の剣士、“剣鬼”アルザス。
そして、アイドル活動とStellaCielクラン運営を両立し、支援と統率を得意とする“戦場の歌姫”カレン。
「……彼らを動かすしかない。我々の手には余る」
「だが、納得してもらえるかどうか……」
冒険者はあくまで自由な存在であり、拘束できるわけではない。
それでも、世界が日本に託してきた以上、日本支部は動かざるを得なかった。
「……一人でも多く、救わなければならない」
その一言に、場にいた全員が静かに頷いた。
「……CresCent、StellaCiel、そしてアルザス。三者に緊急召集を」
支部長の低い声が会議室に響き、作戦は静かに動き出した。
⸻
横浜・CresCent本部
会議室の中央で、クランマスターのナノが小柄な体を椅子に預けていた。
隣で椅子に足を投げ出していたリウが、銀髪をかき上げながら口角を上げた。指先を弄び、空中に幾つもの光の粒を生み出しては弾けさせている。
「……副支部長関連ってわけね。だから私たちが呼ばれた」
リウの声音は冷静だったが、その瞳には戦意が宿っていた。
「どうする?」と仲間が問うと、ナノは小さく肩をすくめる。
「決まってるだろ。行こうか。……CresCent総出で」
その一言で場の空気は一変し、緊張が走った。
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東京ドーム・ライブ終了後
大歓声に包まれたステージを後にし、カレンは煌びやかな衣装のまま舞台裏へ戻った。
汗で濡れた頬に照明の余韻が揺れ、観客の名残惜しむ声がまだ遠くで響いている。
「カレンさん」
駆け寄ってきたマネージャーの表情は険しかった。
「日本支部から緊急召集です。副支部長の救出任務。クランごと要請されています」
一瞬目を丸くしたカレンだったが、すぐに満面の笑みを浮かべる。
「ふふっ……最高のステージが待ってるってわけね。StellaCiel、全力で応えるわよ」
その言葉に、控えていたクランメンバーたちは静かに頷いた。
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深夜の剣道場
木刀を振り下ろす音だけが響いていた。
アルザスは黙々と稽古を続けていたが、襖が勢いよく開き、使者が飛び込んできた。
「アルザスさん! 日本支部からの緊急召集です!」
無言のまま剣を止め、背後の刀に手を添える。
やがて低く言葉を落とした。
「……未到達階層、か」
その声音には恐れではなく、挑む者の覚悟がにじんでいた。
孤高の剣鬼――アルザス。
自らを試すように剣を振るう彼もまた、国家すら動かす作戦の一翼を担うことになった。
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こうして、CresCent、StellaCiel、そして剣鬼アルザス。
日本ダンジョン対策本部支部の名の下、三つの戦力へ正式に召集が下されたのだった。




