白の亡霊⑦
白の名が300階層台から石碑に刻まれて
――およそ四か月。
その間、“白”は平均二日で一階層という速度で階層を駆け上がり続けた。
309、308、307……と数字を減らし、今や250階層に到達している。
世界各地のダンジョン対策支部に、その報告が届くたび、空気は一段と張り詰めていった。
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「……また刻まれた。今度は250階層だ」
「たった四か月で59階層も……。これは常軌を逸している」
WDA(世界ダンジョン対策本部)の会議室にざわめきが広がる。
最高峰のクランですら、一階層の攻略に二週間から一か月を要する。
その常識を塗り替える存在が、深層から逆に“駆け上がっている”のだ。
「……どう抑制するつもりだ?」
「もしその力が我々に向けられたら、ただの災厄だ」
誰もが声を潜めつつも、視線には恐怖と焦燥が滲んでいた。
白の存在は未だ不明。だが確かに、世界を揺さぶる現実となっていた。
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一方、その騒めきを知らぬ麻桜は、ただ黙々と進み続けていた。
309階層の石碑に名を刻んでから――四か月。
彼女は転送者がいないかを探し、自動マッピングでエリアを埋めながら、着実に歩みを重ねてきた。
そして今、249階層の重厚な扉の前に立っている。
「……ここが、249階層のボス部屋……」
石扉の前に立ち、麻桜は腰のベルトに差した癒しの水のボトルへと視線を落とした。
マジックポーチの中には何百本と備蓄がある。
尽きる心配はない。けれど――ここまで駆け上がってきた分、心なしか減った気がする。
「……まあ、まだまだあるんだけど……。でも今日は、きっと使うことになる」
小さくつぶやき、深呼吸をひとつ。
掌に魔力を込め、頭上から光を降ろす。
「――聖域天蓋」
砦のような結界が彼女を包み込む。
続けて、闇に姿を沈める。
「――黒隠虚衣」
最大の防御と最大の遮断。できる限りの準備を整え、扉へ手を当てた。
――ゴウン。
赤熱の紋様が脈打ち、石扉が開く。
その瞬間、肺を焼くような熱気が押し寄せた。
広間の中央。
巨岩の装甲をまとい、その隙間から真紅の炎を漏らす巨影が身を起こす。
黄金の瞳が、闇に溶けているはずの麻桜をまっすぐ射抜いた。
――炎獄の巨人
「……っ!? 気配遮断が……効いてない……!」
すぐさま悟る。
闇に溶けているはずなのに、巨人の目は迷わず自分を見据えていた。
「……鉱物や自然系……。こういう相手には、通じないのか……!」
「――白炎白夜!」
閃光が巨人の胸を貫く。だが、赤熱の炎が亀裂を塞ぎ、傷は一瞬で消えた。
「嘘……っ!」
青炎晴天を放つ。爆ぜる閃光は炎に吸い込まれたかのように消滅する。
「……火に火をぶつけても……!?」
巨人の拳が振り下ろされ、床が粉砕された。
「――っ!」
聖域天蓋が火花を散らし、砦のように衝撃を受け止める。
だが腕が痺れ、全身が後ろへと弾かれた。
「くっ……重いっ、これじゃ押し切られる……!」
腰のボトルを引き抜き、口に流し込む。
冷たい液体が喉を満たし、魔力が一気に蘇る。
「今は……立て直すだけ」
巨人が口腔に炎をため込み、灼熱を吐き出す。
麻桜は影に身を滑らせ、巨体の背後へと走る。
「――黒炎閻魔・改!」
漆黒の閃光が口腔を貫き、喉奥を焼き裂いた。
巨人は苦悶の咆哮を上げ、膝をつく。
だが心臓の赤熱は脈打ち続けている。
「……なら、これで――」
「……爆!」
囁いた瞬間、巨人の胸部が内部から弾け飛んだ。
漆黒の炎が内側で暴れ狂い、赤熱の心臓部を焼き尽くす。
再生する間もなく、巨体が痙攣し、やがて崩れ落ちた。
「……っ、はぁ、はぁ……」
麻桜は胸に手を当て、息を整える。
体力は残っている。けれど、広間を満たす熱気に肺が焼け、汗が滴り落ちる。
戦いに慣れていない分、余計に消耗が大きく感じられた。
「……まだ、実戦の経験が足りない……」
力はある。魔法も磨いてきた。
それでも、頭で描いた通りに体が動かない。
余計な力が入り、攻防の一つひとつに無駄がある。
「うぅ……かなり……手こずっちゃったよ……」
それでも、小さく笑みを浮かべる。
「でも……いい経験だった。炎が効きにくい、天敵と正面からやり合えたんだもん」
床には二つの光が残された。
赤黒い結晶――灼心の魔核石。
炎の鎖を模した装飾――炎獄の鎖環。
麻桜はそれを拾い上げ、マジックポーチへと収めた。
「……次は、もっと冷静に戦えるように……」
そう呟き、熱気に満ちる広間を後にした。




