白の亡霊⑤
広間に轟く咆哮が、骨の髄まで震わせた。
片方の頭を失ったはずの大蛇は、なおも巨体をうねらせ、残る頭で私を追い詰めようとする。
黒隠虚衣によって姿を隠しているのに、その黄金の瞳は数秒ほど彷徨い、迷いなくこちらを向いてくる。
「……やっぱり、体温で感じ取ってるんだ……」
蛇特有の感覚。
私がどれだけ気配を消しても、生きている限り熱を放つ。
その存在証明を、奴は逃さない。
尾が薙ぎ払われ、床石が砕け飛ぶ。
私は跳び退りながら、胸の奥で魔力を練り上げた。
⸻
「――黒炎閻魔・改!」
漆黒の閃光が再び広間を裂き、蛇の首を狙って奔る。
だが巨体は鋭く身をくねらせ、閃光は鱗を掠めただけで通り抜けた。
「……くっ、……早い……!」
その瞬間、私の口元がわずかに上がる。
これは想定内。
訓練の中で繰り返しイメージを重ねた“もう一つの閻魔
⸻
「……爆」
囁くように呟いた。
次の瞬間、外れた漆黒の閃光が空中で炸裂する。
「――黒炎閻魔・爆!」
轟音と閃光。
黒炎が弾け、奔流のように爆風と炎が広間を呑み込んだ。
蛇の巨体が衝撃でよろめき、壁際に叩きつけられる。
「……っはぁ……これが……爆だよ……」
喉が焼けるほどの熱気の中で、私は拳を握った。
外しても、無駄にならない。
“逃がさない”ための閻魔、それが――黒炎閻魔・爆。
⸻
だが双頭の大蛇は、まだ生きていた。
黒焦げになった鱗を剥がしながら、黄金の瞳が私を射抜く。
怒りに満ちた咆哮が広間を震わせ、再び尾が床を打ち砕いた。
「――ッ!」
咄嗟に防御を意識する。
聖域天蓋が強烈な衝撃を受け止め、砦のように光を散らす。
砕けない。
破れない。
「……いける……!」
かつて白狼に砕かれたシールドの残像が、胸をよぎる。
だが今は違う。
私はあの恐怖を越えてきた。
⸻
巨蛇の片方の頭が牙を剥き、熱い息が床を這う。
まだ仕留めきれてはいない。
だけど。ベルトに刺しているボトルの口を指で弾き、口に流し込む。
「……これで終わりにする」
掌に再び黒炎を練り上げ、漆黒の閃光を構える。
聖域天蓋に護られ、黒隠虚衣に潜みながら、私は確実に勝利を掴むための一撃を狙った。
掌に再び漆黒の魔力を凝縮する。
脳裏に浮かぶのは、白狼に敗北した時の記憶。
震える足。砕かれた盾。
あの時は、怖くて仕方がなかった。
だが今は違う。
――私は、強くなった。
「――黒炎閻魔・改!」
漆黒の閃光が走る。
双頭の大蛇の残る一つの頭を狙い、一直線に奔る。
黄金の瞳が大きく見開かれた。
巨体がくねり、かわそうとしたその瞬間――。
閃光は正確に眉間を撃ち抜いた。
「――ッ!!!」
轟音と共に頭部が吹き飛び、巨体が痙攣する。
広間に振動が走り、石床が揺れる。
次の瞬間、双頭の大蛇は力を失い、崩れ落ちた。
炎が揺れる。
焦げた匂いが広間に満ちる。
私は膝に手をつき、大きく息を吐いた。
「……ふぅ……やった……勝ったんだ」
全身が汗に濡れ、指先まで震えている。
だが、聖域天蓋は砕けなかった。
黒隠虚衣も有効だった。
そして、黒炎閻魔・爆は確かに敵を追い詰めた。
「……強くなれた……本当に」
視界の端に、脳裏へ浮かぶ数字が瞬く。
討伐の証――経験値。
だが私はそれを確認するよりも早く、拳を握りしめた。努力や苦難、全てが報われた気がした。私は間違いなく強くなっている。実戦でも、今度はちゃんと戦えた。そんな思いが一度に押し寄せてくる。
「……よし!このまま一気に……」
崩れ落ちた双頭の大蛇の巨体は、やがて黒い靄に包まれ、ゆっくりと消えていった。
その残滓が床に集まり、淡い光を帯びながら結晶のように固まっていく。
「……あぁ!ドロップアイテム……!」
光が収まると、床に二つの物が残った。
一つは小石ほどの透明な結晶――魔眼の核石。
中心に黄金の光が宿り、まるで蛇の瞳が閉じ込められているように見える。
指先で触れると、微かな鼓動のような脈動が伝わり、魔力を吸い込まれそうな感覚が走った。
もう一つは、絡み合う二匹の蛇を模した銀の装飾――双蛇の腕輪。
冷たい金属の感触。
しかし腕に当てた瞬間、まるで生き物のようにしなやかに巻きつき、ぴたりと馴染んだ。
表面には細やかな紋様が刻まれ、光を受けるたび妖しい輝きを放つ。
「……っ……これが……ボスのレアドロップ……?」
声が震える。
境界線に守られた日々では、決して触れられなかった確かな報酬。
私は魔眼の核石をマジックポーチへ収め、双蛇の腕輪を右手首に固定した。
ひやりとした感触がすぐに温もりへと変わり、肌に馴染んでいく。
「……今までよく頑張ったね。の、ご褒美みたい」
私は喜びを隠せないまま、倒れた大蛇の広間を後にした。




