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白の亡霊①


 アメリカ合衆国ワシントンD.C.。

 世界ダンジョン対策本部――通称 WDA(World Dungeon Authority) の管制室は、突如として鳴り響いたアラートに騒然としていた。


 巨大スクリーンには日本列島が映し出され、その一点が赤く点滅している。

 そこに浮かんだ文字列は、誰もが息を呑むものだった。


 「白 / 319階層到達」


 「……登録外の名前?」


 重役の一人が呟いた。


 記録の石碑のデータは絶対であり、虚偽も錯誤もない。

 名が刻まれた以上、その存在は確かにそこにいる。

 つまり、未登録の冒険者《白》が319階層に到達したということだった。


 即座に世界中の登録データベースとの照合が始まったが――該当なし。

 所属も経歴も、一切存在しない。


 「日本ダンジョンで、未登録の人物が319階層到達……? 有り得ない」


 「登録なしに入場など、システム上は不可能なはずだ」


 管制室のざわめきは次第に恐怖と困惑を帯びていった。




 東京湾岸にそびえる、日本ダンジョン対策本部支部。

 そこへアメリカ本部からの通達が届いた。


 要求は明白だった。


 「冒険者《白》の登録情報を提出せよ」


 支部長室。

 長机を囲んだ幹部たちの顔は硬く、重苦しい空気が漂っていた。


 「……白という登録は、存在しません」


 登録課の責任者が口を開いた。


 「不可能だ」


 副支部長が声を荒らげる。


 「登録なくしてダンジョンへ入ることはできん。あの石碑をどう説明する」


 「理屈はそうです。しかし……記録の石碑は改ざんも虚偽もありえません。つまり――《白》は本当に319階層にいる」


 支部長の顔に深い影が差した。

 日本が世界に示せる答えは、何もない。




 翌朝、アメリカ本部の呼びかけで緊急国際会議が開催された。

 スクリーンには各国の支部代表が並び、日本支部もその一角に映し出されている。


 冒頭、議長が口を開いた。


 「諸君。記録の石碑に《白》と刻まれた。場所は日本ダンジョン319階層。

 これは人類史における大事件だ」


 ざわめきが走る。


 「登録外の冒険者が存在するのか?」


 「いや、偽名を刻んだ可能性は?」


 「だが石碑は嘘を残さない。名乗ったその存在が“本当にいる”ことは確かだ」


 議長は静かに手を上げた。


 「日本。回答を」


 画面に日本支部長が現れる。

 深い沈黙のあと、重い声が響いた。


 「……“白”という登録は、日本の冒険者データには存在しません」


 会場は一斉にざわめいた。


 「存在しない? どういうことだ」


 「登録外で319階層到達? 常識では考えられん」


 「つまり“白”は、規則を無視した不法冒険者か?」


 非難と疑念が飛び交う。



 支部長は机上の資料に目を落とし、眉をひそめた。


 「……転送事故の可能性はある」


 静まり返った会場に低い声が響く。


 「過去八年間で、日本では五件の転送事故が発生している。

 そのうち二件は十四歳、十五歳の未成年だった。もちろん我々は把握している」


 重役たちが息を呑んだ。


 「だが……モンスターがひしめくダンジョンで、十四歳と十五歳の少女が四年間も生き延びるなど、常識的に考えてあり得ん。

 仮に“白”がその生存者だとしても――現実味は薄いだろう」


 その言葉に、再び会場がざわめいた。


 「……四年間も?」


 「未成年が……? ありえない」


 「だが記録の石碑に名は刻まれた!」


 誰もが混乱の渦に飲み込まれていった。




 数日のうちに、《白》の名は世界中の冒険者コミュニティを駆け巡った。


 「正体不明の319階層到達者」


 「登録外の亡霊か、それとも……」


 「いや、真の天才が偽名を使って潜っているのかもしれん」


 アメリカ本部は繰り返し日本に提示を求め、日本の報告は「登録なし」の一点張り。

 メディアも連日《白》を報じ、世界の注目は一気に日本ダンジョンに集まっていた。


 こうして――。

 地上では、正体不明の冒険者《白》が世界の注目を集める存在となった。

 だが誰一人として、その正体が四年前に秘境へ飛ばされたひとりの少女だとは思いもしなかった。


 ただ一人。

 ダンジョンの中で歯を食いしばりながら訓練を積む本人を除いては。



 その日、各国の主要メディアは一斉に速報を流した。


 ――「登録外の名《白》、日本ダンジョン319階層に到達」


 報道番組では、キャスターの声が深刻さを帯びていた。


 「記録の石碑に刻まれたのは“白”という名。

 しかし、日本支部のデータベースにその名を持つ冒険者は存在しません。

 正体不明のまま、深層に姿を現した存在……」


 画面下のテロップが切り替わる。


 『白の亡霊ホワイト・レイス 319階層に現る』


 その呼称は、瞬く間に世界を駆け巡った。




 数日前の国際会議を終えたばかりの幹部たちは、テレビ画面を前に苦い表情を浮かべていた。


 「……もう“ホワイト・レイス”で定着しつつあるな」


 「幽霊、か。確かに……登録外で姿も正体も不明。人々にはそう映るだろう」


 「だが幽霊ではない。本当にいるんだ。319階層に」


 低い声が会議室に落ちる。

 その言葉は、現実感と不気味さを同時に突きつけていた。




 東京・新宿にある冒険者ギルド。

 昼時の酒場スペースでは、多くの冒険者が噂話に花を咲かせていた。


 「おい聞いたか? 白の亡霊だってよ」


 「ホワイト・レイス? ああ、ニュースで見た。登録外だってな」


 「つまりゴーストみたいなもんだ。システムにいないはずなのに、石碑には刻まれてる」


 「319階層……正気かよ。俺なんてまだ28階層だぞ」


 笑いと驚きが交じり合い、やがて静まった。

 ある者がぽつりと呟く。


 「……もし本当に生きてる奴だとしたら……どんな化け物なんだろうな」


 その言葉に、誰も返せなかった。




 SNSでは瞬く間に「#ホワイトレイス」のタグがトレンドに躍り出た。


 《ホワイトレイスって名前かっけぇ》

 《幽霊冒険者ってマジ?》

 《登録されてないとかズルじゃね?》

 《いやむしろ英雄だろ。319階層なんて化け物でも死ぬ場所だぞ》


 憶測と興奮、恐怖と憧れが入り混じり、世界はひとつの存在を中心に騒ぎ立てていた。




 地方都市の住宅街。

 神崎家の居間では、母がニュース画面を見つめていた。

 テロップには大きく映し出されている。


 『白の亡霊ホワイト・レイス、319階層に到達』


 父は新聞を閉じ、重く息を吐いた。


 「……幽霊、か」


 母は震える声で呟いた。


 「もし……もし麻桜だったら……」


 その言葉は最後まで続かなかった。

 画面に映るのは、ただ「白」という名だけ。

 神崎麻桜の存在は、そこにはなかった。




 こうして――。

 世界はひとつの呼び名を得た。


 「白の亡霊ホワイト・レイス


 登録外の幽霊冒険者。

 姿も正体も誰にも知られぬまま、ただ石碑にその名を刻んだ存在。


 それは恐怖と畏怖をもって語られ、いつしか英雄譚の始まりのように囁かれていった。


 だが、その渦中にいる本人は、今日もダンジョンの奥でひとり訓練を重ねていた。

 自分の名が世界で二つ名となっていることなど、知る由もなく。

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