継続は力なりだよね⑩
森の暗がりに身を投げ出すように崩れ落ちた。
胸の奥では、あの白狼の咆哮がこびりついて離れなかった。
耳を塞いでも、心臓の鼓動に混じって響いてくる。
「すごく……怖くて何もできなかった……」
呟いた声は震え、涙混じりだった。
シールドを砕かれ、体を弾き飛ばされた瞬間の恐怖。
頬を爪で裂かれ、熱い血が滴り落ちた痛み。
そして、魔力切れで立てなくなり、白狼の牙が目の前に迫ったあの時――。
頭の中で「死ぬ」という言葉しか浮かばなかった。
秘境の中で、どれだけ閻魔でモンスターを撃ち抜いても感じなかった感情。
初めての“実戦”は、想像以上に残酷だった。
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「……寝ないと……でも……」
立ち上がる力は残っていない。
岩陰を探し、背を預けるように腰を下ろした。
だが、このまま眠るなんて怖すぎる。
私は震える指で千里眼を展開し、周囲を見渡した。
遠くにモンスターの気配があるが、かなり遠い。
それに、私に気づいてこちらに向かってくる気配はない。
「……大丈夫。まだ安全」
気配遮断を最大まで展開し、自分の存在を消す。
さらに、自分を包むようにシールドを重ねた。
淡い光の壁が、わずかな安心を与えてくれる。
「これで……少しは眠れるかな」
白法のマントのフードを深くかぶり、膝を抱え込む。
まぶたを閉じても、白狼の瞳が浮かび、牙の影が迫る。
呼吸は乱れ、胸が痛む。
それでも、体は限界だった。
浅い眠り。夢の中でも、私は追われていた。
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擬似太陽が昇り、森を照らす。
私は体を起こし、深く息を吐いた。
全身はまだ痛むが、夜を越えただけで気持ちは少し強くなっていた。
「……このままじゃ勝てない」
白狼の姿が脳裏に浮かぶ。
恐怖と同時に、悔しさが込み上げる。
私は拳を握りしめ、心に誓った。
「319階層の地図を全部埋めよう。歩いて、戦って……ちゃんと実戦を積む」
自動マッピングがある。
全域を把握すれば、逃げ場や隠れ場所もわかる。
それは訓練にもなり、そして――帰還するためのもう一つの道を見つけることにもつながるはずだ。
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森の中を進む。
気配遮断を保ち、千里眼で周囲を見通す。
避けられる戦いは避ける。
だが、逃げ場がない時は――あえて立ち向かった。
「……来る!」
角を持つ猪鬼が突進してくる。
私は足を踏み込み、両手を広げた。
「シールド!」
衝撃が全身を揺さぶる。
だが砕けなかった。
「……耐えれた……!」
すかさず黒炎閻魔を放ち、猪鬼の胸を貫く。
虚空に消えた瞬間、脳裏に数字が浮かぶ。
獲得経験値:210,000
「よし……! やれそうかも!」
肩で息をしながらも、心の奥に喜びが広がった。
恐怖で逃げるだけだった昨日とは違う。
小さな成功が、次への自信になる。
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戦いは繰り返した。
爪を防ぎ、牙を避け、時には尾で打ち据えられて倒れる。
頬に傷を負い、腕を噛まれることもあった。
けれど、癒しの水で体を繋ぎながら、一戦ずつ耐える。
「怖い……でも……もう、足は震えてない」
痛みと恐怖はなくならない。
だが、受け止める術を知れば、心は少しずつ強くなる。
夜は岩陰で眠った。
千里眼で周囲を確認し、気配遮断を展開し、シールドで自分を包む。
眠りは浅くても、毎晩「死なずに朝を迎えた」事実が、私にとって自信と力になっていった。
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探索を始めて五日目。
森の奥、苔むした岩壁の前に、ようやくそれを見つけた。
「あ、あった……階段……!」
石造りの階段が、地下深くへと続いている。
湿った空気が吹き上がり、どこか不気味な気配を運んでいた。
その横に、黒い石碑が立っていた。
表面は滑らかで、淡く光を帯びている。
近づいた瞬間、心の中に声が響いた。
――名を刻もう。
「……え?」
戸惑う私に、声は再び問いかけてきた。
――ここに偉大な名を刻めば、その到達は記録される。
⸻
私は息を呑んだ。
石碑に刻まれた名は、外の世界でも確認されるという。記憶の石碑。
最高到達階層の証明。
誇りであり、冒険者達の名誉。
けれど――。
もし、ここで命を落としたら?
パパとママが、私の名前を見つけてしまったら?
……私がこんな危険な場所まで来ていることを、知られてしまったら?
「そんなの……パパとママが、毎日眠れないほどの心配をするだけだよ……」
胸の奥が締め付けられる。ほんとは、私は生きてるって今すぐ伝えてたい。
そして、もう一つ。
もし地上に戻れたとしても、きっと世界中から注目を浴びてしまう。ここは、人類史上最高到達階層なんだから。きっと監視される。そんな生活は耐えられない。
私はただ、生きて帰りたいだけ。もう一度パパとママにおかえりって言ってもらいたいだけ。
「……だから」
ふと脳裏に浮かんだのは、昔よく遊んでいたゲームのキャラクターネーム。
画面の中で何度も冒険した、もう一人の自分。
「……白……私の名前は、白」
声に出した瞬間、石碑が眩く輝いた。
光が走り、滑らかな表面にその名が刻まれていく。
⸻
「……これで、いい」
石碑に刻まれたのは「神崎麻桜」ではなく――「白」
私の本名ではない。
けれど、確かにここまで来た証。
私だけが知る、本当の記録。
光が静まり、石碑は再び沈黙した。
私はしばらく立ち尽くし、胸に手を当てた。
「……生きて帰る。その時は、この“白”として……」
言葉は小さく、けれど強かった。
白法のマントの裾を揺らし、私は再び階段を見つめた。
次に立ち向かうために――そして、必ず帰還するために。
これで、エピソード1は終了です。評価、コメ、ブクマを付けてくれてありがとうございます!おかげでめちゃ頑張れました!次の、エピソード2も書いていきますので、読んで頂ければ幸いです。




