記憶の外側でー2
「ここのカフェ、昨日みかけてから気になってたんだ」
レンがそう言って、ふらりと足を止めた。
見れば、確かに雰囲気のいい店。だけど――看板の端、古い掲示板に目を留めた。
そこには、このお店の過去の写真が貼り出されていた。 色褪せた紙の中に、どう見てもレンとそっくりな誰かが写っていた。
(やば……)
私は咄嗟に前に出て、自然な動作で掲示板の端を手で隠した。
「ねぇ、レン。あっちの席、日が入ってていい感じじゃない?」
「……うん?」
少し不思議そうな顔をしながらも、レンは私の指さす方向に視線を移した。
そのすきに、掲示物を端から折り畳み、掲示板の裏側に滑らせる。 完璧な自然動作。誰も気づかない。
「……セーフ」
私は、心の中で小さく呟いた。
* * *
カフェの中は、ゆったりとした時間が流れていた。
観光客の賑わいから少しだけ離れたその場所には、落ち着いた空気が漂っていた。
レンと私は、窓際の席で向かい合い、小さなガラスの器に入ったデザートをつついていた。
「そういえば、さっきの話……子供の頃の記憶って、どれくらい覚えてる?」
レンが、スプーンを止めて言った。唐突な質問だったけれど、声は穏やかだった。
「うーん、断片的かな」私は控えめに答える。「でも、レンはどう?」
「私ね、なんだか……思い出そうとすると、すごく曖昧なの」 「誰かと遊んだことがあったような気がするし、学校にも行ってたと思う」 「でも……その『誰か』が、全然思い出せないの。顔も、声も、全部ぼやけてる」
その言葉に、私はわずかに眉をひそめた。
「名前とか、場所とかは?」
「それも、ほとんど覚えてないんだよねぇ……」 「……ねぇ、テレビつけていい?」
レンがそう言って、窓際の席に設置されたモニターに手を伸ばした。
観光案内を流すだけの映像かと思えば、そこでは科学ドキュメンタリー番組が流れていた。
「――本日の特集は、感情と記憶の神経伝達に関する新たな研究。いわゆるBMI――ブレイン・マシン・インターフェースによる記憶共有技術の進化について、その実用可能性が議論されています」
映像には、脳波データの可視化と鉱物構造が連動するグラフが映っていた。
「記憶を、共有……?」
レンがぼそっとつぶやく。 そして、少し考え込むような表情で――ふいに口を開いた。
「……あ、これ。昔ラジオで聞いたことあるかも」
私は彼女を見た。 レンはそのまま、思い出すように話し出す。
「10年くらい前だったかな……どこかのバスの中で。 夜遅くて、車内も静かで――ひとりで窓の外見ながら、ぼーっとしてたら。 若い女の人がゲストで出てて、『感情と記憶の関係って、すごく面白いんです』って。 で、感情の強さによって記憶の定着率が変わるとか、“悲しい記憶は鮮明に残るけど、嬉しい記憶は薄れやすい”とか――その時の声も、バスの振動も、今でもすごくはっきり覚えてるの」
彼女は語る。 まるで昨日の出来事のように、詳細に――あまりにも詳細に。
でも、それは“10年前”だ。 その頃、彼女は――まだ幼かったはず。 旅をしていたような年齢でも、状況でもない。
私はその矛盾に、一瞬だけ心の中で立ち止まった。
けれど、レン自身は何の違和感もないようだった。 まるで、それが“当然”のように。
「……へえ、すごくよく覚えてるんだね」
私は頷いたふりをしながら、内心で小さく息を呑んだ。 今はまだ、深く踏み込むべきじゃない。 今この場でそれを深掘りするわけにはいかない。 私が今すべきことは、今の私の役割。
「そろそろ行こうか。観光名所、けっこう歩くらしいよ」
私は声のトーンを柔らかく変えた。
レンは、「うん」とだけ言って席を立つ。 笑顔は、どこか少し幼さを残していた。
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