奉仕活動
神殿入りしてから二週間ほどが経った。
ここでの暮らしにも慣れてきたが、案外、神殿生活というのも悪くない。
朝、一の鐘で目を覚ます。日が昇ってすぐの少し涼しい空気が気持ちいい。
前日のうちに用意していた水で顔を洗い、身支度を整える。服は神殿が用意した修道女の装いだ。
丈と袖が長い黒い服は首から胸元まで白い大きな襟があり、袖も白い返しがついている。頭につけるウィンプルも黒だが、前面に白い縁がある。ウィンプルはピンで留め、鏡の前で全身を確認した。
……そろそろ服も馴染んできたな。
身支度を整え終わる頃に部屋の扉が叩かれる。
扉を開けて出れば、上級司祭の装い──いつも通りだが──をしたルシフェルが立っていた。
「おはようございます、ジル様」
「ああ、おはよう、フェル」
ルシフェルは我の『担当』になった。貴族が神殿入りした時、生活や規則を教えるためにしばらく司祭がつくことがあるそうだ。伯爵令嬢の我には上級司祭のルシフェルがつくのが妥当となったようだが、実際は我のことを考えて上手く調整をしてくれたのだろう。
二人で食堂に行き、朝食を食べる。
硬く冷たいパンに野菜とほんの少しの干し肉が入ったスープ、チーズ、サラダ。
基本的に朝はスープ以外、冷たい食事だ。パンは日に一度納入されるものを食べるため、昼は温かいが朝と夜は冷たい。小麦の質もあまり良くはない。清貧を尊ぶ神殿の食事は質素なものだ。
それでも日に三度の食事が必ず摂れるのだから、ありがたいことだ。
朝食後は朝の祈りの時間だ。
近隣に住む人々が来て、大司祭の話を聞き、礼拝を行う。
朝の祈りが終わり、人々が帰ってから祈りの間を全員で清掃する。
そうしているうちに二の鐘が鳴り、そのまま午前中の清掃に入る。それぞれに担当の清掃場所があって、我とルシフェルは大神殿の奥の蔵書室やその周辺となった。
貴族や訳ありの場合、外の者が立ち入ることができる場所で仕事はさせない。
関係者が接触してきたり、無理やり連れ戻そうとしたりするのを防ぐためだ。
そして、貴族の我ならば蔵書を盗んだり傷付けたりすることもない。
そういうわけで蔵書室周りの清掃を担当している。古書やインクの匂いは心が落ち着くし、いくつか気になる本も見つけた。蔵書は許可さえ取れば大神殿の中のみ持ち出しが可能で、自由時間に読書をして過ごすことができる。
「こちらは終わりました」
「うむ、我のほうも終わったところだ。清掃など初めてしたが、存外面白いな」
「それは何よりですが……ジル様がこのような労働をせずとも良いのではありませんか? ああ、ジル様の美しい手が荒れてしまうのが、私はとても口惜しいです……!」
そう言いながらも我に付き合ってルシフェルも共に清掃活動を行っている。
しかも、元が真面目な性格ということもあってかルシフェルが清掃した場所はとても綺麗だ。
初めて掃除というものを経験した我が担当している場所は、それなりに綺麗にはなっているが、終わった後に確認するとやり残した部分などを見つけてしまい、まだまだ未熟だと溜め息が漏れる。
魔王として仕えられることには慣れていても、こういったことはどうやら我は苦手らしい。
一週間経って少しは成長しているものの、ルシフェルの完璧さには遠く及ばない。
「フェルはすごいな」
「え?」
「我は清掃……というよりは、家事全般が苦手らしい。生まれ変わってから己の不得手を知ることになるとは思いもしなかった。仕えられることに慣れてばかりで恥ずかしい限りだ。フェルよ、今後とも迷惑をかけてしまうと思うが色々と教えて欲しい」
「い、いえ、そんな過分なお言葉……! 不肖の身ではありますが、ご期待に添えるよう、より多くの知識を集めてお役に立ってみせましょう……!」
パァッとルシフェルの雰囲気が明るくなり、仰々しい仕草で胸に手を当てる。
……昔より話しやすくはなったが、癖が強くなったな。
だが、これはこれで面白みが増して、そばにいてくれると楽しい。
ドレヴァン伯爵家でのジルヴェラの記憶には、楽しかった記憶が少ないので、こうしてルシフェルが共にいて、笑い合える相手がいるというのは幸せなことなのだと思う。
「フェルよ、共にいてくれてありがとう」
心のままに微笑めば、ルシフェルの顔が何故か赤く染まる。
「どうした? 顔が赤いが……風邪か?」
「いえ、ジル様の笑顔があまりに尊く、お美しく……私の身も心も既にジル様のものであるはずなのに、つい見惚れてしまいました……! っ、誰かに自慢したい……! しかし、ジル様の笑顔を独り占めしたい……私はあまりに欲深すぎる……!!」
胸を押さえ、苦しそうに、けれども恍惚の表情でルシフェルが言う。
「そなたの気持ちを否定するつもりはないが、少し異常ではないか?」
「そのようなことはありません! ジル様ほどの素晴らしいお方を崇拝し、敬愛し、その完璧さを知れば誰もが感動に打ち震えることでしょう!」
「掃除も満足にできない我のどこが完璧なのだ?」
むしろ、欠点ばかりのような気がするのだが。
クワッとルシフェルが勢いよく振り返った。
「それこそ完璧です! 普段は完全無欠な姿を示しつつ、実は苦手なことがあるという予想外なところがむしろ良いのです! ジル様のこのようなお姿を見せていただけて、感激しております!」
「よく分からないが、フェルが非常に喜んでいることは分かった」
とりあえず、掃除を終わらせて道具を片付ける。
掃除の間に三の鐘が鳴り、道具も片付け終わる頃には丁度四の鐘が鳴った。
四の鐘は昼を告げるため、食堂に向かう。食事の内容は朝とほぼ同じだが、パンは温かく、デザートに果物がついてくる。ルシフェルと共に食事を摂るが、いつも、何故か他の者達から遠巻きにされている気がする。
……まあ、それもそうか。
ルシフェルは元天使の悪魔であり、その容姿はとても整っている。
同性であってもルシフェルに見惚れる者がいるほどで、しかし、ルシフェル自身はそういう視線が鬱陶しいと思っているようだ。
たまに修道女がルシフェルに告白するのだが、ルシフェルは全て断っている。
……そうか。我とフェルの関係が皆、気になるのか。
千年前と異なり、現在は聖職者でも結婚ができるそうだ。
美しい容姿のルシフェルが告白を断り続け、常にある令嬢のそばで甲斐甲斐しく世話を焼く。
それを見れば、誰もがすぐにルシフェルの想いを察する。
道理で他の修道女が余所余所しいわけだ。
……我とてフェルの想いを無視しているつもりはないが……。
その我自身もルシフェルに対してどのような感情を持っているのかまだ分からないし、気持ちに応えたいのか応えたくないのかも分からない。ルシフェルも返事の催促をしてこない。
普段から気持ちを伝えてはくれるけれど、あの仰々しい仕草で言われると本心が読めないのだ。
昼食後は午後の礼拝がある。昼食後の眠気を感じながらも祈りを捧げる。
……フェルは元天使だけあって真面目に祈りを捧げているようだ。
我もいつも、世界の平和や魔族達の幸せを祈ることにしている。
午後の礼拝が済むと奉仕活動の時間である。
一週間と少し前から奉仕活動への参加も始めたが、我に合うのはやはり治療士としての仕事だった。
炊き出しや孤児院での子供の世話などもあったけれど、家事全般が苦手な我には少し難しい。
子供には懐かれたが、洗濯や掃除、炊き出しの食事作りでは全く役に立たなかった。
代わりに怪我を治す治癒魔法について、聖属性を持つ別の司祭から学んだが、こちらはすぐに使えるようになったため、治癒院にて働くこととなった。奉仕活動といってはいるが、治癒院で働けばいくらかの給金がもらえるらしい。
大神殿に併設された治癒院に行けば、治療士の司祭がすぐに声をかけてくる。
「ジルヴェラ様、本日もよろしくお願いいたします」
「ああ、こちらこそよろしく頼む」
治療士の司祭・リーリエはやや年嵩の女性で、治癒院で長く働いているようだ。
我に聖属性魔法を教えてくれたのも彼女であり、今は治癒士見習いとしてリーリエの下で勉強しながら怪我人の治療にあたっている。リーリエは人間だ。我については何も知らない。
それぞれの治癒士に割り振られた個室に移動して、怪我人が来るのを待つ。
時には大怪我をして動かせないからと治癒士が出張することもあるようだが、我はそれに同行しなくて良いそうだ。理由については清掃担当の時と同じ理由だろう。
準備を整えていれば、カーテンのようなもので仕切られた出入り口から、患者が来たことと中に通しても良いかという確認の声がかけられる。
「どうぞ」
リーリエが声をかけるとカーテンを上げて患者が入ってくる。
患者は若い男性だ。怪我したのか左腕を吊っており、痛そうに庇っていた。
「本日はどうされましたか?」
「乗馬中に落ちちまって──……」
どうやら乗馬中に突然猫が飛び出してきて、驚いた馬から落ちてしまったらしい。
幸い頭などはぶつけていないものの、落ちた時に最初に地面にぶつけた左腕が酷く痛み、動かせないそうだ。左腕を庇っているものの、見たところ左足も少し引きずっているように見える。
落馬したのだから全身、打撲をしているかもしれない。
リーリエが振り返ったので頷き返す。
「我が治療をしよう」
「え? あんたが?」
不安そうな顔をする男性にリーリエが微笑んだ。
「大丈夫ですよ。ジルヴェラは私よりも治癒魔法が優秀ですから」
今日で三日目だが、治癒魔法に関しては相当上手くなった。
……もしかしたら千年前より調子がいいかもしれない。
あの頃は戦争で常に魔力を使用して、足りていない状態であったが、今は魔力に満ちている。
潤沢な魔力と生前の経験があれば治癒魔法くらい、簡単に扱える。
「まずは全身の怪我を確認させてもらう」
座っている男性の足元に魔力を出し、円筒形に魔力を広げて確認する。
こうすることで男性の体内まで確認して怪我の程度や病まで見つけることができるのだ。
……ふむ、怪我の程度はそれほど酷くはないな。
左腕はヒビが入っているものの、左足は捻った程度である。
「では、治癒魔法をかける」
あとはそのまま、魔力を聖属性の治癒魔法に変換して全身を治癒魔法で包む。
こうすることで全身を一度で治癒することが可能だ。
男性が驚いた表情を浮かべ、吊っていた布から腕を引き抜いた。
「すごい! 一瞬で良くなった!」
と、喜んでいる。
「左足の捻挫も治しておいた。だが、最近酒を飲みすぎだ。臓腑に負担がかかっている。酒を飲むのは構わないが、飲む量に気を付けないと病になるぞ」
「え? そ、そんなことも分かるの……んですか!?」
「分かる。しかし病は治癒魔法で治せない。己の体をもう少し労ってやれ」
「は、はい、気を付けます! 治していただき、ありがとうございます!」
男性が立ち上がり、何度も感謝の言葉を述べ、頭を下げながら出ていった。
外で寄付金を渡して帰っていくのだろう。
基本的に治療の金額は決まっておらず、人々の『善意』で額が決まる。
貧しい者は安く、富める者からはそれなりにもらうということだ。
「次の方、どうぞ」
リーリエが声をかけると次の患者が入ってくる。
そこからは、一人目と同様に怪我を確認、治療というのを繰り返していく。
五人目が終わるとリーリエに声をかけられた。
「まだ魔力量は大丈夫ですか?」
「この程度の怪我ならば、まだあと二十人は余裕で治せるぞ」
「ジルヴェラ様の魔力量と治癒魔法には感服いたしますね」
我の治癒魔法は早いらしく、他の治癒魔法士より『回転率が高い』らしい。
要は『治療にかかる時間が短いので多くの患者を治すことができる』という話だ。
大神殿としても寄付金が増えれば奉仕活動も増やせ、ここで暮らす人々の生活も向上する。人々の信仰心も高まり、より神の教えを人々に広めることに繋がるわけである。
「──……よし、これで治ったぞ。痛いところはもうないか?」
犬に噛まれたという少年の傷を治療してやれば、泣いていた少年が笑顔になる。
「うん、ありがとう! でもお姉ちゃん、変な喋り方だね! じいちゃんみたい!」
「こら! 治療していただいたのに、申し訳ありません……!」
少年の母親が焦った様子で少年の頭を叩く。
「いや、構わん。……変な喋り方ですまない。昔からこうだったのでな、今更直せんのだ」
「へえ〜! じいちゃんみたいだけど、じいちゃんよりカッコイイ! お姉ちゃんに似合ってる!」
「そうか、ありがとう」
少年の頭を撫でれば、無邪気な笑顔が返ってくる。
……人間も魔族も、子供というのは皆、同じだな。
無邪気で、明るくて、素直で、可愛らしい。
「怪我をしないように気を付けるようにな。母君を困らせてはいけない」
「うん、これからは気を付ける!」
頭を下げる母親に連れられ、少年が出ていく。
振られる小さな手に我も手を振り返していれば、リーリエが言った。
「本日の治療はこれで終了です。大勢の治療、とても助かります」
「いや、我こそ毎日色々と勉強になり、修練にもなる」
おかげで聖属性の魔法の発動についても分かってきたことがある。
闇属性の魔法とはまた違う癖があるけれど、慣れれば扱いやすい。
「それではお疲れ様でした。明日もよろしくお願いいたします」
「ああ、お疲れ様。リーリエ殿も、また明日もよろしく頼む」
そうして、大神殿のほうに戻る。
それまで控えていたルシフェルが口を開いた。
「ジル様、楽しそうでいらっしゃいますね」
「ん? ……そうだな。以前は聖属性を扱えなかったから、使えるのがとても面白いんだ」
魔王ヴィエルディエナの時は聖属性以外の五属性は使えていた。
しかし、聖属性だけは適正がなかった。
今は逆だが、これはこれで色々と楽しい。
「存外、我は聖属性と相性が良いのかもしれん」