夜会にて(2)
「シルヴィア……!」
震えるシルヴィアを眺めていれば、ドレヴァン伯爵夫妻が慌てた様子で来た。
そのすぐ後ろからオルレアン公爵夫妻とその嫡男も現れ、周囲の人々がざわめいた。
伯爵夫妻は顔色の悪いシルヴィアに駆け寄ると「大丈夫かい?」「まあ、なんて冷たい手……」とシルヴィアの身を案じ、そして怒りのこもった眼差しで我に顔を向けた。
「ジルヴェラ、何故一人で来た!?」
「何故と問われても『婚約者にエスコートを一方的に断られたから』としか言いようがないな」
それに人々のざわめきが更に大きくなり、広がった。
婚約者がデビュタントのエスコートを断るなど、常識的に考えればありえないことだ。
人々の非難の眼差しが婚約者とオルレアン公爵家に向けられる。
「っ、そ、そういうことを言っているんじゃない! 司祭様はどうしたんだ!?」
「屋敷にいるが? まさか、婚約者のいる身で他の男性にエスコートをしてもらうわけにはいかないだろう。仕方なく一人で参加したが、社交ダンスを一人で踊るというのもなかなかに面白い経験でだな」
少なくとも、婚約者と踊っていた時よりも伸び伸びとできて楽しかった。
婚約者もダンスは上手いほうだろうが、我の記憶を取り戻してから思い返すと少し物足りない。
肩にかかった髪を後ろに流しながら言えば、伯爵夫妻が唖然とした様子で言葉を失っていた。
「どうした? 我が想定外の動きをして驚いたか? こういう場合は相手の動きをいくつも予想し、常に次の一手を動かせるように作戦を練るべきだ。『相手は必ずこう動く』という慢心を持っていると、今のように身を滅ぼすぞ?」
「な……ち、父親に向かって、何て態度だ……!」
「そう言われても、実の娘を罠にはめようとする親のどこに敬う要素がある?」
呆れつつ返すと伯爵夫妻が顔を赤くして震える。
もし人前でなければ、頬の一つくらい打たれていたかもしれない。
……まあ、今の我を殴ったとしても、拳のほうが負けるがな。
魔力循環で体を強化しているので単純な物理の攻撃では傷一つ、つくことはない。
周囲がいっそう騒めき、人の壁が割れ、豪奢な装いの初老の男性と女性が姿を現した。
それに全員が頭を下げたので、我も最上級の礼を執る。
「何の騒ぎか」
現れたのはこの国の王と王妃であった。
国王が公爵夫妻、伯爵夫妻、シルヴィアとエイルリート、最後に我に目を向ける。
「ドレヴァン伯爵令嬢、直答を許す。何があったか申してみよ」
その問いに、おや、と内心で驚いた。
本来なら最も身分の高い公爵夫妻から順に話を聞くところであるが、国王はそうはしなかった。
「国王陛下と王妃殿下にご挨拶を申し上げます。ドレヴァン伯爵家の長女、ジルヴェラ・ドレヴァンでございます。……まずは王家主催の夜会で騒ぎを起こしてしまったこと、深くお詫び申し上げます」
一度伸ばした背筋を倒し、深く頭を下げれば、国王と王妃が一つ頷いた。
体を起こし、改めて説明をするために口を開いた。
「わたしはそちらにいらっしゃるエイルリート・オルレアン公爵令息と婚約を結んでおりました。通常であれば、このデビュタントでオルレアン公爵令息にエスコートをしていただくはずでした……」
「しかし、おぬしは一人で参加していたな」
「はい、実は三日前に突然、婚約者から『デビュタントのエスコートはできない』と手紙で一方的に断られ、理由を問う手紙を送り返したものの、お返事はいただけませんでした。それどころか『婚約者が妹のデビュタントをエスコートする』と使用人達が噂しているのを耳にしました」
本当はルシフェルが闇属性の魔法で、伯爵夫妻やシルヴィアの影に潜み、情報収集したのだが、それについて話す必要はない。使用人達の噂を聞いたというほうが信憑性がある。
「本日、妹をエスコートする婚約者の姿を見て婚約が消えたという確信を持ちましたが……この三日間はどうすることもできず、婚約がどうなっているかも分からないため、婚約者以外の男性にエスコートをお願いするわけにもいきません。その結果、このように皆様を不快にさせる方法しか思いつかなかったことは、お恥ずかしい限りでございます」
国王は何かを思い出した様子で己の顎を撫でる。
「そういえば、数日前にオルレアン公爵令息とドレヴァン伯爵令嬢の婚約を破棄するという届け出があった。そして同時にオルレアン公爵令息とドレヴァン伯爵令嬢の新たな婚約届が出ていて、どういうことかと読み返したが……なるほど、本人に何も告げずに両家で婚約を破棄したのか」
婚約というのは家同士の契約であり、政略結婚はよくあることだ。
けれども、本人に婚約の状況を伝えないというのはありえない。
それもデビュタントの数日前に勝手に婚約破棄をして、両親は本人に何も告げず、婚約者だと思っていた相手から一方的にエスコートを断られるだなんて非常識すぎる。
周囲の冷たい視線に伯爵家が慌てて言い訳を述べ始めた。
「こ、婚約破棄については伝えてありました……!」
「そうですわ!」
「わたしは三日前から部屋にこもっていましたが、使用人とすら顔を合わせていません。それでどうやってわたしに婚約破棄について説明したのですか? それどころか、洗礼の日以降、わたしはあなた方と食事を共にすることもありませんでしたね」
……まあ、食事については我があえて行かなかったが。
ざわざわと人々が近くの者達と小声で話す。一人一人の声が小さくとも、大勢が話せばそれなりの大きさのざわめきとなって夜会の場に広がっていく。
騒ぐ伯爵夫妻に王妃が不愉快そうに扇子で顔を隠した。
「そもそも、令嬢が婚約破棄となったのであれば、デビュタントまでにせめてエスコートの相手を都合するのが親の責任というもの。それを放置するとは何事ですか」
と、王妃様に言われて伯爵夫妻が押し黙った。
「それにつきましても、理由があったようなのです」
「理由とは?」
王妃に訊き返され、我は説明を続けた。
「現在、我が家には大神殿の上級司祭様がいらしております。わたしは聖属性持ちなので、能力があれば『治癒魔法士として大神殿に来てほしい』と言われていました。上級司祭様はしばらく、わたしの能力を確認するために監察官としてそばにいて……伯爵夫妻と公爵夫妻は、わたしが上級司祭様に無理を言ってエスコート役に出てもらうだろうと考えていたようなのです」
しかし、もし我がそうしていたら、これ幸いとばかりに不貞疑惑を作っただろう。
婚約者を奪われた姉ではなく、不貞疑惑によって婚約破棄された令嬢と言われるほうが社交界での立場を失うし、信用されなくなるので二度と結婚相手を見つけることもできない。
「彼らは、わたしが上級司祭様にエスコートをお願いしたら『婚約者以外の男性と親密にしている』とわたしを非難して、不貞の疑惑を人々に植えつけ、大勢の前で『わたしに責任がある婚約破棄』にしようと目論んでいたのです」
「まあ……」
王妃が眉根を寄せ、伯爵夫妻と公爵夫妻を見る。
「ドレヴァン伯爵令嬢。あなたはそれを理解していたから、一人で参加せざるを得なかったのね」
「はい、その通りでございます。そうして、大勢の前で婚約破棄をされたわたしは、適当な時期を見て修道院か大神殿に入れ、二度と出てこられないようにするつもりであったようなのです」
「何て酷いことを……」
全てを話し終えたので「これがわたしの知る全てございます」と一礼する。
完全に場の空気は我に同情的になっており、伯爵家と公爵家に非難の眼差しが向けられている。
伯爵夫妻だけでなく、シルヴィアと婚約者──……元婚約者の顔色は非常に悪い。
国王が公爵家と伯爵家に問う。
「今のドレヴァン伯爵令嬢の話は真であるか?」
「確かに、我が公爵家と伯爵家で婚約を結び直しましたが、ご令嬢にそれを伝えなかったことやエスコートの相手を探さなかった怠慢は伯爵家の問題ではないのでしょうか? まさか、デビュタントに一人で参加させるなどとは……思いもよらないことでございました」
どうやら公爵家は知らぬ存ぜぬで通そうと考えたようだ。
伯爵夫妻が驚いた表情をするが、公爵家相手に強くは出られないのだろう。
「ほう? オルレアン公爵家の令息がデビュタント三日前に一方的に断りの手紙を送っていたそうだが、さすがにそれは知っていただろう? いきなり相手のいなくなった令嬢が、たった三日で新たな相手を探せると思っていたのか?」
「そうですわ。公爵家から婚約破棄されてしまえば、他の家の者達も公爵家との関係を考慮して断るでしょう。……第一、何故ドレヴァン伯爵令嬢との婚約を破棄したのですか? 礼儀正しく、美しく、何も問題はないでしょう?」
国王と王妃の言葉に、公爵が一瞬口元を引き結び、そして言った。
「伯爵令嬢は六属性最弱の聖属性しか持っておりません。我が家の三属性持ちの息子とは釣り合わないと考えたからです。結婚相手は属性同士の釣り合いも大事だというのが一般常識ですので」
公爵の言葉に納得した表情の貴族がちらほらと見える。
貴族にとって属性とはそれくらい大事なことだった。
「そうであったとしても、今回の件はドレヴァン伯爵令嬢に同情します。公爵家と伯爵家が手を組み、一人の令嬢の人生を壊そうとするなんて……恥を知りなさい」
「王妃様、誤解です。令嬢に対して不義理を働いたのは伯爵家であり、我が家はただ婚約相手を変えただけです。伯爵家内部での出来事については関係はございません」
「伯爵家内部のことは伯爵家の問題ですが、公爵家のあなた方の影響力を理解していなかったということはないでしょう? 属性に問題があったとしても、あなた方はドレヴァン伯爵令嬢にきちんと説明し、謝罪し、次の相手を探す手伝いをすべきでした。婚約も破棄ではなく、解消で済ませることもできたはずです」
王妃は同じ女性だからか、我にかなり同情的になってくれているらしい。
頭が痛いというふうに王妃は溜め息を吐き、国王に寄り添った。
国王もそんな妻の様子に小さく頷き返す。
「王家主催の夜会でこのような騒ぎを起こすとは、失望した」
「っ、陛下、夜会にて騒ぎになってしまったことは謝罪いたします! しかし、本当に我が公爵家は今回の件について、何もしておりません……! 令嬢のことは伯爵家の責任です!」
「オルレアン公爵よ。何もしていないからこそ問題なのだ。ドレヴァン伯爵令嬢に婚約破棄と令息のエスコートができないことへの非礼を詫び、次の相手を探す手伝いをして、令嬢の未来を守っていればこのような事態は起きなかった」
国王が伯爵夫妻をジロリと不快そうに見る。
「ドレヴァン伯爵も、実の娘に対して一体何を考えている?」
「あなた、きっとドレヴァン伯爵令嬢はあまり家で良い扱いをしてもらえていないのでしょう。ご覧ください。あちらの令嬢は華やかなドレスに装飾品で着飾っているというのに、ドレヴァン伯爵令嬢は質素なドレスに装飾品は一つもありませんもの」
全員の視線がシルヴィアと我に向けられ、比較するように全身を見つめられる。
シルヴィアがビクリと震え、怯えたように元婚約者に身を寄せた。
我はあえて困ったように、少し悲しげに見えるように微笑んだ。
片や姉の婚約者と婚約を結び直した、華やかな装いの双子の妹。
片や婚約破棄されて妹に婚約者を奪われ、地味な装いしかできない双子の姉。
どちらに同情が向けられるかは考えるまでもなく、分かりきったことであった。
「オルレアン公爵家とドレヴァン伯爵家の者は下がれ。今宵の騒ぎについての処罰は後ほど行う」
「ドレヴァン伯爵令嬢も、今夜はもう休みなさい。……屋敷には帰れるかしら?」
王妃の気遣う視線と言葉に我は微笑み、頷き返した。
「お気遣い、感謝申し上げます。本日は屋敷に帰りますが、近々、大神殿に身を寄せようと考えております。このまま伯爵家にいてもわたしの居場所ができることはありませんし、上級司祭様も『大神殿に移りましょう』と心配してくださっているので」
「そう……ええ、それがいいでしょう。大神殿ならば生活には困りませんから」
これで、我が伯爵家を出て、大神殿に行っても誰もおかしいと思うことはないだろう。
むしろ、酷い扱いをする伯爵家を我が出たという言い訳が立ち、伯爵家がもしも我を連れ戻そうとしても世間の評価がそれを許さない。大神殿も我を伯爵家には戻せない。
国王と王妃に退出の挨拶をし、最上級の礼を執ってから夜会から退場する。
後ろでは公爵家と伯爵家に国王が話しかけていたが、もう興味はなかった。
……国王夫妻の同情を得られたのは良かった。
一人でデビュタントに参加したのは大正解だった。
おかげで伯爵家と公爵家は人々から非難され、我は伯爵家を出る正当な理由を得ることができた。
王城を出て、馬車に乗り、伯爵邸に戻る。
足元の影が蠢き、ルシフェルの声がした。
【さすがジル様、お見事でございました】
「国王夫妻が良い人間だったおかげだ。予想外に良い方向に話が流れてくれた」
【これで問題なく伯爵家をお出になられますね】
嬉しそうなルシフェルの声に頷いた。
「大神殿に入る。準備と手続きを任せてもいいか?」
【もちろんです。準備は既に済んでおりますので、手続きを行えばいつでも大神殿に入れます】
……相変わらず仕事が早い男だ。
「荷造りが済み次第、大神殿に向かう」
【かしこまりました】
影から気配が消える。ルシフェルは手続きをするために向かったのだろう。
……これで晴れて自由の身になった。
ルシフェルの言葉を思い出し、胸が熱くなる。
……今生は我のために、ジルヴェラのために、生きていこう。