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夜会にて(1)

 





 洗礼から二週間が経ち、今日は王家主催の夜会に招待されている。


 今年の社交期間、最初の夜会は王家主催のものから始まるのが一般的だ。


 そうして、そこで十六歳を迎えた貴族の令嬢が社交界に初めて出る。


 これを『デビュタント』と言い、全員が白いドレスを着て出席するのが通例であった。


 我とシルヴィアも十六歳となり、新成人として社交界に出る初めての場だ。


 身内や知り合いの茶会はともかく、夜会などを含めたパーティーにはこれまで参加できなかったが、デビュタントを迎えてからは正式にパーティーへの参加が認められる。


 本来であれば社交界という華やかな世界に足を踏み入れる、輝かしい日のはずだった。


 しかし、三日前に婚約者から『君のエスコートはできない』と手紙が送られてきた。


 ……三日前というところに性格の悪さを感じるな。


 前日や当日であれば『相手が見つからなくても仕方がない』と言われるが、三日前だと『相手を探す時間はあった』と言われるだろう。ほとんどの令嬢は既にエスコートをしてくれる相手が決まっており、この直前の時期に引き受けてくれるような者はいない。


 何より、公爵家の者から断られたというのに、それ以下の家が引き受けてくれるはずがない。


 デビュタントという人生で一度きりの大切な日に、一人で出席しなければいけない。


 それは貴族の令嬢にとっては屈辱的で、とても惨めなものだ。




【私がエスコートすることも可能なのに……!】




 白いドレスに着替え、化粧を施していれば、影の中からルシフェルの嘆きが聞こえてくる。


 婚約者から手紙が届いた時、ルシフェルが代わりに相手役を申し出てくれた。


 けれども、まだ表向きは婚約継続中の我が婚約者以外の男性にエスコートされるのは問題がある。


 何より、他の者にエスコートを頼むのは『負ける』ような気がした。


 惨めでつらいデビュタントをわざと迎えさせようとする婚約者や伯爵夫妻、シルヴィアの腐り切った性根と嫌がらせ、その他の狙いが透けて見えて不愉快だった。


 もしもルシフェルにエスコートを頼み、共に夜会の会場に入れば『婚約者ではない男と共にデビュタントした恥知らずな女』と言われ、恐らく、公爵家と伯爵家は『婚約者以外の男にエスコートを頼んだ』と我を声高に責め、周囲に誤解させ、婚約破棄をする気なのだろう。


 それならば一人で出席して、貞淑さと身の潔白を示したほうがいい。


 ちなみに、伯爵家の誰も我のエスコートについて全く触れない。




「一人のほうが気楽だ。それに、そのほうが目立って良い」


【確かに本日のジル様は普段よりもいっそう美しく、誰よりも輝いておられますが……】




 婚約者からの手紙が届いてから三日、我は部屋に引きこもって手紙を出し続けていた。


 実際はただの真っ白な手紙で、後からルシフェルが回収するのでどこにも届かない。


 けれども使用人達は伯爵に『ジルヴェラが手紙を出し続けているが、返事はないようだ』と報告をすれば、伯爵達は『最終的にルシフェルに頼むだろう』と予想するはずだ。


 ルシフェルにはあえて時間をかけて身支度を整えるよう伝えてある。


 そして、伯爵には別の馬車で後から向かうと言ってある。


 我はこの三日間、体内で魔力を練り、体を強化し、魔力の循環を高めた。


 魔力の循環が高く、魔力が濃く、全身に均等に行き渡ると実は美容効果が出るのだ。


 そのため、人型の魔族は特に美形や美肌の者が多い。自然と美しくなる。


 久しぶりに魔力循環の修練をしたので少し疲れたが、髪や肌は艶を取り戻し、痩身効果もあり、顔立ちもより凛として美しくなったような気がする。魔力循環の効率も上がったので、大きな魔法も使いやすくなっているだろう。


 化粧を終えて、道具を片付けながら問う。




「伯爵夫妻とシルヴィアの様子はどうだ?」


【今、馬車に乗るところです】


「では、その馬車が屋敷の外に出てから、我も出ることとしよう」


【馬車の用意をさせておきます】




 そうして、影からルシフェルの気配がなくなった。


 ……まさか、デビュタントに単独で参加するとは思うまい。


 公爵家、伯爵家、シルヴィア、婚約者。それぞれの驚く顔が楽しみだ。


 鏡の中に映る姿を見つめる。


 上品と言えば聞こえは良いが、フリルやレース、リボンも最低限の地味な白いドレス。


 装飾品がなかったので白いリボンを手首などにつけている。


 地味だが、それで我自身も地味かと問われれば、そうではない。


 美しくなった姿に質素なドレスは、むしろ上品さを感じさせる。


 華やかな白いドレスで着飾った令嬢の中、質素なドレスの我は一際目立つだろう。


 ……我はそなたらの思い通りにはならぬ。


 嫌がらせをしたのだから、やり返されても文句は言えまい。


 そっと胸に手を当て、奥底で眠るジルヴェラに声をかける。


 ……大丈夫だ、ジルヴェラよ。我がそなたの名誉を守る。


 今宵、最高の意趣返しをしてやろうではないか。






* * * * *






 シルヴィアは最高の気分でデビュタントの控え室に、エイルリートといた。


 他にも同じくデビュタントを迎えた令嬢達が、エスコート役の男性と共に入場を待っている。


 周囲の令嬢やエスコート役達から感じる疑念の視線に気付かないふりをする。


 誰もがエイルリートは姉の婚約者で、エスコート役だと思っていたのだろうが、横にいるのがシルヴィアで驚いたようだ。そして会場内に姉の姿がないことに疑問も感じているらしい。


 今頃、姉は司祭に頼み込んで慌ててエスコートをしてもらっているだろう。


 それこそが狙いだとエイルリートは言う。


 まだ周囲に婚約破棄については告げてはいないが、既に婚約破棄の届け出は済まされた。


 同時にシルヴィアとエイルリートの婚約届が提出されているそうだ。


 つまり、もうエイルリートは姉の婚約者ではなく、シルヴィアなのだ。


 エイルリート様は数日前に姉に手紙を送っており、姉は部屋に閉じこもって必死に色々な家の令息に手紙でエスコート役を頼んでいたみたいだが、公爵家を敵に回せる家などそうはいない。誰もが姉の願いを断るはずだ。


 しかし、周囲はまだ婚約が破棄されたことは知らない。


 姉がエイルリート以外の男性にエスコートをされて入場するのが大事なのだとか。


 婚約者以外の男性と姉が親しげにしている様子を周囲に見せることで、実は姉が婚約者以外の男性に懸想しており、一属性しかないことも理由として伯爵家と公爵家同意の下で『問題あり』として婚約を破棄し、妹のシルヴィアと結び直したと広める予定である。


 姉に不貞の疑惑……そこまでいかなくても、皆が疑念を抱けばそれでいい。


 大勢の前で不貞の証拠を見せ、婚約破棄された姉は社交界で爪弾きにされる。


 あとは時期を見て、修道院か大神殿に入れれば全てが上手くいく。


 エイルリートとシルヴィアは結ばれ、姉は社交界にいられなくなって消える。




「シルヴィア、今日はとても機嫌が良さそうだな」




 エイルリートに問われて、自然と笑みが浮かびそうになり、慌てて俯いた。




「エイルリート様のエスコートをずっと夢見ておりましたから。でも、お姉様に申し訳なくて……」


「君が気に病む必要はない。元よりジルヴェラとは性格も、属性も、何もかもが合わなかった。家の決定であちらと婚約していたけれど、こうして君の横に立つことができて嬉しい」


「わたしも嬉しいです、エイルリート様……」




 二人で微笑み合っていれば、王城の使用人から声をかけられる。


 もうすぐ入場するために並ぶようにとのことだった。


 デビュタントは令嬢の家柄が高い順に入場する。ドレヴァン伯爵家は前から数えたほうが早い。


 エイルリートと並んでいれば、後ろからざわめきが聞こえてくる。


 何だろうと振り向き、そして、目の前を美しい銀髪が横切った。


「え?」と呟いたのはシルヴィアか、それともエイルリートか。


 目の前に立つ背中に震えた。


 ……どうして? どうしてどうしてどうしてどうしてっ!?


 慌てて横を見上げれば、驚いた顔でエイルリートも前の背中を見つめている。


 だが、何かをしようにも、入場を告げる声が先に響いてしまう。


 ……ありえない! そんな、こんなことって……!


 夜会の場に入る直前、前に立つ姉が振り返った。




「お先に失礼」




 カツン、とヒールを響かせ、姉が入場していく。


 その瞬間、会場がシンと静まり返った。


 会場中の視線が姉に向いているのが分かる。


 それらの視線は驚きと好奇に満ちて、でもすぐに人々が姉に見惚れたのが伝わってきた。




「まるで雪の妖精のようだ……」


「何て美しいの……」




 人々の感嘆の囁きが広がっていく。


 たった一人で、姉はデビュタントの場に立った。


 あまりに堂々として、凛として──……見たことがないほど美しくなっていた。


 最後に見かけたのは四日前。エイルリートからの手紙が姉に届く前日だったと思うが、その時の姉はいつも通りで、何も変わったところはなかったはずなのに。


 姉が舞踏の間の中央に進み、背を向けていても微笑んだのが雰囲気で分かる。


 誰もが姉に目を奪われ、意識が向けられ、シルヴィア達の入場を気にする者はいない。


 思わず唇を噛み締めた。


 人生で一度きりの輝かしいデビュタントのはずなのに、誰も見てくれない。


 そこでシルヴィアの名前が呼ばれると、ようやく出入り口近くの人々がこちらに振り向き、シルヴィアの横にいるエイルリートに訝しげな顔をする。


 そんな反応を見て、エイルリートの体が一瞬、強張った。


 けれども、引き下がるわけにもいかず、エイルリートのエスコートで入場する。


 感じる視線やヒソヒソと囁かれる声は否定的なものばかりだった。




「あら、ドレヴァン伯爵家の妹君に婚約者なんていたかしら?」


「横にいるのは姉のほうの婚約者だ」


「どうして姉ではなく妹をエスコートしているんだ?」


「そもそも、デビュタントに一人で入場させるなんて、ドレヴァン伯爵家は一体何をしているの?」




 会場全体の空気が冷ややかなものに変わっていくのを感じ、体が震える。


 何とかエイルリートがエスコートしてくれているから歩けるが、一人だったら座り込んでいたかもしれない。突き刺さるような視線と微かな囁き声が恐ろしい。


 姉の横に並ぶと目が合った。悠然と微笑み返され、ゾクリと背筋を冷たいものが流れていく。


 ……これは本当にお姉様なの……?


 双子で、同じ色彩で、背格好も同じで、顔立ちもよく似ていたはずなのに、今はまるで別人だ。


 ……これじゃあ、比較されるじゃない……!


 髪も肌も艶が良く、気が強そうと言われていた顔立ちは化粧によって大人びた雰囲気があり、ほっそりとたおやか手足に控えめで上品な白いドレスが悔しいほど似合っている。周囲が華やかな装いだからこそ、地味なはずだった姉のドレスは上品に見えた。


 目を伏せていると控えめそうに見えるのに、視線が合い、微笑むとどこか色気を感じさせる。


 エイルリート様も驚いた様子でまじまじと姉を見つめていた。


 婚約者で、エスコート相手のシルヴィアのことを忘れている様子だった。


 腕を軽く引っ張れば、ハッと我に返ったエイルリートがぎこちなく微笑む。


 最後の一人が入場すると、ダンス用の音楽が流れ出した。


 毎年、社交期間の最初の夜会を飾るのはデビュタントする令嬢達の可愛らしい踊り。


 ……でも、お姉様は一人だわ。


 相手がいないままどうするのだろうと思っていたが、姉はニコリと微笑み、周囲に合わせて一人で踊り始めてしまう。


 シルヴィアも慌ててエイルリートと共にダンスを踊り始めたが、横で、一人で踊っている姉のほうがずっと上手い。一人のはずなのに、まるでそこに相手がいるかのように戸惑いなく、楽しそうに踊っていた。


 人々の視線は完全に姉だけに向けられている。


 そして、横で踊るシルヴィア達にも向けられる。


 明らかに比較される視線に耐えながら、失敗しないようにダンスに集中するだけで精一杯だ。


 たった一曲踊るだけなのにとても長く感じた。


 ……おかしい! こんなはずじゃなかったのに!


 何とか一曲を踊り終え、観客の貴族達に全員で一礼する。


 姉を見たものの、姉はもう歩き出し、人々の輪の中に入っていく。


 その凛とした背中にシルヴィアは呆然と立ち尽くすしかなかった。




「シルヴィア、こちらに」




 と、エイルリートに声をかけられ、移動させられる。




「エイルリート様……これは、予定のうちですか……?」




 震える声で問い返せば、エイルリートは黙ってしまった。


 顔を動かしてみれば両親がこちらに近づいてくるのが見えたが、顔色が悪い。


 その後ろから公爵家の方々の姿もあり、体が震える。


 両親の焦った表情と公爵夫妻の厳しい表情に、姉が予定外の動きをしたせいで計画が狂っているのだと理解した。これでは人々に『姉が不貞をしている』と思わせることもできない。


 ……それどころか、この状況だと……。


 人々からは、シルヴィアが姉の婚約者を奪ったように見えるかもしれない。


 全身に感じる、突き刺さるような視線の意味に気付くとふらりとよろめいた。


 このままでは、姉を社交界から追い出すどころか、シルヴィアのほうが追い出されてしまう。


 よろけたシルヴィアをエイルリートが支え、それに気付いた姉が振り返った。




「ふむ、シルヴィアよ。顔色が悪いようだが、大丈夫か?」




 ……どうして、お姉様は平然としていられるの?


 目の前にいる姉が、シルヴィアの知る姉ではない別の何か・・に思えて恐ろしくなる。


 ニコリと微笑む姉の姿にシルヴィアはゾッと体を震わせた。






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― 新着の感想 ―
ますますジルヴェラがかっこいいです。 魔力を練って自分に磨きをかける、という設定は異世界ならではで納得できますし素晴らしいと思いました。だからこそ、別の何かに見える、というシルヴィアの最後の想いがぐっ…
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