双子の嫉妬 / 思い
* * * * *
シルヴィア・ドレヴァンは、ドレヴァン伯爵家の次女である。
容姿が似た双子の姉がいるものの、性格は正反対だと自分でも思っていた。
いつも笑顔を心がけ、誰にでも優しく、明るく、素直でいることがみんなから好かれる秘訣だった。
両親も、使用人達も、友人達もいつだってシルヴィアのほうを好きだと言ってくれる。
そう在るためにシルヴィア自身も努力をしたし、いつだって可愛い自分でいるようにした。
それなのに、たった数十分早く生まれただけの双子の姉・ジルヴェラは何でも持っていた。
シルヴィアよりも優秀で、凛とした雰囲気があって、いずれ結婚して伯爵夫人になる。
ただ少し早く生まれただけで姉は伯爵家にいることができて、将来も困らずに生きていける。
シルヴィアは婚約して、いつかはどこかの家に嫁に出なければいけない。
その家で温かく迎え入れてもらえるかも分からないし、両親のように甘やかしてくれないだろう。
……わたしはずっとお父様とお母様の下にいたいのに。
悔しくて、悲しくて、羨ましくて、妬ましくて。だからせめてもと姉のものを欲しがった。
シルヴィアが泣けば両親は必ず、姉から物を取り上げてシルヴィアにくれた。
でも、本当に欲しいものはいつだって姉のものになる。
十四歳の時、姉が婚約した。相手は公爵家の次男で、一目見て恋に落ちてしまった。
鮮やかな金髪に青い瞳、整った顔立ちの少し歳上の姉の婚約者・エイルリート様はシルヴィアにとってはとても輝いて見えた。そして、どうして自分が婚約者ではないのかと密かに泣いた。
しかし、姉達は婚約をしても不仲だった。
政略結婚とはいえ、必要以上に触れ合わないし、常に無難で当たり障りのない話ばかり。
エイルリート様はいつもつまらなさそうだった。
けれども、その青い瞳がシルヴィアを見る時だけは温かくて、優しくて、愛おしそうで。
すぐにエイルリート様と両想いなのだと気付いたが、さすがに両親も公爵家と決めた婚約を簡単に変更することはできず、シルヴィアはやはり枕を濡らす日々を過ごすしかなかった。
エイルリート様が姉との茶会に時々招待してくれて、密かに手紙のやり取りをしても、婚約者ではないから贈り物はもらえないし、触れ合うこともほとんどできない。
それでもずっと想い続けてきた。
転機が訪れたのは先日迎えた十六歳の誕生日。
成人の儀式として受けた洗礼でシルヴィアは、火属性と水属性という相反する二属性を持っていると判明した。これは珍しくて、両親も喜んでくれた。きっと良い縁談を結べるだろう、と。
そして、姉は六属性の中で最弱、治癒魔法しか役に立たない聖属性持ちだった。
しかも一属性しかなかった。貴族なら二属性が普通なのに、たった一属性だけ。
その時は心の底から嬉しかった。
神様はシルヴィアに慈悲を与えてくれた。姉は神様の慈悲を得られなかった。
そのせいか姉は性格も言動も一変してしまったが、それによりエイルリート様からも見放された。
今は公爵家と伯爵家が密かに話し合い、姉とエイルリート様との婚約を破棄して、シルヴィアとエイルリートとで婚約を結び直そうと話し合っている。伯爵家もシルヴィアが継ぐという方向で話が進んでいるそうだ。
……この家も、エイルリート様もわたしのものになる!
こんなに幸せなことがあるだろうか。
決して手に入らないと嘆いていたものが全て手に入る。
そして、姉はそのうち修道院か神殿に入れられるらしい。
そうすれば、伯爵家の令嬢はシルヴィアだけとなり、みんなの愛を一心に得られる。
「……でも、あの司祭様がお姉様のそばにいるのは、なんだか面白くないわ」
昼間、姉の下に上級司祭が訪れた。
後から父に聞いた話によると、聖属性のみというのも非常に珍しいそうで、大神殿が『治癒魔法士として是非欲しい』と言ってきたらしい。司祭は姉の能力を確認するための監察官なのだとか。
姉は魔力量がそれなりにあるので、きっと治癒魔法士になれるだろう。
大神殿に望まれて入るとしたら、そこには姉の居場所があり、人々から敬われて過ごすのだろう。
……そんなのずるいわ……。
シルヴィアが欲しかったものを持っていた姉は、それを失っても、どこに行っても輝ける。
シルヴィアはここでしか輝けないというのに。
何より、姉の監察官として来た司祭はとても美形な青年だった。
柔らかな茶髪も、同色の瞳も、ありきたりな色なのに驚くほど整った顔立ちと歳上の男性特有の落ち着いた大人びた雰囲気。使用人によると穏やかで紳士的だという。姉の能力や性格を見るためにしばらくの間、そばについているらしい。
……あんな素敵な男性、ずるいわ。
姉はまだ婚約破棄の件を知らないはずだが、エイルリート様の次をもう見つけている。
大神殿に行ったら、姉はあの司祭と共に幸せになるのだろうか。
エイルリート様も素敵だが、司祭はもっと素敵だった。
いつだって姉はシルヴィアより良いものばかり手に入れるのだ。
シルヴィアのほうが愛されているのに、頑張っているのに、可愛いのに。
……どうして、お姉様ばっかり素敵なものを持っているの……?
「神様から聖属性しかもらえなかったくせに……」
シルヴィアは火属性と水属性で、姉より属性も多くて珍しくて、神様に愛されている。
だからきっと、これからシルヴィアは姉よりもっと良いものを得られるはずなのだ。
姉の持っていたものは全てシルヴィアのものになり、姉はここから追い出される。
一属性しか持っていなかった姉は公爵家の者との結婚に相応しくないと言われ、婚約が破棄され、珍しい相反する二属性持ちのシルヴィアがエイルリートの新たな婚約者となる。
そうすれば、伯爵家はシルヴィアのものになる。
シルヴィアに甘い両親、優しい使用人、愛する人と婚約して、この伯爵家に残ることができる。
姉は伯爵家を出て大神殿に行き、家族も友人もおらず、奉仕活動をする日々を送るだろう。
司祭の件は気にかかるけれど、シルヴィアのほうが絶対に良い暮らしができるし、ドレスや装飾品で身を飾り、華やかな社交界で輝ける。姉は大神殿でひっそり暮らせばいい。
それなのに、どうしてか不安を感じてしまう。
「わたしの考えすぎよね……」
最後に笑顔で幸せになれるのはシルヴィアでなければいけない。
みんなに愛されない姉ではなく、愛されるシルヴィアこそが幸せになるべきなのだから。
* * * * *
「──……と、あの小娘は考えているようです」
夜、闇属性魔法を使って密かに我の部屋に来たルシフェルの報告を聞き、呆れてしまった。
確かに伯爵家を継ぐという立場は長女だったジルヴェラに与えられた。
だが、もしもシルヴィアは優秀で、その才能を見せていれば両親は即座にシルヴィアを次代に指名したはずだ。そうしなかったのはシルヴィアの幼さと甘えたな性格を分かっていたからだ。
それにジルヴェラからすれば、両親から贈られたものを奪い、両親に愛されるシルヴィアのほうが羨ましかっただろう。ジルヴェラのどこか卑屈な性格は妹のわがままのせいであり、双子の娘達に等しく愛情を与えなかった伯爵夫妻の責任でもある。
両親を、使用人を、友人を、そして最後に婚約者を奪おうとしている。
ジルヴェラが絶望を感じるには十分すぎるほど、ここは腐っていた。
「姉から何でも奪っておいて、まだ『ずるい』とは……呆れるほどの強欲さだな」
「ええ、全くです。悪魔の中にも強欲と呼ばれる者はおりますが、それですら多少の慈悲や気遣い、常識は持ち合わせているというのに。あの小娘はジル様の妹に相応しくありません」
「この体の血の繋がりはあっても、妹とは思っていない」
「当然です! 似ているのは皮だけの話で……いいえ、ジル様のほうが凛として美しく、堂々たる姿はまさしく我が主人……! ジル様の素晴らしさを知れば誰もがジル様を讃えるでしょう……!」
はあ……と、うっとりとした様子で満足げな息を漏らすルシフェルに苦笑してしまう。
頭も良く、優秀で、気も利いて、欠点などないように見えるのに、我のことになると少し頭の回転が悪くなるというか、おかしな方向に妄想を爆発させるところがあるようだ。
別に嫌ではないし、それをルシフェルの欠点とは思わないが、少し残念さは感じる。
……もしかしたら神に対しても、このような熱量で信仰していたのだろうか?
そうだとすれば、神も頭を悩ませただろう。
ルシフェルは頑固な部分はあり、一度自分が決めたことは滅多に覆さない。
その考えを改めさせるのは難しいと思う。
「フェルよ、戻ってこい」
「失礼いたしました。つい、妄想が捗ってしまい……」
声をかければ、あっさりと意識をこちらに戻したルシフェルが澄まし顔で振り向いた。
「とりあえず、こちらに座ったらどうだ?」
我はベッドに腰掛けているものの、ルシフェルは先ほどまで片膝をついていた。
今は立ち上がっているが、あの格好のままでいるのは大変だろう。
しかし、ルシフェルは頬を赤らめると両手で己の顔を覆った。
「そ、そんな……っ、ジル様のベッドに触れるなんて、あまつさえ腰掛けるなど何と恐れ多い……!」
「そなたの中で我は一体どのような位置付けにされているのだ?」
「それはもちろん、神と同等でございます。麗しく、美しく、気高く、尊き我が主人……!」
と、胸を押さえて何やら酔いしれている。
「それこそ我のほうが『恐れ多い』と言うべきだな。神と同列は問題ではないか?」
「何をおっしゃいます……! 私が今、崇め讃えるべき主はジル様のみ! 大天使の私が崇拝するなら、それは父なる神にも劣らぬお方ということでございます……!」
「フェルよ、そなたは頭が良すぎる故に頭がおかしいのではと思う時があるのだが」
「ああ、そのような過分なお言葉……ジル様にお褒めいただき、一生の光栄に存じます……!」
「今のは褒め言葉だったか?」
我とルシフェルとで会話にズレが生じている気がする。
けれど嬉しそうなルシフェルに、まあいいか、という気持ちになってくる。
こういった他愛もない話をのんびりと交わせるというのは素晴らしいことだ。
「しかしながら、このまま好きにさせてよろしいのですか? あの小娘も伯爵夫妻も、ジル様を婚約破棄させた挙句、修道院か神殿に放り込んで二度と外に出さないつもりのようでしたが……」
明らかに不快という表情のルシフェルに頷き返す。
「構わん。むしろ婚約破棄してくれれば、それを理由に家から出て大神殿に属することができる。あちらで聖属性魔法の修練を積み、名声を上げたほうが効率的だ。後から伯爵家が口を出してきたとしても、我へのこれまでの対応を盾に拒絶すれば良い」
伯爵家から婚約を破棄するのは難しいが、両家合意の下での破棄ならむしろ好都合である。
シルヴィアとエイルリートは想い合っているようだし、二人が伯爵家を継いでくれれば我に責任はなくなり、動きやすくなる。まずはこの家から出ることが重要だ。
「現在は両家で婚約破棄と再度の婚約締結について話し合っているようです」
「そうか。……さっさと破棄をしてほしいものだ」
「ジル様の名誉を貶めようとする態度については腹立たしいですが、婚約者がいなくなるという点については大いに賛成です。公爵家程度の人間がジル様と婚約するなど思い違いも甚だしいですから」
腕を組み、自身の言葉に納得するようにルシフェルは頷いている。
「それでは、どれほどの者ならば婚約して良いのだ?」
公爵家以上となると、もうあとは王家しかないのだが。
……さすがに王家との結婚というのは色々、思うところがある。
人間の王家とは千年前は敵同士だった。我だけが時間に取り残されたような気分だ。
ルシフェルが背筋を伸ばすと己の胸に手を当てた。
「最低でも、私かそれと同等の者でなければ釣り合いません」
それに思わず笑ってしまった。
「大天使だったそなたと同等の者など、数えるほどしかいないだろう。しかも現世にいるとなれば、さらに絞られる。……そなたは自分を売り込むのが上手いな」
「私はいつでもジル様と添い遂げたいという思いがございますので」
真剣な表情のルシフェルに、我は困ってしまった。
人間なのだから、いつか、誰かと結婚をしたとしても不思議はない。
……ないのだが、想像がつかんな。
戦争に明け暮れていた我が……皆を守れず、魔王の責任を果たせなかった我が生まれ変わって幸せになるなど、許されるのだろうか。長きに渡る戦争で多くの同胞が死んでいったというのに。
「……すまない、フェル。我はまだ、あの頃のままらしい」
目の前に跪いたルシフェルの手が、そっと我の手に重ねられた。
「転生したジル様にとっては千年前の出来事ではなく、つい先日のことなのでしょう」
「……ああ、そうだ」
「どうか、この時代を感じてください。平和で、穏やかで……今なら、ジル様はご自身のことを考えてもよろしいのです。ジル様の望む道を、未来を、人生を歩んでも、誰も責めることはありません」
ふ、とルシフェルが微笑んだ。
「ジル様がおっしゃったではありませんか。もう、ヴィエルディエナ様ではない、と」
それに驚いた。同時に、他の誰でもない我自身が生前とその記憶に縛られていると気付く。
ルシフェルが微笑みながら見つめてくる。
「ジル様はもう、自由に生きて良いのですよ」
「それは……許されないだろう。戦争で死んでいった者達に申し訳が立たん」
「あの当時に死んだ者達も既に生まれ変わっているでしょう。今更、あの時のことを責める者などおりません。それどころか、貴方様がお亡くなりになられた時に皆で己の無力さを嘆き、その魂に平穏が訪れるようにと祈りを捧げたほどです」
ルシフェルの手が、我の手を包む。
「ジル様はジル様自身のために生きてください。それが私共、魔族の思いです」
気付けば、涙が伝っていた。
……本当に、我は今まで何を見ていたのだろうか……。
目を閉じれば死んでいった者達の一人一人の姿や声を鮮明に思い出せる。
彼ら彼女らはいつでも、我に従い、我を支え──……そして我を慕ってくれた。
「……すまない……いや、フェルよ、感謝する……」
皆の、あの優しく明るい笑顔を今度こそ思い出すことができた。