神殿からの使者
翌日の午後、ドレヴァン伯爵に呼ばれて応接室に向かった。
伯爵に呼ばれることは滅多にないので珍しく思ったが、応接室に着き、中に入ると全てを理解した。
そこにはルシフェルがいて、相変わらず司祭の装いでソファーに座っていた。
「こちらが娘のジルヴェラですが……本当によろしいのですかな? 一属性しか持たないのに」
と、ドレヴァン伯爵が蔑むような眼差しをこちらに向けてくる。
……この程度、戦場での殺気に比べれば可愛いものだ。
「ええ。むしろ、教会としましては『聖属性のみ』に意味があります。一属性だけならば、ご令嬢は今後、優秀な治癒魔法士となるでしょう。是非、神殿の奉仕活動にも参加していただきたいのです」
「それはお好きにどうぞ。……まあ、貴族としては無価値でも、どこかで誰かの役に立てるそうだ。何の価値もない人生にならずに済んで良かったな」
娘にかけるような言葉とはとても思えないが、伯爵は我にそう言った。
ルシフェルの微笑みが深まる。これはかなり立腹しているようだ。
「ドレヴァン伯爵、話が読めない。経緯くらい簡潔に説明しろ」
はあ、と我が溜め息を吐けば、伯爵の顔が赤く染まる。
その様子がシルヴィアとよく似ていて、さすが親子だと思った。
……いや、我も親子ではあるのだが。
貴族なら、もっと感情を隠す術を覚えた方がいい。家の歴史を思い出す。貴族としては長く在る家だが、婚姻によって生き長らえ、年月のわりに大した功績を持っていない家だ。先祖はともかく、他はこの伯爵と似たり寄ったりであまり貴族に必要な能力は高くなかったのかもしれない。
怒鳴ろうとした伯爵をルシフェルが手で制する。
「ドレヴァン伯爵、ご令嬢への説明は私が行いましょう」
立ち上がったルシフェルに伯爵が頷き返す。
「不出来な娘で、ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします」
立ち上がった伯爵はルシフェルに挨拶をすると、応接室を出ていった。
扉が閉まり、完全に足音が聞こえなくなったところでルシフェルが指を鳴らす。
すると応接室全体に防音魔法がかけられた。
ルシフェルがそばに来て、片膝をつく。
「ジル様、あの不愉快な塵虫を潰してもよろしいでしょうか?」
良い笑顔で問われて呆れてしまった。
「よろしい訳がなかろう。あの男がいなくなれば、我が結婚しなければならなくなる。婚約者と婚姻を結ぶ気はないし、この家に留まるつもりもない。放っておけばシルヴィアを溺愛している伯爵夫妻は、何とかしてあちらに家督を継がせようとするだろう」
「なるほど、伯爵家から出ることをお望みなのですね。では尚更、私が来たのは正解でした」
手を差し出せば、ルシフェルが嬉しそうに手を重ねた。
そのまま引っ張り上げれば素直にルシフェルは立ち上がる。
立ち話も疲れるとソファーに移動したのだが、何故か当たり前のようにルシフェルが隣に座った。
髪と同色の柔らかな茶色の瞳から感じる喜色の眼差しは、まるで主人に従う犬のようだ。
……随分と大きな犬だがな。
「改めてご説明をさせていただきます」
そうして、我が伯爵に呼ばれ、ルシフェルがここにいる経緯についての説明を受ける。
ルシフェルはあの後、神殿に向かい、大司祭の一人──秘匿しているが魔族らしい──に命じて他の神殿から来た上級司祭としてルシフェルが大神殿に入れるように手引きをさせ、ドレヴァン伯爵家に来たらしい。
異界の聖女が召喚され、魔王ヴィエルディエナが死してから千年。
今、この大陸は魔族の支配のほうが強い。
しかし、また異界の聖女を召喚されたり、強力な聖属性持ちが生まれたりして魔族の力が削がれるのは困る。せっかく人間達が平和ボケしているなら、そのままにしたいというのが六大魔族全体の考えなのだとか。
けれども戦争をしていた頃の名残りか、人間達の間では『攻撃力のある属性こそが尊い』とされており、それを利用して『治癒魔法の聖属性は最弱』という印象を長い年月をかけて植えつけたそうだ。
そのような価値観を持てば、聖属性を持っていたとしても治癒魔法しか使わず、聖属性を鍛えようとは思わないだろう。それこそが魔族の狙いだった。
聖属性は確かに治癒魔法を使えるが、実際はそれだけが力ではない。
戦闘面でも使える魔法は多く、それらは魔族だけでなく人間に対しても強力である。
魔族を寄せつけない『聖域』や一時的に天使の騎士を戦士として呼び出す『聖天騎士召喚』などは非常に強く、そこに防御魔法の最高位である『聖盾』を使われた最終戦では酷く苦労した。
……そういえば、聖盾を破壊するために膨大な魔力を消費したな……。
つい、その時のことを思い出して苦笑してしまう。
ルシフェル達にとっては千年前で、ジルヴェラの十六年という記憶があっても、ドラゴンという不老長寿の種族だった我にとっては聖女との戦いはつい先日の出来事に近い。
人間に対しての警戒心もある。だからこそ、ルシフェルがいて良かった。
その経緯はともかく、異界の聖女が人間と魔族との戦争を終わらせ、それ以降は『聖属性のみ』の者は生まれなかったそうだ。おかげで魔族も上手く立ち回れたのだろう。
そして今回、表向きは『珍しい聖属性のみ』の令嬢を調査するべく、上級司祭が派遣された。
「私は『監察官』としてそばにつき、聖属性のみの令嬢の能力を確認するという名目で神殿からまいりました。しばらくの間は御身のおそばにいても怪しまれることはないでしょう。神殿が聖属性持ちを欲しがっているというのも事実ですので」
「奉仕活動で治癒魔法士が足りていないからか」
「はい、ご明察の通りでございます。聖属性を鍛えることをやめた人間達は治癒魔法の能力も落ち、中には聖属性持ちであることを恥じて隠す者もいるため、治癒魔法士が常に人手不足という状況です。怪我を癒す者が足りなければ、人間達が余計な考えを思うこともありません」
つまり、あえて神殿の治癒魔法士を人手不足状態にすることで、戦争をしようという気持ちが湧かないように調整しているわけだ。もしかしたら教会上層部は今回ルシフェルに協力した大司祭以外にも、魔族が多く食い込んでいるかもしれない。
戦争というのは武力だけの話ではない。
知略で敵を攻め、内部に入り込み、内側から腐らせるのも戦略の一つである。
「その後、ジル様には大神殿に『治癒魔法士』として入っていただくことで伯爵家から離れられます。それ以降は大神殿所属となり、伯爵家からの横槍の回避にも繋がります。ジル様がお力を示せば全ての者がその素晴らしさに敬服し、感嘆し、ジル様に従うでしょう」
何を想像しているのか、心底嬉しそうな表情でルシフェルが目を閉じている。
……以前も、余りあるほどの敬意を向けられてはいたが……。
この千年の間に我への気持ちを拗らせてしまったのだろう。
戦時下だからと気付かないふりをして、ルシフェルも我がそうしていると分かっていて、あの時は互いに触れなかった話題だったが、今のルシフェルはもう気持ちを隠すつもりはないようだ。
我からすれば、ルシフェルは信頼できる唯一無二の右腕だ。
生まれた時から人間との戦争に明け暮れていた我が、今更、愛だ恋だという話に直面するとは。
「フェル、我はもう闇属性を持っていない。以前のように魔王にはなれぬ」
「いいえ、ジル様。魔王とは魔族の王、私達魔族が跪いた方こそが『魔王』なのです。たとえジル様がドラゴンであったとしても、魔族が跪かねば、魔王にはなれない……そうは思いませんか?」
「ふむ……それは一理ある」
そういう意味では、生前は良き配下達に恵まれていたのだろう。
全ての魔族が我を魔王と認め、膝をつき、敬意を持って接してくれた。
その気持ちに報いるためにも、魔王として聖女に勝たねばと必死に戦ったものの、負けた。
「私の『魔王』はジル様だけです。今後、あなたがまた人間に生まれ変わったとしても、何度転生したとしても、私はジル様のおそばに侍り、最期までお付き合いいたします」
「それは心強い言葉だな。人間の生は短い。……次の人生でもルシフェルがそばにいてくれるならば、きっと悲惨なものにはならぬだろうな」
「当然です。私はジル様にのみお仕えする身。何度生まれ変わっても私を召喚してください。その度に、ジル様の望む人生のために尽力するとこの名に誓ったのですから」
自信満々に胸に手を当てて言うルシフェルは、何というか──……そう、微笑ましい。
手を伸ばし、その茶髪の頭に触れれば、見た目通りの柔らかな感触がした。
「ああ、期待している」
茶髪の頭を撫でれば、同色の目が見開かれて驚きと感動、それ以上の喜びが伝わってくる。
……たったこれくらいでこれほど喜ぶとは。
もしも犬のように尻尾があれば、ブンブンと振っているだろう。
微笑ましく、同時に少し、これが可愛げというものか、と理解した気がした。
しかし、きっとこのような振る舞いは我には似合わないし、誰も望んではいない。
「しばらくは監察官としてよろしく頼む」
「かしこまりました。大神殿入りされた後も上手く調整させていただきます」
「その辺りも任せるとしよう」
これから先、伯爵家から出られる算段があるのはありがたい。
治癒魔法士になれば給金も得られるし、大神殿ならば衣食住も確保できる。
ジルヴェラは貴族の令嬢ではあるが、我はドレスや装飾品にこだわりはない。
……治癒魔法士として名を響かせるのも悪くはなさそうだが。
「我が聖属性魔法が強いと知らしめても良いのか?」
魔族は聖属性を最弱と広めている中で、我が出てきたら問題はないのだろうか。
ルシフェルがニコリと微笑む。
「問題ございません。その場合は『聖属性のみだからこそ強い』と言えば済みます。ほとんどは複属性持ちで、聖属性だけを突出して訓練するのは難しいでしょう。何より、今はもう聖属性魔法に詳しい者はほとんどおりません。ジル様が聖属性魔法をお使いになっても、ただの人間の魔力量ではそれを真似すること自体が不可能です」
「それもそうか」
魔王であった記憶を取り戻し、我は魂本来の魔力量も取り戻した。
普通の人間の生では、どれほど修練を積んだとしても、我ほどの魔力を得られない。
我が数百年を生きてこの魔力量に達したように、人間も長く生きて地道に魔力量を上げていくしかないため、そもそも種族としての寿命が足りないのだ。
ふと扉の外に人の気配を感じてソファーから立ち上がれば、ルシフェルも立ち上がる。
「……どうやらシルヴィアは少々耳聡いようだな」
感じた魔力からして扉の外にいるのは恐らくシルヴィアと使用人が一人。
もしかしたら、ルシフェルを見かけた使用人がシルヴィアに話したのかもしれない。
気配の様子を考えるに、こっそり聞き耳を立てているようだ。
ルシフェルが防音魔法を張ったのは正しかった。
どうしますかとルシフェルから視線で問われ、わたしは肩を竦めてみせた。
「無作法者はどこにでもいるものだ」
視線を返せばルシフェルが頷き、防音魔法を解除する。
扉の前まで音もなく移動し、ドアの取っ手を掴むと勢いよく開けた。
そこには扉に耳を寄せていたシルヴィアがそのままの格好で固まっており、更に後ろに伯爵家の執事が困り顔で立っていた。執事では主人の一人であるシルヴィアの行動を止められなかったらしい。
「人前で大泣きするだけでなく、盗み聞きまでするとは人としてどうかと思うが?」
突然扉が開かれたことに驚いたのか、シルヴィアはパッと身を引いた。
「お、お姉様が男性と二人きりでいるから、エイルリート様に不義理なことをしないか心配していただけですわ……!」
「我が婚約中に浮気をするような低俗な人間に見えるのか? そうだとしても、盗み聞きをしていい理由にはならない。話が聞きたいなら、まずは客人に挨拶をしてから訊ねるのが礼儀だろう。そなたのそれは我だけではなく、司祭にも無礼な振る舞いだ」
いつの間にか、ルシフェルが不愉快そうな真顔になっている。
それを見たシルヴィアはまずいと思ったのか、震えながら謝罪をする。
「も、申し訳ありません……っ、わたし、エイルリート様とお姉様の仲が心配で、つい……!」
わざと我をチラリチラリと見ながら怯えた仕草をするのがわざとらしい。
「その不仲の理由はそなたが原因だ。婚約者同士の交流の場に来て、姉よりも姉の婚約者とお喋りをしていれば、我々が不仲になるのは当然ではないか?」
「でも、エイルリート様から招待していただいておりましたし……」
「それこそ、気を利かせて断れば良かったであろう。そうしなかったのは、そなたは我の婚約者に気があったからだ。姉の婚約者に懸想した上に媚びるなど、とても『優しく明るい素直な妹』の行動とは思えんな」
我の言葉にシルヴィアは顔を赤くして俯き、けれどもすぐに顔を上げた。
「っ、生まれた時間がほんの少し早かっただけじゃない! それなのにお姉様が家を継いで、エイルリート様と婚約できるなんておかしいわ! わたし達は双子なんだから、どっちが家を継いでもいいでしょうっ?」
泣きそうな顔で言われ、わたしは首を傾げた。
「何故それを我に言う?」
「え……?」
キョトンとした顔でシルヴィアが我を見る。
「気に食わないなら、ドレヴァン伯爵に懇願すればいい。夫妻はそなたを溺愛しているから簡単に家督を継げるだろう。そもそも、我はこの家を継ぐ気も、残る気もない」
「……お姉様は家を出るつもりなの?」
「ああ、そうだ。不満があるならドレヴァン伯爵に言え」
まだポカンとしているシルヴィアを置いて、応接室を出る。
後ろにいたルシフェルに執事が声をかける。客室を用意したようだ。
「後ほど、お部屋にご訪問させていただきます」
ルシフェルの言葉を背に受け、手を上げて応えつつ、その場を後にした。