遅すぎた話
* * * * *
……どうして……?
薄暗い牢屋の中で、微かに差し込む光をシルヴィアはぼんやりと眺めていた。
やや擦り切れて古びた衣類は、裸では困るからと着させられたものだが、ゴワゴワとした感触が肌に当たると痛く、厚みはあっても触り心地が非常に悪い。くすんだ灰色の服はまるで貧民のようだ。
あの日のことはよく覚えている。
姉の魔力と属性を奪えるというブローチをつけて、魔力を吸い取ったまでは良かった。
髪や肌の艶が良くなり、美しくなれると思った。それに属性も増えればエイルリート様からもっと愛され、みんなから称賛され、今度こそ社交界で目立てると思った。……それなのに。
シルヴィアはあのブローチのせいで化け物になってしまった。
倉庫を破壊し、エイルリートを片手に暴れた記憶がある。
痛くて、苦しくて、悲しくて、つらくて──……絶望した。
『触るな、この役立たずめ……!! ジルヴェラもお前も、私を伯爵にするための道具にすぎないくせにどうして邪魔をする!? 何故こうも上手くいかない!? これでは伯爵になれないじゃないか!!』
『クソッ、こんな醜い化け物では社交界どころじゃない!! これが私の妻などありえない!!』
エイルリートに手を払われ、蹴られたのは、痛みよりも悲しさとつらさのほうが大きかった。
それでもエイルリートを愛していたシルヴィアは、エイルリートを諦めきれなかった。
だから、エイルリートに逃げられないように掴んだ。
その後の記憶は少し曖昧な部分もあるけれど、美しい聖天騎士が現れ、剣で腕を切られ、刺し貫かれた。
次に目を覚ました時にはもうここにいた。
最初の二日は叫んで、騒いで、両親に会いたいと願ったが、聞き入れてもらえなかった。
その時になって両親もオルレアン公爵家も、今回の事件に関わった家として騎士達が踏み込み、両親は拘束、公爵夫妻も屋敷に軟禁状態だということを知った。
そして、エイルリートは隣の牢屋に閉じ込められているらしい。
シルヴィアが叫んだ時、隣から「うるさい!」と怒鳴り声が聞こえてきた。
それ以降、隣からはずっとブツブツと何かを呟く声が聞こえ続けている。
……何が悪かったの?
シルヴィアはただ、幸せになりたかっただけなのに。
両親に、エイルリートに、みんなに愛され、褒められ、世界の中心で輝きたかった。
目を閉じればシルヴィアの願う世界が容易に想像できる。
優しく甘やかしてくれる両親に、愛してくれる婚約者、使用人達も優しくて、社交界ではこの可愛らしい容姿と相反する二属性持ちで注目の的になって──……デビュタントで成功した後は色々な夜会やお茶会に招かれて、沢山のお友達ができて、毎日が幸せになる。
シルヴィアの欲しいものを全て持っていた姉は、修道院か大神殿に入り、二度とシルヴィアのものを奪うことはできなくなって、ひっそりとみんなの記憶から消えていく。
そうして、シルヴィアはいつまでも幸せに暮らすはずだった。
確かに、少しわがままだったかもしれない。あれもこれもと欲しがっていたかもしれない。
……でも、そんなの、誰だって同じじゃない……。
誰もが自分の幸せのために生きて、そのためなら多少、他の者を蹴落としたって仕方がない。
……それなのに、どうしてわたしばっかりこんな目に遭うの?
姉は『聖女』として認定されたらしい。
化け物となったシルヴィアを倒し、王都を守ったと称賛されているようだ。
シルヴィアはこんなところでボロ切れみたいな服を着て、まともな食事ももらえないのに、姉は大神殿で聖女として人々から傅かれて暮らしていくのだろう。
「……何で、どうして……」
どうして、シルヴィアは幸せになれないのだろうか。
ガチャンと音がして、牢屋の扉が開けられる。
騎士が立っていて、冷たくこちらを見下ろした。
「出ろ。これより国王陛下による裁判が行われる」
貴族が犯罪を行った場合、国王陛下が裁判を執り行う。
腕を掴まれ、思わずそれを振り払った。
「いやっ! どうせ国王陛下もあなた達もお姉様の味方なんでしょっ!? わたしをいじめて何が楽しいのよ! いつもいつもいつもいつもっ、お姉様ばっかり素敵なものに囲まれていてずるいじゃない!!」
きっと国王陛下も聖女となった姉に味方するだろう。
「みんな酷いわ! わたしはただ幸せになりたかっただけなのに!」
抵抗したけれど、騎士の力のほうが強くて牢屋から引きずり出される。
このまま裁判が行われるなんて嫌だ。ありえない。
「こんな格好で人前に出るなんて嫌よ! わたしは伯爵令嬢なのよ!? お父様とお母様に言ってドレスを持ってきてもらわなきゃ、裁判なんて出ないわ!!」
暴れても、無理やり立たされ、両手に重い手枷がはめられる。
手枷には鎖が繋がっていて、引っ張られると嫌でも歩かなければいけない。
ふと顔を上げれば、隣の牢屋の扉の向こうにエイルリートが立っていた。
深い隈ができて、どこかやつれたようなエイルリートと柵付きの小窓越しに目が合った。
瞬間、牢屋の扉が派手な音を立てて振動し、シルヴィアはビクリと震え上がった。
「シルヴィア! この役立たず! お前のせいで私が捕まったじゃないか!! どいつもこいつも、私を馬鹿にして!! お前達なんて私を伯爵にするための道具でしかないくせに!!」
ガン、ガツン、と扉が蹴られ、騎士がエイルリートに向かって怒鳴る。
「静かにしろ! 暴れるようなら拘束するぞ!!」
エイルリートよりも迫力のある怒声に、牢屋が静かになる。
シルヴィアは震えながらも、騎士に引っ張られてエイルリートの地下牢から離れた。
痛む腕とエイルリートの言葉、擦り切れた服の感触に涙があふれる。
「どうしてわたしばっかり……どうして、どうして……」
以前なら、泣けば誰かが優しく声をかけて慰めてくれたのに。
両親やエイルリート、使用人、お友達がそばにいてくれたのに。
今は誰もそばにいない。誰もシルヴィアを見てくれない。
前を行く騎士ですら、シルヴィアが泣いても振り向くことはなかった。
* * * * *
いくつかの足音と共にシルヴィアが離れていく気配を感じながら、エイルリートは扉に寄りかかった。
隣の牢屋に入れられたシルヴィアは最初の二日間、喚き続けた。
『何で』『どうして』と叫ぶ甲高い声はうるさく、酷く精神を削る。
思わず怒鳴ったが、なかなか止まず、二日を過ぎると騒ぎ疲れたのか静かになったが、隣からすすり泣く声が代わりに響いた。それが余計に陰鬱な気分にさせる。
牢番の騎士達もどことなく嫌そうな顔をしていた。
シルヴィアは自分の状況について理解していない。理解したくないのだろうか。
どうして、何故、というのはエイルリートの言葉だった。
エイルリートはジルヴェラと婚約を破棄してシルヴィアと結婚し、伯爵となるはずであった。
気の良い伯爵夫妻に可愛い──今はそうは思えないが──シルヴィアを妻にして、伯爵として社交界で生きていく。そうなる予定で、そうなるべきはずで、でも、今、エイルリートは牢屋にいる。
シルヴィアの裁判が行われると騎士が言っていたけれど、恐らく、その後にエイルリートも裁かれるのだろう。裁判は何度か行われるだろうけれど、無罪で済むことはない。
ジルヴェラから魔力と属性を奪い、魔力量が増えて三属性となったシルヴィアと共に、ブローチの魔法で化け物となったジルヴェラを討っていれば今頃、英雄と呼ばれていたかもしれない。
しかし、そうはならなかった。
どういうわけかジルヴェラではなくシルヴィアが化け物になってしまった。
化け物となったシルヴィアに握り締められ、地面に叩きつけられ、死にそうなっていた。
だが、気付けば全身の痛みが引き、そばにはジルヴェラが座っていた。
……ジルヴェラが治癒魔法で治した。
そう理解した時、どうしようもないほどの敗北感を覚えた。
婚約破棄をしたのに。デビュタントに一人で参加させたのに。
普通ならエイルリートを助ける必要などなかったはずなのに。
目を開けたエイルリートにジルヴェラは言った。
『情けをかけて治したわけではない。そなたの罪は罰されるべきだ。だから助けた」
それだけ言って、ジルヴェラは離れていった。
その背中を追いかけることも、声をかけることもできなかった。
エイルリートにとってジルヴェラは面白みもなければ可愛げもない令嬢だった。
婚約者として好きになることはない、自分の人生において欠点のような存在だと感じていた。
次男とはいえ公爵家の生まれで、伯爵になるが、妻が陰気では社交ができるかも疑わしい。
そう思っていたのに今のジルヴェラは以前とは全く異なっていた。
自信に満ちあふれ、最弱と言われる聖属性で魔法大会での優勝を果たした。
それどころかエイルリートはジルヴェラが『聖女』になる手伝いをしてしまった。
……どこから間違えてしまったのだろう?
今更ジルヴェラに謝罪しても、反省しても、許されないだろう。
あのままジルヴェラと婚約を続けていれば良かったと本気で後悔しても、もう遅い。
婚約破棄もしてしまったし、ジルヴェラを誘拐させ、その結果王都で大問題を起こしてしまった。
国王陛下は今回の件について厳しく罰するだろう。
伯爵家だけでなく、公爵家も責任を問われるのは確実だ。
最悪、エイルリートは罪人として公爵家から追放され、平民落ちするかもしれない。
家のことを考えれば公爵家がそうする可能性は高く、エイルリートはそれを拒否できない。
……平民落ちでもまだマシなほうか。
王都の一角を破壊し、人々を危険に晒した。
国王陛下は民を大事にされる方で、貴族であっても犯罪は許さない。
あれほどの騒ぎを起こしたのだから死刑を言い渡されても不思議はない。
多くの怪我人が出たと聞いたが、全員、ジルヴェラが治癒魔法で癒したという。
エイルリート達の行動は全て無駄に──……いや、それどころか逆効果だった。
「……もう終わりだ……私も、シルヴィアも、伯爵家も……切り捨てられる……」
両親は嫡男の兄さえ無事ならそれでいいと思っているだろう。
昔から優秀で期待されてきた兄は、それに応え、両親は兄優先であった。
きっと両親はエイルリートを切り捨てる。
そして、エイルリートと婚約しているシルヴィアも、伯爵家も助けはしない。
伯爵家は次代がいなくなって取り潰されるか、他の者にそのまま爵位と領地が渡されるか。どちらにしてもシルヴィアが罪人となり、ジルヴェラも家を出てしまったため、伯爵家を継ぐ者はいない。
たとえジルヴェラが籍を戻したとしても、エイルリートはもう婚約者には戻れない。
ジルヴェラには国王陛下が承認した婚約者がいるのだから。
ただただ、自分の人生が終わりに近づいていくのを待つことしかできないことが恐ろしかった。
「っ、そ、そうだ……なあ、私は謀られたんだ! 魔族が、私に魔道具を渡してきた! その魔道具を使ったら、おかしな効果が出て、シルヴィアが化け物になってしまった! 私は何もしていないんだ!! むしろ、騙されて──……!!」
牢屋の小窓から叫び、牢番に話しかける。
しかし、牢番はうるさそうに眉根を寄せるとこちらを見た。
「それは裁判で言ってくれ。俺に訴えられても意味ねぇよ」
呆れた声で返され、顔が熱くなる。正論だった。
牢番にいくら無実を訴えたところで意味はない。
「まあ、騙されたとしてもなあ。アンタ、お貴族様だろ? 魔道具について調べさせなかったのか? どこで手に入れたか知らないが、魔道具の効果くらい、確認するだろ」
「そ、それは……」
「誰かに言えないような魔道具を使ってるって時点で、俺からすれば信用できないけどな」
興味がなさそうな声だったが、それに反論ができなかった。
あの魔道具の効果を説明するとして、何故そのような魔道具を購入したのかと訊かれるだろうし、その魔道具を自分ではなくシルヴィアとジルヴェラに使ったことも話さなければいけない。
エイルリートも危険があるかもしれないと感じたから、自分では使わなかったのだ。
危険性があると理解しながらシルヴィアとジルヴェラに使ったと分かれば、エイルリートに対する国王陛下の心象は更に悪くなる。
そこまで考え、ふと気付く。
……今、シルヴィアが裁判を受けている。
シルヴィアのことだ。自分のことを悲劇的に語るだろう。
そこでエイルリートが渡した魔道具について正直に言ってしまったら?
複数の足音が聞こえてきて、気付けばシルヴィアが連れていかれてからだいぶ時間が経っていたことに気が付く。外に繋がる小窓から差し込む日差しも、いつの間にかかなり動いていた。
「っ、シルヴィア!」
見えた銀髪に声をかければ、キッと睨み返される。
「裁判はどうだった!? 全て話したのか!?」
「っ、何を今更! わたしはエイルリート様に利用されていたんですもの! お姉様との婚約破棄の件も、魔道具も……それでわたしがあんなふうになってしまったことも全部、国王陛下にお話ししたわよ!!」
フンッと顔を逸らし、騎士に促されてシルヴィアが隣の牢屋に戻っていく。
その言葉にエイルリートは足元から崩れ落ちた。
「エイルリート・オルレアンの裁判は明日、行われることとなった」
扉の向こうで騎士にそう声をかけられ、体が震えた。
……きっと、重い処罰が下される。
もうエイルリートにはどうすることもできなかった。
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明日で完結となります!
明日は朝夕の二回更新となりますので、お楽しみに( ˊᵕˋ* )




