誘拐(1)
「──……ふむ、まさかしてやられるとはな」
目を覚まし、右頬と体に感じる硬さと冷たい感触はどこか懐かしい。
聖女と戦い、騎士に討たれ、床に倒れた時もこのような感触だった。
我の記憶の中ではそれほど時間は経っていないはずなのだが、懐かしいと思うのは、ジルヴェラの十六年という記憶もあるからか。まさかまた床に転がる経験をすることになるとは思わなかった。
辺りを目だけで見回してみたものの、暗く、埃と土、澱んだ空気の臭いを感じる。
手は後ろで一つに、足も縛られているようで体の動きが制限されている。
……きっとフェルは慌てているだろうな。
そもそも気付いているかどうか。
恐らく、夕食に何か睡眠薬のようなものが混ぜられていたのだろう。
いつもより眠気を感じ、早めに部屋に戻って休んだが──……その後の記憶がない。
ここまで運ばれたのに起きなかったということは相当強く薬が効いていたのか。
自由時間の後は就寝なので、もしかしたらルシフェルは気付いていないかもしれない。
勢いをつけ、体を起こし、両足の膝を前に出し、何とか座る。
その際に近か何かに足がぶつかり、カン……という音がしたが、それがよく響く。
……相当広い場所だな。どこかの使われていない倉庫か?
聖属性魔法で明かりを作ろうとしたが、魔法が発動しない。
何故と思ったものの、首に感じる冷たく重いものに気付く。
……これは首輪か?
試しにもう一度魔法を使おうとしたが、首輪に魔力が吸われて不発に終わる。
……なるほど、封魔の首輪に近いものか。
千年前には『封魔の首輪』と呼ばれる魔道具が存在し、それを着けた者は魔法が使えなくなる。
主に奴隷や犯罪者、捕虜などに使うものだが、この時代まで似た魔道具が残っていたようだ。
周囲に人などの気配はなく、どうやら我一人だけここに放置されているらしい。
せめてもの体内で魔力循環を行ったが、それすら吸われてしまい、倦怠感を覚えた。
魔力を動かせば、その分、吸われてしまうのだろう。
しばらくジッとしていることで段々と暗闇に目が慣れてくる。
「……檻?」
我は二メートル四方の檻の中に放り込まれているらしい。
僅かに檻の鉄格子が見え、首を巡らせてみても、周囲はそれで囲まれていた。
貴族の令嬢を誘拐して身代金を要求するという事件は稀にあるものの、我はもう貴族ではなく、大神殿で過ごしていた。食堂で摂った食事に睡眠薬が混ぜてあったのだとすれば、我については知っているはずだ。
……大会の賞金狙いか?
魔法大会で優勝したことで、思いの外、良い額の金を手に入れた。
大会の優勝者については誰もが知っているので、狙おうと思えばできなくはない。
しかし、こんなことは一人では無理だ。
そもそも、部屋の扉には鍵をかけてから眠った。
その鍵を壊したか、もしくは予備鍵を持つ上級司祭も関与しているか。
どちらにしても大神殿の関係者がこの誘拐に協力しているのは確実だった。
だが、封魔の首輪に頑丈な檻とは、よほど我の逃亡を警戒しているようだ。
以前の魔王ヴィエルディエナであったなら、この程度の檻は造作もなく破壊できたし、封魔の首輪も大量の魔力で押し切って限界値まで魔力を吸わせて壊すことができたのだが、さすがに人間ではそれも難しい。
魔力量も生前のまだ七割いくかどうか。封魔の首輪が改良されて限界値が上がっていたとしたら、大量の魔力を流しても無駄に吸い取られるだけだろう。
とりあえず、体を動かして檻の鉄格子に寄りかかる。
手足を縛られているので、座っているのも意外と大変だ。
「さて、どうしたものか」
犯人がこのまま我を放っておくとは思えない。
我を誘拐した目的も知りたいし、一瞬でも魔法を使えればルシフェルが気付くはずだが。
そんなことを考えていると、ギィッと古びた蝶番が擦れるような音がした。
倉庫の向こうでポッと明かりが灯る。
小さなランタンを手に二つの人影が近づいてくるが、どちらも姿を隠すようにローブを羽織り、目深にフードを被っていた。カツコツ、カツコツ、と二人分の足音がよく響く。
……ふむ、そういうことか。
ローブで容姿を隠しても我には意味がない。
「まさかこのようなことをするとは──……なあ? シルヴィア、元婚約者殿よ」
我の言葉にピタリと二つの足音が止まり、人影から驚きの気配を感じる。
「そう驚くな。魔力探知に長けた者であれば、容姿を隠していても魔力で相手を判断できる。もう会うことはないと思っていたが、わざわざ攫ってまで招待してくれるとは。しかし、残念ながら屋敷ではなさそうだ」
「……気付かれたなら仕方ない」
片方がフードを外せば、元婚約者の顔が現れる。
それを見たもう片方もフードを外したが、やはりそちらはシルヴィアであった。
「お久しぶりですわね、お姉様」
シルヴィアがクスッと笑う。
その勝ち誇ったような笑みは、我を檻に入れているからか。
「まあ、会うのは久しぶりだな。だが、大会の参加手続きを不正に行った件で名前を聞いているからか、久しぶりに会ったという印象はないが。結果的には参加手続きをしてくれたおかげで色々と手間が省けたのでな、感謝しておこう」
「っ……何よ、お姉様だってどうせ不正をして優勝したんでしょっ?」
「我は正々堂々戦って優勝したが?」
「そのわりにはこんな簡単に捕まるなんて、お姉様ってばやっぱり甘いわね」
それについては確かに反論の余地がない。
事実、こうして捕まっているのだから『平和な時代だ』と我も気を抜いていたのだろう。
しかも大神殿で食事に薬を盛られるというのは予想外だった。
「ふむ、それに関してはその通りだな」
「馬鹿なお姉様。大神殿でひっそり暮らしていれば良かったのに、ちょっと聖属性魔法が強いからって目立とうとするからこういうことになるのよ。わたしとエイルリート様を困らせるとどういう目に遭うか、身をもって知ればいいわ……!」
どうやらシルヴィアは相当怒っているようだ。
我自身はシルヴィア達に何もしていないけれど、我が動くことで影響があるだろうということは理解していたし、それによって伯爵家や公爵家が社交界でどのような評価を受けるかも分かっていた。
けれども、伯爵家から出た我にはもう関係のない話である。
「これまでの己の行いが返ってきた、とは思わないのか?」
ジルヴェラの物を奪い、友人を奪い、婚約者と伯爵家まで奪ったシルヴィア。
強欲すぎた結果が巡り巡って返ってきているだけだ。
我はシルヴィアから何も奪っていないし、貴族令嬢という地位すら捨てたというのに。
シルヴィアは我の言葉にキョトンとした顔をする。
「わたしの行い? 何のこと?」
「我の物や友人を奪ってきたことだ」
「奪ってなんかないわ。元はわたしのものになるはずだったのを、お姉様が持っていたから返してもらっただけよ。お姉様はいつだってずるいんだもの。わたしが欲しいものを持っているのに、いつも興味なさそうにしていて……それすごく不愉快だった」
そんな子供じみた理由でジルヴェラの物を奪い、孤立させ、絶望させたのか。
「両親の愛も、物も、友人も、そなたは我よりも持っていたではないか」
「そんなことないわ。お姉様のもののほうがいつだって輝いていて、綺麗で、羨ましかった。お姉様は必ず良い物を持っていたから、わたしも欲しかったの」
……他人のものほど良く見える、というが……。
シルヴィアはジルヴェラの持つものに執着していたようだ。
これでは同じものを持っていたとしても、ジルヴェラのものを欲しがるわけだ。
「やっとエイルリート様も伯爵家もわたしのものになったのに、お姉様のせいでめちゃくちゃだわ!」
シルヴィアが言うには、現在伯爵家は今期の社交界への出入りを禁じられているらしい。
王家主催の魔法大会で我のふりをしてシルヴィアが参加手続きをしたことが国王の耳に入り、国王はかなりご立腹なのだとか。それについてはどう考えてもシルヴィアのせいだろうに。
それでも社交界の噂は聞こえてくるようだ。
優秀な姉を虐げた伯爵家、ジルヴェラに捨てられた伯爵家、姉のふりをした愚かな妹。
ジルヴェラの婚約者をシルヴィアが奪ったことも話題になっているそうだ。
しかも、奉仕活動でのことや魔法大会の優勝の件などもあり、我の話題で持ちきりらしい。
「お姉様のせいでオルレアン公爵家にまで迷惑をかけているのよっ? 申し訳ないと思わないのっ?」
公爵家もまた、ジルヴェラの優秀さを見抜けず婚約破棄した家、と囁かれているのだとか。
地位が高いので皆、大きな声では言わないが、そういう話が流れている。
「欠片も思わんな。全て事実であり、そなた達が欲深かった結果ではないか」
「何ですってっ?」
「我を捨て、妹と婚約した男と家。姉の婚約者を奪い、家督も奪った妹。あれもこれもと欲しがり、結局、何もかもを失っている。元より、そなた達が次代の伯爵夫妻になったとしても、そう長く家は保たなかったのではないか?」
それなら、このまま伯爵家が没落しても同じだろう。
シルヴィアがキッと睨みつけてくる。
「お姉様がわたし達の思う通りに動かないから悪いのよ! 全部お姉様のせいじゃない!」
と、シルヴィアが叫ぶ。暗く静かな倉庫にシルヴィアの甲高い声はとてもよく響いた。
「シルヴィア、少し声を落とせ。誰に聞かれるか分からないんだ」
「っ、ご、ごめんなさい……わたし、つい……」
元婚約者に注意されると素直にシルヴィアは声量を落とす。
シルヴィアが元婚約者を好きだというのは気付いていたが、わがままなシルヴィアがこうも誰かの言葉に素直に従っているのは初めて見たので意外だった。
シルヴィアが黙ると元婚約者が口を開いた。
「とにかく、お前のせいで私達は非常に困った状態に置かれている」
「我に押しつけるな。己の行動の責任くらい、己で背負うべきではないのか?」
「……シルヴィアの言う通り、お前が私達の思惑通り動いてくれていれば、こんなことをする必要はなかったんだ。お前がおかしくなり、私達に反抗するようになって、全てが崩れた」
「反抗されるには、それ相応の理由がある」
元婚約者が小さく首を横に振った。
「お前の理由なんてどうでもいい。……大事なのは私達の未来だ」
……まったく、ジルヴェラはとことん人運には恵まれなかったらしい。
こんな男と結婚せずに済んだこと。あの伯爵家から出られたことのは良かった。
もしも記憶を取り戻す前のジルヴェラであれば、シルヴィアや元婚約者の思惑通りに動き、今頃は神殿か修道院に押し込められて一人寂しく泣き暮らしていただろう。
己の幸福のためなら、家族や元婚約者であってもあっさり切り捨てる考えは不愉快だ。
魔族であれば、このような考えはしない。
魔族は同胞を家族と思い、仲間と認め、喧嘩や対立をすることがあっても決して見捨てない。
……ああ、千年前に人間が嫌いだったのもそれが理由だったか……。
人間に転生して随分と薄れていたが、久しぶりに人間への怒りと不快感、嫌悪感を覚えた。
「……人間とは本当に醜い生き物だ」
どれほど容姿が美しくとも、その顔に、声に、性格が現れる。
檻の向こうに立つシルヴィアと元婚約者の顔は歪な笑みを浮かべていた。
これから何をするつもりかは分からないが、まともなことではないのは確かだろう。
「一つだけ訊きたい。……どうやって我に薬を盛った?」
我の問いに元婚約者が小さく鼻で笑った。
「簡単なことだ。神殿関係者に金を握らせたのさ。あそこは『清貧を尊ぶ』だなんて言ってはいるが、中には私腹を肥やす者もいる。そういう者達は適当に金さえ渡しておけば、どんな言うことでも聞いてくれる」
「やはり、そうか」
神殿といっても、誰もが清らかな心を持っているわけではない。
質素な暮らしに嫌気が差して、密かに金を集めて豪遊している者もいるのだろう。
元婚約者がランタンをシルヴィアに渡した。
ゴソリと元婚約者のローブが揺れ、小さな箱が取り出される。
それの上部を開けるとこちらに向けると、赤い石を使った金細工と、黒い石を使った銀細工のブローチのようなものが見えた。
「これは特殊な魔道具だ」
「ほう? どのような魔道具なのだ?」
「もちろん、教えてやる。これから赤い石のほうをシルヴィアが、黒い石のほうをお前が着ける。魔法が発動すれば、黒い石のほうがお前の魔力と属性を奪い、赤い石のほうが奪ったそれらをシルヴィアに付与する。……そうなれば、お前は魔力も属性もない、ただの無価値な平民だ」
やけに楽しそうに説明をする元婚約者の横で、シルヴィアが目を輝かせる。
「これでわたしもエイルリート様と同じ三属性持ちになれるのですね!」
「ああ、そうだ。そうすれば格も釣り合うし、ジルヴェラのこれまでの力は本当はシルヴィアのものだったと言えば、ジルヴェラに向かっていた注目は君に移る」
「まあ、素敵……!」
元婚約者の言葉にシルヴィアがうっとりとした顔をする。
箱から金細工のブローチを取ったシルヴィアがさっそく、自身の胸元に着ける。
元婚約者が銀細工のブローチを取り、箱を捨てると檻に近づいてきた。
鍵で檻を開け、中に入ってくる。
「私達のために犠牲になってくれ」
そして、ブローチが我の胸元に着けられた。




