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呪縛 / 失敗

 





 どこかぼんやりとした様子のビアンカに、我はもう一度治癒魔法をかけた。


 それから手を貸してビアンカを促せば、素直に立ち上がった。


 立会人に声をかけて後処理を任せ、様子のおかしいビアンカを連れてルシフェルの下に戻った。




「ジル様、それ・・に構う必要はありません」




 と、ルシフェルが羽虫でも見るかのような目をビアンカに向ける。




「そう言うな。この娘は恐らくシルヴィアに騙されていたのだ。元々、少し思い込みの激しいところがあるようだし、シルヴィアはあれで口も演技も上手い。経験の浅い令嬢では騙されても無理はないだろう」




 ビアンカを連れて控え室に戻る。


 近くの椅子に座らせ、我も横に座り、その背中をさする。


 戦場ではその緊張や己の間違いに気付いて心を喪う者もいた。


 黙って、しばらく背中をさすり続けていると、段々とビアンカの目に光が戻ってくる。


 ようやくその目がこちらに向けられ、視線が合った。




「わたくしは、一体……?」




 そして、ぽたりとその瞳から涙がこぼれ落ちた。




「アウレリウス侯爵令嬢よ、これまでのことを話してくれないか? 何故、我と縁を切ったのか。その後どうして、シルヴィアと親しくするようになったのか。教えてほしい」




 束の間、アウレリウス侯爵令嬢は黙ったが、目を伏せると口を開いた。




「……わたくしは、あの頃、シルヴィアからあなたについて相談を受けて──……」




 アウレリウス侯爵令嬢の話は、やはり予想通りだった。


 我が伯爵家を継ぐことも、元婚約者との婚約も、長子の我が無理やりそうさせたという。


 長子だから家を継ぐのは我だと主張し、公爵家との婚約もシルヴィアが元婚約者を好きだと理解していながらわざと奪った。そしていつも装飾品は我が最初に使い、シルヴィアは我のお古を使わされていた。家では酷い言葉をかけられたり、叩かれたりしたこともある。


 そう、アウレリウス侯爵令嬢に相談していたらしい。




「当時、あなたが着けていた装飾品を、シルヴィアが後で着けていたから……」




 それでシルヴィアの言葉を信じてしまったらしい。




「その件については逆だ。我は昔から買ったものや贈り物をシルヴィアに奪われてきた。装飾品も、我が着けたものに執着して欲しがり、泣いて両親にわがままを言って、両親が我から取り上げたものをシルヴィアに与えていたのだ」


「そんな……じゃあ、シルヴィアが後で着けていたものは……?」


「我から奪ったものだ。まあ、シルヴィアのことだから『姉は一度着けたものは二度とつけない』とでも言ったのだろう? 我はシルヴィアに奪われてしまったものをもう一度着けることはできなかった」




 アウレリウス侯爵令嬢の顔色がみるみる青くなっていく。


 己が信じた正義が、実は他人に騙されて作られたものだと気付いた時の衝撃はどれほどのものか。


 アウレリウス侯爵令嬢の水色の瞳から、止まっていた涙がまたあふれてくる。


 ハンカチでそれを拭ってやることしか我にはできない。




「ごめんなさい……ごめんなさい……っ」




 結局、アウレリウス侯爵令嬢はシルヴィアに良い様に扱われていただけだった。


 我を困らせるために──……もしかしたら、死んでも良いと思ったのかもしれない。


 侯爵令嬢を唆して我に決闘を申し込ませたのだろう。




「しかし、どうして決闘などという手段に出たのだ? 我を困らせるための嫌がらせなら、他にいくらでもやりようはあったと思うが……」


「……決闘はシルヴィアの案よ。でも、今思えば、あの子はわたくしのことをよく知っていたから、きっと、わたくしの不満や卑屈になっているところを上手くつついて、利用しようとしたのね……」




 侯爵令嬢が話してくれたが、彼女は『女であること』『姉であること』に劣等感を抱いていたようだ。


 三歳下の弟は『男だから』という理由だけで侯爵家の跡取りとして両親から愛され、優先され、当主となるべく教育の水準も高い。長子なのに、魔法においても弟より優秀なのに『女だから』『姉だから』という理由で侯爵令嬢はいつも我慢を強いられ、家を継ぐことも許されない。


 そんな悩みや不満、苦しみの中、シルヴィアに相談をされて同情してしまったらしい。


 もしかしたらシルヴィアの話を聞いて、侯爵令嬢は『仲間』と勘違いしたのかもしれない。


 そして、彼女はシルヴィアに自分を重ねた。




「わたくしは多分、シルヴィアに『わたくしの代わりをさせたかった』のかもしれないわ。……わたくしは家を継げないけれど、助けたシルヴィアがあなたを追い落として家を継ぎ、好きな人と結婚すれば、少しはわたくしのこの苦しみが報われるのではと……そう思ってしまったの」




 ふ、と侯爵令嬢が自嘲の笑みを浮かべた。




「でも、もういいわ。……わたくしはどうせ、お父様の決めた相手と結婚するしかないのだもの。今回の件で『侯爵家の名に泥を塗った』とお父様に叱責されるのは確かだわ。わたくしも愚かだった。……結局、こんなわたくしでは家を継ぐなんてありえなかったのね」




 俯いた侯爵令嬢の横顔は悲しげで、苦しげで、思わず抱き寄せていた。




「もし、どうしても逃げ出したい時は自ら選択すれば良い。大神殿に身を寄せ、神に仕える道を選ぶことはできる。裕福ではないし、仕事もするし、貴族の暮らしはできないが……それでも己の責任で道を選び、進むことはできるだろう」


「自分の道を選ぶ……」


「だが、その道も今と同程度の苦難が待ち受けているかもしれない」




 侯爵令嬢が顔を上げて、我を見た。




「……あなたはすごいわね。そうだと分かっていて、その道を選んだのでしょう?」




 それに我は苦笑を返す。




「そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。我自身、この道が正しいのかも、この道の先がどうなっているかも分からぬ。しかし、殴られ続けるのはもうやめたのだ」




 立ち上がり、侯爵令嬢に手を差し出す。




「人生で何かを行うのに『遅い』ということはない。失敗して後悔することはあっても、前向きに何かを成したいと思う時、それを行動に移すのに『遅すぎることはない』のだ」




 侯爵令嬢が我の手と顔を交互に見て、最後に見上げてくる。




「ごめんなさい……酷いわがままだけど、虫の良い話だけれど……わたくし、あなたとまた友達になれるかしら……? 今度はきちんとあなたを見て、知って、信じたい……」


「そんなことか。では、もう一度友人になろうではないか」


「……いいの?」




 その言葉には『あんな酷い態度を取ってきたのに』『決闘を申し込んだのに』という気持ちが透けて見えて、我は思わず笑ってしまった。




「嫌なら、こんなことは言わぬ。誰にでも失敗はあり、我はそなたを許す。それだけのことだ」




 もう一度、侯爵令嬢に手を差し出せば、今度はそっと彼女の手が重ねられる。


 それをしっかりと握り、引っ張り立たせる。




「ビアンカよ、前を向け。そなたは簡単に手折られるような花ではあるまい?」


「……ふふっ。わたくしに勝ったあなたがそれを言うの?」


「勝ったからこそ言えるのだ。そなたは強い。きっと、この先もっと強くなるだろう」




 侯爵令嬢──……ビアンカが微笑み、ギュッと手を握り返してくる。




「ありがとう、ジルヴェラ」




 彼女の未来はこれからもつらく、苦しいものかもしれない。


 それでも、きっとビアンカならもう俯かないだろう。


 前を向いて、しっかりと地を踏み締めて、凛と咲き誇る花のように生きていく。




「今回の件、全てお父様にお話しするわ。伯爵家も巻き込むことになってしまうけれど……」


「構わん。もう我の関わる話でもないのでな、あの家については好きにやってくれ」




 それにビアンカが「ええ、分かったわ」と笑みを浮かべる。


 バラのように美しく、華やかで、今までで一番の明るい笑顔だった。






* * * * *






「ああもう、使えないんだから……!」




 王城の決闘場から、馬車で伯爵邸に戻りながらシルヴィアは爪を噛んだ。


 ビアンカ・アウレリウス侯爵令嬢は姉からもらったお友達・・・だった。


 弟に劣等感を抱き、自分は正しく評価されないと嘆いていて、そこを刺激するような話をしてやれば、簡単にシルヴィアを信じて姉との縁を切った。単純で可愛い、都合の良いお友達・・・


 今回も上手くそこをつついて姉と決闘をするように仕向けた。


 ビアンカは風・水・土の三属性持ちなので、きっと姉に勝てるだろうと思った。


 治癒魔法しか使えない聖属性単一の姉はボロボロになって、負けて、あの堂々とした自信に満ちあふれた表情も消える。そしてきっと大神殿に逃げ帰って引きこもる。


 最近流れていた姉に関する噂も『決闘に負けた令嬢』というものに変わる。


 ちょっと治癒魔法が上手なだけなのにみんなから褒められるなんてずるい。


 姉は聖属性しか持っていないのだから、それが得意なのは当たり前なのに。


 しかし、ビアンカに負ければ『やっぱり聖属性は大したことがない』で終わるはずだった。


 ……それなのにビアンカのほうが負けるなんて……!




「これじゃあ、お姉様の評価が上がっちゃうじゃない……!」




 姉の評価を下げるつもりだった計画が、逆に姉に追い風を与えてしまった。


 きっと今日の決闘の話は社交界で広がるだろう。


 六属性最弱の聖属性しかもたない姉が、三属性持ちのビアンカに勝った。


 それも、あれは圧勝だった。姉はビアンカから攻撃されても一歩も動かず、その障壁が壊れることもなく、聖属性魔法だけで勝ってしまった。


 聖属性は治癒魔法か障壁魔法くらいしか役に立たないと思っていたが、まさかあんなに強い攻撃魔法もあるなんて。この決闘と大神殿での姉の奉仕活動で、聖属性に対する考え方も少しずつだが変わってくるかもしれない。


 みんなが姉の声に耳を傾けるようになったら、シルヴィアの居場所がなくなってしまう。


 もっと多くの人の前で確実に姉の評価を下げ、聖属性が弱いと再認識させる状況を作らなければ。


 ……そうしないと、お父様達まで考えを変えてしまうかも……。


 もし両親が『ジルヴェラは優秀だった』と思い直し、姉を連れ戻そうと考えたら、シルヴィアはどうなってしまうのだろうか。両親は姉にも優しくして、シルヴィアを二番扱いするのだろうか。


 ……そんなの絶対に嫌!!




「わたしが一番でないとダメなの……そうじゃないと、またお姉様に取られちゃう……」




 せっかく手に入れた婚約者エイルリートも、伯爵家も、もう失いたくない。


 馬車の中で、何か良い案はないかと考えていれば、不意に車窓の外の景色が目に入った。


 いくつかの垂れ幕と共にポスターが壁に貼られていた。


 ほんの一瞬しか見えなかったが、毎年行われる魔法大会の開催時期を告げるポスターだった。


 魔法大会は年に一度開催されるもので、魔法が使えるなら誰でも参加できる。


 予選、本戦と勝ち進み、優勝すれば賞金と共に宮廷魔法士として迎え入れられる。それ以降の二位と三位も宮廷魔法士の打診をかけられるそうで、己の才能に自信を持った者達が参加する。


 毎回出場している者もいれば、他国から成り上がりの夢を見て参加する者もいて、いつも盛り上がっていた。去年は母と共に見に行ったけれど、なかなかに面白かった記憶がある。


 ……でも、今年は見に行けないわ……。


 父は忙しそうで、母は引きこもっていて、エイルリートなら一緒に見に行ってくれるかもしれないが、先日再会した時はどこか余裕がなさそうな様子でピリピリしていたから今はあまり会いたくない。


 一人で行くなんて恥ずかしくて嫌だし、誘ってくれる相手もいない。


 こちらから誘ったら友人は来てくれるかもしれないが、姉の話をされるのは確実だろう。


 …………あら?


 ふと、考える。魔法大会と姉。大勢の魔法使い達が戦う場。




「……そうよ、お姉様を参加させればいいんだわ!」




 幸い、姉と自分は容姿がよく似ている。


 髪型を変え、化粧で印象を姉に寄せれば、よほど親しい相手でなければ見分けなどつかない。


 シルヴィアが姉のふりをして、姉の代わりに参加手続きをすればいい。


 あとは参加許可証が発行されて、それが姉の下に届けば、姉は参加せざるを得ない。


 魔法大会は一度許可証が発行されてしまうと、それを取り消すことはできないのだ。




「すごく良い考えだわ……!」




 魔法大会にはより多くの観客が来る。


 そして、きっとビアンカよりも強い魔法を使える人々が参加する。


 聖属性しか扱えない姉が勝てる相手ではない。最初は勝てたとしても、どこかで負ける。


 自ら出場した魔法大会で派手に負ければ、今日の決闘の話もすぐに塗り替えられるだろう。


 たまたまビアンカに勝っただけで、やはり聖属性持ちは弱いのだと、姉に価値などないのだと、みんなが思い直してくれる。そして相反する珍しい二属性持ちのシルヴィアに目を向けてくれる。




「確か、お姉様はドレスを置いていっていたわよね?」




 姉のドレスを着ていけば絶対に気付かれることはない。


 全部持っていけば良かったと後悔しても、もう遅い。


 姉は昔から、そういうところがちょっと抜けていて、詰めが甘いのだ。




「ああ、神様……! どうか、お姉様の本当の価値にみんなが気付きますように……!」




 シルヴィアとそっくりなのに、シルヴィアよりも価値のない姉。


 そう知れ渡れば、今度こそシルヴィアは社交界で輝けるのだ。






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「ああ、神様……! どうか、お姉様の本当の価値にみんなが気付きますように……!」 シルヴィアちゃん。 その祈りは、近いうちに叶うと思うよ。 ただ、予想している通りには、ならないだろうな…。 ┐(´…
『人生で何かを行うのに『遅い』ということはない。失敗して後悔することはあっても、前向きに何かを成したいと思う時、それを行動に移すのに『遅すぎることはない』のだ』 今節ではこのジルヴェラの言葉にグッとき…
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