決闘
茶会から数日後、我はルシフェルと共に王城に向かっていた。
貴族の決闘は公的に認められたもので、決闘を申し込み、受けた場合、王城の決闘場が開かれる。
そして王家公認の立会人の下、決闘が行われる。
決闘は剣や魔法、全ての使用が許されるが、正々堂々とした戦いが求められる。
卑怯な方法で勝っても立会人に認められずに負けとなる場合もあるそうだ。
……まあ、我は聖属性魔法で正々堂々と戦うつもりだが。
「アウレリウス侯爵令嬢ですが、どうやら風・水・土の三属性持ちのようです」
ルシフェルの言葉に「ほう?」と思わず感心の声が漏れた。
「王族や公爵家ならばともかく、それ以下で三属性持ちは珍しいな?」
「曽祖母が王女だったそうです」
「なるほど、王族の血が濃いならば当然か」
しかし、三属性持ちとの決闘とは都合が良い。
一属性の最弱と呼ばれる聖属性持ちの我が、王家の血筋を引く三属性持ちに勝ったとなれば、聖属性への考え方も変わるだろう。ここは手心を加えずに戦うべきだ。
「ジル様が負けるとは思えませんが、お気を付けください」
「ああ、分かっている」
決闘は一対一の戦いだが、たとえば事前に魔道具を装備していたり、魔力量を増やす薬を飲んだりといったことは準備として許されているため、相手が予想外の戦い方をしてくる可能性もある。
「戦場で気を抜くことはない」
戦場では気を抜いたり、相手を甘く見たりしている者から死んでいく。
千年前も、今も、それをわすれたことはない。
馬車が王城の敷地内に入り、美しく整えられた道を抜けて決闘場に行く。
目的地に着き、馬車が停まった。予定時間より少し早めに来たのだが、既に決闘の話を聞きつけた貴族達が集まっているようで、馬車から降りると外にいても決闘場の中が賑わっているのが聞こえてくる。
決闘場の入り口から中に入れば、王城の騎士に声をかけられた。
「ジルヴェラ・ドレヴァン伯爵令嬢ですね?」
「ああ、そうだ。後ろにいるは上級司祭で、我の後見人のようなものだ」
「では、時間まで控え室にてお待ちください」
納得したのか騎士は一つ頷き、控え室に案内される。
さすがに決闘相手とは別の部屋のようで、室内には誰もいなかった。
「今更ですが、修道女の装いのままでよろしいのですか? 華々しい場面こそ、それ相応の装いのほうが人々の注目を集めるのでは……」
「それも考えたが、修道女の装いは余計なものを身に着けられないだろう? 我自身の力だけで、一属性が三属性に打ち勝つということが重要なのだ。それにこの装いのほうが聖属性らしくて良いではないか」
「その装いをお気に召されたのですね」
「うむ」
修道女の装いは動きやすく、質素で、なかなかに品がある。
何より、ドレスよりもこちらのほうが目立つだろう。
部屋の扉が叩かれ、騎士が顔を覗かせる。
「お時間です」
という言葉に頷き返す。
ルシフェルを伴い、部屋を出て、騎士の案内で廊下を進む。
廊下の先に突き当たる前に騎士が振り返った。
「ここより先はドレヴァン伯爵令嬢のみ、お進みください。後見人の方はこちらでお待ちを」
「分かりました」
ルシフェルが立ち止まり、我を見る。
「ジル様、どうぞお楽しみください」
ご武運をと言わないところにルシフェルの絶対的な信頼を感じた。
我が勝つと信じて疑わない心。負けるなどありえないという余裕がある。
「ああ、久しぶりの戦いなのでな。そうさせてもらうとしよう」
そして、決闘場に進み出た。
円形の決闘場は上から見下ろせるように観客席が配置され、下に舞台がある。
先に侯爵令嬢が来ており、我が舞台に上がると貴族達の視線が注がれる。
侯爵令嬢の装いを見て、少し呆れてしまった。
戦場には似つかわしくない。華やかで目立つドレスを着ていた。
いくら魔法で戦うつもりだったとしても、もう少し動きやすい装いというものがあるだろう。
逆に侯爵令嬢はこちらの姿を見て眉根を寄せた。
「そんな格好でわたくしと相対するおつもり?」
「今の我は大神殿の修道女の一員なのでな。それに、戦場で派手に着飾る意味はない」
「っ……!」
侯爵令嬢の苛立った気配を感じたが、無視して立会人に声をかける。
裁判官のような裾の長い法衣をまとった男性だ。
「いつでも開始するがいい」
「侯爵令嬢、準備はよろしいですか?」
「わたくしもいつでもよろしくてよ」
そして立会人が舞台から下り、我と侯爵令嬢が舞台の上で互いに距離を置いて向かい合う。
侯爵令嬢から感じる敵意とシンと静まり返った空気に懐かしさを覚えた。
千年前の張り詰めた戦場の空気を思い出す。
我にとっては少し前の出来事だが、懐かしく感じるとはおかしな話である。
「ビアンカ・アウレリウス侯爵令嬢とジルヴェラ・ドレヴァン伯爵令嬢の決闘を開始する!!」
立会人の声がよく響く。
心を落ち着けるために深呼吸を一つして、目を閉じる。
「それでは──……始め!!」
目を開けるのと同時に、魔力を解放した。
* * * * *
ぶわりと吹いた風と肌を焦がすような感覚にビアンカ・アウレリウスは驚いた。
一瞬、身を引きそうになったのを何とか押し留める。
しかし、体が僅かに震えてしまった。
……これは一体、何……?
まるで足元の地面が抜けていくような、言い知れぬ恐怖と不安が全身に広がっていく。
目の前にいるのは、あの陰気で、双子の妹を虐げ、伯爵家を窮地に立たせているジルヴェラだ。
数年前、シルヴィアが茶会の隅で密かに泣いていたのをビアンカが見つけた。
その時、シルヴィアからジルヴェラに虐められ、いつも酷いことを言われ、自分のものはいつだって姉に奪われてしまうのだと言っていた。
最初はそれに疑念を感じていたが、ジルヴェラが着けていた髪飾りや装飾品をシルヴィアが後日着けてくるということが多く見受けられ、それについてシルヴィアが悲しそうな表情で言うのだ。
『装飾品はお姉様が最初に着けないといけないの。わたしはその後でないと、お姉様が酷く怒るから……』
つまり、ジルヴェラが装飾品を先に一度着けてからでないと、シルヴィアはそれを使えない。
シルヴィアに贈られたものでもそうらしく、しかも、ジルヴェラは一度着けた装飾品を繰り返し使わず、要らなくなったものをシルヴィアに押しつけているのだとか。
それを知った時、感じたのは失望と怒りだった。
ビアンカは侯爵家の令嬢で、長女だが、二歳下の弟がいる。
侯爵家はいずれ男である弟が継ぐ。ただ、男であるだけで当主になれる。
ビアンカがどれほど勉強をしても、どれほど礼儀作法や社交に力を入れても『女だから』当主になれないし、両親は男の弟ばかりを優先する。ビアンカは姉なのにいつだって二番扱いだった。
シルヴィアも同様につらい思いをしていると思うと許せなかった。
ビアンカはジルヴェラに自身の立場のつらさや、弟との微妙な関係も伝えていた。
それを知っていて、シルヴィアを虐げ、平然とビアンカと親しくしている。
そう思うと、ジルヴェラのことが憎らしくてたまらなかった。
……わたくしを騙していたくせに!
ジルヴェラとの交友を断ち、その後はシルヴィアと親しくすることにした。シルヴィアは少し抜けているところがあり、貴族にしては素直すぎるけれど、同じ傷も持つ者同士だからか気が合った。
そんなシルヴィアがデビュタントを失敗した。
少し体調を崩してしまい、その夜会には出られなかったのだが、伝え聞いた話は様々だった。
ジルヴェラに同情的な声は多かったけれど、シルヴィアを虐げていたジルヴェラが両親から粗雑な扱いを受けるのは当然の対応だ。婚約者の件に関しても、元はシルヴィアと婚約する予定だった相手をジルヴェラが長子だからと奪っていったシルヴィアが言っていたので、婚約破棄となったのは自然な流れだと感じていた。
そうして、久しぶりに会ったジルヴェラはすっかり変わっていた。
以前のような陰気さは消えたものの、傲慢で自信に満ちあふれている。
……シルヴィアを虐げて、家を困らせて、喜んでいるなんてどうかしているわ!
「『風よ、大地を駆ける大いなる獣となりて、我が敵を喰らえ!』」
魔力の消費と共にゴウッと強風が吹き荒れ、ジルヴェラに襲いかかる。
……その自信、粉々にしてあげる!
そしてシルヴィアや伯爵家にした行いを後悔させるのだ。
しかし、スッとジルヴェラがこちらに手をかざした。
「『光よ、我を守り給え』」
瞬間、ジルヴェラの周囲に半球形の障壁が生まれ、風の刃が弾かれる。
「っ、『土よ、彼の者の大地を揺らせ! 水よ、鋭い槍となりて我が前の敵を貫け!』」
ジルヴェラの足元を崩して意識が逸れた隙にいくつもの水の槍を一箇所に集中的に当てる。
魔法の教師ですら降参した、ビアンカの得意技だ。
「『風よ、氷柱よ、荒れ狂う嵐となりて彼の者を切り裂け!!』」
弱ったところに大量の氷柱を伴った風の嵐をぶつける。
……これなら障壁も壊れるはず!
風と氷の嵐が晴れると、そこには最初と変わらない様子でジルヴェラが立っていた。
「……う、嘘……」
ビアンカの得意な、そして最も強力な攻撃を重ね合わせたはずなのに。
自信に満ちあふれた笑みを浮かべ、ジルヴェラが問いかけてくる。
「終わりか? ……では、今度は我の番だな」
全く焦った様子もなければ、苦しんでいる様子もない。
それどころかどこか楽しそうな表情にゾッとした。
「『光よ、雷鳴となりて槍を成し、我が前の敵を滅ぼせ』」
ジルヴェラの手の上で青白く眩く輝く槍が出来上がる。
それに慌ててビアンカも詠唱を行った。
「『土よ、壁となりて我を守り給え!』」
目の前に分厚い土壁が持ち上がった瞬間、バリバリバリッと派手な音がして土壁が真っ黒に焦げた。
ボロボロと崩れていくそれは、もはや炭に近い。あれをまともに受けていたら死んでいただろう。
「ふむ……これでもまだ強すぎるか」
ジルヴェラの楽しそうな声に嫌な予感がした。
「『光よ、柔らかな雷鳴となりて彼の者に降り注げ』」
「『土よ、我を守り給え!!』」
とっさに頭上を土で覆えば、小さいものの、雷の落ちる音が響き渡る。
細い雷がいくつも舞台の上に降り注ぐのが見えて、何度も頭上に土壁を増やす。
増やしても、増やしても、増やしても、土壁が崩れてきて土がかかる。
……ジルヴェラに負けるのだけは嫌よ……!
けれども、魔力の消費と共にドレスが土で汚れていく。
これほど多くの雷を落としているのにジルヴェラの表情は全く変わらず、余裕そうだ。
「っ、あなたなんかに、負けないわ……!」
ジルヴェラと目が合い、ニコリと微笑み返される。
そして、ジルヴェラが詠唱を行った。
「『光よ、小さき障壁となりて我が手に宿れ』」
ジルヴェラの手の先に人の頭ほどの小さな障壁魔法が展開される。
そんな小さなもので一体、何をするつもりなのかと見た次の瞬間、体が吹き飛ばされた。
悲鳴を上げる間もなく、舞台の外に放り出され、地面に強くぶつかって落ちた。
全身の痛みと衝撃、熱さ、苦しさ、そして理解の及ばない状況に頭が混乱している。
「む……これも少々やりすぎか」
コツコツと小さな足音が、静まり返った決闘場によく響く。
痛む体を動かして顔を上げれば、目の前にジルヴェラがいた。
こちらに手がかざされ、死ぬ、と思った。
……いや、嫌……っ、死にたくない……!!
決闘には二通りの結果がある。
片方が負けを認めての勝敗と、片方が死ぬことによる勝敗。
最近は少なくなったとはいえ、決闘で死人が出ることは珍しくない。
だが、立会人が止める気配はなく、このまま魔法を放たれれば確実にビアンカは死ぬだろう。
「っ……!」
それでも負けを認める言葉だけは言えなかった。
己の矜持がそれを認めたくなかった。
認めてしまったら、これまでの自分を否定するようなものだと思った。
いつだって『姉だから』『いずれ嫁ぐ身だから』と言われ、育ってきた自分をシルヴィアと重ね、ジルヴェラに必要以上に怒りを感じていることは理解できていた。全てが私情だと分かっていた。
「『光よ』」
ジルヴェラの言葉にギュッと目を閉じる。
死ぬとしても、痛いのだけは嫌だった。
「『彼の者を癒し、その苦痛を和らげ、心を鎮め給え』」
ふわりと温かく柔らかなものに包まれる感触に驚いて目を開ける。
「え……?」
先ほどまで感じていた痛みや熱、苦しさが一瞬で消え去り、体が軽くなる。
呆然としていると目の前に手が差し出された。
「立てるか? すまない、慣れない魔法でやりすぎた」
と、少し困ったような笑みを浮かべてジルヴェラがビアンカの顔を覗き込んでくる。
「どうして……わ、わたくしを殺さないの……?」
「ん? 殺すつもりは最初からなかったが?」
「でも、あの雷魔法は……」
「もちろん、当たれば大怪我を負ったであろうな。その時も、我はこうして治癒魔法で治すつもりであった。……我らの戦いは神聖なもの。そもそも、そなたがシルヴィアや伯爵家のくだらぬ誇りのために命を懸ける必要はない」
差し出された手が、ビアンカの手を取り、引き起こされる。
「シルヴィアが何を言ったか知らんが、そなたはアレに都合良く操られているだけだ」
「操られてなんて──……」
そこまで言いかけて、ビアンカは言葉を失った。
……どうしてわたくし、こんなに必死になっていたの……?
シルヴィアが泣いて、哀れで、そしてそこに昔の自分を重ねていた。
ジルヴェラに勝てば、自分の気持ちが少しは軽くなるのではと思った。
弟ばかり優先する両親。ただ男だったという理由だけで家を継げる弟。
どんなに努力しても『女だから』という理由だけでビアンカの意思も頑張りも無視される。
けれど、それはビアンカの問題であって、シルヴィアと伯爵家の問題の彼女達のもので。
ここでビアンカがジルヴェラを負かしたとして、それが本当に正しいことなのだろうか。
そもそも、この決闘はシルヴィアが『姉に自分達のつらさを思い知らせてやりたい』と言ったから、同情して、力になってあげたいと思ったから。変わってしまったジルヴェラに苛立ったから。
「まだ戦うか?」
戦う理由が見当たらなくなり、ビアンカは愕然としながら呟いた。
「……ないわ……」
何より、ジルヴェラはずっと手加減をしてくれていた。
ビアンカが傷付けようと、最悪、死んでもいいと思って本気で戦っていたのに。
「……わたくしの負けよ……」
……どう足掻いても敵わない。
立会人の「勝者、ジルヴェラ・ドレヴァン伯爵令嬢!」という声が響き渡る。
ビアンカはただ、その声をぼんやりと聞くことしかできなかった。
* * * * *




