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生い立ち


 その翌日。

 白玖は約束どおり、プリンを持ってきた。初めてのプリンは、不思議な食感だった。とろとろしていて、濃厚で美味しい、と思った。

 橘花は白玖とともにプリンを食べながら、話をしていた。

「――珠ですか?」

「あぁ。あの子はどうだ?」

「どうもなにも……」

 橘花はプリンを食べていた手を止め、考える。

「珠はまだ幼いし、メイドになって間もないから、いろいろ粗相もあるかと思う。なにかあったら遠慮なく言ってくれ」

 その言葉に、ふと疑問が浮かんだ。

「……気になったのですが。珠を指名したのは、旦那さまですか?」

 橘花は、贄とはいえ表向きは花嫁である。

 べつに、珠に不満があるわけではないが、次期当主の花嫁に付くのが新米のメイドというのは、どうなのだろう。

 橘花は世間一般のふつうというものを知らないが、それでも違和感を抱かずにはいられない。

 橘花の疑問に、白玖は気まずそうな顔をした。

「……いや、最初はメイド長に頼んだんだが、本人の強い希望があったとかで珠に変更したんだ」

「珠の希望?」

「あぁ」

「…………そうですか」

 橘花は呟く。

「珠では不満か? やっぱり、メイドは変更したほうがいいか?」

 白玖が変に気を回したので、橘花は慌てた。

「いえ。珠はよくやってくれています」

「そうか。なら、なんだ?」

「……いえ、その……」

 橘花は唇を引き結んだ。

 珠について、ひとつだけ思うことがある。だが、これは聞いて良いものか。

「……珠は、両親に売られたと聞きましたが」

 白玖は神妙な面持ちで、橘花に訊ねた。

「……珠が言ったのか?」

「違うのですか?」

「……珠が来たのは二年くらい前だが、売られたというよりは、こちらが買い取ったというほうが正しい」

「買い取った?」

「あぁ。珠はずっと、母親から虐待を受けていたみたいでな。出会った頃、珠は痩せ細っていて、餓死寸前だった」

 橘花は目を伏せる。

「虐待ということですね。両親ともにですか?」

「母親からだ。父親は愛人のところへ行ったっきり、ほとんど家に帰らなかったようだ。見かねて、笠屋敷家で引き取ることになった」

「……これは、あくまで憶測ですが。もしかして珠は、メイドたちと上手くいっていないのではないでしょうか」

「メイド同士か……」

 珠は、橘花よりみっつ歳下の十四歳の少女である。

 珠は最初、びくびくと仔うさぎのように怯えていた。

 それについて、橘花はなにも違和感を抱かなかった。怯えられるのがふつうだったからだ。

 だから珠も、毒を持つ橘花に怯えていたのだと思っていた。

 けれど最近は、違うのではないか、と思い始めた。

 あれは、橘花に怯えていたのではなく、大人の女性に怯えていたのではないだろうか、と。白玖の話を聞く限り、珠は白玖に怯えてはいないようだし。

「……なんて、さすがに考え過ぎでしょうか」

「いや」

 白玖は首を振る。橘花は続けて口を開いた。

「……珠の腕には、生まれつき痣がありますか?」

「痣?」

「はい」

 白玖は怪訝そうに空を見上げた。

「いや……身体まではあまり記憶にないが……珠のことは、メイド長に任せていたからな」

「メイド長……」

「珠に痣があるのか?」

「はい。珠は生まれつきだと言っていたのですが、どうも気になってしまって」

 橘花はためらいつつも続ける。

「……珠は最初、私に怯えていました。最初は私が毒を持っているから恐ろしいのだろうと思っていましたが……そのわりに、焼き菓子ひとつで簡単に私に懐いてくれましたし」

「……まぁ、珠にとっては満足に食べられなかった頃の記憶はまだ生傷として残ってるだろうからな」

「ですが、もしそうだとしたら、なおさら珠は大人の女が怖いのではないでしょうか?」

「それはそうだが……」

 白玖は考え込んだ。

「贄である私が、やすやすと口を出すことではないと分かっています。でも……」

 でも、と橘花は唇を噛み締める。

 珠との会話は、今の橘花にとって数少ない癒しの時間となっている。

 けれど、橘花はもうすぐいなくなる。

 そうしたら、残された珠はどうなるだろう。

 また、今までの生活に戻ることになる。そうなれば、またメイドたちと過ごす時間が増える。

 もし、珠が彼女たちから虐げられていたとしたら。

 考えるだけでも胸が締め付けられた。

「橘花。珠を心配する気持ちは分かる。でも、正直俺は今、珠のことを気にかけてやる余裕はない。俺はまず、橘花を助けたい」

 橘花は押し黙る。

 実家にいた頃も、メイド同士の諍いは絶えずあった。そのせいでメイドをやめていった者も、心を病んだ者も、自ら命を絶った者もいた。

 橘花の父は、メイドなどいくらでも代わりはいると言って気にも止めていなかったし、実際、橘花もどうでもいいと思っていた。

 あの頃、橘花はひとのことに無頓着だった。

 でも、今は違う。

「私は……心の中に箱があります」

 白玖が顔を上げた。

「箱?」

「じぶんで、じぶんを生かすための箱です。ほんのちょっとした嬉しかったこととか、気になったこととか、好きだと思ったものを心の箱に詰めたりして、この世に未練を残してきました。そうでないと、生きていられなかったので」

 白玖は黙って耳を傾けている。

「父にこの屋敷の花嫁になれと言われたとき、悲しくはありませんでした。だれかの役に立って死ねるのなら、このまま飼い殺されるよりずっといい。それまで必死に貯めていた箱の中の宝物はすべて無駄になってしまったけれど、それでも、家族のために私ができることはこれしかないから。だから、この運命を受け入れなきゃいけない。必死に、言い聞かせていました」

 でも。嫁入りしたその日、橘花は出会ってしまった。白玖や、珠に。

 橘花は涙を滲ませて、白玖に訴える。

「あなたが助けるだなんて言うから……贄として迎え入れたくせに、八日後の話なんてするから……」

 今まで貯めてきた箱の比にならないくらい、未練ができてしまった。生きたいと思ってしまった。

「だから私は、無理だと分かっていても、あなたに、命を預けたいと思った」

「……橘花」

「私は、おろかですか……?」

 なぜなら、嫁入りから七日過ぎて、生きていた花嫁はいない。そのことを考えるならば、おろかとしか言いようがない。

「…………」

 言葉を詰まらせた橘花に、白玖は強い口調で告げる。

「そんなことはない。俺は、言葉だけで終わらせるつもりはない。橘花のことは、俺が必ず助ける」

 そうであればいいと、切に願う。

 だが……だが。

 もし。もしも、あと四日で死ぬとしたら。

「珠は……初めて、私に笑いかけてくれた子です。彼女を助けたいと思うのは、間違いですか?」

「…………いや」

 せめて、珠の居場所だけは作ってから死にたいと思った。

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