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 笠屋敷家へ嫁入りして二日目の朝が来た。

 目を覚ますと、白玖はいなくなっていた。

 橘花はよろよろと身体を起こす。

 ――いつ帰ったんだろう……。

 いや、白玖が来たと思っていたのは、橘花のただの夢だったのではないか。部屋を見て、そう錯覚してしまいそうになる。

 とはいえ、橘花は悪夢以外の夢を見たことがなかったが。

 ベッドサイドのテーブルにちょこんと置かれた紙袋を見つめ、ぼんやりしていると、扉から声がかけられた。

「失礼いたします、奥さま」

 珠の声だった。

「あ……はい、どうぞ」

 返事をすると、珠が扉を開けて入ってきた。手には盆を持っている。

「お食事をお持ちしました」

「ありがとう」

 橘花が礼を言うと、珠はぽっと頬を染めて、嬉しそうにした。昨日より怯えていない。少し慣れてくれたようだ。

 しかし、珠が持ってきてくれた食事に手を付ける気にはなれなかった。

 朝、起きてから橘花は、食欲を失っていた。

 実家を出る前、父から聞いた話を思い出す。

 父の話によると、笠屋敷家の呪いは嫁入りしたその日から花嫁を蝕むという。

 食欲不振、倦怠感と続き、歩行不良、発熱を経て寝たきりとなるのだとか。

 七日目には、全身が引きちぎられるような痛みで、意識混濁の中死に至ると資料には残されているという。

 沼池の中央にいるような気分だ。もがけばもがくほど、ずぶずぶと中に飲み込まれていくような。

 けれど、手がある。白玖だ。沼池の中央にいる橘花に向かって、まっすぐに白玖の手が伸ばされている。

『八日後、必ずこうして顔を合わせて話そう』

 八日後の話なんて、されると思わなかった。

『婚儀はそれまで延期とする』

 婚儀の話もそうだ。まるで、呪いを解いたあと、やろうとでもいうような。

『また顔を見に来る』

 死を受け入れるな、と言われているような気がした。

 そんなことを言われても、贄の花嫁として嫁いだ橘花に、呪いはどうしようもない。

 そう思う反面、差し出された手に縋りつこうとするじぶんもいることを、橘花は自覚していた。

 いたずらに差し出された手は、橘花にとって、なにより残酷な光に映った。

 望みを知らなければ、こんな恐怖は知らずに済んだ。

 今は食欲不振だけ。倦怠感も歩行不良も発熱もないが、死の影がひたひたと迫っているのはたしかに感じる。

 ――怖い。

 迫る死の恐怖も相まってか、それとも、そのぬくもりに触れるのが怖かったからか。白玖がくれた焼き菓子は、とても食べる気にはなれなかった。

 ぼんやりとその紙袋を眺めていると、ふと、昨日の夕食に出た水まんじゅうを羨ましそうに見ていた珠の顔を思い出した。もしかしたら、甘いものが好きなのかもしれない。

 ……あげたら、喜ぶだろうか。


 おそらく、珠が橘花に心を許したきっかけはその焼き菓子だった。

 案の定、焼き菓子をあげると、珠は瞳をきらきらと輝かせて、それを受け取った。

 こんな高級な焼き菓子を食べるのは初めてなのだと言って無邪気に笑っていた。

 その笑顔があまりに可愛かったものだから、以来橘花は食事に甘味が出たら珠にやろうと思った。

 それから、珠は橘花にも屈託のない笑顔を見せるようになった。

 珠は素直で可愛らしい少女だった。そして、慣れるととてもおしゃべりな子だった。

 二年前、親に売られて笠屋敷家に来てから、仲良くしてくれるメイドはおらず、寂しかったのだという。

「メイド同士で仲のいい子はいないの? 珠は元気だから、可愛がられるでしょう?」

 何気なく訊ねると、珠はそれまでの華やかな声から一転、か細い声で言った。

「……いえ、お姉さまがたは、私よりずっと歳上ですし……私、お仕事の覚えも悪いから」

「そうなの? ここでは、とてもしっかりやってくれているのに」

「えっ! そ、そうですか?」

「うん。私の会話にもちゃんと答えてくれるし……私は、珠がメイドになってくれてよかったよ」

「そっ……そんな……えへへ」

 珠は照れたように笑いながら、手を握ったり開いたりしている。

 可愛らしい。

 もし妹がいたら、こんな感じだったのだろうか、と微笑ましくその様子を眺めていた。

 そのとき、ふと彼女の腕に黒い影が見えた気がした。

 その影は、これまでも幾度となく橘花の心に引っかかりを落としていた。深い仲でもないし、見間違いだろうか、と思って聞かずにいたけれど。

「……ねぇ、その痣ってどうしたの?」

 珠の顔が引き攣るのが分かった。

「……あ、えと……これは、生まれつきで」

 言いながら、珠は服の袖をぐっと引き伸ばした。

 ひととの付き合いが希薄な橘花でも、それが嘘であることは分かった。

 けれど。

 これ以上話したくない、とでも言うように、珠は俯いてしまう。

「……そう」

 橘花はそれ以上、なにも聞けなくなってしまった。

「あ、そうだ。焼き菓子、どうだった?」

 橘花は話を変えようと、昨日あげた焼き菓子に話題を変える。

 珠はわずかに視線を彷徨わせてから、

「あ……は、はい! とっても美味しかったです!」

 と、答えた。

「そっか。よかった。珠は焼き菓子は好き?」

「はい!」

「そのほかでいちばん好きなのはなに?」

「いちばん……は、プリンでしょうか」

「ぷりん?」

 橘花は初めて聞く。

「はい! 熱が出たとき、父がよく買ってきてくれました」

「そうなの」

 珠の笑顔に、橘花は眩しそうに目を細めた。

「……まぁ、結局売られちゃいましたけどね」

 珠は悲しみの混ざった笑みを浮かべた。


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