俺は彼女が大好きなので、壺も絵画も買いまくるし、なんなら世界もついでに救う。
壺を買った。四十六万エセタである。
平均的冒険者の給与なら二ヶ月分の壺だが、特に歴史的な価値も美術的な価値もない。ただ馬鹿高いだけの趣味の悪い個人制作の壺である。作者はカスの魔導師だ。本当に、何の価値も無い。
だが、これを買うとシトリアさんが喜ぶのだ。だから買う。四十六万エセタだろうが、六十三万エセタだろうが、とにかく俺は壺を買う。なんなら絵画も買う。八十九万エセタだろうが買う。シトリアさんが喜ぶからである。
シトリアさんは、ウーゲルバルド大陸の中央地区、エベラ街に住んでいる女性である。
家族は妹が一人だけ。他は誰もいない。頼れる親戚がいないから、彼女はたった一人の病気の妹を養うために、その美貌を活かして、その辺のチョロい男を捕まえて壺を売っている。その辺のチョロい男。つまりは俺のことである。
俺は最強にチョロいので、壺でも絵画でもなんか意味わからん草でもその辺のゴミでも、シトリアさんが売っているなら何だって買う。彼女が好きだからだ。どうしようもなく好きだからだ。
顔が、という話ではない。まあ顔も好きだが。
身体が、という話でもない。まあ身体だって、好きなんだが。
シトリアさんを構成しているものだから好きなんである。仮にシトリアさんが腐敗臭のするスライムだったとしても、彼女が彼女であるのなら、俺は変わらず好きになっただろう。
そのくらい、俺はシトリアさんが好きだ。だから内臓を売ってでも壺を買うし、ちょっと内臓では足りなかったのでしゃーねえからダンジョンにも潜ってえげつねえモンスターを倒しまくって金を稼いでとりあえず壺を買うし、売った分の内臓がなくてちょっと辛いから古代文明のマジックアイテムを身体に埋め込んで最強剣士として戦って稼いだ金で絵画も買うし、魔族組織に目をつけられてあれやこれや昼夜問わず戦って勝って村とか救ってお礼とか貰って、妹ちゃんの描いた可愛い絵とかも買うのだ。壺よりこっちのが欲しいんだが? とても可愛い。犬の絵だった。可愛い。
シトリアさんには俺がクソチョロい馬鹿男だと思っていて欲しいから、俺はいつでもクソチョロい馬鹿男のツラをしてシトリアさんに会いに行く。
だってそうだろ。シトリアさんは、難病の妹を救う為に藁にもすがる思いで頼った悪趣味な魔導士に騙されて隷属の証とか刻まれてなければ、こんなことをしないで済むような、美人で健気で素晴らしい女性なんだよ。
どう見ても声かければすぐに絵画でも壺でも何でもかんでも買いそうな馬鹿男の俺なんかが釣り合うわけがない。
シトリアさんは幸せにならなければならない。だから俺は壺を買う。彼女は目標金額を達成しないと酷い目に遭わされる。隷属の証は正当な魔法契約だ。人類史に残っているような程度の魔法でどうにかできるわけがない。だから俺は壺を買う。絵画も買う。買うったら買う。
金稼ぎの道程で魔族組織を壊滅に追いやり、追い詰められた魔族が膨大な生贄を用意して上位存在を召喚し、俺はそれを斬って倒して生き返ってそんでまた斬って倒してマジでキリがねえな最悪だこれマジックアイテム埋め込んどいてよかったぜと斬って倒して死んでも殺して、もはや死という概念すら超越し始めたので概念ごと殺して、そんで厄神ハイバルンデールの魂の核とか手に入れちゃって、これはまあ金にはなんねえんだけど、金になんねえから壺は買えねえんだけども、それでも全ての事象に干渉し捻じ曲げる破壊の力とかいう下手したら世界を滅ぼせる最悪の効果があるので、俺は早速世界を滅ぼせる最悪の力で、シトリアさんを助けに行った。
過去未来現在、多次元の全ての事象に干渉し捻じ曲げる絶対不変の破壊の力なので、当然隷属の証も余裕で壊せるのである。
というか、壊せなかったら詐欺である。そうなったらハイバルンデール相手に訴訟を起こす準備もしていたが、無事に壊せたので裁判はせずに済んだ。ついでに妹ちゃんの病気も概念ごとぶっ壊した。便利だな、ハイバルンデール。破滅の神なんかじゃなく便利屋さんをやれば良かったのに。
まあとにかく、そういう訳で、シトリアさんはめでたく自由の身となった。
彼女はもう俺みたいな気色悪い男にわざわざ声をかけて壺を売らなくていいし、俺みたいな気色悪い男に笑顔で接して絵画を売らなくていいし、俺みたいな気色悪い男にわざわざ可愛い妹ちゃんの絵とか売りに来なくていいのである。
俺の手元にはシトリアさんに売ってもらった素敵な壺たちが残ったし、シトリアさんは自由になって大好きな妹ちゃんと平和に暮らせる。最高のハッピーエンドだった。めでたしめでたし。
「こんにちは、レオンさん。壺を買いに来たのですけれど、おすすめはありますか?」
「は?」
めでたしめでたし、の筈である。
最高のハッピーエンドを迎えたはずである。
晴れて自由の身になったシトリアさんはこれから素敵な男性と巡り合って(何分、彼女に惹かれる男は山のようにいる)、妹ちゃん共々幸せになって、いつまでも幸せに暮らすのだ。
間違っても、陰気な森の奥に場違いな屋敷を立てている気色悪い男の元へ来たりなんかしない。
だからこれはきっと夢なのだろう。もしくは俺が都合よく作り上げた願望による幻覚だ。玄関の扉を開けているが、俺は実際はベッドの中にいるんだ。きっとそうだ。
「レオンさんは素敵な壺を沢山持っていらっしゃると聞いたので、買いに来ました」
「いや、えっ、ええと、えっ」
えっ、あっ、あっ、えっ。俺はいつもこんな風にしか喋れない。なのであまり人と会話をしたくないのだが、シトリアさんは決して俺を馬鹿にしないので、シトリアさんとは話していたいと思ってしまうのが常だった。
「おすすめを教えてくださらない?」
シトリアさんは微笑んでいた。精一杯微笑んでいて、けれども、今にも泣き出してしまいそうだった。
せっかく俺なんかに壺を売らなくてよくなったのに、わざわざ買い戻しに来なければならなくなったから困っているんだろう。マジで何の役にも立たない壺だけれど、シトリアさんにとっては大事なものだったのかもしれない。
「ど、ど、どれでもどうぞ、す、すっ、好きなのを……」
「レオンさんのおすすめが知りたいの」
「えっ、あ、じゃ、……こ、ここ、これ? ですかね?」
今まで買った中で一番小さな壺を手に取る。この壺は今まで買った壺の中でもまあまあ綺麗で、形も割と使いやすそうで、まあ花瓶くらいには出来そうだったから、おすすめするならこれかな、と思ったのだ。
シトリアさんは俺が差し出した壺を受け取ると、白く美しい両手で包み込むように持ち、小首を傾げた。
「これはお幾らですか?」
「い、いや、いやいや、ね、値段とか無いんで、その……」
「では、一億三六五〇万エセタで買います」
「いちお……えっ!? はっ!?」
なんだそのぶっ飛んだ金額!?
驚愕する俺の前で、シトリアさんは真剣な眼差しで此方を見上げた。
「これから一生をかけてお支払いします。どうか受け取っていただけますか?」
「えっ、いや、あ、え? は、はい? そ、そんな、受け、受け取れませんよ、そんな大金……恐れ多い……!」
「そんな大金、って……」
両手を勢いよく振って固辞した俺に、シトリアさんは息が詰まったような声で呟く。
一拍分、沈黙が落ちる。
震える彼女の瞳に、煌めく涙の膜が張るのに気づくと同時に、これまでに聞いたことがない声量の声が響いた。
「それはこっちの台詞です!!」
「はい!?」
突如として叫ばれ、思わず飛び上がる。
シトリアさんは縮こまる俺に詰め寄ると、今度こそ涙を零しながら怒鳴るように言った。
「私が何も知らないとでも思ってるんですか? 確かに、レオンさんが何処からお金を工面してきてくれたのかなんてことは分かりませんけど、流石に二年も意味不明な壺を律儀に買い続けられたら、馬鹿でもわかりますよ!
この人は私を助けようとしてくれてるんだって! 何の対価も得ようとせずに、ただ心底、馬鹿みたいに親切にしてくれてるんだって!
朝起きたら隷属の証が消えてたのも、妹の病気が奇跡みたいに直ったのも、レオンさんがしてくれたことなんでしょう? そうですよね、だって、あれから一度も会いに来ないもの! 私を助けてくれたから、それが目的だったから、だから、だからもう、会いに来る必要がなくなったんでしょう?」
「いや、それは、ちが、あの、……もう、壺がいっぱいだな、って……」
「そんなの最初の半年で気づくことじゃありませんか!? 馬鹿な嘘吐かないでください!!」
「は、はいッ!! すみません!!」
怒られてしまった。シトリアさんが怒るところ、初めて見たな。
直立不動で謝罪を口にした俺に、シトリアさんは何某か、続きの文句を言おうとして、結局何も言えなくなったようで、開いた唇を不恰好に閉じた。
歪んだ唇に、軽く歯が立てられている。力が抜けるたびに嗚咽がこぼれ落ちているから、きっと泣かないために我慢しているんだろう。出来ていないが。
シトリアさんは綺麗な両目からぼろぼろと涙を零して、もう一度、何か言おうと口を開いて、結局言葉が見つからずに黙って、そして、俺に抱きついた。
!?
「レオンさん……わたし、あなたにどうやって感謝し尽くせばいいのか、さっぱりわからないの……」
!?
「私にできることならなんだってするわ、そう言おうと思って来たのだけれど……でも、きっと、そういうことじゃないのよね……お礼なんていらないから黙って離れていったことくらい分かってるのに……」
!?
!?
!? !?!?
「レオンさんはただ親切にしてくれただけなのに、わたし、あなたが好きになってしまったの。好きだから、一緒にいたくてたまらなくなってしまったの。お礼だとか、感謝の気持ちだとか、そんなの、ただの建前だわ……」
!?
「レオンさん、あなたが好きよ。もし、もしも私のことが嫌じゃなかったら……どうか、一緒になってくださらない?」
俺の思考はようやくここでなんとか人の形を取り戻した。
が、割と直ぐに溶けた。
腐ったスライムみたいに形を失った。
シトリアさんの目が俺を見つめている。綺麗な目だ。心根をそのままに表したような、真っ直ぐな瞳。
彼女の目はいつだって綺麗で、真摯で、真っ直ぐに相手を見つめている。
俺は、この瞳に救われたのだ。
どうしようもなく。この人のためなら命を賭けても構わないと思えるほどに。
七年前。十四歳の俺は、魔術回路の異常による病に侵されていた。
周囲の魔力を自分の意思に関係なく、際限なく吸い上げてしまうことによる魔力過剰。それは過度な魔力を注ぎ込むことで魔獣を作る仕組みと然程変わらない効果を、俺の体にもたらした。
簡単に言えば、その頃の俺は毛の抜けた猿獣のような見た目をしていた訳である。
人間ならば体毛なんて頭と顔の毛くらいで十分だが、形が魔物に近くなると、それはそれは不気味な有様になる。
母親は徐々に化け物に変貌する息子を見て正気を失ったし、父親は早々に俺を処分することに決めた。
そこから命からがら逃げ出した訳だけども、当然、そんな気色悪い生き物がまともに生きていけるはずもなく。俺はごく自然な流れとして、道端で野垂れ死にかけていた。
多分、見つかったら即座に悍ましいモンスターとして討伐依頼でも出されるだろう。
人目に怯え、魔物にも怯え、この世の何処にも自分の居場所はないのだと悟り、死を待つだけになった時────俺はシトリアさんと出会った。
『迷子なの、僕?』
薄汚いローブを纏った俺を拾ったシトリアさんは、きちんと俺を人間として認識して話しかけた上で、なんとそのまま、半年ほど面倒を見てくれたのだ。
気色悪い、毛の抜けた猿獣みたいな俺を、である。信じられんほどに優しいし、なんならお人好しすぎて馬鹿なんじゃないかと思っていた。
けれど、シトリアさんが俺に親切にしてくれた理由は直ぐに分かった。
妹ちゃんが、ちょうど俺と似たような病を抱えていたのである。彼女の場合は、全身を覆う鱗状の皮膚が逆立ち、抜け落ちるたびに耐え難い痛みを覚えるという、ある種俺よりも酷い症状を抱えていた。
現状判明している治療法である、唯一痛みを和らげることの出来る星灯花の雫を買うため、シトリアさんは日々一生懸命、擦り切れるほどに働いていた訳である。ちなみに、その頃はまだ壺は売っていなかった。
シトリアさんが壺と絵画を売る羽目になったのは、俺が近所の人の通報で最悪に気色悪いモンスターとして討伐されかけて逃げ出したあとのことだ。
あちこちを逃げ惑い、何処に逃げようと最悪に気色悪いモンスターとして扱われ、結局加齢による成長と共に症状がマシになり、頭頂部にも無事に毛が戻って人間に見えるようになった頃、お礼のために街に戻った俺は、シトリアさんが悪質な魔導師の罠に嵌められて『隷属の証』を刻みつけられたことを知った。
隷属の証の悪質な点は、証の主人を殺せば隷属する存在も共に死に絶えるところだ。
主人が死ねば自分も死ぬものだから、証を刻まれた者は必死に主人に尽くし、守るという訳だ。全くもってクソみてえな魔法である。開発したやつは死んだ方がいい。
どうでもいいが、件の悪質な魔導師は最近謎の怪死を遂げている。全くもって謎である。死に方も謎である。いや、これはマジの話だ。ハイバルンデールを使ったら、なんか、こう……あまりお見せできない謎の死に方をした。
あまりお見せできないので簡単にいうと、皮膚の裏と表が全部ひっくり返って内臓が口から出続けた。ちょっと怖かった。
俺はただ、件の魔術師が今現在支配下に置いている隷属の証を一括で削除できますように、と願っただけなんだが。
いや、でも、もしかしたら、本当は死を願ったのかもしれない。
ハイバルンデールは、俺の心の奥にある願望を捉えたのかもしれない。
もしそうだとしたら、やっぱり俺はシトリアさんには相応しくない男だった。
世界一好きな人を酷い目に合わせた男を、散々助けるまでに時間がかかった自分を棚上げして虐殺することを望むような人間が、シトリアさんの隣にいていい訳がなかった。
だから、俺は断らなければならない。
貴方が昔俺を助けてくれたからその恩返しのつもりで助けたのであって、全くそんなつもりはないのでお引き取りください、と言わねばならない。
そうするのが最善であり、正解だった。
シトリアさんは、俺のような男と一緒になるべきでは無い。
分かっている。
分かっている。
痛いほどに理解している。
だというのに、俺の腕は勝手に彼女を抱きしめ返していた。
意識するより早く、喜びから彼女を抱きしめていた。
そりゃそうだ。当たり前だ。好きな人が自分のことを好きになってくれて、付き合ってもいいんだとなって、一緒にいてくれるんだとなって、それで遠慮して断るなんて、馬鹿のすることだ。
多分、この世にはシトリアさんを幸せに出来る男は無数にいる。もう本当に、無限にいる。多分国とか作れるくらいに居る。
俺よりも優しくて俺よりも格好良くて俺よりも気色悪くなくて真っ当で真面目で誠実で立場もある立派な男なんて、山のように居るだろう。
だが。
それでも。
シトリアさんが俺を選んでくれるというのなら、たとえ彼女を不幸にしたとしても一生側にいたいと思った。
本当に碌でも無い。そこは俺が幸せにするとか、言えねえのかよ。言えなかった。言えない。俺は、シトリアさんが俺と一緒にいて幸せになれる未来が少しも思い浮かべられない。俺が勝手に果てしなく幸せになるだけである。
だから、先に謝っておくことにした。
俺に表せる誠実さなんて、その程度のものである。
「す、す、すみません、シトリアさん。俺、多分、あ、っ、あなたを幸せには出来ない」
「……どうして? 私はあなたと居られるだけでとても幸せよ」
「いっ、いまは、今は、そうかも、しれないですけど、いずれは……いずれはわからない、じゃないですか、絶対に、俺は、いえ、きっと、シトリアさんは、俺に失望します、がっかりすると思います、お、おっ、俺は、あなたが思うような誠実で、心優しい人間じゃない」
抱きしめていた身体を離すと、シトリアさんは心底不思議そうな目で俺を見上げていた。
澄んだ空のような、濁りのない瞳が俺の姿を映している。情けない、不恰好な笑みを浮かべる俺を。
冷や汗が止まらない。何かに急き立てられるように、言葉を続ける。
「ただ親切にした訳がないじゃないですか、そ、そんなの、シトリアさんに好かれたいからに決まってるじゃないですか、当たり前ですよ。
お、俺は、俺はこんな見た目で、最悪で、どうしようもなくて、シトリアさんみたいな、すっ、素敵な人と付き合えるわけなんてないから、少しでも親切にして好かれようとしたんですよ。
あわよくばを狙ったんですよ、そっ、そんで、そんな心中を悟られたくないから、逃げたんです。せめて最後まであなたのなかで良い人でいられたら、と思って。
本当の俺は、欲望まみれで、気色悪くて、最悪だから、せめてあなたの中では素敵な人でいようと思ったんです」
喋っているだけなのに変な震えが出てきた。息が苦しい。吐きそうだった。
下手したら青ざめているだろう俺に、シトリアさんは相変わらず真摯な光を宿す瞳を向けたまま、どういうわけか、小さく笑った。
「レオンさん、『誠実』ってなんだと思いますか?」
「は、はい?」
「私は私に誠実に対応してくれる人が、ある種の対価を求めていることを知っています。ずっとそうされて生きてきたのだもの、分からないほど馬鹿ではないわ。
『優しい』も同じです。私に優しくしてくれる人は、いつだってその見返りを望んでいるの。別にそれ自体は少しも構わないわ、私だって、利益を得ようと思ってそういう風に振る舞うことがあるもの。そうね、たとえば、壺を買ってもらう為とか」
シトリアさんは笑ったが、俺はあまり上手く笑えなかった。
「それまで私に『心優しく』、『誠実』に対応してくれていた人たちは、私が困った時には一斉に離れたわ。それどころか、もっと簡単に対価を得られるかもしれない、と期待する目を向けてきた人もいたわね。
分かってるのよ、私が何を望まれていたのか。だから、本当は、私の可愛い妹に知られないで済むなら、望みの通りにするつもりですらいたわ」
強い意志を感じさせる口調だった。それは、心の底から本心なのだろう。隷属の証を刻みつけられたシトリアさんを、多くの人々は哀れに思い、そして、ほんの少しの人はある種の嘲りと期待を込めて見た。
シトリアさんはその下卑た視線を前にして、覚悟を決めたのだ。自分がこれからどんな風に扱われるか分かった上で、愛想と愛嬌を武器に立ち向かうことを決めた。
クソチョロいカモこと俺が彼女を助けるのに間に合ったのは、シトリアさんがその美貌と愛嬌で男どもを手玉に取り、見事に逃げ切ってみせたからに他ならない。
最初は期待を込めてシトリアさんに近づいていた男どもは、次第に俺という史上最強のカモが気色悪い上にとんでもない存在であることに気づいて、あんなのに関わりたくはない、と手を引いていった。そう見えるように全力振る舞った甲斐があるというものだ。
「私、初めはレオンさんも同じなんだと思ってました。あんな高い壺を意味もなく買っていく訳がないもの。でも違ったわ。レオンさんは二年もあんな変な壺を買って行って、みんなに嗤われることで私からみんなの目を逸らしてくれて、その上レティの病気まで直してくれたのに、何も言わずに去っていったのよ。
そんな人が、……そんなにも親切な人が望むことが『私に好かれること』だけだなんて、それを誠実と言わなくて何を誠実と呼べばいいのかしら」
シトリアさんは俺を見上げたまま、今度は心底嬉しそうに微笑んだ。
安堵し切ったように、俺を抱きしめる腕から力が抜ける。
「それに、むしろ安心したわ。私って、ちゃんとレオンさんにとって見返りを求めたいほどの魅力があるのね」
目元の涙を拭ったシトリアさんは、呆然としたまま彼女を見下ろす俺の頬へと手を添えると、ちょっとだけ背伸びをした。シトリアさんは背が高いので、俺との距離を埋めるのにはそれで充分だったのだ。
柔らかい感触がする。シトリアさんの体温を感じながら、これがキスだと気づいた頃には、なんだか照れ臭そうに微笑む彼女は俺から少し離れてしまっていた。
「私ね、自分のことが大嫌いだったの。レティの病を治す為ならなんだって出来る、なんて思いながら、最後の一線だけは越えようとしない自分が。だっておかしいでしょう? 本当に好きなら、どんなに嫌なことだって耐えられる筈だわ。もっとお金を稼いで、妹にもっと素晴らしい治療を受けさせることだってできた筈なのに、そうしなかった。
取れる筈の手段を選ばずに、綺麗な言葉だけであの子を励ましていた。偽善者よ。大嫌い」
それは違う、と俺ははっきりと言えた。シトリアさんがどれだけ身を削って治療費を捻出していたか、俺はこの目で見て知っている。頼れる親もいない彼女が、たった一人で妹を守っていたことを。
妹ちゃんは言っていた。「おねえちゃんは私さえいなければ、もっと幸せになれるのに」と。「大好きだから、私のことなんて忘れて生きてほしい」と。そこまでして幸せを願わずにはいられないような家族が、『偽善者』であるはずがないじゃないか。
ちなみに、妹ちゃんのそれも全く違う。全然違う。シトリアさんは、妹ちゃんが居るからこそ、大事な妹を守ろうとするからこそ、幸せを掴もうと強く居られるのだ。だから、俺は絶対に妹ちゃんもシトリアさんも、どっちも助けなければならなかった。二人とも、互いが欠けては幸せになれない人たちだから。家族を愛している人だから。俺の家族とは違って。
「でもね、レオンさん。貴方が私を素晴らしいもののように扱ってくれるなら、私、自分のことを好きになれるの。私を愛してくれる妹を騙しているような気分にもならずに済むの。こんな浅ましい私でも誰かを愛していいし、愛されていいと思えるのよ」
シトリアさんは、呆然とする俺を前にして、華やぐような笑みを浮かべた。
「だから、お願いします。どうか私と結婚してくださらない?」
にっこり笑って、もう一度、仕切り直すように丁寧な愛の言葉を紡ぐ。
俺はきちんと返事がしたかったのに、どうにも喉がつっかえて言葉が出なくて、滲む視界の中でなんとか微笑むシトリアさんを抱き締め直して、多分こういう場合にはキスとかするもんだよな!?と格好つけようとして、結果として盛大に歯をぶつけた。ひでぇ有様だった。辛い。
ああもう本当に、碌でもねえな。俺って。
呆れるほどに情けなかったが、腕の中のシトリアさんはとっても幸せそうに笑ってくれたので、まあ、よしという事にした。しておいた。
そういう訳で。
今度こそめでたしめでたし、ハッピーエンドである。