八話 女神の祝福
一年後
「で、あの二人は来られないって? 」
「うん。その手紙に書いてあるとおり。」
王都の歓楽街の一番奥にある、女のバーテンが一人居るだけの酒場のテーブルで、一組の男女が難しい顔をしていた。
その急いで書かれた殴り書きのような手紙を見て、ローガンはため息をつく。
「ああ。ちょっと王都に来るのは難しいみたいだな…。」
「今は三ヶ月だっけ、確かに目が離せないし、旅をさせるのは怖いもんね……。」
「うちの師匠には、一人でも行けって言ったらしいぞ、君の師匠は。」
「ウチの師匠らしいと言えば、ウチの師匠らしいけど……。」
「うちの師匠は、さすがに一番手の掛かる時期に嫁さんを放っておける人じゃないしな……。」
彼らの師匠たちは、来ようと思えば、来れない訳ではない。
元々は何事もなく王都に来る事が出来るはずだった。
ただ、転移魔法を使うには、転移水晶が必要だが、あのお人好したちは、瀕死だった一人の冒険者を救うため、迷う事なく手持ちの水晶を使ってしまったのだ。
五人から成るパーティーごと王都の衛兵詰所に送られた彼らは、衛兵に事の次第を話した。
ハリソンたちが助けたその十代の若者たちによる冒険者のパーティーは、ドラゴンの姿を求めて大森林に挑んでいた。
ただ、彼らの運が悪かったのは、ドラゴンに一足先に発見され、息を潜めて待ち構えられていたことだった。
突然襲われて、毒を浴び、陣形も崩れ、逃げ惑うだけだった彼らは、あっと言うまに後は死を待つだけの状態となっていた。
そんな彼らを、ちょうど薬草を採りに来ていたハリソンたちが、一も二もなく助けたのだ。
ただ、全員が土龍の毒を浴びて動けなくなっており、一人は瀕死の重症だった。
妊娠中のサンドラは、毒を含む薬草を触る事を避けていたため、毒消しを作る事が出来ず、ちょうど在庫が切れたところだった事も災いした。
ハリソンたちであれば、高価な結晶石であっても買うことは難しくない。
だが、結晶を買うには王都まで出てこなくてはならず、その間はサンドラとお腹の子を放っておく事になってしまう。
だからこそ、ハリソンたちは、転移する冒険者に、結婚式に参加できない事を詫びる手紙を預けた。
ハリソンに危ないところを助けられ、王都に送られてきた冒険者のパーティに、今からハリソンたちにに転移水晶を買って届けに行くとは言われた。
だが、とてもまだ若い冒険者にはおいそれと買えるような金額ではないし、今から届けに行っても、六日後に迫ったローガン達の式には間に合わない。
ライラには内緒にしてあるが、そのパーティーの若者たちは、返せない場合には、自分たちを奴隷にすると言う契約で、高利の金を借り、転移水晶を買おうとしていた。
ローガンは、その話を聞いて、彼らに教育的指導をしたあと、今や後進の指導に当たっているマーコフによる、通称『地獄の訓練』へと送った。
今ごろ彼らは死んだ方がマシだと言う思いをしているはずだが、帰って来る頃には、相当な技量を持つ、生き残る術を知っている冒険者になれているはずだった。
「ね、それじゃ、いっそのこと二人で迎えに行かない? 転移結晶が二つあれば足りるよね。」
「ライラもそう考えてたか。そうだね、向こうには龍玉もあるだろうし。龍の素材も山ほどあるだろうから、ついでにもらって来よう。転移水晶分なら十分足りるな。」
ローガンは腰につけたマジックバッグをぽんと叩く。
「それにしても、師匠たちはすごいね…。」
「師匠は二頭目の龍討伐かー…。それもソロで……。頑張っても頑張っても、まだまだ遠くなっちまうな…。」
ライラに相づちを打ったローガンは、仰向けに伸びあがり、酒場の天井を見つめる。
やっと見えてきた山の頂きが、更に遠くなるのを感じたからだ。
―――ならば、まだまだ鍛練に励むまで…。かつて、師匠がそうだったように。
ローガンは、顔を引き締めると、また決意を新たにする。
そんな彼の姿を、ライラは優しく、そして頼もしく見つめていた。
*
今まで追い払うのがやっとの龍を、敢えて討伐しようとする者が出るのには訳があった。
ハリソンが作った、龍玉で作った結婚指輪が、王都のみならず、他の国でも大きな話題になったからだ。
話は、ハリソンとサンドラの結婚式に遡る。
サンドラにハリソンが指輪を嵌めた時、式場は目映い光に包まれ、白い羽根がどこからともなく降ってきて、参列した全ての人の胸に落ちて消えた。
「これは…。これは伝承にあった祝福です! 皆様! どうか感謝の祈りを! 」
何事かと驚く人々に、大聖堂の神官が叫ぶ。
この国が勇者によって建国され、 その祝いの日に女神から祝福だとして届けられた白い羽根の逸話を、その場に居た人々は思い出した。
人々は口々に、あれは女神さまが直接与えられた祝福だと噂をし、それが貴族や大商人の中でも噂になった。
それから、家宝として龍玉を死蔵していた者は、こぞって指輪に加工し、妻や娘に贈った。
ただ、祝福が舞い降りるのは、自ら龍を倒した者に限られた。
元々、ドラコンと呼ばれる魔物は数が少なく、また、倒せるような者はもっと少ない。
今までも屋敷や領地を買えるような金額で取引されていた龍玉は、天井知らずの高値がつく事になっていた。
それに、何よりも貴族や王族の興味を引いたのが、この龍玉の指輪を身に着けている者には、悪意を持った者は近づく事すら出来なくなる事だった。
それゆえに、子供が結婚を控えている貴族は、こぞってドラゴンの討伐依頼を出したが、手に入れられた者は少なく、そんな依頼を請けられる者も少ないとあって、依頼料のみが、さらに高額になっていった。
ただ、そんな一発逆転を狙って、無茶な行動を起こす者が居るのもまた事実だった。
ハリソンたちに助けられたパーティーも依頼を請けた訳ではなく、一つの領地さえ買えるような大金に目が眩み、自ら望んで大森林へと足を踏み入れたのだ。
ただ、そうした人間は、目的を果たす事はなく、森やダンジョンの奥深くで骸を晒す事になった。
それに、意欲と実力に満ち溢れた冒険者に、愛する人が居たなら、まずはその人に贈られる事になる。
「俺でもドラゴンを討伐出来たら、君へのプレゼントにするしな……。」
「え……? なに? 」
ローガンも、半年ほど前にドラゴンを討伐して、龍玉を手に入れていた。
もちろんパーティメンバー以外は誰も知らず、ハリソンと同じように指輪の台座もミスリルで作ってもらってある。
秘密にしているのは、ローガンが龍を討伐出来ると知られては、無茶な依頼が殺到するのは明らかだったからだ。
*
「それじゃ、明日にでも迎えに行くか。」
「そうだね。ついでに師匠たちにもお土産を買って行きましょうよ。確か、今は何人かお弟子さんも居るんでしょ。」
「今は三人だっけ…。サンドラさんも村の娘さんたちに薬草の取り扱いを教えてるみたいだな…。弟弟子も出来た事だし、今回も何か驚かせてやりたいな…。」
「そうだね…。あの日の師匠たちの顔ったら…。」
二人はハリソンとサンドラの結婚式の翌日の事を思い出し、くすくすと笑う。
*
ハリソンとサンドラ夫婦が、結婚式を終えて、王都で最高級の部屋で初めての一夜を過ごし、翌日の朝に驚いたのは、迎えに来た黒塗りの馬車だけでは無かった。
ベルンハーストからの感謝の気持ちだとして贈られた馬車には、数十本のサイズごとに分けられた練習用の木剣と防具。そして、薬師には必要な薬草や混合用の機材が積み込まれていた。
一緒に渡された手紙には、君たちが育てた若者が、この国で活躍することを祈っていると、ベルンハーストらしい丁寧な字で書かれてあった。
ハリソンとサンドラは、目を真っ赤にしながら、その手紙を何度も読み返し、最後にベルンハースト商会へと並んで頭を下げた。
それから、馬車に乗り込んだ二人を、騎士団と衛兵団の鎧を着た兵士たちが取り囲んだ。
『これは、再来月に行われる王太子殿下のご成婚パレードの演習である。貴殿らは気にしなくて宜しい。』
これは何事かと尋ねるハリソンに、兜を被ったままの騎士が答えた。
そのどう聞いても聞き覚えのある声の騎士は、胸に剣を捧げ、最大限の敬意を示す。
そして、宿から王都の北門へ向かう間、まるで護衛するように、騎士と前を歩く衛兵たちが進む。
沿道には、街の人々が並び、口々にありがとう、さようならと手を振っていた。
*
「なんだかんだ言って、師匠たちはみんなから好かれてたもんね…。」
「さすがにあれだけ驚かすのは難しいか…。」
その日の事を思い出して、ローガンはため息をつく。
街の人々ほぼ全てが参加したあの日の送別会に叶うような事が、おいそれと出来るはずも無かったからだ。
「そうそう。向こうには丸々一頭分ドラゴンの素材があるんだよね? 」
そんなローガンの姿を見て、ライラが話を変える。
「ああ。ついでに預かって来て、こっちで換金してやろう。きっと金額を見たら師匠たち驚くぞ。」
「そうだね。じゃ、決まりね。」
大森林の辺りでドラゴンを倒したとしても、普通は持って帰ってくる手段がなく、高額で取引される素材も、ほとんどは諦める他ない。
さらに、冒険者が狙う事によって、龍種たちも人里の近くからは姿を消し、龍の素材もさらに高額で取引されるようになっていた。
だが、マジックバッグを持っていれば。その中は際限がないほど物が入り、また時間も止まる。
ハリソンたちが倒した土龍なら、一頭分は充分持って帰って来る事が出来るだろう。
また、ヨゼフ爺ちゃんに言って、匿名で素材を捌いてもらわないと…と、ローガンは算段を付ける。
ローガンが、ベルンハースト商会に持ち込む事に決めたのは、ドラゴンの新鮮な素材を、街の商店に持ち込んでも、大騒ぎになるだけなのは解りきっていたからだ。
それに、状況がまだ伝わって居ないだろうハリソンを、騒ぎに巻き込んでしまう事になる。
「さて、決まったところで飲むか。」
とりあえず一段落付いたと、ローガンは紙に書かれた酒の銘柄を眺め始めた。
「お客様、よろしければこちらを。」
バーテンが小さなグラスに入れたワインを二つ持って来た。
「これは? 」
「こちらは、今からちょうど十年ほど前に、あなたたちのご師匠がここで会って一年の記念にと入れたものさ。向こうに行くと聞いて、是非持って行って貰いたいって思ってね。」
「勝手に飲んでしまって良いのか? 」
目の前に置かれた、まる薄い琥珀色に光るワインを見ながら、ローガンがバーテンに尋ねる。
「それは、このボトルを入れてもらった時に了承済みだよ。わたしがお出ししたいと思った方には、飲んでもらって良いと。」
「そうなの? じゃ、いただこうかな。…………っっ! 美味しい! 」
「どれ…………これは…………。」
その言葉を聞いた二人は、早速口を付けた。
そのワインは、まるで幸せをそのまま液体にしたような、そんな味がした。
「ご満足いただけたかい? これは運んでもらう依頼料でもあるからね。」
「このワインってあたしたちにも買える? 」
「もちろん。……ただ条件がある。」
「条件……? 」
「このワインは、女神の祝福って言ってね、作ったばかりはそれほど良い味ではないんだ。しかし、買った人の過ごした時間が幸せなものであればあるほど、味が増すと言われてる。」
「そうか……。では、やっぱりこいつを買わせてもらうよ。そして、ここで預かってもらえるかい? 」
ローガンは、自分たちの人生も、これほど豊潤で、慈愛に満ちた味になるよう祈りながら、バーテンが出した新しいボトルを手に取る。
そのローガンの手に、そっとライラの手が重ねられた。
「もちろん。ちょうど一本分空きが出たのでね。」
そう言って、普段は無愛想なバーテンは、にっこりと二人に笑いかけた。