六話 祝いの宴
「ほら、こっちに来いよ。ライラ。」
ローガンが、少し後ろで待っていた小柄な娘に声を掛ける。
その娘は、ローガンの隣に立つと、
ハリソンにペコリと頭を下げ、再びローガンの顔を見つめると、にっこりと笑いかけた。
「こちらのお嬢さんは? 」
「こちらは、薬師のライラ。いつものポーションを作ってくれてる人だよ。」
「初めまして。ハリソンさん。どうかよろしくお願いします! 」
緊張しているのか、ライラは早口で言うと、勢いよく再び頭を下げた。
「こちらこそ。ライラさん。ずっとローガンが買い出し担当だったので、お会いするのは初めてですね。あなたの薬で本当に助かりました。…で、ローガン。このお嬢さんがどうしたんだ? 」
「な、言った通りだろ? この人はこういう人だから…。」
ハリソンの質問には答えず、ローガンは呆れたような声でライラへと話掛ける。
「まさかとは思ったけど……。お師さんみたいな人がホントにもう一人居るなんて……。」
ローガンの言葉に、一瞬絶句した後、ライラは彼に耳打ちをしながら小声で返す。
「ん……? なんの事だ? 」
「はぁ…。俺たち、婚約したんだ。式は来年の春。その報告だよ。」
困惑したままのハリソンを見て、ローガンがやれやれと肩を竦めながら言う。
「え! そうなのか!? いや……本当におめでとう! 式は何時だ!? 必ず呼ぶんだぞ! なに、転移水晶を使ってでも必ず帰ってくるからな! 」
ハリソンは飛び上がるようにして立ち上がり、でかしたとばかりに、ローガンの肩をバンバンと叩く。
「普段はケチくさいのに、こうして人の事になると後先考えないお人好しだからな……師匠は……。」
ハリソンの精一杯の喜びの表現を受けながら、どこか照れくさそうに、そして誇らしげに、ローガンはライラに言う。
転移水晶は、王立魔術員が専売をしている魔道具で、五人まで今まで訪れた事がある任意の場所に、転移させる事が出来る。
ただ、その性質上使い捨てで、価格は王都内に小さな家が持てるほどにもなる。
「ライラさん! どうかうちのローガンをよろしくお願いします。」
ローガンの肩をしっかりと握りながら、ハリソンはライラに頭を下げる。
「ありがとうございます! それで……うちのお師さん……いや、師匠もハリソンさんにぜひご挨拶したいと言ってまして……。」
拳を口元に当て、クスリと笑ってからライラが答える。
「ええ。もちろん。こちらこそご挨拶をさせてください! いつ伺えばよろしいですか? ……いや、出来たら今からでも……。」
あまりの嬉しさに、ここが自分の送別会である事も忘れ、ハリソンが言う。
「あ、師匠もこちらに来てますので…。」
ライラは、にっこりと笑うと、手のひらで広場の一角を指し示した。
彼女が手のひらを向けた方を見ると、薬草屋のおかみさんのエーリカが、大きな身体を揺すって笑っていた。
ハリソンは、一瞬、何が起こっているのか解らなかった。
だが、良くみれば、エーリカは、隣に居るローブ姿の小柄な影を、しっかりと抱き止めている。
「エーリカさん。往生際悪く、まだ逃げようとしてるその人をここへ連れてきてください。」
「あいよ。ライラ。」
ライラの言葉に、ニヤリと笑顔を浮かべると、薬草屋のおかみであるエーリカが答え、ローブ姿の人影を引きずるようにして、ハリソンの下に連れて来る。
「ひどいじゃない!エーリカ! 十年来の友人にこの仕打ちなの!? 」
「あんたは良い友人でウチのお得意様だよ。」
ローブ姿の女性は、何とか逃れようともがいてはみるも、明らかな体格差をどうにも出来ないでいた。
「そうでしょう? だから離して! 」
「でもねぇ…。新しいお得意様二人から頼まれちゃあねぇ…。これも生きる為さ。許しておくれ。」
エーリカは、芝居染みた声色を浮かべながら首を振る。
「そんなぁ……。」
がっくりと項垂れるローブの女性を見ながら、薬草屋のおかみさんは、とうとう我慢出来ずに吹き出した。
ここまで言われれば、いくら鈍いハリソンでも気がついた。
彼は席を立って、小さくなろうとしていたローブの女性へと近づいていった。
近づいて来るハリソンに、とうとう観念したのか、その女性は目深に被っていたフードに両手を掛けると、はらりと後ろへと流した。
見覚えのある顔が、バツが悪そうな表情で俯いていた。
「……やあ、サンドラさん。君が薬師だとは思わなかったよ。道理で街でも会わない訳だ。」
「普段はね。出歩かないから。あの店に飲みに行くのが特別なだけなの…。」
サンドラは、消え入りそうな声で、やっとそれだけ答えると、また黙って俯く。
一体何から話せば良いのかと悩んでいるようにも見えた。
「ちゃんと言わなきゃダメですよ。師匠。ただお酒を飲みに行くだけなのに、わざわざ普段はしないお化粧したり、普段はボサボサの髪に櫛を通したりなんてしないでしょ? 」
「余計なこと言わないで! ライラ。」
ライラがポツリと呟くように言った言葉は、水を打ったように静まり返る広場に大きく響き、サンドラは、真っ赤になりながら声を被せる。
「もう。お師さんは正直じゃないんだから……。あの日だって、自分からお付き合いしてくださいって言うつもりだったって言ってたじゃないですか。そしたら逆に結婚して欲しいって言われて、思わず逃げちゃったとか……もう乙女か!って思っちゃいましたよ。 」
「……!! 」
サンドラの顔が、まるで火が着いたかのように真っ赤に染まって行く。
「だって……。明後日には居なくなるとか言われて動転してたのに、突然そんな事言われて、どうしたら良いかわかんなくなったんだもん! 」
「……だもんって……。もう……。」
どちらが師なのか解らないような会話に、思わずハリソンは苦笑を漏らした。
「……ねえ。サンドラさん。じゃあ、俺の事がイヤだから逃げたとか、そういう訳じゃ無いんだね。」
ハリソンは深呼吸をしてから、努めて落ち着いた声でサンドラに尋ねた。
「……もちろんよ。わたしもあなたとなら、ずっと一緒に居たいって思った。だけど、仕事もまだまだしたいし、料理だって上手くない。お掃除だって全然ダメ。だから、この一ヶ月色々練習してたの。お店に行けなかったのはそれが理由。それに……。」
「それに? 」
「……私みたいな薬の事しか知らない女は、ハリソンさんには相応しくないんじゃないかなって……。」
「そうだったのか……。」
ハリソンは、彼女も同じだったのだと、やっと気が付いた。
「で、やっと自信がついて来たから、次にお店であなたと会ったら、ずっと一緒に居たいですって言おうとしたのが昨日。そして、どう切り出したら良いか考えてたら、あなたが故郷に帰っちゃうって……。」
「まずは君と相談してから決めるべきだったな。」
「そうよ。で、頭の中がぐちゃぐちゃになっちゃって、そんな時に結婚して欲しいって言われたの。もう悲しいのと嬉しいので訳が解らなくなりそうだった。」
「じゃあ、俺と結婚するのはイヤかい? 」
「だから言ってるでしょ! イヤな訳ないじゃない! 」
「……じゃあ、もう一度言うよ。もちろん君の仕事が片付いてからで構わないし、向こうでも薬師としての仕事は続けられるようにする。だから、これからはあの酒場だけじゃなくと、ずっと側に居て欲しいんだ。だから……これ…。」
そう言うとハリソンは、腰のポーチに手を伸ばし、小さな箱を取り出して、サンドラへと手渡した。
サンドラは、怪訝そうな顔で、手渡された箱を見る。
開けて欲しいとハリソンが促すと、眉根に皺を寄せたまま、サンドラが箱を開ける。
中には、大きな丸い透き通った石が嵌まった指輪が納められていた。
「これは……? 」
サンドラは、指輪な事が解らない訳ではなかった。
怪訝そうな顔をしていたのは、箱を閉めていても溢れ出てくる膨大な魔力の存在を感じたからだった。
開けてみれば、さらにその力が途方もない事を感じさせる。
「普通は金剛石の指輪を贈るんだろうけどさ、俺にしか出来ない事って考えたら、これしかなくて。それは小さいけど土龍から採った龍玉なんだ。」
「龍玉って……。ドラゴン一匹から一つしか採れないって……。」
サンドラは、驚きに目を見張る。
魔物と呼ばれる生物は、必ずその身体に魔力の塊である魔石を持っている。
ただ、龍種だけは、その膨大な魔力によって魔石が押し固められ、透き通った丸い珠になる。
それを区別する意味で、魔石とは言わずに龍玉と言う。
「そうだ。前に君が言ってた事があったろ? 魔力の後押しをしてくれるアイテムが欲しいって。」
「確かに……言ったけど……。まさかこんな……。」
「だからさ。俺が持ってるよりも、サンドラに着けてもらった方が良いと思ったんだ。常に身につけていれば、魔を祓う御守りにもなるしね。一応、婚約指輪のつもりなんだ。受け取ってくれるかい? 」
「…………。」
「もしかして、土龍って倒す時に毒消しを使ったって言う奴ですか? 」
話をじっと聞いていたライラが、ハリソンに尋ねる。
「そうだけど……。なんでそれを? 」
「あたし、ローガンから聞いた事があったんです。あの毒消しって、お師さんの自信作だったんです。作るのも本当に苦労してたんですよ? 」
「そうだったのか……。じゃあ、これを贈る事が出来たのも、サンドラのおかげだな。あの毒消しがなければ、俺は大森林の片隅に躯を晒す事になってただろうから。」
「まさか……土龍の毒を浴びたって……ハリソンさんだったの? 」
「そうだ。感謝させてもらおうと手紙を出したんだけど、固辞されちゃったからね。まさか、こうして生きて引退させてもらえるのも、君のおかげだったとは思わなかったよ。」
*
サンドラの中を熱いものが込み上げて来る。自分が誇りをもって作って来たものが、結果として大事な人を救っていたことを知り、今までの苦労や辛さ、それが全て報われた気がした。
何も言えなくなったサンドラは、ハリソンの胸に飛び込んだ。愛しさ、感謝、喜び。そんな感情がない交ぜとなって、紅蓮に燃え盛る炎のように、サンドラの胸の内を焦がす。
サンドラは、ハリソンの大きな身体にしがみつくように抱きつき、まるで言葉を持たぬ子供のように、わあわあと泣いた。
落ち着いたサンドラは、真っ赤な目のまま、ハリソンを見つめた。
「ハリソン。わたしをあなたのお嫁さんにしてくれるの? 」
「…… 俺と結婚してくれないか? サンドラ。これからはずっと側に居て欲しい。」
「はい! よろしくお願いします! 」
サンドラは、その指輪の入った小さな箱を、大事そうに胸に抱えると、はにかむようにして笑顔を見せた。
周りから拍手と大歓声が上がる。
二人の姿を固唾を飲んで見守っていた、送別会の参加者たちが、一斉に声を上げたのだ。
抱き合ったままの二人は、今自分たちがどこに居るのかやっと気がついた。
*
「で、あんたはいつ向こうに行くつもりなんだい? 」
歓声が落ち着くのを待っていたエーリカが、おもむろに口を開く。
「エーリカ……。そうね、お世話になった方に挨拶もしなきゃならないし……。」
エーリカの質問に、これから忙しくなるぞと覚悟を決めたサンドラが答える。
「……あの…。お師さんが面識があるような人って、多分みんなここに来てると思いますよ? 」
「まさか! ええと……。」
申し訳無さそうに忠告するライラに、サンドラは、思い付く限りの知己の顔を頭に浮かべ、周りを見渡す。
エーリカ、道具屋のユーリに図書館のリザ……。商会長……。薬師ギルドのマスター……。
頭に浮かぶ顔を片っ端から思い浮かべるが、自分たちを取り囲む人たちの中に、その顔を見つける事が出来た。
その顔の、一人一人が頷くのを確認して、サンドラは驚く。
「ほら。お師さんは半分引きこもりみたいなものなんですから…。」
身寄りのなかったサンドラを引き取ってくれた薬師から、店を建物ごと譲られたのが、ちょうど十八で成人になった年。
以来、彼女は、ひたすら仕事に打ち込んできた。
毎日店で起きて、夕方まで仕事塲で薬品の調合と店番をし、休みの日は図書館で調べものをして、帰り道の屋台で食事をしてから、また仕事塲に戻って調合。
無我夢中で三年が過ぎた頃に、薬師になりたいと言う少女ライラをエーリカから紹介され、サンドラの暮らしはさらに忙しいものになった。
仕事でもちょうど新しい毒消しの調合と、ライラへの指導に煮詰まっていた頃、まるで誘われるかのように入ったあの店で、ハリソンと出会った。
『そうだね、タイミングが良いんだな。』
サンドラの脳裏で、ハリソンがいつもの言葉を囁く。
「そうね。タイミングだわ。ねえ、ライラ。もうあなたにお店を任せてしまっても大丈夫? 」
「もちろん! お師さんがいつ嫁に行っても大丈夫なように準備してましたから! 」
「もう……。調子が良いんだから。ね、ハリソンさん。あなたの故郷に、わたしも付いていって良い? 」
「あ、え!? もちろん! もちろんだとも! 」
二人のやり取りを眺めていたハリソンは、急な自分への問いかけに、慌てて返事をする。
サンドラは、早速近くに集まって来ていた友人たちに祝福の言葉を贈られ始めていた。
*
「師匠。式はどうするんです? 」
ローガンが尋ねる。
「それはこれから彼女と相談して……。」
ハリソンは、そう言い掛けて、どうしたものかと悩む。まだ何も言っていない老いた両親や兄や村人たちへの紹介、それに式をどうするか……。
「向こうでやるのか? それじゃあ俺たちが参列出来ないじゃないか。」
「さすがにあたしも店を半月も開けられないしねぇ。」
顎に手を当てながら考えるハリソンに、周りからそんな言葉が掛かる。
ハリソンの故郷であるマール村で結婚式を行うにしても、こうして集まってくれている人を全て招くのは難しい。
いっそのこと、来年あたりに、また一度こっちに戻って来て、式を挙げようか…と、ハリソンは顎に手を当てて考える。
「いっそのこと、ここでやっちゃえばどうです? 」
「そりゃいいな。同じ祝いの宴だし。」
悩むハリソンに、ライラが真剣な顔で言い、ローガンが同意する。
その言葉に、ハリソンは唖然として口をあんぐりと開ける他無かった。
「ライラ! そんな簡単なもんじゃないんですよ! 神官さんだって来てもらわなくちゃならないんですし。」
あまりにも簡単な事のように言うライラを窘めようと、サンドラが少しだけ声を固くして言う。
「神官ならここに居ますよ。私が誓いの言葉を受け取りましょう。」
サンドラの言葉を聞いて、人の輪から出てきたのは、大聖堂のマルセル司祭だった。
「あ…ありがとうございます。ただ……誓いのワインだって要りますし、聖餐のパンだって…。」
安息日の礼拝で説法をするような、誰もが知っている司祭の笑顔を見て、サンドラは他にも必要なものがあると言いかけた。
「おい、誰か店に走って誓約のワイン持ってきてくれー。一番いい奴な。」
「うちは祝いの七面鳥を取ってくるわ。」
「燭台と聖檀は大聖堂にあるから…。何人か行って運んで来てくれ。」
「うちの商会が馬車を出すから。」
「パン屋は…もう行ったな…。」
周りに居た人の中から矢継ぎ早に指示が飛び、それを受けた者が、一斉に動き出す。
「……それに……わたし、こんな普段着だし……。」
そんな人たちに向けて、せめてもの抵抗だと言うように、サンドラはあっけに取られたまま呟く。
「ドレスは……。ちょっとサイズを計らせてね? 」
「あら、これならちょうど見本で入って来たのが……。」
そんな言葉も、メジャーを持った衣装屋のおかみさんの言葉に遮られる。
「店からありったけ食材持ってきて。あ、おかみさん。店にルッコラ置いてない? 」
「誰かこいつの図体に合う礼服を持ってる奴居ないか? 大きいなら針子が直すから。」
「ああ、そうだ。執政官に言って結婚証明書の書類を一式用意するように伝えてくれ。大至急だ。」
あっけに取られたままのサンドラを尻目に、バタバタと人が動き出す。
*
「ほら、あなたはこちらにいらして下さる? 」
人波をもう見ている事しかしか出来ないサンドラを、いつの間にか上等な服を着たご婦人たちが取り囲む。
さすがにお忍びだけあって、夜会用のドレスでは無かったが、その顔ぶれは貴族や商人の奥様方であった。
「へ……? 」
「あの……奥様がた……どうかお手柔らかに……。」
これは楽しみだと、凄みのある笑顔を浮かべている貴婦人たちに、ハリソンがせめてもの抵抗を試みる。
「まあ。わたくしたちの事を何だと思ってらっしゃるの? ハリソンさま。」
にっこりとした笑顔を浮かべるのは、騎士団副団長婦人だった。
その気圧されるような迫力に、ハリソンは何も言えなくなる。
まるで借りてきた猫のように、心細そうな顔をしているサンドラに、ハリソンは、彼女たちが貴族や大商人のご婦人たちだとは言えなかった。
まるで誘拐されるように連れ去られる姿を、ハリソンは、黙って見送る事しか出来なかった。
*
あれよあれよと言うまに、準備は着々と進んで行く。
ハリソンが座っていたステージには、新郎と新婦の席が設けられ、となりには神具を並べた祭壇まで出来ていた。
明日は出発が早いからと、送別会は早めに切り上げるつもりだったが、ハリソンも覚悟を決めた。
「さて、俺は何を手伝えば良いですか? 」
全体の差配をいつの間にか取り仕切っていたベルンハースト商会長に、ハリソンが尋ねる。
「おい! 主役の準備が全然整っておらんぞ! 」
「はい! いま衣装も届きました! 」
「邪魔になるから、とっとと連れていけ! 」
「はいはい! ほら、師匠。こっちこっち。」
ローガンがハリソンの手を取り、広場から控えとなっているベルンハースト商会へと足を早めさせた。