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四話 人生の価値


 ハリソンは、街を歩くうちに、昨日も訪れた戦勝広場へとたどり着いていた。

 この国の中心とも言えるこの場所には、騎士団や衛兵本部、街道を管理する内務省などが建ち並ぶ。


 お昼近くなって来た事もあり、広場には屋台が立ち並び、騎士や衛兵だけでなく、平服を着た街の人の姿も増え始めていた。



 昨日に訪れた、ベルンハースト商会の倉庫には、ピカピカに光る、真新しい黒い馬車が搬入されるところだった。

 きっとどこかの貴族のものなのだろうと、ハリソンは、馬車を持ってきた御者と話す、若い商人の姿を眺めながら思う。


 

 冒険者生活を送る上で、目を掛けてもらった人物が、この広場を囲む建物に何人も居るはずだった。

 ハリソンは、先触れ(アポイントメント)の手紙は出していたが、今日と言う日になっても、返事はどこからも貰えていなかった。


 ひっきりなしに騎士や衛兵が出入りする、騎士団本部の建物を眺めながら、この広場で行われた凱旋式の光景をハリソンは思い出す。


 

 大森林の奥にある古代遺跡でストーンゴーレムを倒し、その魔術回路を持ちかえって来た、女剣士のパメラのパーティー。

 嘆きの森ダンジョンを攻略した魔導師のリンゲルのパーティー…。

 彼らが、大歓声に迎えられながら、王都に凱旋してきた時の姿が、ハリソンの目の前に広がる。

 彼らは犠牲を払いながらも、人々にとって莫大な利益をもたらす結果を残し、そして本人たちも引退を考えるほどの報酬や地位。さらに、金色の冒険者章(タグ)や勲章を賜る事になった。


 

 もし、俺も大きな仕事ばかり請けていればどうだっただろう…と、思いかけて、ハリソンはかぶりを振る。

 彼の請けて来た仕事は、街道の警備や、地方の村の近くに出た魔物の討伐、そして、ダンジョン内に増えすぎた魔物の討伐など、必要ではあるが地味で大変な仕事が多かった。


 ただ、今まで、彼とパーティーを組んだ者に、犠牲者は一人もいない。

 まるで石橋を叩くように事前の準備に手間を掛けるハリソンの事を、臆病者だと呼ぶ者も居た。

 それは、彼の師匠であるスヴェンが、ただ一度、焦燥に駆られて準備が疎かになった仕事で還らぬ者となって以降、ハリソンは、何があろうとも準備を怠る事、決めたルールを破る事はしなかったからだ。


 ハリソンは、だからこそ、俺は仲間を誰も失う事は無かったではないか…と、自分を慰める事にした。


*


 遥か遠くを見つめる勇者と女神の像に誘われるように、広場の中央まで来たハリソンは、その像の足元の大きな噴水の縁に腰掛けた。


 彼は、水の音を聞きながらぼんやりと広場を取り囲む壮麗な建物を眺めた。

 広場の縁に並ぶ屋台で、何か食べようかと思うが、どうにも食欲が湧かない。

 

 忙しそうに動き回る人や馬車の流れの中で、なんだか自分だけが取り残されてしまったような、そんな心持ちを覚えた。


 彼がこの街から居なくなったとしても、ここの光景は変わらず、人々が行き交い、物は色々な人の手を流れ、青い空には白い鳥が飛び交う。


 今までは当たり前にその中に居た自分が、明日居なくなっても、きっと目の前の光景は変わらないだろう。


 自分の存在が無くなった穴を気にする事もなく、街は回り続ける。


 それが傲慢である事は解ってはいたが、ハリソンはたまらなく寂しさを覚えるのだった。


*


 まだ日が真上に上りきるには、少しだけ早い時間、広場には暖かい陽の光が満ち溢れ始めていた。


 ハリソンがふと振り返るように噴水の水面を覗くと、もう中年に差し掛かった自分の姿が映る。


 この街に初めて来た時も、朝一番に街に入ったは良いものの、どうしたら良いのか解らず、昼近くなって、この噴水のある広場にたどり着いた。

 途方に暮れながら、へとへとになった身体を休めるように、この噴水の縁に腰掛け、これから先はどうなるのか不安に思った事を思い出す。


 水面に映ったハリソンの姿が、二十年前のその時とまた重なって見えた。

 当時の彼は、きっと一番の冒険者になってやると言う野心を抱いていたことが思い出される。


「君の夢を叶える事は出来なかったよ…。ごめんな…。」


 その過去の自分の姿に、ハリソンは詫びる。

 遠くから見れば、大したことのない山の頂は、いざ登り始めれば思ったよりも遥かに高く、そして登れば登るほど、遠くなって行った。


 広場を通り抜けた風が、鏡のようだった水面を揺らし、少年の姿をかき消した。


*


「君はそこで何をしている?」


 どこかで聞いた事のある声が、ハリソンへと掛けられた。


 ハリソンは、感傷的になった心を悟らねぬよう、普段どおりの表情を作りながら、声の主へと顔を向けた。


 二人の部下を連れたその男は、厳しい表情を浮かべながら、噴水に座ったハリソンを見下ろしていた。


 その姿が二十年前のあの日に重なる。

 途方に暮れていた若いハリソンにそう声を掛け、冒険者組合(ギルド)まで案内をしてくれた騎士が、そこに立っていた。

 

 ふさふさだった金色の髪は、今はすっかり薄くなり、人の良さそうな笑顔は、厳しさを湛えるようになり、深く刻まれた皺が目立つようになっていたが、どこか優しさを感じる声はそのままだった。


「お久しぶりです! 副団長! 」


 ハリソンは慌てて噴水の縁から立ち上がり、声を掛けてきた男に最敬礼をする。


 二人の部下を連れた騎士の小隊長は。二人の補佐官を連れた騎士団副団長になっていた。


「なんだ? また冒険者組合(ギルド)への行き方が解らなくなったのか? ハリソン。」


 その厳しい表情をニヤリと崩すと、副団長は、目線でハリソンに腰掛けるように促し、彼が腰を落とすのを待って、噴水の縁の彼の隣へと腰を下ろした。


「閣下! この後は明日の演習の最終確認の時間が…。」


 そわそわとしていた補佐官の一人が、副団長に叫ぶように言う。


「指示は先ほどの通りだ。私も直ぐに行くから、先に準備をしておけ。」


「しかし…。」


 まるで射るような目で副団長が、何事か言いかけた補佐官を睨む。

 まるで蛇に睨まれたカエルのように、補佐官は一瞬硬直すると、一礼をしてから慌てて騎士団本部へと向かって走り出した。


「まったく…。」


 副団長は一つ大きなため息をつく。

 いくらハリソンが顔見知りと言え、部外者の前で、安易に作戦や演習の情報を口にしてしまえば、この仕事に一切手を抜かない副団長の怒りを買うのは仕方ない。


「貴様が土龍(ランドドラゴン)を倒した作戦以来か。」


「はい。もう半年ほどになります。」


 ハリソンが土龍(ランドドラゴン)を倒したのは、半年前に行われた、騎士団と冒険者の共同作戦の途中だった。

 東部に位置するアルガスの街に程近い、リジーユ山に巣を作った翼龍(ワイバーン)の討伐作戦である。

 五百人から成る合同部隊の側面を警戒していたハリソンたちのパーティーが、翼龍(ワイバーン)の卵を狙っていた土龍(ランドドラゴン)に鉢合わせ、ギリギリのところで何とか倒しきった。

 その活躍のおかげで陣形を崩す事なく巣に到達出来た合同部隊は、無事に翼龍(ワイバーン)を倒す事が出来た。


 ハリソンは、その時が自分の冒険者としての能力の頂点であったと感じていた。


「……すまなかった。あの後すぐに北方での騒ぎが起こったものだから、貴様の話を進める時間が無くてな。」


「いえ…。どうかお気になさらないでください。閣下。」


 リジーユ山の討伐作戦を無事に済ませた騎士団は、その後すぐ、小競り合いの起こっていた、北方の国境へと休む暇も無く向かった。

 彼らは、最近になってやっと王都への帰還を果たしたばかりだ。

 それを知っていたハリソンは、申し訳なさそうに頭を掻く副団長に、逆に恐縮して答える。


「辞めるんだって? 」


「はい。もう身体がついて来なくなってしまいまして…。」


 それだけ答えたハリソンの言葉に、叩き上げの副団長は、全てを悟ったように、そうか…。とだけ呟く。


 ハリソンは、その呟きに頷くと、王都の上を流れて行く雲を眺めた。


「で、こんなところで何をしてた? まさか道に迷っていたわけでもあるまい? 」


「……あれからもう二十年になりますが、自分は何も成し遂げられては居なかったな…と。そう思ってしまいまして。 」


「そうして、感傷に浸っていたのか? 」


「はい。お恥ずかしながら…。」


 消え入るようなハリソンの言葉を聞いて、副団長は大きな笑い声を上げた。


「…。これはいい。本当に道に迷っていたとはな。久しぶりに笑わせてもらったぞ。貴様が何も成し遂げられていないなら、誰も成し遂げたなどとは言えん。いいか、今、この王都がこうして人や物に溢れているのは、貴様のような冒険者が街道や地方の村々の警備に当たっていたからだ。それを結果として評価出来ないなら、何を評価するのだ? 」


「それは…ただ依頼をこなしていただけで…。」


「必要だから依頼が出るのだ。我々も人員が潤沢な訳ではない。だからこそ手の回らないところや、軍人ではこなせない問題を、依頼と言う形で冒険者にやってもらうのだ。貴様たちが居なければ、我々は街道や地方の村の警備に駆けずり回る事になり、本来望まれている国境の警備や、大型の魔物への対処が出来なくなる。今回の北方における小競り合いも、後方に君たちが居るからこそ、安心して兵力を集中出来たのだよ。」


「……。」


「冒険者に望まれているのは、大型の魔物を倒したり、ダンジョンを攻略したりする事では無い。そのどちらも、我々兵士が対応すればより良い結果をもたらす。冒険者に望まれているのは、民に寄り添い、兵力を持って対抗するのは難しい事を、我々に代わってこなしてくれる事だ。その意味では貴様ほど国にとって功績を挙げた冒険者はおらんよ。」


「……ありがとうございます。閣下。」


「先触れに返事が出せなかったのは申し訳ない。こちらにも色々あってな…。貴様は本当に良く頑張ってくれた。私からも礼を言う。…さ、私はもう行かねばならん。今日は送別会なんだろう? 」


「お時間をいただいてしまい、申し訳ありませんでした。閣下もお元気で。」


 副団長は、膝に手を当てて、すっくと噴水の縁から立ち上がる。

 ハリソンの肩をポンと叩き、騎士団本部から駆け寄って来る補佐官に手を上げて答え、また顔に厳めしい表情を浮かべると、振り返る事もせずに本部へと戻って行く。


 そんな姿が建物の中に消えて見えなくなるまで、ハリソンは礼の姿勢を崩す事は無かった。


*


「部屋を替わって欲しい? 」


 ちょうど昼過ぎに宿に着いたハリソンは、受付の中から、深々と頭を下げる年配の男の前で、がっくり肩を落としていた。

 一つ良いことがあれば、一つ悪い事があるような、そんな気持ちに襲われる。


 ハリソンは、この街で過ごす最後の夜に、この王都一番の宿に泊まろうと、帰る日が決まってすぐに予約を取っていた。

 故郷の皆に、せめてもの土産話として、その名が知られている宿の事を話そうと思ったからだ。


 丘の上に建つ王城のすぐ側に建てられたこの鳳凰亭には、クラスによって別れた部屋がある。ただ、一番下のクラスの部屋であっても、中堅の冒険者が一月頑張ってやっと一日泊まれるかどうかの料金が掛かるので、そうおいそれと利用出来るものではない。

 ハリソンのような名の知れた冒険者ですら、ここを利用した事は数えるほどしか無かった。


「はい。こちらの手違いにて、ご予約が重なってしまいまして…。もし、ハリソンさまが宜しければ、すぐに別の部屋を用意させていただきます。」


「解りました…。それで構いません。」


 ハリソンの落ちた肩が、さらに落ちる。


 今回は奮発をして、真ん中のランクの部屋を取っていた。

 この部屋は王都の町並みを一望出来、調度品も豪華な事もあって、その目の飛び出るような料金にも関わらず、内外から一生の思い出にと訪れる者で常に埋まる部屋であった。

 予約が取れたと知った時のハリソンも、珍しく喜びに跳ね上がったほどである。


 きっと殺風景な王城の石垣しか見えない部屋に案内されるのだろうと思い、ハリソンの気持ちはさらに沈む。


「申し訳ありません。それではお部屋までご案内いたします。」


 受付にいたその洗練された紳士は、ハリソンの荷物を受けとると、先に立って歩きだす。

 足音一つしない絨毯の上を、目の前の紳士は滑るように歩いて行く。

 まるで武道の達人にも見える、身のこなしの隙の無さに感心しているうち、男が立ち止まる。


「こちらでございます。ハリソンさま。」


 男が立ち止まったのは、両開きの厚い扉の前だった。予め知らされていたのか、扉の前には白手袋を嵌めたボーイが待機しており、招くようにその扉を開く。


「当鳳凰亭の最上級の部屋でございます。どうかおくつろぎくださいませ。」


 誘われるままに部屋に足を踏み入れたハリソンは、その煌びやかだが上品な部屋の光景に目を見張る。


「これは…? 」


 部屋の中央に置かれた、貴族の邸宅にあるような刺繍の入ったソファーの横に、行李を丁寧に下ろす男に、ハリソンは問いかけた。


「はい。当方の手違いにて、ハリソンさまに部屋をお取り出来ませんでしたので、その代わりの部屋を用意させていただきました。」


「しかし、こんな良い部屋を…。」


 窓の外に広がるのは、ハリソンが取った部屋よりも一段高いところからのもの。

 そして、窓自体も広く、その外はバルコニーとなっていた。


「ハリソンさまは、十年ほど前に盗賊団に襲われかけた母子を助けられた事を覚えておいでですか? 」


 面食らったままのハリソンに、男は優しい微笑みを浮かべながら答える。


「十年前…盗賊団…だと、キリセの街の側か、南北街道か…。」


 当時はまだまだ街道を旅するのは危険であり、ハリソンも何度となく街道警備の途中で襲われそうになった人を助けた事がある。


 ただ、母子でとなると珍しい。

 通常は街の外に出る時は、護衛つきの馬車に乗るため、ハリソンが助けなくてはならない状況に陥る事は少ない。

 その為に記憶に残っていた。


「はい。そのキリセの街の側で助けていただいたのが、私の一人娘と孫娘なのでございます。申し遅れましたが、私は当宿の支配人をしております、ペングルトンと申します。」


「あっ…。」


「はい。その節は大変お世話になりました。名前も名乗っていただけなかったので、ハリソンさまのパーティーだったと解ったのがかなり経ってからでして…。いつかお礼をと思っておりましたが、なかなか機会のないままここまで来てしまいまして…。」


「いや、そんな…。」


「もし、あなたが娘を助けて下さらなかったら、今ごろはこの宿は悪漢の手に落ちていたでしょう。これは、私どもからのせめてもの御礼です。どうか、おくつろぎくださいませ。」


 身に余る光栄だとは思いながらも、是非にと深々と頭を下げる男に、ハリソンはありがたく最後の一夜を過ごさせてもらう事にしたのだった。


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