かつての赤ちゃんたちへ
平日の昼過ぎ。穏やかに晴れたこの日はお出かけ日和。
バスの車内はほどよく満席で、話をする人はいない。
バスのエンジン音と振動は心地よく、周りを走る車の音もいつもと変わらない。
信号でバスが停まった時のこと。
優先席のあたりで、赤ちゃんのやや不満そうな声が聞こえてきた。
バスが動き出しても、赤ちゃんの機嫌は直らない。
その声は徐々に大きくなり、やがて泣き声に変わる。
お母さんはあの手この手で赤ちゃんをあやすけれど、泣き止む様子は無い。
お気に入りのおもちゃも効果は無く、泣き声の勢いは増すばかり。
言葉を話せない赤ちゃんがなぜ泣いてるのか、
お母さんだからと言ってすぐに理解できる訳ではないのだ。
焦るお母さんは辛そうな表情で、赤ちゃんをあやし続けた。
しかし赤ちゃんは真っ赤になり、大粒の涙を流して泣き続けていた。
バスが信号で停まった時、
赤ちゃんを前抱っこした別のお母さんがゆっくり席を立った。
なかなか泣き止まない赤ちゃんの元へ、
そのお母さんはスマホ片手に手すりを伝って慎重に歩いていく。
「これ知ってます?」
そう言って、泣いている赤ちゃんにススマホの画面を見せた。
するとあら不思議。
それまで泣いていたのが嘘のように、
赤ちゃんは泣くのを止めてスマホを眺めていた。
今はもう泣き止んだ赤ちゃんのお母さんは、
見ず知らずの先輩ママに言った。
「わざわざ、すみません。
でも、こんなに泣いたの初めてだったので、助かりました。
あの、ありがとうございます」
すると、後ろの席に座っていた年配の女性が、
泣き止んでケロリとしている赤ちゃんを見て、
「赤ちゃんは泣くのが仕事だもんね。
元気な証拠よね。あなた、良かったらここ座って」
と、2人の赤ちゃんに微笑みかけながら、先輩ママさんに席を譲った。
すると、通路を挟んで隣りの席にいた二十歳くらいの男の子が、
小さく「どうぞ」と言いながら、年配女性に席を譲った。
バスの車内はたった数分前より、とても和やかな雰囲気に包まれていた。
かつての赤ちゃんである、今のお母さん。
どうか、大変なことを一人で抱えないでほしい。
そしてかつての赤ちゃんである、素敵なみなさん。
どうか、少しの勇気を出して赤ちゃんとお母さんのために力を貸してほしい。
だって、私たちは色々な人に支えられて、今日まで生きてきたのだから。