第三話 TS兄貴!弟心、漢心
夕日が地平線に沈み始める街に軽快な足音が鳴り響く。
短パンにタンクトップ姿の若者が、軽いジョギングでもしてきたかのように額の汗を拭う。
「思ったより時間がかかってしまったな、全く、次からはもう少し時短が出来るように善処せねば」
そう呟く彼の両手には、大量の紙袋とすきやの牛丼。
今日は兄貴が姉貴?になった事で、ワタシ自信もパニックを起こしていたのか、昼飯を作らずに出て来てしまった。
きっとお腹を空かせているであろう。
何せ兄貴は買い物に出る事はおろか、自分で何かを作る事すら出来ない。
米を研げば流し場にぶちまけ、トーストを焼けば焦げた何かを量産する。
といっても漫画のようなダークマターを作るという訳ではもちろんない、完結にいうと注意力が散漫な為、トースターの時間を忘れたり水抜きの時に失敗しているだけなのだが・・・。
とにかく失敗が続いた結果、兄貴は自炊するという概念を失ってしまったのだ。
それからという物、少しでも料理が嫌いにならないよう毎日手に手を掛けて料理を作っているのだが、兄貴はいつも複雑そうな顔をして部屋に持って行ってしまう。
なので可能な限り兄貴にはワタシの手作り料理を食べて欲しいのだが・・・。
「今日だけは仕方あるまい」
ワタシは持ち帰り牛丼が極力揺れないよう走りながら、ふと笑みを浮かべる。
中身は兄貴の好物たる三種のチーズ牛丼(特盛)。
こういう物を提供する時だけは、兄貴は満面の笑みを浮かべるのだ。
「これはワタシも見習うべきだな・・・まずはチーズの作成の為に酪農を始めてみるとするかな」
これからの自分への課題を胸に秘め、見覚えのある我が家が視界に映し・・・愕然と目を見開く。
「兄貴の部屋から・・・生物の反応が・・・ない?」
あまりの衝撃的な事実に、今まで微動だにしなかった牛丼が数ミリ揺れる。
部屋の電気がついてない?そんなものはいつもの事だから問題ない、まず生物の呼吸音が聞こえてこないのだ。
ワタシは残り3kmという距離を、全力で駆け抜ける。
「まさか・・・昼を抜いてしまったせいで餓死してしまったとでもいうのか!?」
果てしない後悔が胸の奥から込み上げてくるが、それを押し殺し玄関に荷物を置き、階段に視線を向ける。
「これは・・・尿臭・・・?」
限りなく無に等しい匂いだが、トイレからではなく階段上少し手前から感じ取れる、奇妙なのはそれをまるで隠すかのように工作した様子が見受けられる事だ。
ファブリーズとかそんな消臭効果は犬以上の嗅覚を持つワタシには通用しない。
まさか・・・自殺からの失禁?
腐臭等は流石にまだ匂ってこないが、それなら生命反応の無さも納得がいく。
文字通り転がるように手で階段を駆けあがり、隅にある兄貴の部屋にぐるりと首を傾ける。
「扉が・・・開いている!?」
遂に手すらもガクガクと震え動かせなくなる中、何とか首の筋肉だけで這いずるように兄貴の部屋に接近する。
今朝の兄貴はかなりパニクっていた。
よくよく考えればそれはそうだ、朝起きたら女になっていた?そんなバカげた状況、常人なら発狂ものだ。
それにじかに確認した訳ではないが、兄貴は愛刀も同時に失ってしまっている。
あの時は不足の事態に興奮してしまい気がつかなかったが、男として・・・それはあまりに残酷だ・・・。
ワタシは自らの聖剣が輝きを失うかのように縮こまる感覚に襲われながらも、必死に兄貴の部屋の前に到達。
恐る恐る少し開いた扉を頭で押しながら、目をギョロリと部屋の中に向ける。
「ない・・・」
兄貴愛用のPCの姿が見受けられない。
男は死ぬときに自分のPCのデータを消去する生物だと友人に聞いた事があるが、まさかそれが現実の物になろうとは・・・。
「ううううう・・・・兄貴ぃぃぃぃぃ」
あまりにも唐突に、あまりにもショックな出来事に、ワタシの顔がどんどん歪んでいくのを感じる。
もっと・・・もっと兄貴の事をちゃんと考えていれば・・・。
そんな自責の念を感じながら兄貴の部屋を首筋の力だけで這いずり回る。
こんな・・・こんな別れ方があってたまるものかと、一首、二首と部屋を這いずり回る。
しかしふと疑問が頭によぎる。
死体は・・・どこだ?
いくら死ぬ直前とはいえ、兄貴が家の外で死ぬとは考えづらい、死ぬなら家の中だ。
「血の匂いは・・・しない・・・」
あるのは僅かな尿臭のみ、いや、他にも感じる物がある・・・これは兄貴の汗の匂いか?
いつもと違う匂いで一瞬わからなかったが、ホルモンバランスがいかれた方向から推測するに・・・恐らく姉貴になった兄貴の物に間違いない。
それに付随するかのように、背後から小さな・・・虫のような微弱な生体反応を感じる。
ワタシは恐る恐る、しかしどこか期待するかのように、首を180度回転させて背後の扉に視線を向ける。
「はぁぁぁぁぁ、やっと運び終わった・・・あとはマウスとキーボードだ・・・け・・・」
まるで過酷労働を終えた後のように、死に体な姿の少女が目に映る。
そして目と目が合う。
「あ、あ、あ・・・あにぎぃぃぃぃぃぃぃぃ」
「ぎゃ!ぎゃあああああああああ!?化け物ぉ!?」
かくしてワタシは、男のような、しかし女の叫び声を上げる兄貴と感動の再開を果たす。
そして後にワタシはこの日の事を「決して忘れられない悪夢を見た日」、と呼ぶことになるのであった。
そんな・・・まさかこんなシリアス展開を執筆する事になるなんて・・・。
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