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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

婚約破棄された聖女の正体

作者: 上田 成

「ミシェル・エノク、貴様との婚約は破棄する!」


 端正な顔を歪ませて一人の少女に指を突き付け宣言したのは、この国の王太子ベルゼビュート・ヌーフだった。

 王太子の傍らには豊満な胸を押し付けるように腕を絡ませた金髪碧眼の美しい令嬢が不安げな表情を見せている。

 そして王太子と令嬢の周りには三人の高位貴族の令息たちが二人を守るように寄り添って屹立していた。


 一方、婚約破棄を突き付けられたミシェルと呼ばれた黒目黒髪の令嬢は驚愕からか手にしていた扇を落としてしまい、カシャンという乾いた音が響き渡る。

 今夜は国王主催の国をあげての夜会であり国中の貴族が出席していた。


 そんな豪華絢爛な夜会の最中に突然王太子から婚約破棄宣言を突き付けられたミシェルは、元は平民だ。

 王太子との婚約だって3年前に教会に聖女と認定されたため当時の教皇の遺言で結ばれたに過ぎない。

 貴族と平民の格差が激しいこのヌーフ王国で、聖女とはいえ元平民のミシェルが王太子と婚約したことに反発した貴族は多く今でも彼女を蔑ろにする輩は多い。

 よって戸惑いながら周囲を見回したミシェルに誰も彼もが薄ら笑いを受かべるだけで、王太子の暴挙とも呼べる行動を咎める者はいなかった。

 いつも付き従ってくれている神官ノアは夜会会場の入口で立入を禁じられており、救いの手がないと悟ったミシェルの不安げな様子に、ベルゼビュートは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。


「残念だったな。いつもお前を守っていた神官ノアはいない! 今夜の夜会は貴族しか入場できないからな! 本来なら貴様も出席できるような身分ではないが、特別にこの私が許可してやったのだ。有難く思え! そしてせいぜい我らを楽しませてくれよ?」


 ニヤリと笑ったベルゼビュートの言動と周囲の貴族の態度から、この婚約破棄が計画的なものであると察したミシェルは表情を曇らせながらも王太子と向き合った。


「婚約破棄の理由をお聞かせください」

「はっ! 貴様は聖女の身分を笠に着てここにいる公爵令嬢フルーレティに小賢しくも意見を申したそうだな?」


 フルーレティと呼ばれた令嬢が王太子の腕をぎゅっと握り悲しそうに目を伏せたが、ミシェルはそんな彼女に鋭い視線を向けた。


「それはフルーレティ様が私を階段から突き落とそうとしたからです。咄嗟にノアが支えてくれたので事なきを得ましたが、間に合わなければ大怪我をしていたでしょう。教会から認定された聖女である私を傷つけるなどフルーレティ様の進退が問われますし、何より公爵令嬢という高貴な身分な方が他人をいとも簡単に傷つけようとするなど、あってはならないことだと考え苦言を呈しただけでございます」


 ミシェルの言い分は正論だったが、王太子の周囲にいた令息の一人が溜息を吐く。

 溜息の主である宰相の嫡男アスタロトは少しずれていた眼鏡をクイッと押し上げると、嘲るような微笑を浮かべた。


「ふう、ヤレヤレ。聖女といっても元は平民である貴女が公爵令嬢であるフルーレティ様に意見するなど不敬だと殿下は申し上げているのですが、それが理解できていないようですねぇ?」

「アスタロト、平民にそのようなことを言っても無駄だ。我ら貴族とは根本的に頭の構造が違うのだろう」


 鼻で笑いながらアスタロトに言葉をかけたのは公爵令息であるベリトで、全身赤い色を纏った派手な男性だ。

 そんなベリトの言葉を受けてアスタロトは肩を竦めてみせる。


「ああ、そうでした。私としたことが同じ学園に通っていたので、つい失念してしまいましたよ」

「ベリトに注意されるなんて珍しいね、アスタロト。最も僕は平民と同じ学園に通わされたことが今まで生きてきた中で唯一の汚点だと思っているけどね」


 苦笑したアスタロトに声をかけたのは、指や耳に派手な宝石をいくつも身につけた王宮医師である侯爵家の令息マモンだ。

 アスタロト、ベリト、マモンの三人はいつも王太子であるベルゼビュートに付き従っており、婚約者であるミシェルとも学園が一緒なのでそれなりの交流があったが、生粋の貴族である彼らに平民出の聖女を庇う気持ちは一切ないようだった。


 学友だと思っていたマモンの辛辣な言葉にミシェルは俯いてしまう。

 ぎゅっと拳を握って黙ってしまったミシェルにマモンがお道化て両手を広げれば、ベルゼビュートが不快気に呟く。


「私はその平民と教皇の遺言とはいえ3年も婚約する破目になったのだがな?」


 ベルゼビュートの言葉に嘲笑を浮かべていたマモンの顔に緊張が走る。

 傍に立つベリトとアスタロトもしまったという顔をしていた。


 何せ目の前にいる王太子は酷い癇癪持ちで有名だ。気に入らなければ貴族だろうと容赦なく切り捨てる残忍な性格で、処分の仕方も陰険で非道を好む人間だった。

 今回のミシェルの一件も衆人環視の前で婚約破棄をするなどまだまだ序の口で、これから更に悲惨な目にあわせる計画なのである。

 その計画の途中で臍を曲げられて、こちらに飛び火がきてはたまったものではない。

 そんな三人のどうしようかと逡巡する情けない表情を見たフルーレティは内心で舌打ちをすると、絡ませた腕に一層豊満な胸を押し付けて上目遣いでベルゼビュートを見上げた。


「なんてお可哀想なベルゼビュート様。でもその屈辱の日々も今日で終わりですわね」


 にっこりと微笑めばフルーレティの胸の谷間に目をやったベルゼビュートの頬がだらしなく緩む。


「そうだな! その暗澹たる日々も今日で終わりだ。忌々しい教皇の遺言に3年も従ったのだから無効とする。既にこの女との婚約破棄は父である国王陛下も承諾済だ。その証拠に私の新しい婚約者はこのフルーレティに決定した!」

「嬉しい! ベルゼビュート様」


 しな垂れかかったフルーレティにベルゼビュートが口角を上げてミシェルを見る。

 ミシェルは俯いたままだったが、自分を見るベルゼビュートの優越の視線も彼にしがみつくフルーレティがチラリと自分へ嘲笑を送ったことも気が付いていた。

 ベルゼビュートとフルーレティを囲んでいたアスタロト、ベリト、マモンの三人が自分たちに矛先が向かなかったことに安堵して胸を撫でおろしていたことも。

 

 ミシェルは玉座へ視線を向ける。

 これだけの騒ぎになっているにも関わらず国王は静観する構えを外さないらしい。

 そっと溜息を落として、ミシェルは口を開いた。


「どうしても婚約を破棄しなればいけませんか?」


 ぎゅっと両手を胸の前で握りしめたミシェルが縋るようにベルゼビュート達を見つめて訴える。


「私はベルゼビュート様達と一緒に過ごした日々を今も鮮明に覚えております。

 小川に過って落ちてしまったベルゼビュート様を懸命に引き上げて一緒にずぶ濡れになったこと。

 アスタロト様の慕っていた姉上様が儚くなられた時に一緒に泣いたこと。

 学園で隣の席だったベリト様と授業中に一緒に教科書を見て先生に苦笑されたこと。

 お茶会の最中、調子が悪くなったマモン様を介抱して一緒に色々とお話したこと。

 全部、全部、大切な思い出です!」


 涙目で必死に訴えるミシェルをフルーレティが憎々しげに睨む。


「同情を引こうと思っても無駄ですわ!」

「私はただ婚約破棄を考えなおしていただきたいだけです。第一このことは教会の承諾を得ているのですか? ここには神官であるノアもいませんし、こんなこと認められません!」


 先程のミシェルの思い出話に少しだけバツが悪そうな表情を浮かべていたベルゼビュートだったが、彼女がノアという名前を出した所でいきり立つ。


「またノアか! いつもいつも目障りな男を侍らしやがって! この売女め!」


 バチンと鈍い音が響きミシェルの身体が床に崩れる。

 座りこみ呆然と一点を見つめジンジンと痛みだす頬に手をやるミシェルに、彼女を平手打ちしたベルゼビュートの怒声が降り注ぐ。


「何が聖女だ! そんなもの教会が勝手に認定しただけだ! 小川に落ちたのだって貴様がちゃんと助けなかったから悪いのだ!」

「私と一緒に泣いただと? たかが平民が偉そうに!」

「教科書を一緒に見た? そんなこと覚えてないな!」

「僕を介抱した? その慈愛ぶった態度が気にいらないね!」


 ベルゼビュートに続きアスタロト達も次々とミシェルを責め、マモンは彼女の両手を後ろ手に掴むと身体を拘束し立ち上がらせた。


「殿下、計画通りこの女を捕らえました! 今こそ聖女を騙るこの女に罰を与えてやりましょう!」


 先程の失言を帳消しにするためマモンがミシェルを拘束する手に力を込める。

 その痛みで胸部を突き出した格好となってしまったミシェルを見て、ベルゼビュートが下卑た笑いを浮かべた。


「貧相な身体でも退屈しのぎの余興にはなりそうだ。素直に私に抱かれていればこんな目に遭わずに済んだというのにバカな女め。それもこれも邪魔ばかりしたノアのせいだ。恨むならノアを恨むんだな!」

「ベ、ベルゼビュート様?」


 ベルゼビュートの言葉に嫌な予感を覚えたのかミシェルが震える。

 そんなミシェルにベルゼビュートは益々歪んだ笑みを深めると、自分の後ろに控える護衛の一人を手招きし信じがたい命令を下した。


「おい、お前! この自称聖女をこの場で犯せ!」


 指名された護衛は一瞬たじろいたようだったが、甲冑で覆われていない顔の下半分にある口の端をあげると厭らしそうな笑みを浮かべる。


「本当によろしいので?」

「どうせ平民だ。何したって構いやしない。ただ……そうだな、ここにいる我らが楽しめる余興にせねばその女もろとも串刺しにする」

「串刺しですか……」


 大仰に肩を竦めた護衛に、周囲の貴族たちの目が口が横向きに三日月を描く。

 ニヤニヤと淫猥な笑みを浮かべる男性やクスクスと扇の陰で笑う女性。彼らはこの国の全ての貴族が招かれた国王主催の夜会で聖女が晒し者にされ凌辱されようというのに、まるで楽しい余興を見るかのように楽しんでいる。

 その光景は良識ある者にとっては眉を顰める出来事で、もしこの場にそういった人物が一人でもいたのなら身体を張って阻止しただろうが、腐敗した貴族の集いである今夜の夜会では異を唱える無粋な者は誰もいない。

 国王でさえ興奮を抑えきれないかのように玉座から身を乗り出し、食い入るように成り行きを見つめていた。


「さっさと始めろ!」


 ベルゼビュートに急かされた護衛の手がミシェルのドレスの胸元に伸ばされる。


「や、やめてください!」

「聖女なんだろ? 神様にでも祈れよ。どうか私を助けてくださいってな!」


 青褪めたミシェルが叫んだ声に応えたのは目の前に迫った護衛ではなく、愉悦の表情を湛えた王太子ベルゼビュートだった。


「祈れば神は応えてくれるんだろ? ほら、早く祈れよ!」


 ぎゃははははと品のない笑い声が木霊する。


「あれれ~? 誰も助けてくれないね~?」

「聖女様なのにおかしいですね?」


 マモンとアスタロトが嗤笑するとベルゼビュートも嘲るように言い放つ。


「最も、私もこの場にいる貴族もお前を聖女だと思ったことはないがな!」

「なにが慈善事業だ、教会や孤児院に寄付だ? バッカじゃねーの?」

「ご自分が平民だからお仲間にも施しを与えたかったのじゃありませんこと? 聖女なのにやることがセコいですわ。あぁ、だから偽物なのですね! 聖女を騙るなどまるで悪魔のようですわね!」


 ベリトが悪態を吐きフルーレティが残忍な笑みで声高に断言する。

 ミシェルはそんな彼らに、いつも自分に付き従ってくれていたノアから聞かされた言葉を投げかけた。


「神はただ祈りを捧げただけでは願いを叶えてはくださいません。願いを叶えようと懸命に努力をしている者に救いをもたらすのが神という存在です。そして悪行をする者は必ずその報いを受けます。ですからどうか、こんなバカな真似はやめて正気に戻ってください。悪魔に……堕ちてしまう前に」


 諭すようにベルゼビュートを見るが彼はミシェルの言葉を鼻で笑うと、彼女の前で突っ立ったまま成り行きを見ていた護衛に向かって顎をしゃくった。


「ククク、本当にどこまでもお目出度いバカ女だな! この世に神なんているわけないだろ? ……やれ!」


 ドレスの胸元を掴んだ護衛の手に力が入るのが解りミシェルは悲鳴を上げる。


「いやああああああ!!!!! ……な・ん・て・ね♡」

「「「「「へ???????」」」」」


 後ろ手に掴まえられていたマモンの手を難なく振り解いて距離をとり、片頬に人差し指をあてウィンクをしたミシェルに王太子たちが一気に間抜け顔になる。


「あらあら、顔の作りだけが取り柄でしたのに、そんな阿呆みたいなお顔では頭の中身とお揃いになってしまいましてよ?」


 婚約破棄宣言をされた時に落としたままだった扇を拾い上げ、にっこりとミシェルが微笑む。

 そこへいち早く我に返ったフルーレティが喚き散らした。


「偽聖女ミシェル! 本性を見せましたわね! そこの護衛! 早くその女を犯し……」


 フルーレティの言葉は最後までは続かなかった。

 何故ならミシェルを凌辱する役目を言いつけられた護衛が目深まで被った甲冑を外した顔に、彼女は釘付けになってしまっていたからだ。

 金髪金目のこの世の者とは思えない程美しい造形の護衛の顔にフルーレティの心臓が跳ねる。王太子も見目麗しい方だが、目の前のこの男に比べれば月とスッポン、宝石とガラクタ、聖水と汚物位の差があった。

 完璧な美の結晶のような護衛の容姿に見惚れたのはフルーレティだけではなく周囲の女性も惚けたように甘い視線を向けている。あの男を自分のものにしたいとフルーレティをはじめその場にいる女性は強く思った。

 しかし護衛の男は甲冑を外すやいなやミシェルを抱きしめ、その頬に口づけを落とす。

 途端に嫉妬と羨望で憤怒の形相になるフルーレティらを無視して、口づけをしながら頬を優しくなぞる護衛の手にミシェルは拗ねたように口を尖らせた。


「貴方さっき本気でする気だったでしょ?」

「別に脱がせなくともやる方法はいくらでもあるからな」

「やるとか言わないで! ……恥ずかしい」

「そう拗ねるな。上気したお前の顔をこの屑どもに見せるのは胸糞悪いと思ってやめただろ?」


 目を潰したくなるからなと言ってミシェルの頬を撫でた護衛にフルーレティが地団駄を踏む。

 王太子の前では淑女らしく気をつけていたが今はその余裕がない。

 しかし当の王太子は護衛に抱かれ蕩けたように微笑むミシェルに釘付けだった。


 元々ミシェルの顔は好みだったベルゼビュートは、ことあるごとに彼女に手をだそうとして神官のノアに邪魔されていた。

 ミシェルも自分よりノアといる方が楽しそうにしていて気に食わなかった。

 夜会で婚約破棄して凌辱しようとしたのも自分に靡かない逆恨みみたいなものだったのだが、自分にもノアにも向けられたことがないミシェルの艶めかしい笑顔を見たベルゼビュートが生唾を飲む。


「おい、貴様! 公開処刑は免除してやる。代わりに今夜から毎晩私の寝所で奉仕しろ!」

「え? ベルゼビュート様、この女は断罪が終わったら自分に下さると仰ってくださったではないですか!?」

「な! 俺が面倒を見るとなっていたはずだ!」

「はぁ!? 僕が監禁するお約束でしたよね!?」

「ちょ、ちょっと皆様、何を仰っておりますの!?」 


 ベルゼビュートの突然の言葉にアスタロトが眼鏡をずり落とす勢いで詰め寄り、ベリトが声を荒げ、マモンが責め立てる。

 ミシェルを処刑した後で護衛を手に入れる算段をしていたフルーレティは、豹変したベルゼビュート達に焦ったように訴える。


「あんなみすぼらしい平民の女に興味はないと仰っていたではありませんか!」

「うるさい! アレは俺のだ! 異論は許さん!」


 ベルゼビュートはフルーレティに掴まれていた手を振り払いアスタロト達を一睨みすると、情欲に塗れた表情でミシェルへ手を伸ばした。

 アスタロトとベリトとマモンはそんな王太子を苦々しく見ているが、身分制度が厳しいこの国で王族に逆らう気概はなく、王太子が飽きた頃に下賜されればいいと妥協し大人しくなったようだった。

 フルーレティは怒りで震えているが、やはり王太子に逆らうことはできずにミシリと音を立てる程扇を握りしめている。


 王太子の言葉に護衛に抱きしめられていたミシェルはベルゼビュート達と対面するように態勢を変えると、玉座を一瞥し溜息を吐く。

 ここまできても国王はニタニタと下品な笑みを浮かべて面白そうに眺めているだけだった。

 ミシェルは少し困ったように微笑むと可愛らしく首を傾げる。


「ねえ皆さま、私、ずっと皆様に申し上げたかったことがありますの」


 手酷い断罪を受けたにも関わらず自分に向かい微笑んだミシェルにベルゼビュートの頬が緩む。

 公開凌辱を思いついたときはノアの悔しそうな顔が浮かんでほくそ笑んだが、やはりこの女を他人に抱かせるのは勿体ないと思った。

 3年前に徳の高かった教皇が亡くなり教会の力が弱まった今、フルーレティを正妃にしてミシェルは愛妾として囲うと算段しだしたベルゼビュートに黒髪の聖女はクスリと笑った。


「先程述べた私と殿下たちとの思い出なのですけれど、小川に過って落ちてしまったベルゼビュート様を懸命に引き上げて一緒にずぶ濡れになったと申しあげましたよね?」

「ああ、ああ。忘れていない。私とミシェルの大切な思い出だからな」


 断罪している時とは打って変わったベルゼビュートの対応に周囲の貴族がシラけたような表情になる。

 彼らは王太子と聖女の思い出が聞きたいのではなくて、聖女が凌辱される余興が見たくてこの夜会に参加していたからだ。

 あからさまに舌打ちをしそうな周囲の形相にミシェルは口角をあげる。

 その顔は聖女と呼ぶには相応しくないような蔑んだ笑顔だった。


「でもベルゼビュート様が小川に落ちたのは女官のスカートの中を覗こうとして足を踏み外したからですわ。小川といえども水の事故は危険です。女官の下着見たさで命の危機に晒されるなんて反吐が出ますし注意力散漫もいい所ですね。こんな方が将来国王になるなんて不安しかありませんでした」


 王太子の恥ずかしい愚行に一部の貴族から失笑が漏れたが、ミシェルは気にすることなく眼鏡の青年に微笑む。


「次にアスタロト様、慕っていた姉上様が儚くなられたのは継母からの虐待だったのですよね? 普通亡くなるまで放っておきます? 私なら全力で止めますよ。こんな方に国の重職が務まるのかしら? いざ問題が起こっても先延ばしや放置されそうで恐怖しかないですよ。その眼鏡、物事が見えず度数も全然合ってないようですから新調なさったら?」


 一気に青ざめるアスタロトから視線を移しミシェルが全身赤色コーデの青年に向き合う。


「それからベリト様、学園へ通うのに毎回毎回何かしら忘れ物をするなんて本気でご病気かと思いましたよ。その全身真っ赤なコーディネートも毎日見せられて目がとても疲れましたし、女性受けがいいと思い込んでいる流し目も気色が悪かったです。こんな健忘症で思い込みが激しい方に王太子の側近が務まるのか甚だ疑問でした」


 ベリトの表情が引き攣るのを眺めて、ミシェルは宝石を嵌めた指を忙しなく動かす青年の顔を覗き込む。


「そしてマモン様、茶会の最中、毎回お腹の調子を悪くするのやめてもらえません? それってお菓子の食べ過ぎですよね? いくら美味しいとはいえ自分の食べる量もわからず毎度毎度下痢になるような方に医師の資格はありませんわ。それ以前にそのジャラジャラした宝石をつけた手で患者を診察できるわけがないでしょう」


 口をハクハクさせたマモンへ溜息を落として、ミシェルはベルゼビュートに手を振り払われ呆然としていた令嬢へ咎めるような口調で話しだす。


「最後にフルーレティ様、貴女は私を階段から落とそうとしただけでなく、暗殺、毒殺、強姦、謀殺など虐殺フルコースを振舞ってくださいましたよね? ノアのおかげで全て未遂で済みましたけどこれって全て重犯罪ですよ?」


 瞳を彷徨わせるフルーレティに、ミシェルは口元に広げていた扇をパチンと畳むとにっこりと微笑んだ。


「皆様が私をこの場で断罪しようとしていたことは存じておりました。でもどうやらその余興は台無しになってしまったようですね。ただせっかく国中の貴族達が集まったのですもの。私がとっておきの余興を味わわせてごらんにいれますわ」


 悪戯を思い浮かべた子供のように無邪気に笑ったミシェルの表情は天使のように無垢で美しかった。

 その顔に見惚れた王太子たちに突如轟音とともに硝子の破片が降り注ぐ。


「何だ!?」


 音がした方向を見れば、そこには割れた窓から羽の生えた人間が次々と夜会の会場へ侵入してきていた。

 会場へ入った彼らは手近な者を片っ端から捕らえては、腕を引きちぎり足をへし折り血みどろの海を作ってゆく。


「魔族だ! 助けてく……」


 誰かが叫んだ声は途中で途切れ、断末魔の声にとってかわった。

 阿鼻叫喚の様になった会場にベルゼビュート達の怒声が響く。


「な、何で魔族が!?」

「しかもこんな数……警備兵は何していたんです!?」

「うわああ! 来るな! 来るなぁ!」

「おかしいだろ! 何でどの扉も開かないんだよ!」

「やめて! こっちへ来ないで!」


 既に最初に壊された窓付近にあった玉座には魔物が群がっていて、その様子を見たベルゼビュート達は這う這うの体で反対側へ逃げ出したが、どの扉も開かず罵声を浴びせていた。

 その背へこの場に似つかわしくないひどく長閑な声がかかる。


「あら? 殿下ったら国王陛下を置いて自分だけ逃げだすおつもりですか?」


 ベルゼビュートが血走った眼で振り返ると、不思議そうにするミシェルと彼女を抱いた護衛が優雅に佇んでいた。

 ミシェルの周りに魔族はおらず、それどころか鮮血さえも浴びていない。

 そのことに目敏く気づいたベルゼビュートは、聖女は魔を撃退する力を持つと言っていた亡き教皇の言葉を思い出しミシェルの足元へ縋りつく。


「聖女なんだろ!? 俺を助けてくれ!」


 自分の足元で震えながら懇願する王太子にミシェルは瞳を瞬かせると、あっけらかんと答える。


「無理ですわ。私、偽聖女ですもの」

「は?」

「私は貴方がたの仰る通り聖女ではありませんの。ですから殿下を助けることは出来ませんわ」

「と、とうとう認めたな! 今までよくも謀りやがって!」

「でも殿下は私が聖女ではないと気づいておられたのでしょう? 先程そう申されていたではありませんか?」

「ぐっ! では何故お前の周囲だけ魔族がこない!?」

「魔族? 彼らは魔族では……」


 ミシェルの言葉を遮るように羽音が響き、一匹の魔族が降り立つ。

 銀髪銀目の男性の姿をしたその美しい魔族が歩を進めると、周囲で貴族たちを手あたり次第に屠っていた魔族たちが一様に頭を下げた。

 その魔族はそれを手で制して、ミシェルの傍まで歩みよると敬うように片膝をつき頭を垂れる。


「我が主、お迎えにあがりました」

「ありがとう、ペネム。ノアは?」

「外で祈りを捧げているようですね」

「そう。彼の望んだ結果にならなくて残念だったわね」

「ですが我らは溜飲が下がる思いです。ミシェル様がこれまで受けてきた仕打ちを思い出すと、怒りで人間界毎ぶっ潰してしまいたくなります」

「それはやめてちょうだい。私達の刑戮の仕方は人間からしたら酷く残虐みたいだから、堕ちた者たちだけが受ければいいのよ」


 ミシェルがペネムと呼んだ魔族の頭を軽く撫でると、彼は平伏したまま如何にも嬉しそうに微笑んだ。

 その様子にベルゼビュートが怒りを顔に滲ませて怒鳴りつける。


「……ま、まさかお前がこいつらを呼んだのか!?」

「ええ」

「貴様!!! この悪魔め!!!」


 間髪入れずに肯定したミシェルにベルゼビュートが手をあげようとしたが、その手は彼女を抱いていた護衛により払われた。


「悪魔ね……まぁ、元同胞ってことで魔族と言われるよりは、あながち間違いでもないのか?」

「ぅぎゃあああぁぁぁぁ!!!!!」


 金色の瞳を斜め上に動かし思案しだした護衛の呟きは、つんざくような悲鳴を上げたベルゼビュートの声に掻き消される。

 護衛に手を払われ床に叩きつけられたベルゼビュートは腕の痛みに悶絶していた。払われた彼の肩から下がすっぽりと無くなり、串刺しにされた腕が護衛の手の中で所在なさげに揺れている。

 その腕を虫けらでも見るような目で見た護衛は、それを近くにいた魔族に放りなげた。


「お、お、俺の、俺のうでがぁぁぁぁぁ!!!」


 残された手で肩を押さえ転がり廻るベルゼビュートをペネムが興味なさげに眺め、視線をミシェルに向けて、ギョッとする。


「ミシェル様! その頬はいかがされました!?」

「ああこれ? さっきちょっと叩かれちゃって」

「はい?」


 苦笑するミシェルに絶対零度の声音で訊き返したペネムが護衛の男に詰め寄る。


「ミトロン様! 貴方がついていながらどういうことです!? 我が主に傷をつけるなど万死に値します!」

「ミトロンは助けようとしてくれたわ。でも私がそれを遮ったの!」


 ミトロンと呼ばれた護衛の男を庇ってミシェルが今にも食ってかかりそうなペネムを宥める。ペネムの剣幕にミトロンは不快そうに顔を歪めると舌打ちをした。


「俺だって腸が煮えくりかえったんだぞ! だがミシェルが、王太子を消し炭にしようとした俺をアイコンタクトで阻止してきたから踏みとどまったんだ」


 王太子に叩かれた時に一点を見つめていたミシェルは呆然としていたわけではなく、ベルゼビュートの後ろにいたミトロンに「反撃するな!」とアイコンタクトを送っていたのだった。


「うふふ、ごめんなさい。でも貴方が本気で反撃してしまったら王太子どころかこの会場自体が消し炭になっちゃうじゃない。今だって腕だけで抑えてくれたんでしょ?」

「まぁな。しかしどうせ婚約破棄した時点で皆殺しの契約だったんだから、お前と俺で事は済んだだろうに無駄に時間稼ぎをした理由は何なんだ?」

「あら、だって、ご飯はみんなで食べないと美味しくないでしょう? ね? みんな」


 ペネムや他の魔族たちに向かって笑うミシェルにミトロンがヤレヤレと眦を下げる。


「なるほどな。だからくだらん話で時間稼ぎをしてチラチラと玉座の方を伺ってたというわけか」

「そうよ。みんなが来るまで待ってたの。大変だったのよ? 王太子と取り巻き達とのどうでもいい思い出話とか必死に思い出したりして時間を稼ぐの。婚約破棄された合図である扇を落とした音がペネム達に届いてからここへ来るまでの時間を計算して。みんなが来る方向に座っていた無能な国王の顔をおかげで何度も拝むはめになったんだから」

「ミシェル様、何てお優しい。私、感動で胸がいっぱいです」


 ミシェルの言葉にペネムはうっとりと感無量の表情を浮かべているが、その足元に転がっていたベルゼビュートは呆然と呟く。


「ご、ご飯……?」


 戦慄を覚えて辺りを見渡すと先程ミトロンから自分の腕を投げられた魔族と目が合った。

 そいつはベルゼビュートの腕を口の中へ放り込むとグッチャグッチャと咀嚼し嚥下すると、ニタアっと笑う。

 骨の髄から震えがせり上がり、声にならない悲鳴をあげ、端正な顔に恐怖をべったりと貼り付けたベルゼビュートを見下ろしたペネムがニヤリと口角をあげた。


「感動で胸はいっぱいですが、せっかくのミシェル様の厚意を踏みにじるわけには参りません。私も、美味しく食すとしましょうか。脂がのった貴族のブタどもはさぞかし食べ応えがありそうですな」


 昏い口を開けたペネムがベルゼビュートの残っていた方の腕を掴む。


「た、助けてくれ! 何でもする! 何でもするから! 神様―――――!!!」


 汗と涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で絶叫するベルゼビュートに、ミシェルが屈託のない笑顔で宣告する。


「残念。もう手遅れです」


 ミシェルのその言葉が合図だったかのように、ペネムはベルゼビュートの残された腕と足を引き千切った。


「うびゃあぁぁあぁああぁぁ!!!」


 ペネムに肢体を食いちぎられ絶叫と血飛沫に彩られたベルゼビュートの無残な姿に、アスタロト、ベリト、マモン、フルーレティが蒼白になる。

 懇願するように自分を見た彼らに、ミシェルはこてんっと首を傾げた。


「だから言ったでしょう? 悪魔に堕ちる前に正気に戻ってくださいと。私は聖女ではなく悪魔を殲滅する者ですから」


 笑うミシェルの黒曜石の瞳はとてつもなく美しく限りなく残酷に煌めいている。


「ごきげんよう、さようなら」


 護衛の腕からすり抜け見事なカーテシーをしたミシェルは踵を返し立ち去ってゆく。

 その背では絶望に突き落とされた者たちが、粛々と平らげられていった。


 夜会会場の上段で、貴族たちが引き裂かれ貫き刺され生きたまま食われる地獄を味わわされるのを眺めながら、ミシェルはミトロンに寄り掛かる。


「3年間お疲れさま。私に会えなくて寂しかった?」

「まぁな。だが父上の命令だから仕方がない」

「とか言って、しょっちゅう来てたくせに。今日だって王太子の護衛に紛れててびっくりしたんだから」

「今日はノアが嫌な予感がするって俺を呼んだんだ」

「ああ、だからノアは朝から熱心に祈っていたのね」

「アイツの望んだ結末にはならなかったけどな」

「そうね。でもノアと教皇が必死に祈りを捧げたから、お父様は堕落したこの国を滅するのをやめて私を遣わした。堕落した元凶である貴族を天秤にかけるため」

「まさかあのゲスの婚約者にされるとは思わなかったけどな」

「教皇の最後の願いだったから。聖女ではないけれど私が近くにいれば慈愛の心を取り戻すと考えたのでしょうね。無駄だったけれど。でもそのおかげでノアは生き残ったのだからこの国にとっては良かったんじゃない?」

「教皇は自らの命を代償に天の鉄槌から国を守り、聖人は自らの命を懸けて堕落した者を救うため契約を交した……か」

「ノアの望みは王太子が改心したら貴族の命を奪わない代わりに聖人としての自分の命を捧げる、だったわね」

「だがもし王太子がお前に不貞を働いたり婚約破棄をしたら貴族を一人残らず殲滅する、が父上の出した条件だったな」

「契約の期限は私が無事に王太子と結婚をする日まで。でもあの王太子は改心なんてするわけなかったでしょうけれど」

「そもそもあの腐敗した貴族どもを天秤にかけたところで、父上が許すはずはなかっただろうしな」

「まあね。でもノアは辛いでしょうね」


 ミシェルはいつも自分に付き従っていてくれた心優しい神官を思い出し、小さく溜息を吐いた。会場の中から漏れるつんざくような悲鳴を、外にいるノアはどんな気持ちで聞いているのだろう。

 小さく溜息を吐いたミシェルをミトロンが面白くなさそうに彼女を抱く手に力をこめる。


「俺に抱かれている時に他の男のことを考えるな」


 ミトロンの不機嫌そうな言葉にミシェルは黒曜石の瞳をぱちくりと開くと苦笑した。


「随分人間くさいことを言うようになったのね」


 ミシェルの言葉に「うるさい」と拗ねたように呟いたミトロンは、誤魔化すように濡羽色の彼女の髪にキスをする。


「それで? 貴族は残らずいなくなったが、これからこの国はどうなる? もっと酷いことになれば今度こそ父上は容赦しないぞ?」

「ノアが正しく民を導くわよ。彼がいればこのヌーフ王国という方舟はどんな大洪水でも乗り越えられるわ」


 迷いなく言い切ったミシェルにミトロンが眉を寄せる。


「今、ちょっとだけあのゲス王太子がノアに嫉妬していた気持ちが解ったかもしれない」

「?」

「アイツに信頼を寄せ過ぎだ」

「ミトロン?」

「お前は俺だけの天使だ。それを忘れるなよ?」

「貴方も私だけの天使よ、ミトロン」


 抱きかかえられた胸に頬を摺り寄せたミシェルに、ミトロンが口角を上げる。


「仮初めの名で呼ぶのも飽いた。帰るぞ、ミカエル」

「ええ、メタトロン」


 真名を呼びあい瞼に口づけを落とした護衛と元聖女の背中から他の者より、ひと際大きな翼が生えてくる。

 彼らはゆっくりと羽ばたき惨劇の場を跡にすると東の空に向かい飛翔した。

 その後に続いて魔族と呼ばれた者たちが次々と飛び立ってゆく。

 彼らの黒い翼が朝日を浴びて真っ白に染まり暁の空に虹がかかるのを、聖人ノアは祈りを捧げていつまでも見送っていた。


天使に性別はないのでしょうけど、そこはスルーでお願いします。←そう思っていたのですが、天使に性別はあるそうです。しかもミカエルは男性というご指摘を頂きました。えーと…この話の世界では女性ということでご容赦願います。

ご高覧いただきまして、ありがとうございました。



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― 新着の感想 ―
[一言] メガ〇ンの画像で再生されましたw
2021/04/08 16:40 退会済み
管理
[一言] ミカエルの女性名詞はミカエラですね。
[一言] 確かにミカエルは男性ですが、敢えて女性にしている作品も多いです。天使の性別もそこまで厳密に決まってはいなかったはずです。  何よりフィクションですから、好きに描くのが一番です。
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