道
彼女のナゼナニ期は少し面倒だった。
今でも覚えている。この道の先はどこに続いているのか、永遠に問い続けた。その先は、その先は、続けて聞いた。父が律儀に地名で答える。あの時は納得していたが、10を超えたあたりで道は北海道やロシアに飛んでいた。そこまで付き合ってあげる、父は真っ直ぐな人だった。
思えばあの頃から既に彼女は哲学的な思考を持っていた。というより、子どもは概ね哲学的だ。彼女は子供のまま、歳を重ねた。道の先に自らの知らない世界があることを喜んだ。世界が広いのは、自らが無知であるからだと知っていた。程度は分からなくとも、小さい自分が小さいことは知っていた。そのまま歳を重ねた。今では小さい自分が嫌いになってしまったが、おそらく世界の広さが憎たらしいわけではない。きっと、それも裏返しなのだろう。知らない道の先も含めて、彼女は世界を愛している。
道は続く。世界は続く。ならば、あの道に立っているのは今でも私なのだ。電車の音がするあの道に立っているのは、きっとこれからも私だ。
道路の白線が眩しい。この雨がやまなければいいのに、と思う。濡れたものが美しいのは、生物としての性なのかもしれない。雨が上がったら、きっと会いに行くのに。