エンプティにさよなら
小さい頃から姉はそうだった。
綺麗な人間は嫌いだった。社交的な人間も嫌いだった。愛される人間は嫌いだった。それは、そういう性質を姉が好んでいたせいだった。嫌うことで、そういう性質が自分にないことの慰みとしていた。本当は、憧れていることの裏返しだった。
彼の中では、姉の存在は姉が高校生の時で止まっている。暑くて重たい前髪、毛量の多い真っ黒なロングヘア、日本人然とした、黄色くて白い頬、切れ長の目、姉は暗い人だった。でも、顔は美人だった。よく能面みたいな表情をした。でも、笑い始めると止まらないところもあった。姉は暗い人だった。周囲の人間が総じて嫌いだった。自分より優れていることが気に食わなかった。プライドが高かった。自己肯定感が低かった。
姉とはしばらく会っていない。姉は彼を避けた。少し前に見かけた時、姉は随分と病気が重くなっているようだった。話しかければ以前のような会話ができた。冗談を言えばニヤニヤと笑った。でも、彼女は彼の顔を一瞥もしなかった。視力の悪い目線を、一切あげなかった。体を妙にこわばった形に固定したまま、そろそろとすり足をするように移動した。
女らしさにこだわって、ついでに枝毛ばかり気にしていたはずの長い髪は、今は短く切られている。後頭部は枕の形に寝癖がついて禿げたように見える。着飾るのが好きな姉が、老人のような服ばかり着ているのが、なんだか無性に腹が立った。そんな服を着てそんな歩き方をすると、姉はまるで認知症の老人のように見えた。彼は虚しく怒りを冷ました。諦めるのは、多分得意な方だった。
見かけないでいれば、意識からだんだん消えていく姿だった。彼は姉のことをもはや考えなくなっていた。諦めるつもりだった。いつまでも疲れていることに疲れた。
決別には痛みが伴う。決別の数だけ出会いがあったのだろう。しかし、出会いに痛みが伴うことはほとんどない。だから人は、痛みの数だけ強くなると言う。痛みでしか、自分の中にあるものを見ることが出来ない。そういう、不器用な生き物になってしまった。
姉はそういう人だ。でも、姉が彼を避けるのは、彼を好んでいるからだ。
彼も姉を忘れようとしている。本当は、美人で少し変わった姉のことを、嫌いではなかったはずだった。
決別は、良くも悪くも進むための手段でしかない。
さようなら、エンプティ。