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 カチャ


 こすれるような金属音がして、坂井はそっちを向いた。そこで、驚愕の表情を顔に浮かべる。そこでは、留置場の扉が開けられていた。

 竹内たち、刑事は知っている。昨日、坂井のアリバイが成立したことを。よって、今日釈放されるのだということも。けれど、ずっと留置場の中にいた坂井にはそのことを知る術がなかった。

「なんで、ですか……」

「君のアリバイが証明されたんだよ、坂井君。これで君は自由だ」

 竹内とともにいた鈴木が言う。その言葉に、坂井は驚愕を隠せなかった。

「そんな、馬鹿な!」

 坂井が叫ぶ。当然だ。坂井にアリバイなどあるはずはなかったのだから。俺は確かにあの時刻あの場所にいたんだ。なのに、なんでアリバイなんてものがあるんだ。そんな思いを込める。

「よかったね、これで君は自由の身だ」

 そんなことはつゆ知らず、鈴木は坂井に向けて微笑んだ。その笑顔は坂井にとっては苦痛そのものだった。

「そんな! 俺は確かに殺したんです! 詩織を、この手で、ぐさりと……」

 少しずつ、坂井の声は小さくなっていって、その手は力なく項垂れる。

「ともかく、君の無実は証明されたんだ。君は釈放されるんだよ」

「俺は、確かに詩織を殺したって言うのに」

 鈴木は優しそうな声色で、坂井は項垂れながら声を発する。その様子を、竹内はじっと見ていた。

「本当なんです! 俺が殺したんです! 俺を裁いてください! 信じてください、刑事さん!」

「たとえ君が犯人だとしても、俺にはどうしようもない。君のアリバイを示す証拠があった。それがすべてだ」

 竹内はあえて冷徹に突き放す。崩れ落ちる坂井の腕を竹内が抱えて運んでいく。

「なんで、どうして」

 坂井の呟き声は、留置場の床に弾けて消えた。




 坂井の家へと向かう覆面パトカーの中で、竹内は黙りこくっていた。すぐ横に座る坂井をじっと観察しているかのように。その坂井は後部座席でじっとうなだれていた。自分ではシートベルトもつけられないくらいに落ち込んでいた。ただただため息と言葉にならない言葉を吐き続けている。重苦しい空気が車内に充満した汗のにおいと重なって一層ひどく心をざわつかせた。

 車を運転する鈴木も何も言うことはない。エアコンのカサカサという音と、時折チカチカと点滅するウインカーの音だけが乾いた音楽を奏であげる。車内のラジオは存在すら忘れ去られていた。

 坂井の家は警察署からそう遠くない。徒歩十分程度、車で行けば、二分程度でたどり着く。けれどそれは、坂井にとっては十秒もないくらいで、そして竹内にとっては、二時間もかかったかのように感じられた。矛盾した秒針がばらばらに回りだす。そして竹内の体内時計でやっとといえるくらいの時間が過ぎたころ、車は坂井家の前へとたどり着いた。

 ぐったりとした坂井が、一軒家の中へと運ばれていく。出迎えた坂井の両親に引き渡せば、ひとまず竹内の仕事は終わる。そう思っていた。その時、霜の降りる朝の路地に甲高い声が響き渡った。

「この人殺し! 詩織を返してよ! 返しなさいよ!」

 松崎だった。昨日と同じ格好のまま、道路の上で叫んでいた。

「あんたが殺したんでしょうが! なんでこんなとこにのうのうといんのよ!」

 慌てて鈴木が抑えにかかる。けれど、松崎はその隙間からもがいて叫ぶ。

「そうだよ! 俺が殺したんだよ! これで十分かよ!」

 対抗するかのように坂井も叫ぶ。

「この人殺し!」

「やめなさい!」

 竹内が一括する。

「坂井君の無罪は証明された。いつまでもそんな会話はやめるんだ!」

 チッという舌打ちが聞こえた。それが坂井から聞こえたのか、それとも松崎からだったのか、竹内には判断がつかなかった。

 逃げるように坂井は両親の手を振りほどき、家の中へと滑り込んでいく。松崎は鈴木に抑えつけられた体勢のまま、力が抜けたようにへなへなと座り込んだ。それにバランスを崩した鈴木がこけかける。それを竹内は苦々しげに見ていた。

 朝のニワトリの代わりの喧騒は、今まさに降りようとしている霜に当たって響いた。無機質なアスファルトに落ちた水滴が、ひんやりと松崎の膝を濡らしていった。

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