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「だから何で殺したんだと言っている!」

「すいませんすいません」

 取調室で、坂井はひたすらにそればっかりを繰り返していた。それを取調室のマジックミラー越しに竹内は見ていた。今取り調べをしているのは同僚の芳川晋悟だ。この警察署内でも、かなりの取り調べの腕前を持つ。いかつい顔に、時には同情を誘うように掛けられる声。恐らく取り調べに関してなら芳川はこの署内でナンバーワンだろう。けれど、それほどの腕前を持つ吉川の前に立ってなお、坂井は頑として口を割らなかった。割ろうとしなかった。

「すいませんじゃなくてだな!」

「すいませんすいません」

 坂井は、殺した時の様子はしゃべった。岡崎の家にあった包丁で、岡崎を刺し殺したこと。傷口に血が滲んで、口から血が零れ出たこと。岡崎を刺したときに、途轍もなく生々しかった感触で吐きそうになったこと。とうとうと溢れ出る血がとても怖くて、指がずっと震えていたこと。すぐに家に帰って、返り血の着いたシャツを燃やしたこと。その匂いにむせ返ったこと。でもやっぱり怖くなって、罪悪感に襲われて警察に自首したこと。その他、全部。けれど、その動機に関しては、気がついたら刺し殺していましたとしか言わなかった。覚えてないと言い張っていた。

「動機は何かと聞いてるんだ!」

「すいません、言えません。覚えてません」

 嘘だ、と竹内は思う。坂井は動機を覚えている。間違いないと刑事の勘が言っている。その上でそれを隠そうとしている。決して知られてはいけないというように。それを知られてしまっては、すべてが終わるというように。

 それも、坂井自身のためには竹内には思えなかった。他の誰かのためのような、そんな感触。それはただの勘でしかないし、先入観に囚われてはいけないのも竹内は知っていたけれど、誰かを庇うかのように頑として坂井は口を割っていないように見えた。

 真犯人は別にいて、坂井はそれを庇っているのか。ふと頭に思い浮かんだ考えを、竹内は即座に否定する。そんなわけがない。そうだったとしたら、あんなにリアルに人を刺し殺した光景を語れるはずがない。滔々とその描写を行ったのは、行えたのは、間違いなく坂井に人を刺し殺したことがあるからだ。そうでなければあんなことは語らない。竹内はそう思っていた。

「だから、動機を教えろと言っている!」

「覚えてません」

 アンドロイドのように覚えてませんという言葉を繰り返すさまは、竹内には気高き騎士が拷問を受けてもなお、国を守ろうと口を閉じているかのように見えた。ある種の神聖さを感じ取っていた。

「なあ、本当になんかないの。例えばむしゃくしゃしてやったとか」

「じゃあ、それで」

「ふざけんな!」

 芳川が声を荒げる。坂井が動機を隠そうとしているのは周知の事実だった。けれど、隠そうとしているものが何だか、竹内たちは知らない。だからこそ、芳川のように正面突破をしようとするのだが、坂井は拒絶するだけだった。適当にごまかす。その行為に竹内は焦っていた。動機がなければ、見つからなければ、有罪を立証できない可能性があるのだ。

 有罪の立証には三つのものが必要とされる。機会、手段、そして動機だ。この場合、機会はいくらでもあった。坂井、岡崎両家とも共働きで、いつも帰ってくる時間は日を跨ぐか跨がないかくらいらしい。ならば、誰にも見つからずに岡崎を殺害することは可能だ。

 次に手段。これもそろっている。そもそも凶器が岡崎家の中にあった包丁なのだから、殺害するのは容易である。というかこの事件で手段は最初から分かり切っている。

 問題は動機だ。これが明らかになっていない。坂井は語ろうとしていないからだ。まさか拷問をして聞き出すわけにもいかないし、適当な理由をでっちあげることもできない。いや、できなくはない。例えば、近所に住んでいてうるさかったとか、幼馴染を恨んでいたとか、もしくは一方的な横恋慕が激しい嫉妬心に変わったとか。でも、それをやれば確実に弁護士に叩かれるし、坂井がそんなことを認めるとも思えなかった。

 だからと言って、動機もなしに送検するわけにもいかない。あるのは本人の自白と状況証拠だけ。決定的証拠に欠ける。凶器の包丁には被害者本人と家族の指紋しかついていなかったし、坂井家に漂っていた焦げた血のような匂いも、DNA鑑定しようにも破損していて証拠にならない。滴下血痕も、坂井家にはなく、別の犯人が逃げた時に付いたとも考えられなくはない。岡崎家に付いていた坂井の指紋も幼馴染で昔付いたものと言われてしまえばそれまでだ。つまり、決定的証拠に欠けるのだ。

 竹内の心象では坂井は間違いなく黒だ。いや、竹内だけでなく、捜査に当たっている刑事全員がそう思っているだろう。自白は信憑性があるし、状況証拠もある。けれど、それだけでは有罪判決をとるのは難しい。

 やり手の弁護士なら、自白は警察に強要されたものだと主張するだろう。そしてそうなってしまえば、たとえ坂井が自白していようとも無罪となる可能性がある。憲法で一事不再理が決まっているから、無罪判決が出てしまえばもう罪には問えない。

 つまり、動機がないことからすべてが瓦解する可能性があったのだ。

 四十八時間の時間制限が恨めしいと竹内は思う。警察は逮捕してから四十八時間以内、今回の場合だと、明後日、いや、日付をまたいだから明日の午後十一時までに送検しなければならないのだ。強盗などといった別件で再逮捕するようなことができるわけでもなさそうだから、それが恐らくタイムリミットとなるだろう。それまでに動機を見つけられなければ詰みだ。警察の手から、坂井は離れて行ってしまう。

 けれども坂井は頑として口を割らない。すいませんすいませんを、ただ機械のように繰り返すだけだ。そこに何かあるのは間違いないと思われたけれど、何かを必死に守ろうとしているのは見て取れたけれど、竹内たちにはその秘められた扉をこじ開ける術がなかった。その奥に何かあっても、それに何もできない自分がもどかしかった。

 結局、日をまたいだことで時間切れとなり、坂井は留置場へと送られたのだった。

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