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「刑事さんのおっしゃる通りです。俺が、詩織から殺してくれと頼まれて、殺しました」

淡々と、坂井は動機を告げた。坂井が、人殺しであってでもなお守りたかった、その動機を、竹内の手にゆだねるように。

「一応聞くが、なぜ、そんなことを?」

 竹内の質問にも、観念したのか素直に答えていく。

「昨日、詩織に呼び出されたんです。今晩用事があるかと。あるのなら、少し、私の家に寄っていってくれないかと。直接、インターフォンで。午後十時前のことでした」

 無感情に、無表情に、ただ事実だけを述べる。感情を取り戻してしまったら、泣きわめいてしまいそうなそんな気がした。俺は機械、氷でできた人形。心の中でそう言い聞かせる。

「午後十時前に呼び出されたんだね」

「はい、そこで、私を殺してくれと、そう言われたんです」

 そう言いながら、坂井は思い出してしまった。できるだけ感情を表に出さないようにしていたけれど、もう無理だった。昨日岡崎の自宅で起こった出来事が、鮮やかによみがえってしまった。




「岡崎、いったい何の用だ。言った通り俺はこれから八田たちと待ち合わせがあるんだぞ」

 リビングキッチンに上がり込んだ坂井は開口一番そう言った。家が近いおかげで、Tシャツ一枚という格好をしている。岡崎も白い長そでの服一枚という格好だ。

「詩織」

「え?」

 思わず坂井は聞き返す。笑ってスマホを操作しながら、岡崎は言った。

「詩織って呼んで。昔みたいに。そうしてくれないと話さない」

「はあ? まあ、それで詩織、何の用なんだよ」

 いぶかしぎながらも、坂井はリビングの壁にもたれる。岡崎はキッチンに立って背を向けた。

「まあ、用っていうほどの用じゃないんだけど。智弘に話があるの」

「じれったいこと言ってんじゃねえよ。十六の女が一人で男を家にあげるって、襲われるかも知らねえぞ」

「だったら襲ってみる?」

 イライラした様子で答える坂井に、岡崎は挑発的に答えた。キッチンの戸棚から包丁を取り出して、ダイニングテーブルの上に置く。そのすぐ横に、中身の入った茶封筒を置いた。

「別に、襲っても訴えたりなんかしないよ? どう、襲ってみる気になった?」

「何の用だよ。それから、その包丁は何なんだよ」

 突然の元幼馴染の大胆な行動に、坂井は困惑する。一体、詩織は何を言ってるのだろうかと。ずっと疎遠だった俺を呼び出して、誘うような言動をとりながら、意味不明なものをテーブルに並べる。まったく意味が分からない。そんな坂井を、岡崎はさらに怒らせるような言動をとる。

「襲えるものなら襲って見なさい。さあ、ほら、早く」

 そう言って、両手を広げて椅子に座り込む。

「どうせそんなこと、できないんでしょう。さあ、ほら、早くやって見せてよ、智弘」

「おい詩織! いったい何を!」

 怒りの表情を浮かべる坂井にも、岡崎はどこ吹く風だ。

「どうせ、臆病な智弘には無理なんでしょう?」

「何を言ってる! ひどい目に合わせるぞ!」

 坂井は大股で歩いて行って手を振り上げる。けれど、その手を振り下ろせずにいた。それを岡崎はさらに挑発する。

「ほら、酷い目に合わせるんでしょう? やれるものならやってみなさい。この臆病者の智弘ができるんならね」

「うるせえ!」

 そう言って坂井が振り下ろした手は、岡崎には当たらず、座っている椅子をつかんだ。それを見て、ほっとしたかのように岡崎は言う。

「ほら、やっぱり。智弘は表面上では不良を気取っときながら、大義名分がないと暴力も震えない臆病者なんでしょ」

「黙れ黙れ黙れ黙れ!」

 坂井が振りかぶった手は、けれど岡崎には当たらず目の前を左右する。それを、目を見開いたまま、岡崎は見ていた。

「でも、少しだけ、安心した。智弘は、やっぱり、元の智弘だったんだね」

「は?」

 それを聞いた坂井がぽかんとする。岡崎からは、さっきの挑発するようなオーラは消えて、優しそうなそんな雰囲気が漂っていた。

「いつも通りの、私が知ってる智弘だ。見栄をちょっぴり張って背伸びしがちで、でも臆病で、でも最後にはいつも何とかしてくれる、私の知ってる智弘だね」

「お、俺は」

「不良って呼ばれてるね。でも、根っこのところは昔っから何にも変わってない」

 否定しようとした坂井の言葉をさえぎって、岡崎は優しげに微笑んだ。

 本当は、坂井も知っていた。岡崎の言っていることが正しいことを。でも、その結論を導き出したくなくて怒ったように取り繕う。けれど、結局のところ、坂井は岡崎に手をあげられないでいた。それを分かっていたのか、岡崎は愁いを帯びた表情で言う。

「つい最近、わかったの。智弘が全然変わってないんだって。変わったのは、周りの環境の方であって、智弘の性格は全然変わってなんかいないんだって。やっぱり正しかった」

 正しかった。その一言を言われた坂井は黙り込む。自分を否定してほしくて、自分が否定されるように生きてきたのに、そんなことを言われて、何を言えばいいのかわからない。だから、怒鳴るようにして吐き出す。

「お前に、詩織なんかに! 俺の、何がわかる! わかってたまるか!」

「わかるよ!」

 けれど、やけになったその言葉も岡崎が肯定する。受け止める。振り上げた矛先がどこにも行けず宙を舞う。けれどそれを岡崎に当たることもできず、苦々しげに机の角と包丁の先端を見つめた。

「最近、わかったの。智弘が、どうして、不良になったのか。怖かったんでしょ、周囲の視線が。期待されるのが怖かったんでしょ?」

 しばらく訪れる無言の応酬。その後、重々しげに坂井は口を開いた。

「……そうだよ。だから何だってんだよ!」

「だから!」

 行く当てもなくて、壁を殴る。そんな坂井に岡崎が投げかけた言葉は、坂井の今の現状を反対向けにするに足る言葉だった。

「だから、私を殺してよ」

「……は?」

 間抜けな声しか出なかった。一瞬意味が分からなくなって、素っ頓狂な声が出た。殺してくれ? 俺の聞き間違いか? 坂井がそう思う中で、岡崎はもう一度繰り返す。

「私を、殺して」

 何も言葉が出なかった。聞き間違いなんかじゃない。殺してくれと、今詩織は言った。なぜだ。なぜ、殺してくれなんて、そんなことを言うんだ。坂井の頭の中をたった一つの疑問が支配する。どうして、そんな馬鹿なことを詩織は言うんだ。

 無言で悩む坂井を背景に、岡崎は心情を吐露していく。

「智弘なら、わかるでしょ。私がどれだけ重いプレッシャーをかけられてたか。かつて、一緒にそこにいた智弘なら、わかるよね?」

 静かに岡崎は胸を抑える。何も言えずに坂井は口を開けたり閉じたりしていた。

「周りから期待されて、生徒会長なんていう面倒な役職を押し付けられて。親はあなたならできるって言ってばっかりで、私に期待することしかしなかった。先生も、私に重責を押し付けてばっかりで、それが負担になっているのを気づこうとしない。だから、すべて、すべて捨てて逃げ出したい。そんな気持ち。この気持ち、智弘だったら、わかるでしょ。何もかもから逃げ出した智弘だったらわかるでしょ?」

 わかった。よくわかった。自分が過去通った道だ。わからないわけがなかった。けれど、肯定してしまえばすべて瓦解してしまいそうなそんな気がして口をつぐんでいた。

「私は、本当はね、ちょっと、ちょっとだけ、智弘のことがうらやましかったの。重圧から逃げてさ、誰からも期待されることなく、やりたいことをできて。誰にも束縛されてない。そんな智弘がちょっとだけうらやましかった」

「俺だってそうだよ!」

 岡崎の言葉に思わず声を荒げる。うらやましがっていたのは、何も詩織だけじゃない。俺だってすごくうらやましかった。その思いが零れだす。

「俺だって詩織のことがうらやましかった! 俺は耐えられずに逃げ出したのに、詩織はずっと耐え続けてた! ずっと期待されてた! それがうらやましかった!」

「だったら!」

 坂井の涙交じりの叫びに、岡崎も叫ぶ。落ち着いてとでもいうように坂井の肩を抑えた。

「だったら、智弘には分るでしょ? 死にたいってこと、逃げ出したいってこと」

 いつの間にか、岡崎の目にも涙が浮かんでいた。そのことに、今更ながら坂井は気づいた。ずっと、我慢していたんだろうか。逃げ出したいという気持ちを抑えていたんだろうか。そんなことを思う。そんなに追い込まれてたのか。俺は、何を言ってたんだろう。そんな詩織をうらやましがるなんて。岡崎の目を見据えるうちに、なぜかいたたまれなくなってそっぽを向く。

「でも、何も、殺してと頼むことはないだろ。逃げたければ、逃げ出せばいいじゃねえか」「無理なの!」

 口を零した坂井に岡崎は泣き叫ぶ。ぽろぽろと零れた雫が坂井のTシャツに落ちた。

「逃げ出せるわけないじゃん! ここまで追い込まれて、逃げるなんて無理だよ! すごく期待されて、重圧も背負わされて! こんな状態で逃げ出したら失望されちゃう! みんなから見放されちゃう! そんな状態で逃げ出せるわけない!」

 涙を拭う。それで少しは収まったのか、上がった声が落ち着いた。

「自殺もできない。自殺なんてしたらなんでしたのって疑われちゃう。疑われて、逃げ出そうとして死んだなんて知られたら、失望されちゃう。だから殺してほしいの。智弘に殺してほしいの」

 ああ、ようやくわかった。詩織は何よりも、誰かから失望されるのが怖いのだ。失望されて、憐みの目を向けられるのが怖いのだ。だから、そんなことを言う。殺してほしいなんて、そんなことを俺に言うのだ。そうやって、悲劇のヒロインとして死んでしまえば失望されずにすむ。それを詩織は望んでいるのだ。

 だからといって、言う通りに詩織を殺せるはずもなかった。元とはいえ幼馴染を、親友を、自分の手で殺すなんて、そんなの耐えられなかった。エアコンの音に耳をかまけて、考えないふりをする。

「私だって、辛い。でも、それ以外、もうないの。雁字搦めに縛られて、逃げ出せないの!」

 岡崎が叫ぶ。もう、それ以外ないのだと。坂井もそれはわかってはいた。けれど、どうしても認めたくない。殺したくない。

「……なんで俺なんだよ。なんで俺にそんなこと頼むんだよ!」

 机を思い切り叩く。茶封筒が少しだけ横に動いて包丁の刃先に重なった。

暑い。そんなことを思う。エアコンのファンの音がやけにうるさくて、額から汗が零れだす。けれど、坂井には冷や汗との区別がつかなくなっていた。

「だって、智弘だけじゃない、私の気持ちがわかるのって。私と同じように天才って呼ばれて、それで期待に負けて逃げ出したのって。智弘だけじゃない。私がどれだけ苦しい思いをしてるのか、ちゃんと殺してほしいと思ってるのか、わかるのって智弘だけじゃない!」

 泣いていた。涙がとめどなく溢れ出ていた。肩をつかまれた岡崎の必死さに、坂井は少し引いていた。

「お願い、智弘にしか頼めないの!」

 よくその思いが分かるのだ。わかるからこそ困るのだ。殺されたい。そうして、楽になりたい。殺されることで、悲劇のヒロインとして、きれいな偶像のまま死にたい。消えていきたい。詩織のその思いはよくわかる。詩織のためを思うのなら、本人の望むまま殺してあげるのが、優しさというべきものなのかもしれない。

 でも、殺したくない。詩織はかつての親友だ。今だって、知り合いの一人だし、死んでほしくない。生きていてほしい。そりゃそうだ。身近な人が死ぬというのは、いつだって悲しい。やるせなくなる。しかも、それが殺人で、俺が殺したとなればなおさらだ。そんなこと、したくない。詩織にはちゃんと生きてほしい。ひょっとしたらそこには俺のできなかった思いを託すなんていう自己満足があるのかもしれないけれど、それでも、生きていてほしい。

 ジレンマだ。犯罪とか、罪とか、罰とか、そういったものを取り払って理性的になれば、きっと、俺は詩織を殺した方がいいのかもしれない。でも、俺の感情は、心の叫びは、殺しくないといっている。高らかにわめいている。一体、俺はどうすればいいのか。冷たい方程式に答えがないように、この問題にも答えは出て来ない。

 沈黙。何もない沈黙。LEDの黄色っぽい光が温かく冷え切った二人を包み込む。国境にあるような長い長い、暗闇のトンネル。前も後ろも、どこからきてどこへ行くのかもわからない、深淵。そんな長い沈黙を破ったのは、坂井の声だった。

「わかった」

 自分でも、口が何を言っているのか驚く。俺は、どうしてそんなことを言ったんだろうと思った。岡崎が無理やり、けれどひきつってはいない笑顔で微笑む。

「ありがとう。うれしい。きっと、智弘ならそう言ってくれると思ってたの」

 涙交じりではあったけれど、しっかり拭って、テーブルの上に置いてあった茶封筒を坂井へと差し出す。

「これ、智弘に託すね。読んでほしいの」

 涙をぽろぽろこぼしながら、それを無理して拭う。振り払った雫が紙をふやけさせる。

「ちょっと、待ってね。涙、見せないようにしないと」

 そう言う岡崎の顔をもう坂井は直視していられなかった。下唇から血が出るほど強くかみしめる。その視線はテーブルの脚の角で固定されていた。

「ごめんね、もう大丈夫だから」

「本当に、本当にいいんだな? 後悔しないな?」

 念押しのように坂井が言う。頼むからここで否定してくれというように。けれど、岡崎の決意は変わらない。坂井は相変わらず目線を据えることができずにいた。

「うん、かまわない。一思いに。お願い」

「詩織、すまない。本当に済まない」

 泣きながら、坂井は包丁をつかもうとする。手を袖の中に引っ込めて指紋がつかないようにして、包丁に右手を伸ばす。手が二度ほど空を切って、そこから包丁をつかむ。左手を添えると手が震えた。目を閉じる。

 辛い。何も言えないくらい辛い。それしか思い浮かばない。

 息を吐き出して、そこから一思いに、手を突き出す。鈍い包丁で鶏肉を断ったような嫌な手ごたえが震える両手に残った。

「け……、こほ……」

「すまない、本当に済まない」

 嫌な感覚が繰り返される。坂井が目を開けると、岡崎の胸に包丁がつき立っていた。白い服にどんどん赤い、鮮やかな染みが広がっていく。自分の服にも染みこんでいった。それを他人事のように遠近感の狂った目で見つめていた。

 岡崎が力を失ったかのように膝から崩れ落ちる。唇の端から紅の液体が零れ落ちて床に垂れた。体が痙攣する。

「……ち……ひろ、ありがと……う……ね」

 それだけ言うと、岡崎は静かに目を閉じた。その顔は少しだけ微笑んでいるようにも見えた。床に血がどんどんたまっていった。

「……すまない。すまない。」

 いたたまれなくなって坂井は自分の家へと逃げ込んだ。うわごとをつぶやきながら。




「その後は、自分の家に帰って、来てたTシャツに血痕が付いてたのでコンロで燃やしました。そうしたら、急に怖くなってきちゃって。詩織を殺したんだっていう罪悪感が押し寄せてきて、それで……」

 しりすぼみになっていく坂井の声に、涙が混じる。白い机の上に、水滴が落ちていった。

「それで、自首をしたけど、動機は知られちゃったら被害者が望んでいたようにはならないから黙っていたと」

 こっくりと、坂井は頷く。握りしめたこぶしが机にぶつかって大きな音を立てた。

「俺は! 俺は殺したくなんかなかった! できれば詩織に生きていてほしかった! でも、無理だった! 殺せるのは俺しかいなかった!」

 もう一度、机に拳を叩きつける。水面が揺れた。

「殺したくなかった。生きていてほしかったのに。なのに、俺は……」

 最後の言葉は涙に紛れて聴き取れはしなかった。

 坂井の荒い息遣いが聞こえている。少し落ち着きを取り戻したのか、竹内が差し出したポケットティッシュを無言で受け取って涙を拭いた。

「そういえば、刑事さんに、渡すものがあるんです」

「俺に、か?」

 その言葉に、坂井は黙ったまま、頷く。丸めたティッシュを放り投げて、ズボンの尻ポケットから十二分の一のサイズになった手紙を取り出した。

「……これは?」

「詩織の、手紙。……遺書みたいなものです。詩織から、託されました。これを読んだら、わかると思います」

 そう、うつむき加減で坂井は言う。

「読み上げても、かまわないか?」

「ええ」

 その言葉を聞いて竹内は岡崎の手紙を読み上げる。その手紙にはあちこちにかすれた消しゴムの後や、手でこすれて黒く潰れかけた文字、涙でふやけた後なんかが残されていた。

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