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竹内が坂井を連れて警察署に到着した時、署内は大騒ぎだった。鈴木が何とか止めようとしていたが、それが止む気配はなかった。
「おい竹内! これはどういうことだ!」
管理官の永井が叫ぶ。それに対して、竹内は肩をすくめた。
「言葉通りの意味です。ですから、取り調べから報告書の作成まで、すべて一人でやりますと」
「それくらいはわかっている! 私はなぜかと聞いてるんだ!」
「そんなイレギュラー、認められるわけないだろ!」
永井に続いて、芳川も追い打ちをかける。周りでは、滝川が輪の中に入るべきか思案し、青木はそれを見守っていた。
「竹内には、竹内なりの考えがあると思うんですよ」
「だから何だというのだ! そんなの、認められるわけがないだろ!」
鈴木の擁護にも、永井は耳を貸す気はなかった。
竹内にもわかっていた。自分の方がおかしいと。少なくとも、ルールに背いているのは自分だと。けれど、これは竹内にとっても譲れなかった。たとえルールを破ってでも、守りたいものを守る。そう決めていた。
「お願いします! この通り! どうしても必要なことなんです!」
頭を下げて永井に頼み込むように言う。
「だとしても、なんでなのか説明くらいしろ!」
「無理です! それは言えないんです! 言えるのは、知っている人数は少ない方がいいってことなんです!」
竹内は引く気はなかった。ここで引いたら、きっとこの事件はすべてが無駄になってしまうだろう。そう思った。だからこそ、何も教えるわけにはいかなかった。それは、昨日口を割らなかった坂井の様子と酷似していた。
「これが最後の仕事になっても構いませんから! お願いします!」
辞職という手札を切ってまで、永井にそれを頼み込む。その鬼気迫る様子に、永井は少し引いていた。
「俺からも頼みます! この通り!」
事情を知らない鈴木も永井に頭を下げる。その様子に永井は戸惑っていた。
一人にするのはルールに反する。何より、隠蔽が起こるかもしれない。しかし、ここまで必死に頼み込まれると断り辛い。それに、もしも永井が要求をのまなければ、竹内が真実を明らかにするかも少し怪しい。どうしたものだろうか。永井の心は揺れていた。そして結局永井が出した結論は、優柔不断な永井らしきものだった。
「わかった! 一度だけだ! 一度だけ、許可する! ただし、失敗したら、後はないものと思え!」
「それで十分です!」
そう言うなり、竹内は坂井を連れて取調室へと駆け込んでいった。慌てて鈴木や芳川が、マジックミラー越しの部屋へと移動していく。それを見て、永井は少し失敗だったかもしれないと思うのだった。
そんな中、一人青木は、取調室の方へとは向かわずに、電話をかけていた。
「もしもし」
「もしもし、恵理子ちゃん? 私です、瑞希です」
「あ、瑞希さんですか?」
誰かに見つからないように、声を潜めて青木は繰り出す。
「今、坂井君が警察に来たわ。ひょっとしたら、真相がわかるかもしれない」
「なんですって!?」
電話越しの青木にもわかるくらい、松崎は素っ頓狂な声をあげた。それを押し留めるように、青木は言う。
「ごめん、ちょっと静かにしてね。私もばれるとまずいから。それより、智弘君のことなんだけど、何か聞いてない? 今、ちょうど智弘君が、参考人として呼ばれてるのよ」
「あ、すみません。智弘のことですか?」
少し、戸惑ったような間を開けて、松崎は言葉を紡いできた。
「あの、実はなんですけど、智弘に聞いてみたら、自分が殺したんだって言い張ってて。でも、アリバイがあるんですよね?」
「そうね。でも、それを今から解き明かすらしいの」
「ていうことは、やっぱり智弘が犯人なんでしょうか」
気落ち気味の声で松崎が言う。そんな松崎に、青木は驚きの提案をした。
「それは、私にはわからないわ。それより、恵理子ちゃん。これから、警察署まで来ない?」
「私がですか?」
いぶかしむような松崎の声に、青木はちょっぴり笑いながら答えた。
「本当はだめなんだけどね。でも、ひょっとしたら真相がわかるかもしれない」
「行きます、行かせてください!」
松崎は飛び起きるかのような勢いで叫ぶ。それに、青木は釘を刺した。
「ちょっと待って。一つだけ、言っておかないといけないことがあるの。ひょっとしたら、真実は、あなたが想像している以上に残酷かもしれない。それこそ、立ち直れるか保証できないわ。それでもいい?」
「……かまいません。行きます」
少しの逡巡の後、松崎はきっぱりとした声で言った。
「それがどれだけ残酷でも、やっぱり知りたいんです。どうして詩織は死んだのか。それと、もし智弘が犯人なら、なぜ智弘はそんなことをしたのか。二人の親友として、確かめないわけにはいかないんです」
そう言った松崎の台詞には、確固たる決意が秘められていた。それを聞いた青木はやれやれとでもいうかのようにため息を吐き出しながら言う。
「わかりました。警察署の、裏口で待ってるわ。そこから案内するから、そこに来てもらえる?」
「はい、向かいます」
「それじゃあね」
そう言うと、青木は電話を切った。そのまま裏口へと回り、松崎を待ち受ける。
「私、何やってるんだろうな」
そう、自嘲気味に青木は呟いた。陰りない空に十六夜は相変わらず浮かんでいた。
ひょっとしたら、この刑事は本当に信用に値するかもしれない。取調室で坂井はそんなことを思った。さっきだって、ことが大きくならないよう、俺とこの刑事二人きりにしてくれた。自分の身を挺してまで。まだ、完全に信用すると決めたわけではないが。まだ坂井にはアリバイがあることになっているし、逮捕されているわけでもないのだから。それに、恐らくあのマジックミラー越しには刑事たちがひしめいているのだろう。そう想像もついていた。
竹内もそれを分かっていたのか、慎重に切り出す。
「さて、坂井智弘君。君が釈放されたのは、アリバイが証明されたからだ、違うか?」
その言葉を聞いて坂井はただ頷いて肯定の意を示す。
「ただ、俺はどうしても君が犯人だとしか思えなくてね。岡崎詩織さんを殺害した様子がやけに生々しくてね。ずっと君のことが犯人じゃないかと疑って捜査してきた」
「……何が言いたいんですか?」
突然おかしな話を始めた竹内を、坂井がいぶかしむように言う。
「君は自分が殺したんだと言い張っていた。実際、俺たちが釈放したのは、アリバイがあったからだけで、それ以外の理由は考慮されていない。だから」
それを無視して、竹内は話を進めた。机越しに坂井を見つめる。
「だから今から、君のアリバイを崩してあげよう」
何も言うことなく、坂井はそっぽを向いた。何となく、竹内の顔を見ていたくない、そんな気分だった。それを見て、竹内は勝手にどうぞと受け取ったのか、岡崎のスマホを取り出す。
「これが、君のアリバイを証明することになった写真だ」
そう言って、透明の袋越しに岡崎のスマホを立ち上げ、写真のアプリを立ち上げる。そうして、問題となった写真を表示させた。
「これが、その写真だ。一見普通の写真に見えるが、問題は」
「詩織の死亡推定時刻と一致してた」
竹内の方を見ることなく坂井がボソッと漏らす。それを聞いて、坂井はいっしゅん驚愕の表情を浮かべた。すぐに気を取り直して、話を続けようとするが、その間で坂井も自分が失言をしたことに気づいたのか、さらに地面に視線を落とす。
「ああ、そうだ。よく知っていたな」
坂井は沈黙をもって答えた。それが、竹内にはさらに後押しとなる。間違いない、俺の考えはあっていると、背中を押す。
「話を戻すが、この写真は昨日の午後九時五十七分に撮られたものだと、この写真の時刻表示が示しているわけだ。ここで問題になってくるのが、この写真の撮影地。つまり、どこで撮られたかということだ」
竹内は写真の機能から、撮影地を地図上で示すモードに変更する。そうしてスマホを坂井に見やすいように反対に向けた。こっちを見ろとでもいうように机を叩く。
「地図で見たらわかる通り、これは被害者の自宅からかなり離れている。大体距離にして、十キロは離れてるな。車でも、大体三十分くらいはかかる。君が警察署にやってきたのが午後十時三十三分。被害者を殺害し、自宅に運んで証拠を隠蔽して自首する。それには到底間に合わない時間だ。もちろん君は十六歳だから、車は運転できない。違うかい」
「……ええ、そうです」
坂井はスマホを一瞥すると、再び視線を足元へと落とした。
「もちろん、写真に写っているのは被害者本人だし、合成されたわけでもない。だから、君のアリバイが証明された」
その言葉を聞いた坂井は苦々しげに下唇をかむ。そんな様子を、竹内はじっと観察していた。やはり、坂井智弘が犯人だろう。その確信が強くなっていく。
「でも、もし、この写真にトリックがあって、被害者が自宅にいたとしたらどうなる?」
「……アリバイも、なくなりますね」
「その通りだ」
坂井が、精一杯の言葉を吐き出す。そこへ、竹内は無言で自分のスマホを取り出して横に置いた。
「これは、俺が今日、同じ時刻、同じ場所で撮った写真だ。背景の家や街灯が同じになるようにとった」
そう言って、スマホの写真アプリを起動し、十六夜を背景にした写真を表示させる。そこに表示されていた内蔵時計は今日の午後十時一分を指していた。
「これを見たらわかると思う」
「といわれても何も変わらな……あ」
それを一目見た、坂井が固まる。確かに、二つの写真には、岡崎以外の違いはない。そこに映る背景は、手前側の街灯が少しずれている程度で、街並みや月の位置はほとんど変わってはいなかった。けれど、坂井は確実にそこに何かを見出したようだった。
竹内がにやりと笑う。
「さすが、昔は天才と呼ばれただけのことはあるな。回転の速い頭脳は健在といったところか。これは、日本時間午後九時五十七分に撮られたものじゃないんだ。そのちょうど一時間前、午後八時五十七分に撮られたものだ」
マジックミラー越しにも、はっと驚く気配がする。あの量からして、一人ではないだろう。けれど、竹内は無視して話を進めた。
「月は大体三十日で地球を一周する。一日でおよそ十二度東になるわけだ。ということは、昨日の十時に月はもっと南にあるはずだ。これはおかしい。さらに、月は一時間で十五度南に移動する。その誤差は三度だ。流石に差が小さくてはかれないが、二つの写真に写る月がほとんど同じ位置にいるのがわかるよな」
坂井は、それを聞いて、下を向いた。いや、不用意に元天才といってしまったのが地雷だったのかもしれない。竹内はそう思ったが、話を進めるのみだ。
「筋書きはこうだ。まず、スマホの時計を一時間進める。この時期だったら、グアム辺りに設定すればいいだろう。そうして、ちょうどいい感じに午後九時ごろに写真を撮る。被害者のTwitterは風景の写真とかが多かったからな。それで、昨日撮れたのが十五夜の写真だったんだろう。そして、スマホの時計を元に戻し、その直後にアップしたようにしれっとTwitterに写真をあげて被害者を殺害すれば、不可能犯罪の完成というわけだ」
そこで、一旦竹内は言葉を区切り、坂井を見つめる。コンクリート作りの取調室は、やけに冷たく感じた。
「これで、君のアリバイは崩れたわけだ」
そう一言、坂井に告げた。




