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冷たい天井にドアをノックする音が響いた。
「坂井君、ちょっといいかな」
竹内の声を、無表情で坂井は聞いていた。昼間追い返した刑事の声だ。そのまま無反応を貫き通す。すると、また声がした。
「君と、話がしたいんだ」
「帰ってください。警察に話すことなんてありません」
自分としては話すことはすべて話した。それを警察は聞き入れなかった。そんな警察に話すべきことなんてない。そう思っていたけれど、竹内の次の言葉に、坂井は唖然となった。
「真相がわかったんだ。一緒に、署まで来てほしい。君たちのことを考えているつもりだ」
「……わかったって?」
思わずベッドから跳ね起きて問い返す。その扉の向こうにいる刑事を疑うような視線を向けた。
「ああ、わかったよ。動機もね。でも、心配しないでくれ。俺は君の見方だ。このことはまだ誰にも話してない。それに、俺は一人で来た」
「本当ですか?」
耳をそばだててみる。確かに、扉の向こうには刑事一人しかいないようだった。
どうしようか。坂井は思案する。ひょっとして、刑事はすべて知ってしまったのだろうか。俺が、詩織を殺さざるを得なかった理由も含めて、すべて。いや、そんなことはないだろう。あれは、俺と詩織だけが知っていた秘密のはず。そう簡単にわかるはずがない。恐らく、はったりではないか。
いや、でも、もし本当に知っていたとしたら。知られてしまったとしたら、意味がなくなってしまう。俺が詩織を殺した意味が。それは最悪だ。なんとしてもそれだけは避けなければならない。たとえすべて失おうとも。
しかし、刑事はこうも言った。まだ、誰にも話してないと。動機が分かったとして、刑事が誰にも話さないなんてことはまずない。けれど、刑事はそう言った。恐らく、それは嘘ではない。ということは、わかっているのだろうか。いや、ここは最悪の事態を見据えて、わかっていると思って動くべきだろう。
となると、俺はここで刑事の話に乗ったほうがいいのだろうか。もし仮定が正しいのなら、この刑事は良心的な刑事ということになる。なら、まだ知っている人物が少ないうちに、警察の中に秘密が知れ渡ってしまう前に、この刑事にすべてゆだねた方がいいのだろうか。
秘密を知られるくらいなら、知る人間は内輪にとどめたほうがいい。そこまで考えると、坂井は結論を出した。
「刑事さん、率直に言って、俺はあなたのことは信用していません」
「よくわかってるよ」
竹内は、すぐさま答える。
「それでも、それでもかまわないなら、一度だけ、一度だけ、あなたの話を聞きます。それでいいですか」
「ああ、かまわない。言ったろ、すべてわかったって。一度あれば十分だ」
その言葉に、坂井はぎくりとした。ひょっとしたら、この刑事はすべてわかっているのだろうか。だとしたら、あれを持っていってもいいかもしれない。
「それならわかりました。行きましょう。ただ、少し待ってください。俺にも準備があるので」
「わかったよ」
その答えを聞いて、坂井は決心した。ひょっとしたら、話すべき時が来たかもしれない。もしそうなった場合、俺は、話す。これは賭けだ。でも、その賭けに俺は乗ることにする。
昨日から着替えていなかったTシャツの上にコートを羽織る。そして、テーブルの上にあった手紙をつかみ、ついていた折り目の通り三つ折りにした後、さらに二回折って、少し迷った後ズボンのポケットにしまい込んだ。そして、満を持して扉を開いた。
その時になって坂井は気づいた。この刑事は、今朝俺を送って行った刑事だ。ひょっとしたら、あの時からずっと疑っていたのかもしれない。そんなことを思った。
竹内も坂井の様子をうかがう。だいぶ乱れた髪に、疲れ切ったような顔。こうして見てみると、不良だのなんだの言われているが、坂井智弘も一人の悩める人間に見えた。
「悪いが、徒歩で来ているんだ。警察署まで歩かないか?」
「ええ、かまいませんよ」
母親のいるリビングを抜け、玄関でスニーカーに足を通し、道路へと出る。外の風は冷たかったけれど、坂井にとってはそれほどでもなかった。十六夜がきれいに二人を照らしていた。
「きれいな月だな」
竹内がなんともなしに呟いた。坂井は、少し、この夜空のように晴れやかなになった気がした。それはそうだ。俺は、許されないことをした。けれど、このままでは罰を受けることがない。そのジレンマに苦しんでいたのだから。それから解放されるかもしれないと思うのなら、少し晴れやかになるのは当然のことかもしれない。そう思った。
十六夜が南東から静かに見守っていた。
次回から、解決編です。連続して読む方は、ご注意を。