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「それは本当なのか!? 全部分かったって!?」
「ああ、そうだよ。知りたかったことも知りたくなかったことも全部」
なぜか竹内のその声は溜息交じりだった。
「おしそれじゃあ、早速署に戻って」
「ちょっと待ってくれ」
早速止めてあった車に乗り込もうとする鈴木を、竹内は静止する。
「お前に、頼みがあるんだ」
そう言ったとたん、鈴木の手が止まった。二人の間を冷ややかな風が駆け抜ける。
「この事件、俺に預けてくれないか。全部」
鈴木は一瞬ぽかんとしたような顔をする。そして竹内を問い詰めた。
「おい、それはどういうことだよ」
「全部、俺に任せてくれないか。犯人も捕まえるし、調書だって作る。だから」
「聞いたことがねえぞ! 一人でやるなんて話!」
鈴木が叫ぶ。そんな話は前代未聞であった。通常は、刑事たちは何人かで行動する。それは、確実に被疑者を確保するためでもあり、そして汚職を防ぐためでもあった。鈴木は竹内が事実を隠蔽するとは思わなかったけれど、だからといって、一人での行動を許そうという気にはなれなかった。
「おい、忠告しただろ! 事件に深入りしすぎるなと! そりゃ、被害者や遺族が無念なのはわかるが、殺人事件が起こるたびにそうなるのか? 違うだろ」
「ああ、そうだな」
そう言った竹内の声は、驚くほど冷たく思えた。何にも動じていないように見える。
「竹内、泥沼にはまりかけてるぞ。精神を病むぞ」
「そうかもしれないな。俺は、たぶんこの事件に入り込み過ぎている。でも、鈴木。俺は、それを分かって、あえて頼みたいと思ってるんだ」
熱くなりかけている鈴木を見ながら、竹内は冷静に言う。どうしても、一人で解決しなければいけない理由があった。できることなら、その理由を大勢の人に知られたくはなかった。
たぶん、俺は変わってしまったのだろう。竹内は思う。この事件が起こるまでは、自分なりに一線を守ってきたつもりだった。鈴木の言う通り、深入りしないように気をつけていたはずだった。けれど、この事件で俺は変わってしまったらしい。坂井と、坂井越しに岡崎を見て、そう思った。今なら、彼らのために深みにはまってもいい。そう思っていた。
もちろん、そんなことをしていれば、刑事という職業は続けていられないだろう。鈴木の言う通り、精神を病むかもしれないし、場合によっては仕事を辞めざるを得なくなるかもしれない。けれど、今は、今だけは、自分の信念を貫き通したかった。
「ふざけるな! 俺はお前が心配なんだよ!」
「その心配は、同僚としてのものか?」
声を荒げようとする鈴木に、竹内は柔らかに返した。鈴木、お前の気持ちもわかる。だけど、今だけは見逃してくれ。そんな思いを込めて、意味深なせりふで返す。
「ああ、そうだよ」
「そうか。なら、鈴木忠紀。お前に、親友として頼みがある。この事件を、俺にくれ!」
どこまでも真面目で愚直で、そして荒唐無稽な竹内の台詞。それが、鈴木をいらつかせる。怒ったような、困ったような顔をして、鈴木はプルプルと震えた。そして背中を向いて、覆面パトカーのドアを開ける。
「好きにしろ」
そう言うなり、鈴木は車に乗り込み、竹内を乗せることなくその場を走り去っていった。後には竹内だけが取り残される。
「仕方ない、電車で行くか。でも、鈴木。ありがとうな」
そう独り言をつぶやくなり、竹内もその場を去っていった。十六夜の月が東南東に輝いていた。




