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自動販売機から、ガタンという缶コーヒーの落下する音がした。それを取り出し、竹内は再び缶コーヒーのボタンを押す。
「ほら、買ってきたぞ」
「ありがとよ」
購入した二つの缶コーヒーのうち一つを、公園のベンチに座って待つ鈴木へと手渡した。その横に座り込み、プルタブを開ける。百三十円のぬくもりがすごく温かい。冷えた刑事生活での体にはすごくしみた。十六夜と自動販売機の明かりが二人を照らしていた。
ここは、岡崎が問題の写真を撮ったとされている公園だ。写真の地図情報から、木の植わり具合、街灯の位置などを参考に、このポイントが特定された。けれど、この公園を重点的に捜索しても、第二の犯行現場の確証を得る証拠は発見できなかった。血痕が発見されるようなこともなく、悲鳴を聞いたような人もいなかった。今もなお、刑事たちがこの公園付近で捜索を行っているが、何かが見つかるような気配はなかった。
もう、時刻は午後十時に近づいていた。吹き荒む風は冷たさを増し、指先から凍っていってしまいそうだ。昨日から晴れ続けている空に輝く十六夜が東南東の少し南東に振れた方角から二人の顔を正面から照らしていた。
「こんなこと続けるより、トリック解明した方がいいと思うんだけどな」
「だとしたら、どうなるんだ?」
鈴木のぼやきに竹内が反応する。竹内は缶コーヒーをぐっと口に含んだ。ブラックの苦い味が口の中に広がる。なぜだろう、苦いと知っているのに、コーヒーを求めてしまう。不思議なものだ。カフェインの眠気覚ましを期待しているわけでもないのに、ついつい体が求めてしまう。自分をいじめたいわけでもないのに、糖尿病を気にしているわけでもないのにブラックを買ってしまうのはなぜなんだろう。もう一口口に含む。ああ、わかった。結局はぬくもりが欲しいんだ。だから熱い缶を買う。誰だって、微糖を好む鈴木だって、温もりが欲しいのだ。それが人のものでなくても、ただのスチールであっても、温もりを欲しいと思ってしまうんだ。そんな、どうでもいいことを思った。
「例えば、あの写真は被害者の部分が合成だったとか」
けれど、鈴木が言ったことも竹内の思ったことと同じくらいくだらない。その言葉を聞いて、竹内はやれやれと肩をすくめた。
「お前も聞いただろうが、あの写真に合成された形跡はなかった。それに、もしそれをうまく隠し通せたとして、どうやったら写真を撮った一分後にSNSに挙げられるんだ?」
「うーん、これもだめか」
的確な指摘に、鈴木がうなる。そうして微糖の缶コーヒーを一気にあおった。手の中で空になった缶を回しながら考える。
「あとは、ミステリーにありがちな、双子トリックとか」
「おい、被害者に姉妹はいないぞ」
そう指摘した竹内に、鈴木は肩をすくめた様子で言う。
「別に、兄弟に限った必要はないだろ。うん、こう考えれば辻褄が合うんじゃないかな」
そう言って、うんうんと頷いたように笑いながら、鈴木は立ち上がって自動販売機横のごみ箱に空になった缶を投げ込む。カランという金属の音がした。冷たい風が吹きつけてきて、竹内はコートの襟を立てた。
「あの写真に写っていたのは偽物、つまりそっくりさん。そう考えればすべて説明がつく。犯人は被害者からスマホを奪って、被害者に成りすました共犯者が写真を撮ってTwitterに挙げる。その時間にちょうど被害者を殺せば不可能犯罪の完成だ。これで、すべて解決」
「しないな」
鈴木の熱弁に、竹内は冷静にくぎを刺した。鈴木が固まる。
「いくら何でも、ミステリーの読み過ぎじゃないか? そう都合よく顔が似た人物が見つかるとも思えないし、だとしたら、動機は一体何なんだ?」
「知るかそんなもん。それに俺たちには、わからないことは犯人に聞けって言葉があるだろ」
自分の考えに異議を唱えられた鈴木は、適当に言葉を巻き散らかす。そこへさらに竹内が追い打ちをかけた。
「それに、最近のSNSにはかなり長いパスワードがあるらしいぞ。広報のやつが言ってた。かなり長くて十回に一回くらい打ち間違えるって。なのに、偽物が被害者のパスワードを開けられるのか? スマホにもロックがかかってるぞ」
「う、そ、それはきっとどうにかしたんだよ、たぶん」
冷や汗を浮かべながら、鈴木は適当な理論を押し通そうとする。それを聞いた竹内はやれやれと肩をすくめた。
「さらに言うと、だ。お前も聞いただろう? あの写真に写ってたのは被害者本人だ。最近のスマホは高性能らしいから、ピース写真にばっちり指紋が写ってたぞ。それを鑑識が鑑定したら、被害者の指紋と一致したそうだ。お前も捜査会議で聞いたはずだ」
「あ、確かに」
鈴木が思い出したかのように言う。そして、はっとして照れ笑いを浮かべた。
「無理だったな。はあ、いっそのこと超能力でテレポーテーションとかだったらいいのに」
「そんなわけあるか」
ごまかそうとするかのような鈴木の冗談に竹内が突っ込む。本心では、それで方がつけられたらどれだけ楽だろうと現実逃避をしながら。
風が吹いてきて、鈴木は身震いする。竹内はすっかり冷えてしまった少しだけ残ったコーヒーを飲み干した。空き缶をゴミ箱に入れる竹内を、青白いライトが照らす。
「にしても、きれいな満月だよな」
「正確には、昨日が十五夜だから今日は十六夜だけどな」
竹内の呟きに鈴木がどうでもいい豆知識を入れる。
「どっちでもいいじゃねえか、ほとんど大きさは変わんねえし」
「まあな、せっかくだから、写真でも撮ってくか? ほら、事件の証拠になるかもしれないだろ」
「何が悲しくておっさん二人で写真を撮らなきゃいけないんだ」
「確かに」
そんなことを言いながらも、竹内はスマホを取り出して、カメラモードにする。自撮りモードではなかったが、その構えたスマホに映し出された風景はアリバイを証明した写真とそっくりだった。
「被害者が写真を撮ったのってこの辺だったっけ」
そう言いながら、カメラを構える。近くの風景は、少しの誤差はあったもののほとんど同じような形だった。
「こんな感じかな。月もきれいに写ったし」
「どれどれ」
鈴木が竹内のスマホをのぞき込んでくる。
「ん? あれ? 何かおかしいような?」
次の瞬間、鈴木は素っ頓狂な声をあげた。少し遅れて竹内も声をあげる。
「わかった、わかったぞ、トリックが!」
「ああ、俺もだ。そういうことだったのか」
けれど、鈴木は一瞬にしていぶかしむような顔に変わった。
「あれ、だとしたら、なんでそんなことになったんだ? どうやって写真を撮ったんだ? それに、動機もなんだ? わけがわかんねえぞ」
「いや、俺はわかったよ」
「そうなのか?」
驚いたように、鈴木は竹内に問い返す。もうすぐそこまで、事件の解決の糸口は近づいて来ている。そう思って。けれど、竹内はなぜか憂い顔なのだった。
「ああ、わかっちまったんだよ。犯人も、動機も、何もかも。何もかも、わかっちまったんだ」