森の精霊
これから記すのは、俺が小学6年生の時に経験した不思議な出来事である。信じられないのなら、信じなくてもいい。信じないで悪いことなんてないからな。でも、俺は信じている。なぜなら――いや、ここで深いことを言うのは止しておこう。
ミーン、ミーンという絶え間なく鳴き続ける蝉の声。
ギラギラと照り付ける太陽。
時々頬に当たる、心地よい風。
そんな、うだるように暑い夏の日。
――俺は、森で遭難していた。
俺は森に囲まれた小さな村に住む小学6年生。周りより少し運動神経がいいほかには特筆すべき点は見当たらない。
名前もいたって普通で、望月雄翔というまあ普通の名前だ。漢字はかっこいいけど。雄々しく翔ぶとか、俺的にはすごくかっこいいと思う。
太陽の光を受けて輝く、青々とした木々。そんな木々が、風を受けてざわめいている。普段なら美しいと考えるはずだが、今は違った。
こいつらのせいで、方向が分からない――!
俺は、森に遊びに来ていた。
森に囲まれた村に暮らす俺達にとって、森は最高の遊び場。虫捕りや木登り、木の実採集、やれることは星の数ほどある。
ついでに森の精霊でも見れたら――なんて。
森の精霊とは、俺の住む村に伝わる伝説である。森を護るのが主な役割だが、迷い込んだ村人をさらに迷わせるといういたずらをすることもある。いたずらされたら困るが、一度お目にかかってみたいものだ。
――が、最近の大人は、誰も信じていない。
俺は信じているが、親は『バカバカしい』といって俺の夢をぶち壊す。残念だなぁ。そういう伝承好きなのに。そんな思いは喉の奥に消えた。言ってしまえば居場所を失う。
なんて森の精霊の事を考えてみたが、もし森の精霊がいるとしたら非常にヤバい。
森の精霊に会ったら俺はさらに迷い込んでしまう! まだ昼だから時間はあるけれど、下手には動けない。森のさらに奥に行ってしまうこともあるのだ。
どうしようか。考えて首を回していたとき、異変は起こった。
森の中をヒューと冷たい風が吹き抜けて、それを最後に、木々のざわめきも、蝉の唄も、風の音すらも聞こえなくなった。まるで耳が聞こえなくなったかのようだが、歩けば自分の足音が微かに聞こえることから、そうでないとわかる。
――何なんだ。
だが、不安なものは不安である。先程までは家に帰れないという不安だけだったが、今はどうだ。急な森の異変に対しての不安で、俺はゴキブリに襲われるのとなんら大差ないダメージを受けていた。
だが、その俺の不安は、次の瞬間戸惑いに変わった。
「ユウト君」
戸惑いに変わった理由、それは言わずもがな、今の声である。俺と同年代の少女の声だ。でもここにくる少女など想像がつかない。俺の村の少女のほとんどは、森では遊ばず公園などで群れる。ましてや俺の名前を知っているときた。まあその面は、たまたま一致しただけかもしれないが。“ユウト”なんて名前は割とありふれている。とはいえやはり、幻聴としか思えない。
そう思い俺は気にしなかったが、声は継続して聞こえた。
「モチヅキユウト君!」
今の一言で、俺のことを呼んでいるとしっかりと分かった。“望月勇翔”なんて名前は俺の村に一人しかいないうえ、同時に森に迷い込むなど万に一つもありやしない。
ここまでくれば、幻聴とはいえ無視はできない。
「俺の名前を呼ぶのは誰だ!」
思い切り敵意を込めて言ってみる。敵視などしていないし、むしろ恐怖でいっぱいなのだが、ここははったりでも威嚇しておかなければ、俺のプライドが許さない。特に理由はないのだが。
どうだ、俺の演技は。これで変な声は逃げてくだろう。俺はそう思ってどや顔しかけたとき、返答があった。
「あららー。そんなに威嚇しなくていいんだよ? 野生動物じゃあるまいし」
少女の声は、少し笑い声が混じっていた。俺を面白い見世物とでも思っているかのようだ。少女の喋り方に少なからず苛立ちを覚えたのは事実だが、あえてなにも言わずにしていると、少女は続けた。
「私はキリオス。この森の主よ」
明るくて楽しげな声。そう形容するのが正しいのだろう。というか、それしか思いつかない。聞いたところ地声にしか思えないのだが、アニメ声のような可愛らしさも秘め、モテるような女子はこんな声なのかな、なんて考えたほどだった。だが、その声――もといキリオスは、からかうような口調で俺に話しかけた。
「ユウト君、あれでしょ? 迷っちゃったんでしょ?」
その言葉はそう、まさに、俺の耳元で囁かれたかのように近く、小さかった。だが、息も感じないし、振り向いても誰もいない。
姿の見えない恐怖と、おもしろがるような妙に気障りな口調にのされ、俺は気付いたらこう言っていた。
「キリオス……姿を現せ」
命令口調。俺は言ってしまってから後悔した。森の主という存在は、森に囲まれて育った俺達にとって敬わなければいけない存在だろう。そんなことをしては、森に嫌われるかもしれない。俺の不安をそのまま膨らますように、夏とは思えない冷たい風――むしろ真冬の雪の中の風が吹いた。キリオスは不機嫌そうな口調で言う。
「私に命令、ねぇ……。さっきも言ったように、私はこの森の主。あなたに命令される筋合いはないの」
風と一緒に、キリオスは冷たい口調になる。だが、すぐに前の口調に戻り、楽しそうに俺の周りをくるくる回った(そうと分かったのは、声が聞こえてくる方向がどんどんと変わったからだ)。
「なんなら、森から帰る道を教えてあげてもいいけど? 私のお願いを聞いてくれるなら……ね」
願い。
なんか、おとぎ話みたいな展開になってきた。だが、帰り道を教えてくれるのなら、それは助かる。とにかく一度聞いてみよう。
「よーしわかった、聞くだけな」
「お願いされたこと実行してよ!?」
よく学校で言う冗談である。「お願い聞いて!」「いいよ!」「ノート教室から持ってきて!」「聞いたよ!」的なアレだ。それに対して焦る人などもう学校ではいないから、久しぶりにこの冗談で焦ってくれて、俺は何故か妙に嬉しかった。
「お願いってなんだよ。それ聞いてからな」
それを聞かなくては、決められるものも決められない。「帰り道教えてあげるから、ずっとここにいて!」など洒落にならない。
俺が少し大きめな声で言うと、森の主は黙った。
「うーん、そうだなぁ……」
森の主は考え込むような声をあげる。
そして、1つ深呼吸。
「私は森の主だから、森から離れることができない。だから、来てくれたユウト君にしかお願いできない」
俺は首を傾げる。キリオスは一言。
「友達になってくれる?」
なんと。超、初々しい。可愛い。キリオス可愛い。
小6ながら変態発言(言ってはいないが)っぽいものをした俺だが、一つ気にかかることがあった。おとぎ話などでの流れだ。
「そうゆうのさ。よくお伽噺とかで言ってさ。『友達なんだからずっとここにいてくれるよね!』みたいなこと言うんじゃないの?」
俺は心なしか冷たい口調になっていた。キリオスは一瞬黙って、一つ。
「『友達』って言ってくれるだけで嬉しい。私を友達と認めてくれる人なんて、誰もいなかったから」
さっきから、明るい感じの少女、という喋り方をしていたキリオスが、急に暗くなる。寂しそうだ。俺は言いたいことがなんとなく分かった。森の主は先程俺が思った通り、敬われる存在。そのため、そのような崇高な存在を友達として認めるわけにはいかないのだ。人間は、神を友達にしてはいけない。
……友達、それでいいか。
俺は思った。
道を教えてほしいのもあったのだが、俺はキリオスが可哀想になっていた。敬われるのは寂しがり屋には辛いのではないか?
俺は深呼吸して、声を張り上げた。
「ああ、いいよ。友達な。キリオス」
「え……ユウト君! ありがとう!」
そのとき、何かが変わった。木々のこえが戻り、蝉も音を刻み始めた。そして、森の木々の葉の――何とも言えない心地良い香りに包まれ、そして何かが俺の首筋に触れた。俺は肩をビクンと揺らし、すぐさま振り向いた。
薄黄緑色の髪の少女だった。輪郭はホログラムのように判然としないし、美しい長髪は風も吹いていないのになびいている。現世のものとは思えないほど、幻じみていた。でも、それは確かに実体を持っていた。俺の手を取り、嬉しそうに笑っている。軽く頬を染めて喜ぶ彼女を見て、俺は少しはにかんだ。
「キリオス……お前は何なんだ?」
「言ったでしょう。森の主」
「……森の、主」
森の主。
このような少女が。信じられない気もするが、そう思っては失礼だ。でも、俺にとっては森の主ではない。友達だ。
「約束、ね」
キリオスは指をパチンと鳴らすと、一つの方向を指さした。刹那、その方向の木がが蛍のような優しい光で包まれ、一つの方向を示した。
「光っている木がある方に進めば帰れる。まだ時間もあるよ」
キリオスは、光っている木を指さしながら言う。
俺は一つ「ありがとう」とだけ言うと、少し微笑んでキリオスを見た。そして、光っている木の方に歩き出した。
そのとき、キリオスが俺の手を掴んで、振り向かせた。
そして、俺の手を離すと手首のスナップを利かせて手に光を灯した。俺には眩しくてよく見えなかったが、光が収まると、手に小さな種のようなものがあるのが分かった。そして、キリオスはそれを俺に差し出した。
「友達の印に、これ、受け取って」
俺は目の近くに寄せてじぃっと見てみる。
よく見てみると、その種はほんのり光っていることが分かった。キリオスは微笑むばかりで、説明しようとはしない。
「なんなんだ? これ」
「森の精霊の欠片」
俺が質問してみると、キリオスは謎めいた言葉で返す。俺はうーんと唸り、そして再び種に目を向けた。森の精霊の欠片。意味は分からないが、キリオスが言いたいことはなんとなくわかった気がした。言葉では説明できないが、なにか漠然としたものは。
俺が礼を言おうとキリオスに目を向けると、あろうことかキリオスは消えていた。でも、最後に聞こえた一つの言葉を、俺は聞き逃さなかった。
「ユウト君、バイバイ」
少し悲しげなキリオスの声。やはり森から離れることはできないのだろう。俺はじゃあな、とだけ返すと、光っている木々の方に走り出した。
キリオス――彼女との体験は、今でもただの夢のようにしか思えない。俺が興奮した様子で友達に話しても、友達は――親友ですらも、「冗談だろ」と笑って返すばかりで、信じる人は誰もいなかった。でも、それはそれで好都合だったかもしれない。変に信じて森の中に入って、それに合えなければ怒りの矛先は俺に向くだろう。俺はそのあと何度か森の中に入ってみたが、キリオスの声が聞こえたことは、ついに一度もなかった。
でも、俺は冒頭で言ったように、この体験は信じている。
俺はあの後種を自分で買ったお洒落な植木鉢に植えた。その種は間もなく芽を出し、すぐに成長した。ちなみにそれは、俺が大人になった今も、毎年色とりどりの見たことのない花を咲かせ、俺の机を美しく飾っている。
だいぶ前に書いたものを投稿せずに溜め、最近リメイクしました。
父に読んでもらったところ、終わり方が良いと言われました(笑)
あと、叔父の嫁に読んでもらったところ、夏目友〇帳を思い出したそうです。
いつかほのぼのとした可愛らしい話を書いてみたかったなと思っていなのですが、書けているでしょうか?