表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/15

六章  同じ目線で……

 利知未の結婚までの話し、大学編の6章です。 90年代中頃に差し掛かる頃が時代背景となっております。(作品中、現実的な地名なども出てまいりますが、フィクションです。 実際の団体、地域などと一切、関係ございません) この作品は、未成年のヤンチャ行動、飲酒運転などを推奨するものではありません。


 利知未と倉真は、それぞれの想いを伝えられないままで、微妙な距離を保っている。 けれど、お互いの気持ちの中で、それぞれが閉める割合は増え続けている。

 もう一歩、先へ進めればと言う想いを抱えたまま、利知未の大学三年の夏休みは終わった。

六章  同じ目線で……



          一


 新学期が始まり、利知未はマスターとの約束通り、佳奈美の家庭教師の日数を増やした。

 木曜日の夕食時、高校受験まで場合によっては、もう少し増やしてもらうかもしれないと、早速、夫妻から言われた。


「今ンとこ、平気だよ?」

佳奈美は、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)な様子だ。

「樹絵に、佳奈美の半分の余裕があればな……」

つい、ぼやいた利知未の言葉へ、マスターが反応した。

「樹絵ちゃんってのは、双子の片割れだな。 そんなに大変なのか?」

「学校のプライドが高いからな。 担任から、発破掛けられてるみたいだ」

「そうか…。 …しかし、イイ学校では有るようだな」

「まぁ、色々な面で安心出来る学校では、有るみたいだけどな」

「と、言う事だが。 どうだ?」

「どうだって言われても、学費が高い事は、変わらないでしょう?」

マスターから振られて、智子が顔を顰める。

「佳奈美、あの高校へ入れるつもりなのか?」

「俺は、可愛い一人娘の安全を願っているからな。 しかし、我が家の大蔵省がイイ顔をしない」

「当たり前でしょう! 高校にそんなにお金かけて、どうするのよ? 渉だって、幼稚園に通ってるんだから」

「そー言や、もう、そんな歳か」

「今年の春から、通わせてるでしょう? 夏に5歳になったばっかり」

「成る程な。 マスター、諦めた方が、良さそうじゃネーか?」

「あたしは、東城高校でイイよ?」

「って、本人が言ってるぞ」

「しかしなぁ。 折角、お前のお蔭で、もう少しイイ高校を狙えるだけの学力があるんだ。 勿体無いとは、思わんか?」

「本人の希望が、一番じゃネーのか?」

「そう思うでしょう? もっと言ってやってよ!」

智子が利知未に言う。 どうやら最近の久世家の、家族会議・議題となっているらしい。

「分かったよ。 兎に角、色々、学校を選べるくらいの学力にして、最終的には本人の意思に従うって事で、ドーだ?」

「それって、勉強、もっと頑張れって事?」

「そう聞こえたか? イイ耳だな」

「他人ごとだな。 利知未が大変に成るよ?」

「中学生に教えるくらい、タイしたこっちゃネーよ」

「言ったね!? よーし、利知未が答えられない質問、出来るくらいに成ってやる」

「精々、頑張れ」

勉強熱心なのは、良い事だと、思う事にした。



 倉真は相変わらず、アダムの夕飯常連を続けていた。

 利知未のバイトが、金土日の夜になった事で、基本的には金・土曜にしか、会えない事になる。それでも、仕事の後に自炊をするのは、やはり面倒な事には変わらない。

「日曜も夜ってーと、アンマ遠出は無理だな」

「次のツーリングか? そーだな。 けど、朝もう少し早く出れば、箱根くらいは行って来れそうだ」

「まぁ、往復で四、五時間程度の所なら、平気っちゃ、平気っすね」

「事故だけは、起こしてくれるなよ?」

倉真と利知未の会話を、隣で聞いていたマスターが、少し心配そうな顔で言った。

「そー言や、来週の月曜、朝美の誕生日だ」

思い付いて、利知未が言う。

「ナンか、探さネーとな……」

「プレゼントっすか?」

「ねだられてンだ。 ナンでもイイとは、言うけどな」

「十五日、どっか行って、適当に見てみるっスか?」

「ツーリングじゃ、無くなっちまうぜ?」

「買い物も、タマには目先が変わって面白ソーだ」

偶に倉真から、変な敬語崩れが出ない時がある。


 利知未は思う。 『その方が何か、楽な気がするな』 と。

 同じ事を、宏治や和泉に感じるかと言えば、そうでもない。

『もう少し、対等な関係がイイな、……倉真とは』

……そうすれば、少しは。 二人の関係が、変わって行くのかもしれない。


「ンじゃ、次の日曜は、街中を走らせるか?」

 倉真には気付かれたくない思いを、無理矢理に押し込めた。 利知未は普段通り、男っぽい仕草で仕事を続ける。

「折角だ。 ハマらしいナンかを、探してみたらドーっすかね?」

「中華街か、元町辺りか……? 有名なのは、バッグとか?」

「いっそのこと、食いモンにして見るとか?」

「それだったら、酒がイイかもな。 中華街で探してみるか?」

「ンじゃ、コースは決まりソーだ。 観光スポット、流して見ますか」

「そうだな。 それならバイトの前に、飯も食って来れそうだ」

話しが決まった。


 近藤も時間通りに入り、金曜のアダムは、カウンター三人体制での営業だ。 店が混み始めてから、倉真は席を立った。 長居は邪魔なだけだ。


 伝票を持ち、利知未と短く言葉を交わした。

「ンじゃ、日曜、十時ごろバッカス前で」

「ああ。 気を付けて帰れよ?」

「ウィっす」

「ありがとうございました」

キッチリと店員らしい会釈をして、笑顔で倉真を送り出した。



 利知未が帰宅すると、レターボックスへ葉書が一通、入っていた。

「克己からだな。 …引っ越したんだ」

几帳面そうな、女文字での宛名書きだった。 どうやら、奥さんの手によるものらしい。

 前よりは本の少しだけ、利知未達が暮らす街へ近付いたらしい。

『…っつッテも、バイクで十分くらいの違いか?』

自室で地図と見比べて、確認して見た。

『けど、バイクが無くなっちまったんだ。 ……もう、一緒にツーリングへ行く事は、出来なく成っちまったな……』

寂しく感じた。 年に一度の新年会くらいは、出て来れるんだろうか? と、考える。

 けれど子供が出来るのでは、それも難しいかもしれない。


 寂しい気分を誤魔化そうと思った。 時計を見て、倉真へ電話をした。

「どうしたンスか?」

少し心配そうな声だった。 十二時近かったのだから、当然かもしれない。

「……悪い、寝てたか?」

「起きてたっすよ。 明日、休みなんで」

「ソーか。 …克己から、葉書が来てたよ」

「引っ越しの案内っスね。 俺のトコにも、来てたっすよ」

「だよな。 …タマには、アイツの職場へ飯、食いに行くのか?」

「昼は、タマに」

「なら、お前は克己と切れ難いカモな」

「昔からの、ダチっすから。 そうそう、切れるモンじゃ無いだろーとは」

利知未の声に、寂しそうな響きを感じて、気持ちが少しだけ疼いた。

「……利知未さんは、克己と切れると思ってるンすか?」

自分で、ジェラシーを感じているようだと思う。


 仲の良かったバイク仲間がバイクを止め、中々、会えなくなる事に対する、寂しさだけなのか? と、少し勘繰ってしまった。


「殆ど会えなくは、なるだろうな。 ……けど、まぁ、仕方ネーよな。 アイツも親父になるンだ。 祝ってやらネーとな」

「克己ンとこ、ガキが生まれたら、祝い持って行きませんか?」

「…それ位は、構わないよな」

声が小さくなった。

 いくら、ただの友達だと言っても、女が自分の旦那を尋ねてきて、イイ気がする妻も居ないだろうと思う。

「だったら、バイクメンバー全員で、押し掛けるか?」

「それも、イーっスね。 ついでに新婚を冷やかして来ましょう」

気分を切り替えた利知未の声に、倉真も軽い口調で答えた。

「そーだな。 ……遅くに電話して、悪かった。 少し気が紛れたよ、サンキュ」

「構わないっスよ。 どーせ暇、持て余してんだ」

「…じゃ、明後日」

「ウイっす」

 お休みと挨拶を交わして、受話器を置いた。


 倉真の声を聞いて、利知未は少しだけ、気持ちが楽になった。

 利知未の真意を知りたくなって、倉真は眠れない気分を味わった。


『ナンでも無い、……筈、だよな?』

自分の心に、言い聞かせる。

 克己からは、少し気になっていた時期があるとは聞いていた。 利知未は、本当の所はどうだったのだろう?

『…格好ワリーぜ』

自分が情け無く感じて、倉真は小さく息を吐いた。



 土曜日。 里沙が整えて行った夕食を食べていた。 朝美は、まだ仕事中だ。

「こう言うパターン、タマに有るが、何かあった時の連絡体制は、判っているな?」

自分がバイトへ出掛けてしまえば、夜、十時近くなって朝美が戻るまで、未成年だけになってしまう。

 この点が、今の下宿内での問題点である。

「分かってる。 玄関の鍵掛けて、緊急時の第一連絡先が里沙の所。 次が利知未か朝美、だよね? アダムの電話番号は、短縮3番、朝美の仕事先が、短縮の2番。 で、里沙が短縮1番。 良く解らない来訪者には、ドアチェーンを掛けたまま対応。 …ナンか、間違えてる?」

里真が、里沙達と作ったマニュアルを、暗唱した。

「平気そうだな。 冴史が戻るまで、お前が確りしてくれよ。 ……どうも大学生が里真だけだと思うと、心配になる」

「何よ? それ。 そりゃ、私よりも冴史の方が、頼りになるコト位は解ってるけど。 ……少しは信用してよね? 早くご飯終わらないと、遅刻しちゃうよ」

「…まぁ、倉真でさえ、十七の頃から一人暮らししてンだしな。 来年成人のお前が、出来ない訳無いとは、思うが」

 ぼやいて食事を終え、利知未が席を立つ。

「頼んだぞ? 双子と美加は大人しく勉強してるだろーから、後片付けも、ヨロシクな」

「了解。 行ってらっしゃい」

里真に見送られ、利知未はダイニングを出た。 そろそろ十八時四十分だ。


 一度、自室へ戻り、バイクのキーを持って、再び玄関へ向った。

 利知未が玄関を出る寸前に、冴史が戻った。

「ただいま。 今からバイト? 頑張って」

「冴史が戻って良かったよ。 今日は朝美、Bシフトだ。ヨロシクな」

「OK」

里真だけよりも余程、安心だと思えた。 冴史は色々な面で、里真よりも冷静に対応出来る。

 利知未はホッとして、バイトへ向った。



 十五日、朝は、何時もと変わらない時間に出発した。

「回る場所も近場だし、店は十時にならネーと開かないし。 それでイイだろ」

と、利知未が言ったので、十時少し前、シャッターの下りたバッカスの前で、落ち合った。

「ココから、三十分も走れば、中華街辺りまで出るか?」

「もうチョイ、掛かるかも知れないっスね」

「…ま、イーか。 急がなくても。 夕方まで、まだ時間はタップリあるし」

そう言って、のんびりと街を流し始める。


 十一時前には中華街へ到着する。 観光客で、結構な人出だった。

「流石、横浜観光名所だな」

呟いて、利知未は中学時代の、敬太との始めてのデートを思い出した。

『あの日。 ……始めて、敬太とキスしたんだ……』

思い出して、少し照れ臭い気分になる。

 軽く頬を赤くしている利知未を見て、倉真が言う。

「ナンか、あるンすか? ここに」

「……ナンでもネーよ。 …さて、どの辺り見てみるか?」

「一応、本通りトロトロ歩いて見るっスか?」

「だな」

頷いて、バイクを止めてロックをした。

「イジられネーよな?」

「平気だろ、そんな、掛からないし」

「…っすかね。 …ま、信用しとくか」


 昔、入った、中華調理用品の揃った店の前を通り、やっぱり足が止まる。

「利知未さん、マジ料理好き見たいっすね」

半分感心している倉真の声に、利知未は、また少し照れ臭くなる。

「料理くらいだよな。 女の趣味らしいのは」

「他は、バイクと酒と、ロック、っすか」

「ロック、っても、もう何年も、ギターも弄ってないからな」

「そういや、俺も随分、弾いてないな……」

「段々、そう言う時間が、無くなってきちまったな」

FOXの事も、思い出した。 懐かしい気分になる。

「また、弾いて見るか……?」

「チューニング、出来なくなってっかも知れネーな」

倉真は、少し情けない顔で言った。 それを見て、利知未が笑った。

「ピアノかなんかアりゃ、音は取れると思うけどな」

「学校の音楽室以外で、見た事ネーっスね」

「あたしも、同じ様なもんだ」


 店を後にして、色々な土産物屋を眺める。 最終的には、輸入食材が揃った、本通りを曲がった所に有る、スーパーのような所へ入った。

「酒よりも、美容と健康の為にプーアル茶にデモするか?」

「土産っぽいっスね。 酒の方が、まだプレゼントっぽくないっスか?」

「それもソーだな。 …けど、ヤッパ元町も回って見るか」

「それならそれで、移動するっすか?」

倉真の言葉に頷いて、再びバイクへ取って返した。



 元町の商店街を、徐行して走らせながら、店を探した。

 煙草の専門店を見つけて、その店内で、ライターやナイフ、パワーストーンを見つけた。

「ジッポー、イイデザインがあるな」

倉真は、自分の趣味に走ってしまう。 利知未も、つい一緒になって、商品棚を覗き込んだ。

「シンプルなのが、一番じゃネーか?」

「けど、龍と虎の、シブイの有るっすよ?」

「お前、あんなのがイイのか?」

「良く、彫れてると思うっスけど」

「ま、確かに、細かいな。 …けど、チョイやばい奴が好みそうだ」

「なら、俺でもちょーど良さそうだけどな」

「お前は、そんなにヤバイ奴でも無いだろ?」

「ドーシヨーもネー奴なのは、確かっすよ」

「自分で言ってりゃ、世話ネーな」

小さく吹き出した。 視線の先に、パワーストーンの勾玉と、皮紐を見つけた。

「……これも、朝美じゃネーな。 …ヤッパ、値は張るけど、バッグとかのが、イーのか」

「有名店、ココにあるンすよね」

「良く知ってンな」

「前、バッカスで聞いたンすよ」

「恭子さん達か」

「ンな所っす」

いくつか、綾子を連れて行って見なさいと、教えられた場所の一つだ。

「…そっち、探すか」

「腹、減ったっスね」

「もう、一時半だな。 その店、見てから飯食いに入るか」


 やはり、バッグは高過ぎて、昼食の後から再び中華街へ取って返した。 最後には、始めの予定通りに、中国の酒を三種類ほど見繕い、箱へ入れてもらった。

 利知未はそのまま、バイトへ向った。



 プレゼントは、好評とは言い難かった。

「ま、利知未らしいけど」

それでも、それなりには喜んでくれた。

「晩酌、付き合いなさいよ?」

「分かったよ。 けど、明日は学校だからな。 バイトから帰って、一時間くらいしか無理だぞ?」

「構わないよ。 じゃ、行ってらっしゃい」

今月は連休が、二回あった。 その内の一日だけ、朝美は希望シフトで始めから休みを取っていた。 社員だって、五人は居る。 取れ無い事はない。


 バイトから帰宅して、美加が作ったケーキを、利知未も一口だけ相伴した。

「一応、腕は上がってんだな」

「ソー言ったでしょ。 樹絵たちは喜んでたよ」

「デコレーションケーキなんて、何時の間に覚えたんだ?」

「あたしの為に、頑張ってくれたんだよ。 可愛い子だ」

「ただ単に、ケーキ作りが楽しいだけ、なんじゃネーのか」

「まぁた、減らず口! 素直に人の好意、有り難がれ無くてドーすンのよ」

その言葉が、違う意味で利知未の気持ちに引っかかった。

「……ソー言うの表に出すのって、チョイ恥かしくネーか?」

「もしかして、ナンかあった?」

「…ナンもネーけど」

ただ、最近の倉真の行動は、自分を守ってくれ様とする姿勢が、伺える。


 それが、例えば倉真が、どんな相手に対してでも、自然に現れる姿勢だとしたら?

『……他の女が相手でも、ヤッパ同じ、ナンだろーな』 思って、…チクリ、と、痛みを感じる。

……そうだとしたら。 他の女に対して、あの優しさが発揮された時。

 イイ相手が、出来てしまうかも知れない。 少し、不安を覚えてしまう。

『……これって、ジェラシー、なのか?』

 ……ジェラシーなのかも知れない。 余り、認めたい感情では、無いけれど。


『あたしと倉真の関係が……。 今までのまま、変な先輩・後輩みたいな、そう言う関係である以上は……何も』

せめて倉真と、対等な関係で居る事が出来れば。

『……何、期待してンだ? バカバカしい』


「何、考えてンの? 噂の、年下くんの事かなぁ? りっちゃん!」

 ニヤニヤした朝美に言われて、考え事から気が反れた。

「なんだよ、それ? ……ンな訳、ネーだろーが」

少し赤くなって、利知未が酒を煽る様子を、朝美が面白そうに見ていた。




           二


 九月中旬からの二週間、利知未はバイトの無い日を、勉強に集中して過ごしていた。 月末に、テストが予定されていた。

『ヤッパ、年末でバイト、辞めるか……?』

どうも、専門的な事になってきて、益々、付いて行くのが大変な感じだ。

『知恵袋の透子も、アテに出来なくなっちまったし』

勉強の手を止め、ふと溜息を漏らした。


「何、溜息なんか付いてんだ?」

 今日も利知未の部屋で、勉強をしていた樹絵から突っ込まれた。

「お前には関係無い事だ。自分の勉強へ集中してろ。」

利知未は、手を煩そうにヒラヒラとさせる。

「解らないトコ、アンだけど?」

「またか……。 シャーネー、寄越せ」

樹絵のノートと、参考書を受取った。

 参考書をチェックしている利知未へ、樹絵が何気なく問い掛ける。

「……なぁ、倉真とは、どうなってんだ?」

「…何の事だ?」

「良く二人で、出掛けてんだろ?」

「別に、どうもなってネーよ。 昔から、変わってネー。 ……どー成り様があるってンだよ?」

『これって、逆ギレ?!』

樹絵はそう感じて、ニヤリとしてしまう。

 どうやら倉真の事は、特別に意識し始めている様に、見受けられた。


「お前は、ジュン達と最近、遊びに行ってネーな。」

自分のネタから話しを反らす為に、利知未が切り返す。

「受験勉強、苦労してんジャン! …遊んでる暇、在る様に見えるか?」

「判ってンじゃネーか。 今もコーユー話し、してる暇はネーよな?」

参考書とノートを、突っ返された。

「その頁の上ンとこ、もう一回、読んで見ろ」

「何処?」

渡された参考書を眺めて、ア、と思う。

「ココ、関係アンのか」

「あるから、言ってンだ。 その解き方の応用だろーが」

手取り、足取り教えてやっている暇は、利知未にも無い。 レポートは勿論、テスト勉強が大忙しだ。 それでも樹絵は、利知未に見てもらう方が解る。

「ンじゃ、またこの頁やって見よう」

 樹絵も、最近の利知未のやり方に慣れて来た。 素直に勉強を再開した。



 随分、ストレスが溜まって来た。 利知未は、月末の日曜を一日、休ませてもらう事にした。

「気晴らし行ってこなけりゃ、身が持たネー…」

水曜のバイト後、利知未のぼやきに、マスターが聞く。


「そんなに、難しく成って来たか?」

「症例とか、その処置方法とか、知識だけ詰め込もうとしたってドーにもならネーみたいだ。 …実験解剖とかは、手順だけの事だし。 実施的なことは五、六年のインターンでやる事になンだろ? それまで、卓上の議論って感じだ」

「そりゃ、お前には大変な勉強だな」

「本読むより、体験して覚えるタチだよ」

「お前は、珈琲もそうだったな。 分量や時間は、目安にしかしなかった」

「けど、キッチリ覚えたぜ? ……なぁ、別所の覚え具合は、どうだ?」

「アイツは、お前とは逆だな。 ナンでもメモに残すタイプだ」

「ソーか。 …ンじゃ、返って、あたしよりも有望かもな」

「考え様によってはな。 真面目だし、もう少しタレント性が有れば、お前の代わりにも成れるんだが」

「ナンだよ、タレント性ってのは」

訳の分からない単語に、利知未の目が丸くなる。

「客の心を掴んで、常連になってもらう事が出来るかどうか? って事だな」

「この店は、ホストクラブかよ」

「お前と瀬尾と皐月のお蔭で、そんな雰囲気だ」

「なんだよ、そりゃ」

「個性豊かなバイト連中だよ。 近藤も、意外とファンがいる」

「…良く解らネー店だぜ。 味で勝負してる店じゃ、無かったか?」

「当然だ。 だが、売上向上に繋がるなら、タレント性も考慮すべきだろう」

「だったら、タレント手当て、寄越せよな」

「またお前は、そうゆう事を言うのか」

マスターが、少し呆れ顔になった。

「当たり前だ。 ……どうも、バイト続けるのが難しくなりソーだ。 今の内に、金稼いでおかなきゃ、後が大変になる」

「辞める事を、考えているのか?」

「……マスターにはワリーけど、限界かも知れネー。 マジ、年末で辞めても、イイか……?」

真面目な顔つきになって、利知未が言った。


 今年に入って、ずっと考えていた事だ。 ……それでも、この場所は、利知未にとっても思い出深く、大切な空間で有る事は変わらない。

 悩んだ末に、出した結果だ。


「お前の夢は、医者になる事だな?」

「夢ってーか、目標だ」

「だったら、止める訳にはいかないだろう。 アダムは、夢と目標を持つ人物を、応援する職場だ」

「…サンキュ、マスター」

 マスターの言葉に、利知未は深く感謝をした。

「佳奈美の家庭教師は、続けられそうか?」

「ソッチは、週に1、2回の事だからな。 何とかなる」

「それを聞いて、安心したよ。佳奈美も喜ぶ」

「本気で、佳奈美には激甘だよな。 マスター」

「愛娘だ。 甘くなるのは、当然の親父心だろう」

「…ま、イーけどな」

 すっかり、彼に対する想いが浄化した事を、利知未は再確認した。



 木曜は佳奈美の勉強を見に行き、金曜のアダムで倉真と話す。

「次の日曜、休み貰った。 ストレス解消に、付き合ってくれるか?」

「休めたンスか? 勿論、付き合いますよ。 ンじゃ、久し振りに、チョイ遠くまで走らせるっスか?」

「ソーだな。 思い切り、飛ばしたい気分だ」

「事故だけは、起こさないでくれよ」

今日もマスターが、二人に言った。

「充分、気ィ付けます」

倉真が、その言葉に答える。

 仮に自分が事故っても、利知未だけは無事に、と思う。

「久し振りに、箱根方面、行ってみるか」

「イイっすね。 この前は伊豆方面、行ったし」

 あの時の事を思い出して、二人が微妙な雰囲気となる。

『……どうやら、上手い事行っているようだな』 そう見て、マスターが微かに、笑みを見せた。


 店が閉店し、後片付けをしている時、近藤から頼まれた。

 日曜日の変わりに来週の月曜、バイトへ入る話しが決まる。 どうしても、月末の決算関係で、今月は大変そうだと、昼間の仕事が忙しい話を聞いた。

「近藤さん、そろそろアダムの正社員に、なっちまえばイインじゃネーか?」

「後、少し貯金を増やしたら、そうするよ」

「ソーか。 月曜は、分かったよ」

「悪いな」

返って、仕事の日数は変わらなく、収入に響かなくなる。 丁度良い申し出だった。

 十分程で仕事を終え、タイムカードを打ってアダムを出た。



 双子も、いい加減、ストレスが溜まり始める。

「なー、一日くらい息抜きしなきゃ、身が持たないよな」

「息抜きする暇、あるの?」

「けどさ、明日は利知未も朝からデートだろ? だったら、勉強教えて貰えない訳だし」

「利知未、デートなの?」

「だろ? 倉真とツーリング行く見たいジャン」

「あの二人は、付き合ってるって事?」

「本人は否定するけど、ソーとしか見えないよな」

「…ソーか。 何時の間に、そんな関係になったんだろ?」

「さぁ。 けど、去年のキャビン後から、二人で出掛ける事、多いジャン」

樹絵に言われ、秋絵も成る程と納得してしまう。

 同時に、準一と樹絵はどうなっているんだろう? とも思う。

「……そーだな。 タマには、遊びに行こうか?」

「ジュン、暇かな?」

「電話、してみればイイじゃない」

「ソーする!」

一気に元気になって、樹絵がリビングへ走った。

 双子の部屋には、電話は設置していない。 どちらが管理するか揉めるからだ。 一人1台持つほどの必要も、感じてはいなかった。


 準一は、二つ返事でOKした。

「足があった方が、便利だよね。 和尚も誘っとこうか」

「暇、あるのか?」

「今、工場で派遣社員してるんだ。 多分、日曜・祝日休みの筈だよ」

「そっか、じゃ、久し振りに四人で行こう」

「宏治は、明日も里真ちゃんとデートか?」

「多分ね。 里真、デート前日は夕飯おかずしか食べないから、直ぐ解るンだよな」

「緊急ダイエット?!」

「なのかな?」

「そーか。 オレもまた、ナンパでもするかな」

 笑いを含んだ声と言葉に、樹絵は一瞬、ムッとする。

「…ジュン、彼女、よく変わるよな」

「彼女? 特別にはいないよ」

「友達だって、言うのかよ?」

「友達だよ」

「…友達と、……ソーユー事、すンのか…?」

「乗りが合えば、ソーゆーコも居る」

「……ソーかよ。 ンじゃ、明日」

「和尚の車で、下宿まで迎えに行くよ。 十時過ぎでイーか?」

「…それ位で、イイよ。 ジャーな」

 受話器を置いて、樹絵は自分の目に、涙が滲んでいる事に気付く。

『…アイツは、アーユー奴だよな。 ……前から』

気を取り直して、呟いた。

「アーア、大学行ったら、あたしも誰かと付き合ってみてやろう…!」



 夜、十一時半近くに、利知未が帰宅した。

「お疲れ。 今夜も晩酌、付き合いなさいよ?」

風呂から上がり、冷蔵庫を物色していた朝美が声をかける。

「明日も仕事だろ?」

「昼からね。 ホワイトボード、里沙からの伝言、見た?」

「…明日、午後からこっち来るのか」

ダイニングキッチンに置いてある、ホワイトボードだ。 ざっと視線を走らせた。

「後、少しで片付く仕事があるから、ついでに夕飯の仕度してくれるって。 マジ助かるよ。 けど、旦那さんに気の毒かしらん?」

「仕事じゃ、ショーがネーンじゃないか? …っても、確かに気の毒か。 まだ、新婚だしな」

「子供作る暇、無さそうだよね。 このままいったら、高齢出産決定だよ」

「大変だろーな」

姪っ子のヤンチャさ加減を思い出し、子育ては大変そうだと、改めて思う。

 ただしアレは、特殊な例かもしれないとも、思った。


 先に風呂へ入り、晩の惣菜を摘みにして、朝美と飲み始めた。 既に十二時を回っている。

 明日は、九時にバッカス前だ。 遅くとも二時前迄には、ベッドへ入りたいと考える。 一時間ほど、朝美に付き合う事にした。


 利知未は今夜も、朝美から突っ込まれた。

「明日、デートだって?」

「ツーリング行くだけだ。 誰がンな事、言ってンだよ」

「樹絵が言ってたよ。 明日は、あの子達も気晴らしに出掛けるって」

「中間直前に、余裕カマしてンな」

「どーせ、教えてくれる人が出掛けちゃうんだから、息抜きに行くンだって、言ってたけどね」

「あたしは、樹絵の勉強状態を気にして、予定を立てなきゃならないのか?」

「アンタだって、月曜にテストがあるって、ぼやいてたじゃない」

「この調子じゃ、テスト前にストレス死しちまうぜ」

「だったら、お互い様だ」

「そりゃ、まぁソーだけどな。 ……デートって、言われるとな」

機嫌が悪そうな顔をして、利知未はタバコへ手を伸ばす。

『デートって、言えるような関係じゃ、無いンだけどな……』

落ち込んだ様な気分になる。


 ……せめて、同じ目線で物を見る事が、出来る様になれば。

 少しはデート気分にも、なれるのかもしれない……、と、思った。



 翌日、利知未が出掛けて暫くした頃、準一が和泉と、樹絵達を迎えに来た。

 和泉も、久し振りに双子と顔を合わせた。 樹絵の希望でボーリングへ行く事になる。 ゲームもしたいと言い出した。

「ストライク、パカーンと決めて、ゲーセンで、アクションゲームで連勝したら、気分も晴れるかもしれない」

「どっちを先にしたいんだ?」

「どっちでも! 後、他にも、どっか回ろう!」

「じゃ、ボーリングを最後にして、適当にドライブでもしようか」

「ドライブ先で、ゲーセンとボーリングが在れば、もっとイイな」

昨日の電話で感じたモヤモヤも、ボーリングのピンと一緒に、ぶっ飛ばそうと思った。 何時も以上に元気に振舞う。

「よっぽど、ストレスが溜まってんだな」

準一は全く気付かないで、呑気な感想を言う。

「溜まり捲ってるよ」

樹絵は、一言で答えた。


 その日は、準一の事を気にしない様に、なるべく全員で行動した。

 和泉が夏の牧場での経験談を、色々と話してくれた。


 和泉は、口が達者な方ではない。 双子に突っ込まれるまま、答えて行く。

「スッゲー、大変そうだよな。 面白いと、思ったのか?」

「身体を動かすのは、好きだからな。 楽しくやっていたよ」

「将来、由香子のお父さんの牧場で、働くの?」

「渡米するのは、大変だな。 けど、彼女が育った環境が、どんな物だったのか、興味があった」

「イーな、一途な感じで。 ……その内、わたしにも、ソー言う相手が出来るのかな?」

秋絵の呟きに、和泉が何かを感じる。

『秋絵ちゃんは、何か悩み事でも抱えていそうだな』 そう思った。

 準一は、何処までも呑気だ。 全く、樹絵の変化にも、秋絵の呟きにも感じる事が無い。 相変わらず、自分に関わる問題には鈍感だった。

「男、探しに行ったらイイジャン? 女の子に人気のスポットなら、それ目当てのオレみたいなのが、結構、構えてンよ?」

ヘラリと笑っている。

「…お前は。 本当にナンにも、解って無いンだな」

和泉が呆れて呟いた。

 後部座席で樹絵が、急に言葉が少なくなって、窓の外を眺め始めた。



 里真と宏治のデートは、何時も昼頃からになる。

 宏治の仕事が毎晩、夜中までだ。 折角の休日に早起きさせるのは可哀想だと、里真は思う。 今日も昼頃、宏治が下宿まで迎えに来てくれた。

「一時二十分上映ので、イイか?」

「いいわよ。 吹き替えじゃなければ」

「それは、大丈夫だよ」

映画館へ向う途中、里真が言う。

「ね、来月の中旬過ぎ、冬桜見に行かない?」

「冬桜? ああ、去年、朝美さんが言っていたな。 ……もう、そんな時期か」

「早いね。 アレから一年経っちゃった。 大学入ったら、もっと呑気に出来るかと思ってたのに、やっぱり利知未が言った通りだったな」

「短大は、忙しいか?」

「うん。 でね、お花見行く時、何時もより早く出ないとならないけど、宏治は大丈夫?」

「平気だよ、前は専修学校行きながら、店を手伝ってたんだ。 早起きも苦にはならない」

「そう? じゃ、その日は頑張って、お弁当作るね!」

「楽しみにしてるよ」

「宏治の方が、お料理上手だとは思うけど」

「仕事だからな。 けど、里真の卵焼きも、好きだよ」

「ホント!? じゃ、頑張っちゃおう!」

「あの、形が微妙な所が、味があるよな」

からかわれて、里真が少し脹れる。

「持ち上げといて、一気に落とすんだから!」

宏治が、その里真をチラリと見て、可笑しそうに笑った。



 同日、午前十時前の事。

 妊娠も五ヶ月近くなり、響子のお腹が目立ち始めた。 それでも家事をキチンとこなす響子へ、克己が心配し過ぎて声をかける。

「重い物、持つなよ? 洗濯くらい、オレが干してヤらぁ」

「貴方が干すと、皺だらけになっちゃうわ。 大丈夫。 のんびり、テレビでも見ていて」

クスリと笑って、響子が言った。

「今日は、お天気も良いわね」

克己がベランダへ出て来て、響子を手伝い始めた。

「ソーだな」

 バイクがあれば、良いツーリング日和だと、克己は思う。

「はい! ちゃんと、パンパンして!」

響子が笑いながら、克己の手元の洗濯物へ手を伸ばし、ピッチで止められたシャツを、掌で叩く。

 克己は響子の笑顔を見て、これで良かったのだと思い直した。

「……オートバイ、本当に売っちゃって、良かったの?」

何気なく、響子が言い出した。

「バイクじゃ、お前を乗せて病院へ行く事、出来ないだろ?」

「……ありがとう。 けど、館川さんとか、他にもオートバイ仲間が沢山、居たんでしょう?」

「あいつ等は、バイクが無くなったからって、簡単に切れるようなヤツ等じゃネーよ、心配スンな。 ……後で、買い物行くか? 車出すぜ」

「ありがとう。 けど、どうせだったら、ドライブへ連れて行ってくれる?」

「つわりは、平気なのか?」

「最近、随分、楽になったから大丈夫よ。 こんなに天気が良いンだもの。家でジッとしてるなんて、勿体無いわ」

「…そうだな。 洗濯終わったら、出掛けよう」

 笑顔で頷く響子を見て、今の幸せを、克己は感じた。




           三


 利知未と倉真は、何時も通りにコースを決めた。

「途中までは、何時も通りだな」

「っスね、適当に休憩挟みましょう」

「休憩所まで、バイクを交換して行かないか?」

「構わないっすよ?」

二人は、バイクを交換して走り出した。 普段は、峠に入る前に交換する事が多い。

 倉真は少しだけ、利知未の言葉に違和感を覚えた。



 利知未の先導で、来宮駅近くのコンビニまで走らせて行った。 一度、休憩を挟み、再びそれぞれの愛車へ跨る。

 一服付け水分を補給して、走り出す前。 利知未がふと、思いついた。

「タマには、レースでもしてみるか……?」

「らしくないっスね。 危ネー運転は、しないんじゃネーっスか?」

「だから、タマには、だ。 ……あたしが負けたら、ロングヘアーにするから、お前が負けたら、モヒカン、止めネーか?」

「髪型、賭けるンスか? ……そーだな、利知未さんのロングヘアーも見てみたいかもしれネー。 イイっスよ、賭けレース、受けた。」


 バイクの性能差もある。 利知未の提案で、コースを二手に分かれた。 目的地まで、どちらが早く到着するかで、勝負を決める。


「コイントス! 裏か、表か?」

「裏」

「じゃ、あたしは、表だな」

 利知未の左手が、右手の甲から外される。

「俺の勝ちっスね。 ンじゃ、20号、取ります」

「11号の方が、走らせ易いとは思うけどな」

「バイクの性能、考えてるっすか? 負ける気、しネーな」

「まぁ、イイ。 行くぜ? ……GO!」

二人のバイクが、駅から右と左に別れて走り出す。


 直線に直した時、倉真の取った20号の方が、距離的には短い筈だった。

 利知未の取った11号は、整備されている道だ。 バイクだから、車の脇を抜けて行く事が出来る。 信号如何(いかん)では、20号よりも早く到着するだろう。



 利知未は、何時もにも増してスピードを上げ、車の脇から脇へコースを取り、グングンと道を進めて行く。

『何、考えてんだ……?』  走らせながら、利知未は思う。

『ただ、飛ばしたいだけだった……。 あいつの前でアンマ飛ばすと、心配させちまいそーだったから……』


 いくつかの信号を、変わる前のギリギリで抜けて来た。 偶に右折車両が驚いて、ブレーキを掛ける光景に出会う。


『………何時かの、朝みたいだ』


 敬太と別れた朝。

 涙が滲んで、ハッキリしない視界でバイクを飛ばして、何度か危ない目に遭った事を、思い出した。



 倉真は、距離的にも余裕をカマしてしまう。 それなりに、カーブの多い道を楽しみながら進めて行った。

『けど、二人でツーリング来た意味、アンマネーよな、コレ』 とも思う。

コースを分かれる前の、利知未の様子を思い出した。 段々と気になり始めた。


『利知未さん、どっかで事故、起こしたりしてネーよな……?』  心配になってくる。

『……まさかとは思うが、無事だよな』  何故か、胸騒ぎが強くなってくる。


 やはり、さっきの利知未の様子は、何時もと少し、違っていた様な気がして来た。

 無茶な運転はしない主義の利知未が、どうして行き成り、レースを言い出したのか?


 バイクを交換するタイミングも、いつもと違った。 二人のコースを変えたと言う事は、お互いの姿を確認しながら走らせる事も、出来ない。


 ……それは、やっぱり、可笑しくないか……?  そう感じる。


 悪い予感に囚われて、倉真は祈る様な思いで、スピードを上げた。

『……無事でいてくれよ、………利知未!』



 二人のコースがぶつかる交差点で、利知未は信号に捉まった。

『倉真、もう、到着しちまったか?』

大人しくバイクを止め、信号が変わるのをじっと待った。


 20号線側の信号が青から黄色に変わる。

 更に赤へと変化する間際、倉真のバイクが、坂を上がって来た。


 利知未は、微かに笑みを浮かべて、自分の信号が変わる寸前、倉真へ軽く手を上げ、合図を送って走り出す。


 利知未の無事な姿を目にし、倉真は安堵した。 それと同時に勝負の結果を、この時点で確信してしまう。

 ここから先は直線で、百数十メートルと言う所だ。 目前の信号が変わってから走り出して、追い抜くことは難しい。 それでも、一応は悪足掻きをして見る事にした。

 走り出して直ぐ、ギアをサードまで上げていく。



 ゴール目前で、利知未はスピードを緩めた。 ミラーに倉真のバイクを小さく認めた。

 その一瞬、視点が前方から外れる。


 公園の出口付近で、男の子が手を滑らせて、愛犬のリードを落としてしまう。 小型犬が、同じ仲間の姿に向かって、走り出してしまった。

「ノア!」

慌てて愛犬の名前を呼びながら、男の子は出口へと駆け出した。

「健太!」

男の子の母親が、愛犬を追いかけて駆け出した息子を、更に追う。



 利知未が視点を前へ戻した時、小さな白い影が、その視界へ飛び込んできた。

「……!」 声にならない叫びを、見開いた目が上げる。


 慌ててハンドルを切り、ブレーキを掛けた。 バランスを崩し、そのままバイクが、物凄い音を上げながら横倒しになる。

 利知未は愛車から、軽く投げ出されてしまった。


 目前で起こった事故を、倉真は信じられない思いで凝視した。

 直ぐに急ブレーキを掛け、バイクを道の端へと止める。 慌ててスタンドをかけ、ヘルメットを脱ぎ捨て走り出す。


「利知未!!」   反射的に、そう叫んでいた。


 利知未のバイクは、公園への入り口付近へ横倒しになっている。

 公園側の歩道へ、体は投げ出されていた。


 スピードを抑えたタイミングだったのと、歩道が広めに設けられていた事が、幸いした。

 車道側へ転がっていたら、二次事故を引き起こしていたかも知れない。


 投げ出された拍子に、軽く頭を打ったらしい。 気を失い、意識は闇の中を彷徨っていた。


 男の子は、びっくりして動けなくなった愛犬を、抱きかかえた。 目の前で起こった事故に驚いて、そのまま直立不動となる。


 母親が、男の子の元へと、漸くたどり着いた。

「健太! 怪我は無いわね? ……良かった」

小さく安堵の息を漏らす。 それから、倒れているバイクと、その持ち主を心配し始めた。

 じっと動かないライダーの様子を見て、慌てふためく。


 倉真が、倒れている利知未の傍らへしゃがみ込み、必死に声を掛けていた。

「利知未! 大丈夫か?! 俺の声が聞こえるか?!」

下手に動かすことも出来ず、ただ呼びかけ、何とか本人が自ら意識を取り戻すのを、待つしか出来なかった。

『まさか、マジ、利知未が事故るなんて……』 信じられない思いだ。

『俺が事故っても、利知未だけは無事にと、思ったばっかりだぜ?』

 倉真の何度目かの呼びかけに答え、利知未が、薄っすらと目を開けた。


 ぼやけた視界が、徐々に回復していった。 真剣な表情で、自分に呼び掛けている倉真の顔が、利知未の意識を現実へと引き戻す。


「……倉、真……?」

「利知未、気付いたか…? ……良かった」

ホッとし、また直ぐに心配な顔になる。

 利知未はゆっくりと、半身を起こした。 少し、頭がクラクラしていた。 ヘルメットを、やっとの思いで自力で脱いだ。

「犬、無事だったか…?」

自分の事よりも、飛び出して来た犬を心配している。 倉真は、呆れ半分で感心をしてしまう。


 母親の声が、後ろから近付いて来た。 慌てて、やや裏返った様な声だ。

「済みません! 大丈夫でしたか?!」

声に反応して、倉真が軽く振り向いた。 利知未は、ゆっくりと体の各部分を動かしてみる。

 自分で、異常ないことを確認して、納得して母親の質問へ答えた。

「大丈夫です。 チョイ、擦り剥いたかな?」

ジーンズの膝と、ジャケットの肘の部分が血で汚れていた。

『ガキの頃、よくこんな傷、作ってたな……』  ふと、昔を思い出した。

 母親に肩を抱かれ、犬を抱いた男の子が、不安そうな表情で、利知未と倉真を見つめていた。

『小学校、三年位か……? ……あたしも、あの位の頃、少しだけ犬飼ってた事、あったな』



 大叔母の家で暮らし始めて、まだ一年くらいの初夏の事だ。 裕一も、まだ生きていた。

あの頃、裕一が高校二年で、優が中学一年だった。


 利知未が、学校帰りに見つけてきた柴犬の子犬を、芝生が敷き詰められた広い庭で、構って遊んでいた。

 大叔父もまだまだ元気で、よく利知未をモデルにして、油絵を描いていた。 利知未たち兄妹の中でも、特に利知未がモデルとしては、お気に入りだった。

 じっとしているのが嫌いな利知未は、声を掛けられる度、逃げ回っていた。


 当時、大叔母夫妻は、利知未たち兄妹を自分達の養子に入れてしまおうかと、真剣に考えていた。

 ……それくらい、夫妻は三人を可愛がってくれていた。



 懐かしい思い出に、利知未の頬が緩んだ。 コケて出来た傷は、勿論まだ痛んでいる。 立ち上がろうとしている利知未に、倉真が手を貸した。

「平気か?」

「……怪我は、掠り傷だ。 平気だ」

倉真に支えられて、立ち上がった。 横倒しになっているバイクへ歩き出す。

 心配な表情が、倉真の顔に張り付いている。 利知未は小さく笑って見せる。

「まだ、肘と膝がジンジンしてるよ」

バイクの傍らで、しゃがみ込んで手を伸ばす。 引き起こそうとして、倉真に制された。

「俺が起こす」

「サンキュー」

利知未は素直に、倉真にバイクを任せた。


 その姿を後ろから見つめて、意識が闇の中を彷徨っていた時、微かに聞こえていた、自分を呼ぶ倉真の声を思い出した。


『いつも、あんな風に声、掛けてもらいたいな……』

 自分を、現実へ呼び戻してくれた倉真の声が、心地よく感じていた。

『変な尊敬とか、されないで……。 対等な、関係で』

 ただ、普通に。 男と女として。

『そんな関係に、なれたらいいのに……』


 倉真が起こして、スタンドを掛けてくれたバイクの傍らにしゃがみ込んで、故障箇所が無いか、チェックを入れた。

 後ろで前屈みになり、倉真が同じ様にバイクを点検している。

 クラクションの音で顔を上げた。 右折車が、曲がれないで困っている。

「俺のバイク、邪魔になってんな。 持ってくる」

「ああ」

短く返事を返した。 そこへ恐る恐る、親子が近づいて来た。

「あの、大丈夫でしたか? オートバイの修理代は、こちらで持ちますので。 本当に、すみませんでした」

 子供が手を滑らせて、犬のリードを落としてしまって…と、説明しているところで、倉真が自分のバイクを押して来る。 二人の話を聞きながら、近くへ止めた。

「バイク、どんな感じっすか?」

「塗装が剥げたくらいだな。 他は平気そうだ。 ……パト、呼んでないよな?」

「俺は、呼んでないっすよ」

「そーか」

「お怪我のほうは……? 治療費も、こちらで持ちますので」

 母親が、再び会話に参加した。 利知未がにこりと、笑顔を見せた。

「あたしは、平気です。 犬は?」

 男の子の腕の中で、元気に尻尾を振って、一声あげた。

「何ともなさそうだな? 良かったよ」

その犬の頭と首を、くしゃくしゃと撫でる。 益々、嬉しそうに、犬が利知未の手を舐めた。くすぐったい感触に、くすくすと笑う。

「お前、駄目だろ? こんな所でご主人様の傍、離れちゃ。 ……もう少しで、轢かれるトコだったんだぞ」

気持ち良さそうにしている。 その犬の様子を、利知未は柔らかい表情で見つめる。

 一頻り、怪我をしていないほうの手で、犬を撫でていた。


 治療費と修理代を払うという母親に、利知未は柔らかく断りを入れた。

 けれど、それでは気が済まないと言われて、バイクの塗装代だけ払って貰う事にした。 修理が終わったら、領収書を送るといって住所だけ聞いて、二人と別れ、公園の駐車場へバイクを押して入った。



 バイクのサイドバックから、応急の救急セットを取り出した。

 公園へ徒歩で入っていく。 水道を探した。

「取り敢えず、怪我を洗わないとな」

「本当に、他は何ともないんすか?」

「こうやって、普通に歩いてるだろ? 心配し過ぎだ」

「…なら、イーんすけど」

ベンチの傍にある水飲み場を見つけ、利知未は救急セットを置いた。

 水道の蛇口の下へ、傷口を持っていって怪我を洗った。

「…っつ、やっぱ、沁みるな」

ジーンズも膝の上までたくし上げ、足の怪我も洗う。 乾いたタオルで水を拭き取り、ジャケットを脱ぎ、肘の部分をジャブジャブ洗う。

「水だけじゃ、落ちネーな」

固く絞ったジャケットを、目の高さまで上げて、汚れをチェックした。

「新しいの、買った方が良さそうだ」

「シャーないっすね。 傷、見るっすよ」

「いーよ、自分で出来るから」

倉真は、利知未をベンチまで連れて来て座らせた。


「…何か、妙な気分だな」

「何が?」

「今まで、人の怪我の手当した事は多かったけど、自分が手当てされた記憶は、中学以来だ」

「利知未さん、中々、怪我しないっすからね」

 消毒と傷口のガードをして、一応の手当てを終えた。

「慣れてンな」

意外と手早く処置を済ませた倉真に、軽く感心した。

「怪我は、俺の専売特許っすから」

「よく絆創膏だらけで、バッカスで飲んでたよな。 …昔から」

「っすね」


 タバコを出して、一服した。 利知未が思い付いて言い出す。

「賭けは、あたしの勝ちだな。 頭、剃って来いよ?」

「マジっすか? ……ま、シャーネーな。 賭けは賭けだ」


 この結果だ。 無かった事にしても、良いような気もする。

 だが、何よりも利知未が大した事も無く済んだ事に安堵して、倉真は素直に頷いた。


「お前も二十歳になったんだし、何時までもそのままってのも、変だよ」

「…そーっすね。 どーせ、バイク乗るときは寝かしてンしな。 改めて今度、堂々と飲みに行きましょう」

「髪が生え揃ったらな」

くすりと、利知未が笑う。 そして続けて言った。

「それと、変な敬語、使うのやめろよ」

「は? これから、勉強し直せって事っすか?」

「違うよ。 ……さっきので、イーよ」

利知未は照れ臭くて、誤魔化す為に男っぽい笑顔を見せる。

「肩、凝るんだよな。 ……お前に、そーユー言葉、使われると」

タバコを銜えなおして、煙を吐いた。

「…って、言われてもな。 ドーすりゃ、イーんすか?」

「あたしが勝ったんだから、言うこと聞いて貰おうか?」

「それは、賭けの対象になってたんすか?」

「…あたしが、ルールってことで」

「勝手だな」

「イーんだよ。 あたしの勝手は、今、始まった事じゃネーだろーが」

「……ま、そーっすね。 …マジ、変えるんすか?」

「当然」

面白そうに笑ってみせる。 タバコを吸い切り、灰皿で揉み消した。

「じゃ、飯でも食いに行こーか」

「そー…、だな」

感情的になって、何も考えていなかった時とは違う。 一瞬、言葉が止まって言い直した。

 倉真が直した言葉に、利知未が男前な笑顔を見せた。

「それでヨロシク」

軽くウインクして、倉真を指さす。


 気持ちが、少しだけ楽になる。

『先ずは、ここから……』  心の中で、呟いた。

 ……言葉が変われば、自然と二人の目線が同じになってくれるかもしれない……。

『……それでも』

自分が倉真を異性として、特別な感情で想い始めている事は、なるべく知られないように……。

『その想いが、倉真にとって重いものになってしまったら、嫌だから……』

今まで通り、こうして月に何度か、二人きりで出かけることが出来れば、それでいい。

 どうせ当分は勉強が忙しくて、倉真のことを思い続ける時間は、あまりないだろうとも思った。


 利知未が、急にそんな事を言い出すとは、倉真にとっては驚きだ。

『……確かに、俺も何時までもこのままじゃ、いられネーしな』

髪型のことだけではない。 利知未との関係。

 今までのまま、何時までも二人の関係が変わらないでいたら、利知未は何時までたっても、自分を頼りにしてくれる様には、ならないかもしれない。


 その日は、多少ギクシャクしてしまった。 何時も通りに話しかけるたび、利知未が軽く倉真を睨む。 十回目に睨まれたとき、利知未が吹き出す。

「早く、慣れてくれよ?」

そう言った利知未の表情は、随分と女らしい雰囲気だった。

「明日、直ぐに頭、剃って来いよ? したら、一番に見せに来い」

言われて明日、アダムへ行くことを約束した。




           四


 里真はその夜、遅くに帰った。 樹絵達は、それでも夜十時前には帰宅した。 朝美が帰宅したのは、やはり十時過ぎだ。


 利知未は八時頃には戻り、改めて傷口を処置し直した。 久し振りに里沙と話をした。

「こんな遅くまで、旦那ほって置いてイイのかよ?」

「仕方ないわ。 明日、デザインをクライアントへ渡さないとならないもの」

「理解のある旦那だよな」

「そうでなきゃ、結婚なんて出来なかったわ。 ……彼には、感謝してるわよ」

里沙も、遅い食事を利知未と取っていた。 怪我の処置も、手伝ってくれた。

「今日の怪我は、バイク?」

「チョイ、ヘマった」

「珍しいわね」

「猿も木から落ちるって、言うだろ?」

軽く肩を竦める利知未に、里沙が小さく笑う。

「木から落ちた割には、ご機嫌ね。 何かあったの?」

問われて利知未は、少し赤くなる。 可愛らしく見える様子に、里沙は思う。

『新しい恋人でも、出来たのかしら……?』

「なんもネーよ。 ……久し振りに遠出が出来たから、ストレスが軽減された」

「そう? 良かったわね」

深く突っ込むのは止めた。 どうせまた捻くれて、本当の事は話してくれないだろうと思う。

「あたしより、里真だよ。 アイツ、どうやら目覚めちまったんじゃネーか?」

「最近、デートの度に遅くなるみたいね」

「今度、バッカスで思う存分からかって来てやる」

「中学時代に戻った見たいね」

「何が?」

「利知未、溌剌としてるわよ」

「…そーか? 変わらないつもりだけどな」

 それでも、倉真のお蔭だろうと思う。


 利知未は、初めて敬太を好きになり始めた頃の、気恥ずかしい様で、幸せな感覚を思い出していた。

『こういう感覚って、哲の時もマスターの時も、無かったよな……』

思うと少しだけ、照れ臭い感じだ。

『……けど、本当に、どうして倉真なんだろう?』

 その事は、今もやっぱり、不思議な感じがしている。



 利知未が里沙と、遅い食事を取っている頃。

 倉真は風呂に入る前、鏡の前で髪を立ててみた。

『モヒカン、俺のトレードマークだったんだけどな……』

中学一年の頃、へビィメタルに惹かれて、父への反抗心も手伝って、頭をこの形にしてしまった。


 ギターを覚えたのは、中学一年の夏頃だった。

 その頃、克己は高校一年で、バイクの免許を取り立てだった。 既に、あの暴走族とつるんでいた。 倉真とは同じ中学だ。 克己が卒業して、倉真が入学した計算になる。

 後輩から、派手な頭をした奴がいると聞いて、面白半分に出かけていった。 克己も派手な頭をしている。 興味本位だった。

 そこで知り合った倉真が、自分が好きなへビィメタルバンドのファンだと聞いて、意気投合してしまった。 その時から、二人の交友関係が始まった。


 倉真が、バイクを無免で乗り回す様になったのは、勿論、克己の影響だ。

 利知未にバイクを教えたのは、克己と似た雰囲気を持っていた、橋田だ。

 面倒見が良いところ、見た目よりも気がイイ奴だった事、合わせて見ても、納得かもしれない。


「……ま、シャーねーか」

賭けは賭けだ。 坊主頭にして、暫くはシャンプー代も掛からなくなるだろう。


 ぼやいて、風呂へと入る。 改めて、利知未との思い出を辿る。

『始めて利知未さんを見たのは、FOXのライブだったんだよな……』

それから一年は、利知未の正体を知らず、FOXのボーカル・セガワと言う少年に憧れ続けていた。

『俺は、本当は何時から、あの人を意識し始めていたんだろう……?』


 一年と三ヶ月たった頃、セガワの正体を知ってしまって、酷くショックを受けた。 受け入れてしまってからは、別の関係が始まった。

『綾子の事じゃ、相談ばっかしてたな』

身近にいる女は、綾子と利知未と、宏治の母・美由紀だけだった。


 彼女の事で相談できる相手が、自然と利知未だった。

『……本当は、ただ。 あの人と話が、したいだけだったのかも知れネーな』

綾子と付き合い始める時、何故、利知未と比べ見てしまっていたのか……?


 確かに、身近な女が少なかったからだけ、だったとも思える。

 けれど、その裏の心理としては、本当はあの頃から、利知未の事を意識していたと言う事なのではないか? と思う。

『大体、そーユー気持ちになった切っ掛けは、あの人だ』


 和泉が、その最愛の妹・真澄の死から立ち直れないでいた、あの秋。

 宏治の部屋で、宴会をして雑魚寝をした夜。


 隣で眠っていた利知未の、柔らかい胸に、不可抗力とは言え触れてしまった。 ……あの時、少し手が動いていたかもしれない。 感覚だけで、触れた物が何なのか? 探ろうとして。

『何か、色っぽい声を聞いた気がしたな。 ……あン時』

「ヤベ……。 妙な気分になってきた……」

取り敢えず、利知未のことを考えるのを、止める事にした。

『妙な気分になって、抱きたくなっちまったら、ドーシヨーもネーよな』

大体、利知未がそう言う経験があるのかどうか? 判らない。


 本音を言えば、そんな経験、あって欲しくない。

 いつか、夢の中で克己と抱き合っている、色っぽい利知未の姿を見た時。 如何し様もない感覚に囚われた。

『あれは正直、キツかった……』

 顔を湯で洗い、風呂からあがる事にした。



 翌日、バイトの後に床屋へ行った。 理容師に、目を丸くされた。

「随分、個性的な頭だね。 ……本当に、良いんだね?」

問われて、頷いた。

「キッチリ、剃り上げちまって下さい」

「よし、分かった。……そーさな、この頭じゃ、まともな仕事に就くのも大変だろう。 任せなよ」

 言われて、先のことを真面目に考えた。

『……だよな。 やっぱ、何時までもバイク便のバイトで、やってく訳にもいかネーよな』

一年か二年の内に、真面目に就職先を探そうと思った。

『そーすりゃ、利知未さんが大学出た頃には、俺も社会人って事だ』

 それでこそ利知未を守れる男に、成れるのかも知れない。



 利知未は大学の後、真っ直ぐにアダムへ向かう。

「おはようございます」

 挨拶をして、カウンターのマスターと入れ替わる。 まだ、十八時前だった。

「ご苦労さん。悪いな」

「仕方ないでしょう。 近藤さんが出れないんじゃ」

「後一時間もすれば、妹尾も来る。 今日は月曜だしな、それ程、大変でもないだろう」

「なら、イイですね」

マスターが様子を見に、厨房へ入る。 そろそろ会社帰りのサラリーマンで、混み始める時間だ。 在庫の状態など、把握するためだ。


 直ぐにカウンターへ戻ったマスターから言われ、厨房のヘルプに入った。 夜の厨房バイトも、少し遅れるらしい。

 利知未は黒いエプロンをする。 制服を汚さないためだ。 ホールも担当するバイトが厨房へ入る時は、必ず着用する決まりだ。


 十八時頃、初めに出たアフターメニューが、空の食器となって戻る。

 利知未は手早く片付けた。

「利知未が入ってくれると、仕事が楽だな」

厨房社員・高林が、頻りに有難がってくれる。 利知未は洗物だけではなく、調理の手伝いも難なくこなすからだ。

 二十分ほど遅れて、厨房バイトがやって来た。

「遅れて済みません。 講義、長引いちゃって」

三年も浪人して、漸く志望大学へ通い始めた、元はアダムの常連客だったバイトだ。 現在、大学三年の利知未とは同い年だ。

「構わネーよ。 ホールも皐月が残ってくれてっから。 間に合ってンだろ? これだけ、やるよ」

利知未はサラダのトマトを切っていた。

「迷惑掛けました。 洗い物、やります」

バイトは流しに向かい、作業を開始した。


 カウンターで、マスターが皐月に声を掛ける。

「悪かったな、長嶋。 上がって良いぞ」

「はい。 大丈夫ですか?」

「もう、利知未も戻るだろう」

「じゃ、上がります」

「おう、お疲れ。 いつも悪いな。 助かる」

マスターから労われ、皐月がニコリと笑顔を見せた。


 皐月が奥へ引っ込み、着替えを済ませて裏から出た頃。 入り口の鈴が鳴る。

「いらっしゃいませ」

声を掛け、顔を上げてマスターが、一瞬、目を丸くする。

「どーも」

 照れ臭そうな顔をする倉真を見て、吹き出してしまった。

「モヒカン、止めたのか? おい、利知未! 面白い奴が来たぞ」

「はい、今、行きます」

厨房から、利知未の声がした。 倉真はカウンターの、いつもの席へ掛ける。

「笑うなよ。 利知未さんとの賭けに、負けたんすよ」

「ほー。 カードか、バイクか」

「バイクっす」

「だろうな。 何時もので良いか?」

「勿論」

会話の途中で、利知未がエプロンを外しながら、厨房から出てきた。

「いらっしゃいませ。 …約束、守ったな。 感心、感心」

「賭けは、賭けっすから」

つい、今まで通りの喋りになり、利知未から軽く睨まれる。

「……やっぱ、慣れネーな」

視線を斜め上へと泳がせる。 マスターが、意味を取り違えた。

「今までが今までだからな。 鏡を見た時、妙な感じになるんじゃないか?」

「確かに、それも慣れないっすけど」

「良い頭の形、してるじゃないか」

「モヒカンと剃髪は、頭の形が良くないと似合わないんですよ」

くすりと、利知未が笑う。

「そー言われりゃ、そうだな。 もう一人、似たようなのがいたな」

「和泉っすね。 今年も、アメリカ行くつもり…らしーな」

らしいっすね、と言いそうになる。 一瞬、止まった言葉に、利知未が微笑する。

「よく続いているよな」

「アメリカ?」

マスターの質問に、倉真が答えた。

「彼女が、アメリカに居るんすよ」

「そうなのか。 ご苦労な事だな」

 マスターは会話の途中から、倉真の珈琲を利知未に任せて、タバコを吸っていた。 利知未が、倉真の注文の品を仕上げて出した。

「お待たせ致しました。 オリジナルブレンドです」

「どーも。 …例の珈琲にした方が、良かったか」

「オーダー、変えますか? きちんと二杯分、頂きますが?」

利知未が、店員らしい言葉遣いで問いかける。 面白がっている様な顔だ。

「特別な日、ってイや、特別な日、何だよな」

自分の頭を、軽く撫でてみた。 何となく情けない表情を見て、利知未が笑う。

「髪が生えて来たら、宏治や和尚も誘って、飲みに連れて行ってやるよ」

「そうか。 あいつらも皆、成人か」

マスターは当然、利知未の仲間たちを良く知っている。 皆、アダムの常連だ。

「ジュンがまだ、だけどね」

「そーか。 確り働いて、奢り代、稼げや」

「そのつもりです」

答えて、壁の時計を見る。

「そろそろ、メニュー換えてきます。 倉真、ごゆっくりどうぞ」

利知未はナイトメニューを棚から出し、小脇に抱えてカウンターを出た。


 利知未が遠くのテーブル席から、メニューを入れ替え始めた。 女性客に呼び止められ、早速、オーダーを受け始める。

「相変わらずっスね。 ……女の客ばっかだ」

利知未の方を眺め、倉真が言う。

「今日は近藤が居ないからな。 忙しくなりそうだ」

答えて、話を変える。

「お前ら、付き合っているんじゃないのか?」

火を着け、吸い掛けたタバコの煙を、息と一緒に一気に吐き出してしまった。

「へ? …ンな訳、無いっしょ」

「そうか?」

「そー思ってたンすか?」

「よく二人で出掛けているらしいとは、聞いている」

「誰から?」

「下宿の、双子の片割れからだ」

樹絵しか、思い当たらなかった。

『何て言ってたんだ……?』

考えながら、倉真が答える。

「残念ながら、利知未さんが俺を相手にするとでも?」

「可能性は、一番、高いと思ってるぞ」

自分が見出したカップルだ、位は思っている。

 マスターの言葉に、倉真が照れ臭さを抑えて呟いた。

「……だったら、イーっすけどね」


『随分、時間を掛けているモンだな』 マスターはそう見る。

 倉真は、利知未とマスターの関係を思う。

『利知未さんが、この人を信頼してるのは、確かだよな』

そう思うと、嬉しくない事も無い。


「ま、頑張れや」

 信じているぞ、とでも言いたげな笑顔を見せる。

『コイツが相手なら、俺としても申し分は無いんだがな』

可愛いと思っている、利知未の相手だ。 審査の目は厳しいつもりだ。


「もう、7時っすね。 …そろそろ、帰るかな」

「飯は食っていかないのか?」

「今日は、帰ります。 やっぱ、どーもこの頭じゃ、落ち着かネーっすから」

 いつ、知り合いが店に来るのか? ドキドキものだ。

「そうか。 …アイツに飯でも、作ってもらったらどうだ?」

「また無茶、言うよな。 …いつか、そーなれたら、一番に挨拶に来ますよ」

席を立ち、レジに向かおうとする倉真を、マスターが呼び止める。

「利知未な、年末で店、辞めるぞ」

驚いて立ち止まり、マスターを振り向いた。

「勉強が、そろそろ大変なんだそうだ」

「そーか……。 そりゃ、そーだよな。 遊ぶために大学行ってる様な奴等とは、違うよな」

「アイツは優秀だぞ。 ……努力家なんだろうな。 うちの佳奈美は、この一年半で成績が百番も上がった」

「利知未さんが?」

「ああ。 うちの家庭教師だ」

「そーイや、そんな事、言ってましたね」

改めて、利知未の頭の良さを思う。

『やっぱ、俺じゃ適わネーか…?』

「勉強だけが全てじゃないが……。 男は、ココだ」

 親指で、自分の胸の辺りを指し示す。 倉真は、見透かされた気分になる。

「支えてやれ」

『お前しか、居ないだろう?』 心の問いかけが、その瞳に強い光となって宿る。

その瞳に、倉真は勇気付けられた。

「……頑張ります」

確りと頷いた。 マスターが、満足そうな笑みを見せた。


 レジをうちに来た利知未が、会計をしながら言った。

「坊主頭も、中々、似合うぜ。 …ずっと、そのままで居るか?」

小さく笑う。 倉真がげんなりとした顔をする。

「冗談。 和尚とキャラが被っちまうぜ」

「どっかの作家志望みたいな事、言ってるな」

冴吏を思い出す。 よく同じ様な事を言って、悩んでいる。

「文章書ける程、頭良くないっすから。 …ンじゃ、邪魔しました」

「ありがとうございました」

頭を下げ、上げてから、店を出る寸前の倉真を再び呼び止めた。

「倉真、言葉遣いも、早いトコどうにかしてくれよ?」

言われて、ついさっきの言葉を思い出す。

「……急には、無理だな」

「今ので、イーんだよ。 ヨロシク」

「気ィ付けます…じゃネーか。 気ィ付ける、で、いいのか?」

頭を捻る。 利知未は吹き出した。

「そっちだ、ソッチ」

「参ったな……」

「ンじゃ、気を付けて帰れよ?」

「うっす」

今度こそ、倉真が店を出る。 カウンターから、利知未を呼ぶ声がする。

「オーダー、上がったぞ?」

妹尾の声だ。 利知未が倉真と話している間に、ナイトメニューのカクテルが上がったらしかった。

「はい、只今!」

利知未は晴れやかな声で答え、急いでホールへ取って返した。



 倉真はヘルメットを被って、妙な感覚を覚える。

『たったアレだけの毛でも、有るのと無いのとじゃ、偉い違いだな』

何となく、スカスカしている様だ。

『……明日、バイト先で何言われるか』

 小さなため息を漏らした。



 バイトを終え、帰宅した利知未は、仄々とした幸せを感じる。

『何か、変な感じだな……』

倉真との関係が、大きく発展した訳でもない。

 それでも今日、アダムで倉真と交わした会話は、今までのイライラをほんの少し、軽くしていた。

『……もう少し経ってみないと、どう変わるか何て判らないけど……』


 その夜、利知未には、穏やかな眠りが訪れた。




            五


 十月。 月の初めから、二学期の中間テストが始まった。

 双子は、この成績如何で、志望大学を変更する必要が出てくる。 真剣だ。

 テストが終わり、改めて受験の方向が見えてくるまで、樹絵も準一の事はなるべく考えない事に決めた。


 それより一足前に、利知未は大学のテスト期間へ入る。

 本人が言っていた通り、卓上の議論では、頭へ入る知識が足りない。

『……マジ、ヤバイかも知れネー。 単位落とす事は、無いとは思うけど』

三年に入ってから、事実、成績は芳しく無い。

『やっぱ、成績の良い男、探してみるか?』  ふざけて考えてみるが、それは無理な事だ。

 利知未は、一人の異性を好きになれば、その想いに一途になるタイプだ。


 透子はテスト期間中、浮かない顔をした利知未と、飯を食いながら話す。

「アンタと同じ講義受けてる中に、お財布君が混ざってるんだけど。 協力、させてあげようか?」

「お前の紹介じゃ、後が怖いからな。 年末までの辛抱だ。 やれる所まで、一人でやるよ」

「年末に、何かある訳?」

「…バイト、辞める事にした」

「マジで? 辞めてどうすんの?」

「小遣いに困るくらいだ。 勉強に差し障り無い収入口でも探す」

「カラダ売るとか?」

「馬鹿言うな。 ンな訳、ネーだろーが」

膨れた利知未を見て、透子が呑気に笑う。

「そー? 高く売れそうなカラダ、してるよ」

「何が基準だよ」

「男共の視線。 何か最近、可愛いジャン? 利知未」

「お前のニュースソースは何なんだ?」

「お財布君たちの交友関係」

「少年院上がりと、付き合ってる事になってんだろ?」

「プレミアが付くのよね。 そー言うネタって」

相変わらずヘラヘラ笑う透子を、利知未は呆れて眺めてしまった。



 倉真の頭は、毬栗状に近い様相を見せて来た。

 最近、バイトへ行くと、目を掛けてくれている社員に必ず笑われる。

「イー加減、慣れて下さい」

「メット被ると、その頭が見えなくなるからな。 朝と夕方だけじゃ、慣れるのは難しいよ」

何時か、風邪を引いた倉真に、饂飩を奢ってくれた人だ。

「頭冷やして、また風邪、引いたりするなよ?」

「生憎、ンなデリケートには出来て無いンすよ」

「そーか、仕事の手が無事で良かった。 念の為、毛糸の帽子でもプレゼントしてやろうか?」

くすくすと笑っている。

「ジョーダン。 配達、行ってきます」

「おお、頼む。 今日も安全運転で!」

「了解しました」

ライダーバイトが出発する時は、必ずこの言葉を掛け、ライダーは『了解しました。』と答える。社内の決まりごとだ。


 集配荷物を配送物ボックスへ入れ、仕事用バイクへ跨った倉真が、営業所を、何時も通りに出発して行った。

 利知未のテスト期間は、今日までだと聞いていた。

 今夜もアダムで夕飯を食ったら、バッカスへ寄って行こうかと考えた。

『多分、テストが終わったってんなら、利知未さんも来る筈だからな』

アダムでは、顔を合わす回数が減ってしまった。 なるべく利知未と会える機会を、逃したく無いと思う。



 和泉は今年も、由香子の誕生日に合わせて渡米する。

 去年と同じ様に、暇を持て余した準一が、宏治を引き連れて、空港まで見送りに来てくれた。

「どうせ、学校がある時期の里真ちゃんとは、平日に会えないモンね」

「そうは言っても、宏治も普段は、早起きするのが大変だろう」

「気にするな。 大して早起きした訳でもない」

「って、本人が言ってるから、構わないんじゃない?」

準一は何時も通り、ヘラリとしている。 宏治は今年も、美由紀から餞別を預かってきた。

「これからも、年に一度くらいは行くつもりだ。 美由紀さんに、次は気にしてくれなくても良いと、伝えておいてくれるか?」

「一応、言っておくよ。 けど、水臭いって、怒られるかも知れないな」

「今回は、買い物頼まれないの?」

「…だったら、良いんだけどな」

宏治は苦笑いをして、買い物リストと費用を、和泉へ別口に手渡した。

「また、下着?」

準一が、ニヤニヤして聞いた。

「他のモノも、リストに入っているみたいだな」

宏治と同じ様な苦笑いをして、和泉が渡されたメモを見る。

「悪いな」

「構わないよ。 美由紀さんには何時も、世話になっているしな。……下着は、やっぱりキツイが」

「…だよな」


 暫く話して、搭乗口へ向かう和泉を見送り、二人は話しながら歩き出す。

「最近、樹絵ちゃん達と遊ぶ事あるのか?」

「この前、久し振りに遊んだ。 樹絵ちゃんが、受験勉強のストレスを溜め捲くってた」

『本当に、受験勉強のストレスだけか?』

実は、準一に対する苛立ちなのではないか? と、宏治は思った。

 樹絵の気持ちは、同じ下宿に暮らしている里真も、何となく気付いている。 二人のデートの時も、話題に上がる事が少しくらいは有る。



 その日は、十月二日・水曜日だ。 午前中に和泉を見送り、夜。

 宏治は今日も、バッカスのカウンターへ入る。 利知未もテストを終えて、軽い息抜きのつもりでバッカスへ顔を出す。

 暇な準一も勿論、顔を出した。 倉真も、二十時半過ぎには現れた。

「何時頃から、来てたんだ?」

倉真からやっと、おかしな敬語が抜けた。 準一は以前から、利知未に変な敬語を使う事も無い。 深く感じることなく、倉真の変化を受け入れる。

 宏治は、二人の関係が、少しは進展したのかと思ってしまった。

「三十分くらい前からだよ。 飯、食ってきたのか?」

「一応。 アダムの飯、金額と量が丁度イイからな」

「そーか。 常連が増えて、マスターは喜んでんだろうな」

「っす…、」

 倉真は、かなり集中して言葉に気をつけている。 それでも偶には、以前からの癖が出て来そうになる。 その瞬間、口を開きかけてピタリと止まる。

 少々、間抜けな顔だ。 利知未は軽く吹き出してしまう。

「何だ? 倉真が変な顔してるぞ?! 睨めっこでもするかぁ?」

ムニーと、変な顔を準一が作る。 更に利知未が吹き出して、倉真が準一の頭を小突く。

「イテ! 倉真、直ぐ殴るんだモンな。 宏治にも昼間、殴られたトコだ」

準一が、頭の右側を擦りながらぼやく。

「昼間?」

「和尚を、見送って来たんですよ」

利知未の問い掛けに、宏治が倉真へ、ロックを出しながら答えた。

「今年も、行ったんだな」

「良く続くな」

「……にしては、今年は出発が早かったな」

「一日でも長く、由香子ちゃんと一緒に居たいみたいだ。 本当に子供、出来ちゃったりして?!」

感心している利知未と倉真に、面白そうなニヤケ顔をして、準一が言った。



 学生の中間テストが終わった。 その成績を受け、樹絵と秋絵はそれぞれ、第二志望を第一志望へと変更する事にした。

「やっぱ、無理だよな。 どう考えても」

「だね。 大体、本来、こっちが元からの第一志望じゃない? わたし達」

「だよな。 担任が煩かったから、無理矢理、変更しただけだモンな」

「そうだよね」

「けど、それならそれで、もう少し勉強が楽になるじゃん」

「そーだね。 …構わないよね」

「平気だろ」

 それぞれの担任を思い出し、不安な表情になる。

「……勉強、少しは楽になりそうだし。 また、遊びにでも行ってスカッとする?」

秋絵の言葉に、樹絵は少し考える。

『……ジュンと遊びに行っても、イライラするだけかも知れないな』

「だったら、いっその事、朝美や利知未たちと、どっか行かないか?」

秋絵が驚いた顔を見せた。 樹絵は気分を変えて、元気に言った。

「朝美と、もっと仲良くなったら楽しいし、利知未の昔話も興味ないか?!」

「それも、楽しそうだけど。 朝美が仕事の都合、つけられないんじゃない?」

「やっぱ、そーかな」

「利知未も勉強、大変そうだし」

「デートも、忙しそうだモンな」

「デートって、言うのかな? 本人は、完全否定してるよね」

「あたしは、デートだと思うけどな」

「どうして?」

倉真の気持ちを、暴露してやりたい心境に駆られた。 けれど戦友を裏切るのは、やっぱりいけないと思い直す。

「別に。 ただ、何となく」

「まぁ、そう言えない事も、無いのか? 二人きりで出掛けてるみたいだし」

「だろ?」

二人の事をポロリと零してしまう前に、樹絵は話題を変える事にした。



 十月十三日、日曜。 準一が十九歳の誕生日を迎える日。

 朝、樹絵は準一から、電話で誘われた。

「今日は、宏治も里真ちゃんと約束あるって言うし。 空港まで和尚、一緒に迎えに行こうよ」

「和尚、今日帰ってくるのか。 …いいよ、秋絵にも言っとく。 由香子の様子、聞きたいし」

「ンじゃ、空港まで電車とモノレールだな。 午後一時過ぎに到着の便だって言うから、十一時ごろ、ソッチの最寄り駅でイーか?」

「分かった」

秋絵も誘って、三人で空港へ向かった。



 同日、里真は三人が出掛けるよりも、少し早くに下宿を出ていた。

「まだ、冬桜は早いよな?」

「桜は来週か、再来週あたりが良さそう。 月末の日曜に行こう? 今日は、違う報告があるの!」

里真は、嬉しそうな笑顔を宏治に見せる。 二人はアダムに居た。

 バッグから小説月刊誌を取り出して、ページを開いて宏治へ渡す。

「何だ?」

「この、作者の名前、見て!」

「仲田、冴吏……? 下宿の、冴吏ちゃんか?」

「そう! ついとデビューしたの! まだ、読みきり短編だけど……。 これが、デビュー作」

「凄いな。 夢を、実現したんだな」

「ね! 樹絵たちも利知未も、本はあんまり読まないから、まだ知らないのよ。 朝美も仕事が忙しくて、のんびり読書してる時間、無いみたいだし」

「朝美さんは、あんまり読書自体しなさそうだな」

「だね。 ファッション誌は流石に、定期購読してるけど」

「そうか…。 よかったな」

自分のことの様に喜ぶ里真を、宏治は微笑して眺めていた。



 美加は最近、高校の友達と出掛ける事も、増え始めた。 休み毎に連れ出すのは、樹絵タイプの活発な友人だ。 クラスメート四人の仲良しグループが出来ていた。

 今日は、ショッピングへ出掛けている。

 朝美の職場にも、回る事になった。 朝美は本日、Aシフトだ。


「あれ? 美加! 友達連れて、来てくれたの?」

朝美が、明るく声を掛ける。

「うん。 皆、ここのお洋服好きなんだって」

「いらっしゃいませ。 ゆっくり見てってね」

朝美に言われ、元気に答えた友人たちが、早速、物色を始めた。

「美加! これ、アンタに似合いそうだよ?」

元気な友人に声を掛けられ、美加も再び、友人たちに混ざる。

 皆で店内中を見分し、全部で七着の服を選び出す。 朝美が社員割引を利かせて、全ての商品を二割引にしてくれた。

「今回のチラシも、入れておくね」

「あれ? モデル、全員違うんだ!」

「去年のチラシが好評でね。 夏頃から、今年のモデルをホームページで募集してたんだよ。 結構、応募があったの。 それで、毎年作る事になったから、来年は美加も参加してよ? お友達と一緒に」

「マジ?! やりたい!」

「あんまり、太らないでね」

「審査とか、やっぱりあるんですよね?」

「一応するけど。 貴女なら大丈夫だと思うよ。 ウチの服、似合ってるし」

「本当に? やった! 実はあたし、チョコチョコ、ホームページ覗いてたんです。 去年のモデルの二人が扉になってる、コーディネートアドバイス。 毎月チェックしてるんだ」

「利知未と里沙が、先生してる扉の奴でしょ? あのコーナー、大人気なのよ。 そろそろページ更新してる筈だから、また見てみて」

「はい!」

元気に答えた友人と美香を、朝美は笑顔で送り出した。



 利知未と倉真のツーリングは、日曜の昼間だ。 夜からバイトへ入る都合上、コースは大体、決まって来た。 海沿いを走らせたい時は、江ノ島辺りが丁度良い。 山は箱根辺りだ。

 出発も、以前よりは早めだ。 早い時で八時半頃。 遅くても、九時半には出掛ける。 大体、利知未が倉真のアパートを回っていく形だ。


 前夜、どんなに遅くなっても、利知未は寝坊をする事が無かった。

『敬太と付き合ってた頃、思い出すな……』

敬太と約束がある日は、どんなに寝不足でも、寝坊し無かった。


 今日も、利知未が倉真のアパートへ向かう。 九時少し前だ。

 チャイムの音に反応して、倉真の声がした。

「今、行く!」

利知未は、少し頬が綻ぶ。 以前なら、『スンません! 今、行きます!』だ。

『変なの。 ……たった、これだけの違いなのに』

気持ちが、随分と明るくなる。

 今日も、性別の誤解は受けないで済みそうな格好だ。 自分の行動一つをとっても、くすぐったい感じがする。

「悪い、待たせた」

「いいよ。 今日は、どっち行く?」

部屋を出て、倉真が鍵をかける。 話しながら、歩き出す。

「そーだな……。 山の紅葉は、来週以降だろうし」

「じゃ、江ノ島目指すか?」

「それで、イーんじゃ無い…か?」

また、言葉が一瞬、止まる。 利知未が微笑をもらす。

「…神経、使うな」

情けなさそうな笑みを、倉真が見せた。

 利知未は、悪戯心が疼き出す。

『慌てたら、あの時みたいになるのかな……?』

倉真が、自分を視界に入れたのを確認して、態と階段を踏み外す様な真似をして見た。


 倉真は慌てて、利知未の腕を掴んで、後ろへと引き寄せる。

「危ネー! …怪我、させちまう所だった。 平気か?」

ほっとした声を出す。 両肩を優しく後ろから抑えられ、利知未はクスリと、小さく笑う。

 倉真は、慌てて手を離す。

「サンキュ。 ……焦ると、出ないんだな」

小さく呟いた言葉を聞き、倉真が少し驚いた声を出す。

「…もしかして?」

「あたしが、ンなドジ踏むかよ?」

少年チックな笑顔を、軽く頭だけ振り向いて、倉真へ見せた。

「利知未…、さん!」

急いで利知未が、階段を逃げる様に下りる。 

 下から、倉真を見上げて言う。

「なぁ! 呼び方も変えたら、直り易くならないか?」

「…て?」

不可解な表情を見せて、倉真がゆっくりと階段を下りてくる。

「佳奈美も下宿の奴らも、あたしに平気で、タメ語使ってるぜ?」

倉真が、びっくりした顔をする。

「…そりゃ、そーっすけど」

「また! ……利知未で、イイよ」

照れ臭くて、向きを変えてバイクへ向かった。

「慣れるまで、また時間掛かりそうだ……」

呟きながら、倉真は思う。

『最近、どうしたんだ、利知未さん? ……少しは、脈があるって思っといても、イイのか?』


 マスターからの言葉を思い出す。

 ……支えてやれ。


 それなら、利知未の言う通りにしようと決める。

『俺が、彼女を守れるようになるには、同じ場所へ立たなきゃ無理だな』

その先の危険を、同じ高さから見つける事が出来なければ、結局は後手へと回ってしまう。 それでは、守るどころかまた、守られてしまう。



 江ノ島に到着して、島を散策した。

 石畳から海を眺めている時、倉真が、何気なく問い掛ける。

「……利知未は、克己の事を何か、思っていた事ないのか?」

「いきなり、どうしたんだ?」

「チョイ、思い出した事があって」


 この場所は、利知未が克己の結婚を聞いたのと、同じ場所だった。

 同時に、倉真の事をどう思っているのか問われた場所だ。


 その時の事を、利知未は思い出した。

『同じ場所で、克己は倉真の事を聞いて、倉真は克己の事を聞くんだな』

妙な一致に、少し可笑しくなる。 小さく笑った利知未を、倉真が不思議な顔をして見る。

「ずっと、イイ兄貴分だと思って来たよ。 それ以外は、特には何も無かった」

橋田先輩の事も思い出す。 懐かしげな表情になる。

「…そーか」

呟いた倉真を見て、利知未は何となく感じる。

『……倉真も、あたしの事、少しは好きでいてくれてるのかな……?』  女として。

じっと、見つめてしまった。 倉真が視線に気づいて、利知未を見る。

「克己の奥さん、何時、予定日なんだ?」

利知未は慌てて視線を逸らして、話を変えた。

「来年の三月って、言ってたな」

「なんか、探さないとな」

「祝いか?」

頷いて、歩き出した。 倉真の隣を歩く。

 二人の肩は、今までよりも近くにあった。 ……何気なく、利知未は倉真へ、左手を伸ばす。

 少し驚いた後、倉真の手が、しっかりと利知未の手を繋ぎ直した。


 二人の関係が、また少しだけ新しくなった。




           六


 和泉を迎えに行った樹絵達は、嬉しい知らせを聞いた。

「由香子が正月頃、遊びに来るそうだ」

「マジで? やった! じゃ、来年の新年会は、由香子も一緒に騒げるな!」

「受験勉強、平気だったらね」

秋絵が冷静な事を言う。 樹絵は一気に膨れる。

「なんで、そーユー事、言うかな」

「志望校のランク、下げたんだよな? ンじゃ、平気そうじゃん」

「でも、無いんだよね。 夏の模試で、六十%って出てたんだ」

「秋絵はね。 …あたしなんか、五十五%だった」

「それで、遊んでいられるのか?」

「和尚までキツイ事、突っ込むなよな。 …頑張るしか、ないじゃん」

「そんな大変なのか。 樹絵ちゃんたちも、進学やめて就職すれば?」

「……そうしたら、北海道へ戻ることになるよ」

「え? そーなん? ンじゃ、頑張れ」

「…ジュンは、あたしらが北海道へ戻るの、反対なのか?」

「楽しい友達が、減っちゃうからね」

『友達…、か』

本当に、準一の事は忘れて、誰か他に好きな奴でも作ろうと、樹絵は思う。

『……見つけられるのかな?』

そうも思う。 急に黙ってしまった樹絵に、準一が首を傾げていた。



 利知未はアダムへ向かう前に、倉真と夕飯を済ませて行く事にした。

 あれから、手を繋いだまま、江ノ島を散策していた。 繋いでいた手を離して、バイクを飛ばして来てから、何となく照れ臭い。

『……倉真、どんな風に思ったのかな……?』

しっかりと、繋ぎ直してくれたのは、嬉しかった。 けれど、恥ずかしい。

 恥ずかしさを誤魔化す為に、利知未は昔から変わらない、男っぽい様子を見せる。 倉真は江ノ島での出来事は、夢だったのではないかと思ってしまう。

『利知未さん、気紛れな所があるからな……』

それでも、やっぱり嬉しいとは思う。

『何か、小学生みたいだな』

当然、手を繋いで歩くだけで満足、という年ではない。 それでも、二人の関係は、ずっと姉弟の様だった。 進展した、とは言えるのかも知れない。


 男っぽく振舞いながら、利知未は心の中で思う。

『……その内、倉真の事、そう言う風に求めてしまう時も、来るのかも知れない……。 その時、どう感じられてしまうんだろう?』

やはり、戸惑いはある。 今までが今までだ。 不安になってしまう。

「どーした?」

倉真に問われて、顔を上げる。 気持ちを抑えて笑顔を作る。

「何でもない。 なに食おうか?」

メニューを開いて、表情を見られない様に下を見た。



 倉真と別れ、アダムでのバイト中、ふと思う。

 マスターと最後に関係した夜から、丸々一年が経った。 倉真の事を意識し始めてからも、ほぼ一年だ。 その想いを自分で認められるようになってからは、半年が過ぎている。


『敬太の事、好きだと思ってから初めてのデートまで、四ヶ月くらいだったんだよな……。 倉真とは、デートって呼べるのかな?』

呼べるか呼べないかは別として、二人きりで出掛けるようになってからは、一年以上だ。 今までの自分とは、到底、思えない程のゆっくりさだ。

『……チョイ、臆病になっているのかもしれない。 ……恋愛に対して』

間が、哲とマスターだ。仕方が無い事かもしれない。

 客に呼ばれて、気持ちを取り直した。 男っぽい笑顔で、返事をする。



 相変わらず、日曜の昼間に二人で出掛けながら、木曜日と隔週火曜日は、佳奈美の家庭教師を続ける。

 そうしているうちに、十一月。 文化祭シーズンがやってきた。


 今年も透子からヘルプを出されて、旅行サークルの手伝いをする。

「毎年、同じ模擬店なんだな」

「意外と人気あるみたいだからね。 新しく考えるより簡単ジャン?」

「そりゃ、そーだろーけど」

手伝いが無ければ、今日も倉真と二人で出掛けたい所だ。

『すっかり、あいつの事が好きになったみたいだ……』

もどかしい感じもする。

 勉強は相変わらず忙しくて、日々は瞬く間に過ぎて行く。

 ……二人の関係も、十月の江ノ島から代わり映えしない。


 その学祭で透子は始めて、利知未のバイク&飲み仲間の一部と顔を合わせた。 準一が、今回は倉真を連れ出して、和泉と三人で遊びに来た。

「あ、利知未さんメッケ!」

「準一! 本当に来たんだな」

透子が利知未の隣で、目を丸くした。

「鏡見てるみたいだわ……。 アタシの方が、美人だけど」

「おネーさん、オレの親戚?!」

「本当に、そっくりだな」

「ジュンのお袋さんの、隠し子か?」

「実は、生き別れになった弟が居たりして?」

何も考えない透子は、いきなり三人の会話にも参加してしまう。

 和泉と倉真は、少し目を丸くする。 準一は透子の気安さも、気にならない。

「おネーさん!」

「弟!」

いきなり、抱き合って抱擁を交わす。

「お、背は高いけど、利知未さんより胸がある」

呟きを聞いて、利知未が準一の頭を小突く。 透子は面白がって、準一の頭を自分の胸元に抱きかかえてみた。

「おお、気持ちイイ! 積極的なオネーさんだな」

「かわゆい、かわゆい」

その準一の頭を、透子がカイぐる。

「……チョイ、羨ましいか?」

「利知未さんに、殴られるぞ?」

倉真の言葉に、和泉が突っ込んだ。 利知未の拳は、軽く上がっていた。


 気を取り直して、利知未が聞いた。

「車で来たのか?」

「バイクで来た」

「和尚が、倉真の後ろに乗って来たんだ」

「そーか。 和尚もバイクの免許、取れば良いのにな」

「普通車持ってれば、教習所卒業するだけでイイからな」

倉真も、漸く言葉が直った。 名前を呼ぶのは、仲間の前では気恥ずかしい。

「今、暇みたいだし、学内を案内したげよう」

「マジ? 所で、オネーさん、名前、何てーの? オレ、準一」

「透子。 アンタ、面白い子だね。 構ってあげようか?」

「え? それって、どんな風に?!」

「流石に、同じ顔とエッチするのは気が引けるな」

「そーか? オレ、気にならない」

「随分、精力旺盛な子だね」

「真昼間から、何ツー会話だ?」

利知未が流石に、突っ込んだ。


 透子が準一を引っ張り回した。 珍しい光景に、和泉と倉真はびっくりだ。 準一は何時も、周りを引っ掻き回す専門だ。 利知未は、良く知っている透子の性格を考え合わせて、納得してしまった。

「生き別れの弟が、見つかったの!」

他のサークルへ籍を置く、学部の仲間を見つけては、透子が言う。 準一も一緒になって調子を合わせる。 ……騙された友人が、かなりの人数いた。



 月末から、期末テストが行われた。

 テストを終えた、十二月の頭。 双子が利知未の部屋へ邪魔をする。


 樹絵と秋絵は、教育学部を目指す事にした。 教師になりたいと思っていた訳ではないが、適当な学部が思い付かなかった。

「保健体育の先生なら、大丈夫そうだろ?」

「お前らしいな。 秋絵は何の先生、目指すんだ?」

「冴吏が専攻してる現代文学と古典文学、面白そうだから。 国語の先生でも目指そうか?」

「っても、最終的にはどうするかなんて、判らないけどな」

「ね!」

それでも期末の成績と、通い始めた塾の模試では、何とか二人とも60%以上の合格率を上げる事が出来た。 漸く、ほっと一息だ。

「取り敢えず、七十五%は目指さないとならない、とは思うけどね」

「でも、気は楽になったよな」

「気楽になり過ぎて、勉強の力抜くなよ?」

利知未に釘を刺され、小さく首を竦める。

「だから、こうやって勉強しに来てるんじゃン」

「わたしは、これから冴吏にも教えてもらうけどね。 取り敢えず、今は数学の宿題、教えて!」

「ンじゃ、先に秋絵の方、見ちまうとするか。 どこだ?」

「ここ!」


 水曜の夜だった。 利知未は昨日、佳奈美の家庭教師をして来たばっかりだ。

 明日も、久世家へ勉強を見に行く予定だ。

『とにかく後、少し。 ……今月一杯、頑張らないとな』

佳奈美の家庭教師だけになれば、自分の勉強をする暇も出来る。

『倉真とアダムで会える事は、なくなるけど……』

毎週、日曜のツーリングだけは、行こうと思っている。

『また、準一や宏治、誘って行くのも、タマにはイイか』

マスターとは、木曜の夜にだけ、顔を合わせることになる。

『……それでも、やっぱり』

 あの人とは、長く太い縁で繋がっているんだな、と思った。



 双子の勉強を見て、自分の勉強も終わらせた十二時頃。

 リビングで朝美と二人、今夜も晩酌タイムとなる。

「最近、なんか良い事あったのかなぁ? りっちゃん!」

「何を根拠に、そー言う事を言うんだよ?」

「さっき、お風呂で鼻歌出てたよね。 バンド時代の歌?」

何度か、聞いた覚えのある歌声が、キッチンで晩酌の用意をしていた朝美の耳に、届いていた。

「……聞こえてたのか」

照れ臭い気分だ。 敬太と付き合っていた頃に作った思い出の曲が、つい口を付いて出て来ていたのは、本当だった。

「あれって、一応ラブソングの部類だよね」

いつか、ライブで聴いたことがある曲だ。 記憶には残っている。

「イーだろ、別に」

利知未は中学時代に戻った様な、軽い膨れっ面になった。

「可愛いじゃん?」

「煩せーな」

「そろそろ白状しちゃいな。 大丈夫。 皆に漏らしたりはしないで上げるから」

「朝美は、口が軽いよ」

「そんな事、無いって! 口止めされたことくらいは、内緒にしとくよ?」

「信用出来ねーな」

無視して、酒を飲む。 けれど、その一言で、ばらしたも同然だ。

「やっぱ、言い触らされたら困る事、あるんだぁ!」

二マリと、朝美が笑う。 利知未は少しだけ、失敗した顔をした。



 学期末のテストも終わり、レポートも今学期分は、提出し終わった。

 利知未は、六年もの長い間、続けてきたバイトを辞める前の心境を漸く、実感する余裕が生まれる。

 仕事中は忙しくしているので、その余裕は無かった。 閉店後、後片付けをしている時や、マスターに呼ばれ、帰宅前にカウンター席へ落ち着く瞬間。

 言い様の無い、寂しさを感じる。


「……何か、妙な感じだ。 後、二週間もすれば、ココでのバイトも終わりか」

「長かったからな。 俺も、妙な気分だ。 ……まぁ、お前の中学時代に戻ると思えば、その内、慣れるだろう」

「けど、翠はもう居ないし、妹尾も来年の4月には辞めるんだよな」

「長嶋と別所は、残るぞ?」

「近藤さんもな」

「手が足りなくなれば、また誰か雇わにゃならん。 お前と同じレベルまで育てるのは、骨が折れそうだな」

「悪い。 もうチョイ、自分の勉強に余裕があれば、来年一杯までやれたんだけどな」

「何、人は育つもんだ。 骨は折れても、実は成ってくれる」

「意外と人を育てるの、好きなんじゃないか?」

「遣り甲斐はあるな。 子育ても同然だ」

「……イイ、親父だよ」

「当たり前だ。 お前をココまで育てたのは、俺だからな」

マスターが、自慢げな笑顔を見せる。

「だな。 育ててもらったよ。 ……感謝、してる」

利知未が、大人びた笑顔を見せる。

「良く、育ったもんだ」


 マスターの呟きに、利知未は思う。

『この人には、本当に色々な事を、教えてもらって来たな……』


 大切な人との関わり方も、彼から教わった。 深い愛情も、彼が教えてくれた。

 ……自分にとって、大事な仲間を守る方法も、教わって来たと思う。


「今年の忘年会は、お前の送別・激励会も込みでやるぞ」

「サンキュ。 朝まで、飲むか?」

「当然だ。 吐いても付き合わせる」

「あたしの方が、酒には強そうだよな」

「呆れた奴だな。 その年で、立派な酒豪だ」

「問題行動、開花させたのは、マスターじゃネーか?」

「お前が高校一年の、忘年会か」

「翠も一緒になって、止める所かガンガン、飲ませてくれたよな」

「アレは、我が店の恒例行事だ。 新しい従業員は、必ず深酒の激励を受ける」

「高校生でもかよ?」

「相手は、見てるぞ」

「そーかよ、悪かったな、手に負えない不良娘で」

「判っているじゃないか。 賢い娘だな」

ケ、と、利知未が顔を歪めた。 優の前に居る時の様だ。

 マスターは、その利知未の表情を見て笑っていた。


 最後だと思い、冬休みは夏の様なシフトを組んだ。 早出、遅出を妹尾と交代で入る。 日曜も入る事にした。

 一日や二日は、妹尾とも同じ時間に入る。 挨拶代わりだ。


 バイト最終日、別所が何かを言いかけた。

「瀬川さん、お世話になりました。 ……あの」

「何だよ? 男らしくスッパリ言えよ?」

「……いや、何でもないです」

マスターとの事を、聞いてみようかと一瞬、思った。

『けど、口出す事じゃ、無いよな』 思い直して、言葉を止めた。

「変な奴だな。 あたしが抜けて、大変になると思うけど、頼んだぜ」

「頑張ります」

請け負ってくれた別所に、男っぽい笑顔を見せて頷いた。



 年末の忘年会は、朝まで飲んだ。 皐月と妹尾も勿論、付き合う。 今回は、現在、皐月と付き合っている厨房社員・松尾も朝まで残った。

 妹尾とくだらない話で盛り上がり、皐月と松尾を冷やかして、マスターとは二人で、グラスを重ねた。


 三次会、明け方近くなってから、全員でアダムへ移動した。

「店、何処もやってない時間だしな。 丁度イイよ」

松尾が言って、途中のコンビニで酒を仕入れて来た。 改めて盛り上がる三人を眺めながら、マスターと話が始まる。

「そろそろ、5時だな」

時計を見て、マスターが言う。 ネクタイはとっくに外れている。

「丁度、これくらいの時間か……?」

「……あの朝か」

「……マスター、有難う。 お陰で、素直になれたよ」

「館川倉真、だろう?」

「お見通しだよな。 ……ただ、まだ今は勉強が忙しくて、どうにもならないよ」

「それも仕方ないだろう。 大丈夫だ。 アイツは、待っていると思うぞ」

「待ってて、くれる?」

「お前の事を、大事にしているんじゃないか?」

笑顔で言われて、照れ臭くなった。

「しかし、今、思っても不思議だな……」

「……あの時の事? …アレは、あたしが原因だよ」

「男の責任だろう」

「あたしに限っては、女の責任だと思うけどな」

「普段は、全く女に見えないんだがな」

「言ってくれンな」

「……そうでも思ってなければ、仕事にならん」

言われて今更、嬉しく思う。

『もう、とっくに終わっている事なのにな……』

「サンキュ」

利知未に礼を言われて、変な感じがする。 黙ってしまった二人の様子を見つけて、妹尾が声を掛けた。

 それから五人で、朝7時過ぎまで飲み続けた。



 利知未のバイト最終日は、土曜だった。 翌日、由香子がやって来た。 和泉は空港まで、車で迎えに行った。 下宿まで、由香子を送ってくれる事になっている。

 由香子は今回も、客間へ泊まる。


「流石に、家に泊める訳にもいかないだろう」

和泉の言葉に、準一が突っ込んだ。

「今更ジャン! やる事、やってんだから」

「だから、余計に拙いんじゃないか? やりたくなった時、我慢出来ネーだろ」

バッカスで、数日前に仲間が飲んでいた。 倉真の言葉に、宏治が笑う。

「倉真じゃあるまいし、平気なんじゃないか?」

「どういう意味だよ」

「倉真より、ジュンだな」

和泉は倉真の肩を持つ。 秋の学祭で、利知未と倉真の微妙な雰囲気には気付いていた。

『時間は、掛かりそうだけどな』

利知未との、今までの関係が関係だ。 中々、お互いが素直になるのは大変そうだと感じた。

 この日、利知未は顔を出していなかった。



 和泉に送られて、由香子が下宿に着いた頃、利知未は朝帰りして睡眠を取り、やっと起き出した所だった。 午後、四時過ぎだ。

 階下の騒がしさに、目を覚まして顔を洗う。

「初めまして、由香子ちゃん。 樹絵たちから、話は聞いてるよ」

「初めまして。 私も、二人から朝美さんのことは伺いました。 今回は一週間、お世話になります」

 リビングでは、朝美と由香子が、初対面の挨拶を交わしていた。




          七


 双子は今年、里帰りをしないで、受験勉強をしている。 里真は、それでも大晦日から三日間だけ、実家へ戻った。


 そして、新しい年が明ける。

 里真が実家から戻った翌日、一月三日は恒例の新年会だ。

 今年は、克己は参加不可能だ。 代わりに由香子が入り、結局、総勢9人が集まった。 一端、倉真の部屋へ集合する。


 トレードマークの、モヒカンを止めてしまった倉真を見て、由香子は目を丸くした。 仲間も、始めに倉真の坊主頭を見た時には、大笑いをしていた。

 九月末に頭の形が変わってから、漸く三ヶ月だ。 やっと、見られるくらいの長さにまで伸びていた。


 準一、和泉、宏治の三人は、既に到着していた。

 下宿メンバーと新年の挨拶を玄関先で交わし、倉真の狭いアパートへ、9人が無理矢理に上がり込む。 樹絵が言った。

「……っても、やっぱ、ココじゃ狭いよな」

「タマには、オレの部屋使おうか?」

「ジュンのお袋さん、卒倒しちまうだろ? こんな人数で押しかけたら」

「店、開けよう」

「バッカス? でも、お酒は持っていかないとね」

「それでも、簡単な料理も出来るだろうし、氷とグラスは店のを使えばいいだろう?」

「美由紀さんに、了解とらないとな」

「平気だよ、鍵は俺が預かってる」

「ンじゃ、移動しよう!」

初めてバッカスの店内を見れる。 樹絵が元気良く、全員に声を掛ける。

「……懐かしい、ね?」

由香子の言葉に、和泉が頷く。 すっかり、アツアツ振りを発揮している。

 二人の様子を見て、樹絵は少しだけ、羨ましいと思った。


 バッカスへ移動して中へ入ると、初めて店内を見た双子と里真が、興味深そうにキョロキョロし始めた。

「意外と、狭いんだな」

「元は、お袋が一人でやっていた店だからな。 客席が多過ぎたら、回せないだろう?」

「でも、今は宏治が手伝ってんだし、改装とか、しないのか?」

「そう言う予定は、今の所は無いな」

自然に、カウンターへ向かう。 宏治の背中を見て、里真は少し赤くなる。

『職場なんだから、当たり前なんだろうけど』 働いている姿は、見たことが無い。

 想像していたよりも、ピタリと嵌って見えるカウンター内の宏治を、格好良いと思った。


 今年は、里真がカメラを持って来た。 宴会準備をしている宏治と話す。

「高校の部活以来、久し振りに出して来たんだよね。 腕が、落ちてなければ良いんだけど」

「自転車と同じ、なんじゃないか?」

「一度覚えたら、忘れないってこと?」

「そー言う事。 試しに、倉真の頭でも撮ってみろよ?」

「面白そう。 頭のアップと、向こう側の皆の様子でも、収めてみようか?」

カメラを構え、ピントを合わせる。

「うーん、どっちにピント合わせよう……?」

「そりゃ、倉真の頭だろ」

宏治が面白そうな顔をして言う。

「そーだね、そうしよう」

背後でワチャワチャしている二人の気配に、倉真が顔を向ける。

「シャッターチャンス!」

間抜けな顔で、振り向いた倉真のアップと、その向こうで酒を準備している仲間の様子が、里真のカメラに収まった。


 利知未は折角だったので、店のキッチンを借りて、簡単な摘みを作って見る事にした。 準一と和泉、由香子も、始めて見る利知未の料理の手際に、目を丸くする。

「何か、今回はびっくりする事ばっかり……!」

由香子が、利知未の作った摘みを食べて驚いた声を出す。

「倉真の頭と、あたしの料理か?」

「俺も、知らなかった」

和泉も由香子と同様、驚いていた。

「この前の学祭、トー子さんの模擬店、奥を手伝ってたって事だ!」

準一が珍しく、鋭い意見を述べた。

「透子さんって、利知未の友達だよな? 何でジュンが知ってるんだ?」

樹絵が、何時か泊りがけで利知未の勉強を見に来ていた、背の高い友人を思い出す。


『準一と、そっくりだったよな』

他人の空似とは言うが、あれ程、似ているのも珍しいと感じた。

「この前、学祭に遊びに行ったカンね。 オモシレー人だった」

「…へー、行ったんだ」

いつもと、樹絵の反応が違う感じだ。 準一は勘違いする。

「誘わなかったから、怒ってんの? 受験勉強の邪魔しちゃ、いけないかと思ったんだよ」

ヘラリと笑う。 樹絵は、ジェラシーを感じている。

 ……もう、違う人を好きになろうと、この前、思ったばっかりなのに、と思う。


「で、同じ顔に手を出そーとか、思ったのか?」

「オレは、構わなかったんだけどな。 振られちゃったよ」

「マジ、手を出そうとしてたのか?」

 学祭へ一緒に行っていた倉真が、呆れた声を出す。

「何で? 面白そージャン」

「適当に交わされて、お終いだろ? 透子は、お前の手に負えるような奴じゃネーよ」

利知未が、面白そうに突っ込んだ。

「ノリは、合っていたと思うんだけどな」

「言ってたぞ? 新しい玩具が出来たって」

「キスまでは、簡単にさせてくれたんだけどな。 まだまだ、修行が足りないらしいや。 …精進せねば」

ふざけた、余りショックも感じていないらしい準一の様子に、利知未は呆れてしまう。 ちらりと樹絵に視線を向け、真面目な顔になる。

『樹絵の奴、諦めたのか……?』

 樹絵はじっと、何かを思っている。 以前なら、口喧嘩が始まっている所だ。

「……大体、今までがラッキーなだけだったんだ。 ジュンが何でそんなにモテるのか、あたしには理解不能だよ」

樹絵はそう言って、酒に口を付けた。 倉真が心配そうな顔をして、樹絵を見ていた。

「酒、切れそうだな。 仕入れてくるか。 樹絵ちゃん、荷物持ちに一緒に来てくれネーか?」

倉真が言って、立ち上がった。

 利知未は、少し落ち着かない。 不安そうな表情をちらりと見せる。 その表情を見て、倉真が目配せを寄越す。

『……任せて、イイか』

納得して、頷いて立ち上がる樹絵に、金を渡した。



 倉真に連れ出してもらって、樹絵はホッとする。

 お互いの思いは、夏のキャビン以来、良く解っている。

「倉真は、利知未と上手く、行ってるみたいだよな」

「関係は、あんま変わらネーけどな」

「……あたし、一度、準一から目を逸らしてみる事にした」

「イイんじゃネーか? それでも好きなら、そん時は踏ん切りもつくだろ」

「だよな」

買出しの途中、短く言葉を交わした。


 戻ってからは気分を切り替え、思い切り楽しんだ。 樹絵の様子を見て、利知未は倉真を少し、見直した。



 新年会も終え、新学期とセンター試験がやってくる。

 今年のセンター試験は、四週目の月曜・火曜、二十日・二十一日だ。


 新年会以来、樹絵は今まで以上に勉強に力を入れた。

 由香子は日本に居る間、毎日、和泉とデートをしていた。

 五日、日曜日。 来た時と同じ様に、和泉に送られて空港へ向かった。


「あのね、お父さんが、言ってたんだけど……」

送られる車の中、由香子が言い出した。

「和泉さんに、ウチで働いてもらえば良いって」

「それは、公認って事になるのか」

由香子が頷いて、照れた顔をする。

「和泉さんの事、気に入ったって。 ……力も体力も、人柄も申し分ないから、何時かお兄ちゃんが結婚したら、 ……兄妹夫婦で、牧場を盛り上げてもらえたらな、って」

「有難い申し出だけどな。 家も、両親の事があるからな」

「そう、だよね」

 まだまだ、先は長い。 今ここで、決定できる事でもない。

 それでも二人の関係は、今の所、順風満帆と言えるかもしれない。



 双子の、特に樹絵の勉強を見てやりながら、月6回は佳奈美の家庭教師をし、アダムでのバイトが無くなった日々を、利知未は自分の勉強に充てる。


 それでも朝美との晩酌と、日曜のストレス解消は続ける。

「由香子ちゃんの彼氏って、逞しかったね」

由香子を送迎する為、下宿にも顔を出した和泉を思い出して、朝美が言う。

「昔からイイ、ガ体してた。 工事現場で働き始めてから、筋肉ついたんだよな。 ……今じゃ、投げ飛ばせネーだろーな」

「利知未、投げ飛ばした事ある訳? あの青年を!」

「あいつらが、まだ中学二年の頃だよ。 随分、昔の話だ」

「……にしたって、何て言うのか」

「悪かったな、強暴で」

「……ま、アンタの場合、そのお陰で活動範囲が広かったって、言えるのかも知れないね。 ……世間の荒波に早い内に揉まれたお陰で、何とか二十歳になる頃には落ち着けた。 って、所か」

「中々、鋭い洞察力、持ってンな。 その通りだと、自分でも思うよ」

「アンタも自分のこと、解ってンじゃない」

「そーユー事くらいはな」

 それでも、恋愛に対する自分自身を判断する事は、難しいと思う。

『大体、好きな相手の前で変わる自分が、信じられないよな……』 心の中で呟いて、酒を飲む。



 双子のセンター試験前日は、日曜でもツーリングへ行くのを止めた。 一日、最後の追い込みで頑張る、樹絵の勉強を見てやった。

 変わりに、樹絵が自室へ引き取った、夜十一時頃。 倉真と電話で話した。

「今日は、何してたんだ?」

「昼過ぎまで、寝てたな。 それから掃除して、一日終わった」

「飯、どうしたんだ?」

「アダムへ行った。 ……利知未が居なくても、飯はやっぱ、あそこがイイな」

名前を呼ばれ、嬉しいと感じる。

『……何か、恥ずかしいな。 こんな風に、感じてる自分が』

他の誰に呼ばれるよりも、幸せな感じだ。


 好きだと思った相手の前で、変わる自分が、本当に信じられないと思う。

 しかも、今の相手は、あの倉真だ。 初対面の頃、こんな風になるとは、本気で思いも寄らない相手だった。


「どうした? 変な事、言ったか?」

 利知未の言葉が止まって、倉真が問い掛ける。

「……利知未?」

もう一度呼ばれて、我に返る。

「何でもないよ。 ……電話だったら、普通に呼んでくれるんだなって、思ったんだよ」

普段、仲間と居る時には、何となく呼びかけ難い様子だ。

 呼びかけは、成るべく誤魔化す様にして会話をする。

「何となく、やっぱ、照れ臭い感じだ。 アイツ等、どういう反応するかと思うとなぁ……」

「……なぁ、倉真」

「何だ?」

『あたしのこと、どんな風に思ってくれているんだ?』 心の中でだけ、聞いた。

 ……やはり、口には出せない。

「…克己のトコ持ってく、祝いの品。 今度、皆で探しに行かないか?」

「気が早いな。 まだ、二ヶ月近く先の話だろ?」

「だよな。 けど、宏治も誘って行きたい所だしな」

「里真ちゃんとのデート、相変わらず忙しそうだな。 アイツは」

「みたいだな」

 特に用事があった訳でもないが、それから三十分くらいは話をした。


 倉真は、電話口の利知未の声が、何時もよりも高くなる事に気付いた。

『利知未の声、高めになると、何か色っぽい感じだな……』 

そう感じる。 喋り自体も少し、甘ったるいような、可愛い感じだ。

 そして、電話でなら神経を使う事もなく、普通に話せている自分を知る。

『マジ、早いトコ関係、進められりゃーイイんだけどな』

そうすれば、あの甘ったるいような利知未の声を、もっと身近で聞ける様に、なれるかも知れない。

『今まで、アンマ判んなかった。 利知未は、色っぽい女、だったんだな』

妙な気分になって来た。

 電話を切った後、今夜は早くに寝ようと思った。



 双子は何とか、センター試験を終わらせて来た。

「一応、本試験は受けられそうだな」

「やっと、一息つけるか?」

「バカ言うな。 本試験が、大変なんだろうが」

「…やっぱ、そーだよな」

「何時だ?」

「二月の二十四・二十五日と、三月の五・六日」

「秋絵も同じか?」

「一応、同じ大学受けるから」

「そーか。 センター試験の見直し終わったら、一日位、息抜きに行くか?」

「イイのか?!」

「『過ぎたるは、及ばざるが如し』って、言うだろーが。 根詰め過ぎたって、返って逆効果だろ。 息抜きは必要だ」

「ンじゃ、利知未、車出してくれよ?」

「何処、行きたいんだよ?」

「朝美だって日曜日休み、月一位であるだろ? 前、秋絵と言っていたんだ。 下宿の仲間で、どっか行きたいなって!」

「…ま、良いけどな」

「ンじゃ、朝美が行きたい所でイイや! 聞いておいてくれよ?」



 二月二日・日曜、朝美の希望を聞いて、日帰りで温泉へ出掛けた。

 双子と朝美、利知未と美加と言うメンバーになる。 

 

 里真は宏治とのデートが忙しく、冴吏は来月も雑誌に、短編を載せる話があった。 原稿を書かなければならない。 秋の短編が、高評だったらしい。

 里真に雑誌を借り、利知未はこの頃、始めて冴吏のデビュー作を読んだ。 登場人物のモデルが、下宿のメンバーである事は直ぐに判った。

 冴吏のデビュー作は、里沙と朝美の物語だった。



 双子の受験が終わり、漸く下宿に平和が訪れた頃。

 克己夫婦の、喜ばしい報告を聞いた。 利知未は早速、仲間と一緒に克己の新居へ押し掛けた。


 四畳半と六畳の、二間のアパートだった。

 生まれたばかりの長男が、布団の上で安らかな寝息を立てていた。


 克己の妻・響子を、利知未は初めて見た。 倉真は、克己と同じ定食屋で働く響子の姿を、以前から見知っている。

『地味目の美人、って感じだな』

優しそうな、華奢なイメージのヒトだった。 克己とは、似合いだと思う。

「良かったよ。 祝いの品、無駄にならずに済みそうだ」

畳の上に直接、敷いた布団で眠っている赤ん坊の姿を見て、利知未が言う。

「何も無くっても、構わなかったケドな。 高いもん、買わしちまった」

隣の部屋で倉真たちが、新しいベビーベッドを組み立てていた。

「里沙が、以前デザインした奴らしい。 カタログに載っていたんだ」

「インテリア・デザイナーだってな。 この部屋には、洒落過ぎじゃネーか?」

「そんなこと、無いだろ?」

利知未に笑顔で言われ、響子が改めて礼を言う。

「本当に有難うございます。 でも、何かもったいないわ」

「全員で金、出し合ったんです。 細かいもの沢山買うより、この方がイイかと思って」

「ベッド、組みあがったぜ?」

倉真が隣の部屋から、三人に声を掛けた。

「後、里真たちが金出し合って、ベビーカー買ったんだ」

「里真ちゃんと、双子か? 悪かったな。 その内、遊びに来て貰ってくれよ」

「言っておくよ。 けど、当分は止めといた方がイイだろ?」

「そーだな、ガキの世話に慣れる頃が、有難いか?」

「そうね。 その時には、ご馳走用意して待っていますね」

響子が笑顔で、頷いていた。


 利知未は、久し振りに克己の姿を見て、随分、落ち着いた物だと思った。

『やっぱ、子供が生まれると、違うんだろうな』

優の事を思い出し、つい、何時か浮かんで来た、倉真との光景を思い出す。

 一気に、頬が熱くなる。 赤くなった利知未を、克己が不思議そうな顔で見た。 克己の視線に倉真が気付いて、利知未を見る。 その表情を見て、響子は軽く両眉を上げる。

『この二人は、恋人同士みたいね』

隣の部屋から、残りのメンバーが顔を出す。 全員を何気なく観察する。

『お似合いな二人みたい』 倉真以外は、響子も初対面だ。

 其々がどんな性格であるかは解らないが、全員の雰囲気を見比べて見て、そう感じた。


 仲間が帰ってから、響子が言った。

「ねぇ。 利知未さんと館川さんは、恋人同士よね?」

響子の観察眼に、克己は感心する。

「そう見えたか? ……多分、気持ちの面では、相思相愛だろうな」

相思相愛、と言う言葉に、利知未との思い出が、チラリと掠める。

「やっぱり? …子供も無事に生まれたし、また、遊びに行って良いのよ」

「そうだな。 その内、またバッカスへでも、顔を出す事にするよ」

「そうしてね。 気晴らしも、必要でしょう?」

妻の優しい言葉に、克己は素直に感謝した。



 三月も中旬を過ぎ、双子は無事、大学合格の知らせを受けた。 大学に入ったら、新しい相手を探そうと、樹絵は改めて思う。

 冴吏は、無事にデビュー第二作目の作品を、締め切り前に上げた。

 里真と宏治も上手く行っている。

 和泉は先の事を、改めて見つめ直す。

 準一は、再びナンパを始めた。 新しい彼女が、また出来た様子だ。



 利知未と倉真は、変わらず微妙な関係のまま、春休みは過ぎて行った。




   利知未シリーズ大学編・六章 了 (次回は 1月18日 22時頃 更新予定です)



六章も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございます。 <(__)>

 この回は、2006年の6月9日に一度、書き上げたものだったようです……。 本当に、皆様の目に触れるまでに、何て長い月日を越してきたのやら……。

 そして、大学編はあと二章。 その後、インターン編が全四章構成にて、一度は書き上がっています。

 つまり、ココが大学の6年間の『ど真ん中』となります。 本当に、長いお付き合いをありがとうございます。


 七章 リラックス・タイム では、大学生となった下宿の「利知未ミニチュア樹絵」の恋愛も、少し追いかけております。

 もしも利知未が、これほどまでのヤンチャ者ではなく、もう少し素直な女の子だったら……?

 樹絵の様な普通の(?)恋愛の話にも、なったのかもしれないと言う作者の思い入れが、出て来た部分かもしれません。

 利知未も、大学4年に進級です。 また、お付き合い頂けましたら幸いです。  来週も、皆様とココで、会えますように……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ