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二章  愛情の行き先  前編

利知未と倉真の結婚までの話し、大学編の二章です。 90年代中頃に差し掛かる頃が時代背景となっております。(作品中、現実的な地名なども出てまいりますが、フィクションです。実際の団体、地域などと一切、関係ございません)

  この作品は、未成年のヤンチャ行動、飲酒運転などを推奨するものではありません。


大学一年の7月、哲との関係を終わらせた利知未は、自分なりの解釈で「愛情には色々な形がある」事を実感した。 そして、また一つ、女としての自分の心を知った。

 けれど、ずいぶん前から、心の中に生まれていた小さな愛情には、まだ気付いてはいない。

 倉真は、一年ほど前から同棲している恋人・綾子に対する自分の気持ちに、微かな疑問を抱き始める。

 それぞれの心は、ここからどんな変化を遂げて行くのか……?

 (今回も、後編の前書きは省きます。ごゆっくりお楽しみください)

   二章  愛情の行き先 〈……季節を越えて〉 前編(1 〜 6)


          一


 九月三週目の月曜日・十一日から、利知未は新学期を迎えた。

 夏休みは、高校時代よりも少し長い。 その分、バイトを入れた。


 哲は時々、バッカスへ顔を出す。 利知未の顔を見に来るが、今は単なる飲み友達だ。

 悪癖は今の所、治まっているらしい。 それでも偶に酒が過ぎ、手が出そうになる事もある。 そんな時、利知未は容赦無くその腕を捩じ上げる。 それで、少しは酔いも冷めるらしい。


 美由紀は、それを見て安心する。 ……どうやら、利知未に遊びで手を出せる男は、いないらしい……。

 考えて見れば利知未は、自分の身を守る術は身に着けている。 並の男よりも腕が立つだろう。 滅多な事で、どうにかなるコではない。


 倉真と綾子の喧嘩は、夏休みのツーリングから少しは減った。 ただし、重い喧嘩が減っただけで、小さな衝突は、相変わらず繰り返している。

 その度にバッカスへ現れるので、大変、解り易い。


 利知未は近頃、倉真から良く相談を受ける。 話を聞くと、大体の喧嘩の原因は倉真にあるので、呆れてつい、笑ってしまう。 その度に少し剥れる倉真を見て、自分の中学時代を思い出す。

 自分も、少しでも面白くない事があると、直ぐに剥れていた気がする。


「お前も、大概ガキだな」

 そう利知未に言われて、倉真は何故か、少し落ち込んだ。

「どーせ、ガキっす」

言って、ややイジける。 ……利知未には、少し可愛く見えてしまう。

『手の焼ける弟分だ』 そう思って、また笑える。 その表情は、偶に女らしい。

 弟分に当るメンバーの中では、恐らく倉真が一番、利知未のそう言う表情を目にしているだろう。



 新学期前のある日。 倉真と同じ様なやり取りをしていて、ふと聞かれた。

「……利知未さんは、年上好みなんスか?」

「いきなりな質問だな。 それは、恋人を作るなら、って意味か?」

少し目を丸くして、利知未が質問を返した。

「そう言う意味で、どうなンすか?」

 利知未は敬太の事と、付き合い掛けた頃の、哲を思い出す。

「……そーだな、そうかもしれないな。 …大体、あたしを手懐けるヤツが、年下で居ると思うか?」

面白そうな顔をする。

 利知未の軽い口調に、納得した様なしない様な、微妙な表情になって、倉真がまた質問をする。

「それは、どう言う理由で?」

「……理由ねェ。 強いて言うなら、安心感か?」

「頼り甲斐があるって、意味なんスかね」

倉真は、克己の事を気にしている。

 ツーリングの時の雰囲気が、芝居と言う割にはハマっていた気がしている。 克己には自分も散々、世話を焼かせた。

 利知未は倉真の表情を見て、何となく思い当たる。

「お前、もしかして、克己の事を言っているのか?」

図星を突かれた顔になる。 利知未は、思い切り吹き出した。

「ンな、笑える事っすか?」

「笑えるぜ。 そんなにアン時、上手い芝居したかぁ?」

声を上げて笑い出した。 憮然とする倉真を見て、少しずつ笑いを収めた。

「…っつーか、ナンでいきなり、ンな事、考え出したンだ?」

「ナンで、っスかね……?」

自分でも良く解らない顔をする。 利知未は、話題を変える事にした。

 倉真と、こう言う話をするのは、大体、何時も同じ居酒屋だった。



 アダムの従業員の間では、九月頭のこの時期から、翠の送別会が企画されていた。

 毎年、忘年会をする居酒屋で、その日は店を早仕舞いして、皆で繰り出そうと計画されている。 堂々と深酒が出来るチャンスだ。 マスターが見逃す訳がない。

 翠の結婚式は、十一月三日の予定だ。 それより三週間ほど前に、結婚退職する運びとなる。


 最近アダムに、樹絵だけでなく、里真もチョコチョコと顔を出す様になった。 大体、紅茶とケーキを注文して、参考書を開いている。

 受験から、ハードルの高い学校だったのだ。 今は、落ち零れないように頑張っている。

 利知未が居るのが丁度良い。 解らない所は、利知未の手が空いた瞬間を狙って、教えてもらう。

 瀬尾だって大学生だ。 高校二年の勉強くらい、教え様と思えば教えられる。 ヒトが良い事が取り柄の彼は、偶には利知未の変わりに教えてあげたりもする。

 佳奈美も偶に宿題を持ってくる。 ……まるで、学習塾みたいだ。


 マスターは、自分の娘も面倒を見て貰っている。 仕事に支障がない限り、バイト中の勉強会も黙認してくれる。

「カウンターの一部、塾にでも改造するか?」

等と、軽口を叩いたりする。 ……彼の呑気さ、大らかさは、何年経っても変わらない。


 利知未は、自分がマスターに知り合った歳と、同い年になった佳奈美を見る機会が増えた。 良く、自分の中学時代を思い出すようになった。

 そして、瞬く間に過ぎて来た、六年と言う年月を再確認する。 思春期を丸々、アダム・マスターの近くで越えてきた事になる。


 その間に起った、様々な出来事を思う。

 ……自分は、何て慌しく、内容の濃い経験をして来たのだろう……?


 色々な人達に、助けられてきた。 その人達に出会うことで、沢山、大事な事を知る事が出来た。 その出会いの、全ての切っ掛けをくれたのは、他でもない、このヒトだ。

 それを思うとき、利知未の胸が、少し熱くなる。

 利知未は、マスターの人柄には惹かれている。 感謝もしていた。



 和泉は、八月中かけて、普通自動車の免許を取得した。

 これから、工事現場で使う特殊車両の免許も、取る必要があるかもしれない。 仕事をしながら、今後の事も考え始める。

 ……自分が本当に興味の持てる仕事、一生やり続けたいと思える仕事も、探し始めようか……?と。

 けれど、まだ見えてはいない。


 ある時、由香子と国際電話をしていて、うっかりと利知未の事を、名前で呼んでしまった。

 利知未に言われ、最近は和泉も呼び方が変わっていた。

 こちらの皆の様子を聞かれて、七月のツーリングの事を少し漏らした。 克己の存在の説明をし、自分達との関わりを話した時、利知未から声を掛けられた騒ぎがあった事を、少しだけ話した。 その拍子にだ。

 ……しまったと思ったが、思い直した。


 由香子も、いつまでも誤解させたままでは、返って気の毒だ。

 そして、ゆっくりと。 利知未がどんな人柄で、由香子に対してどう言う思いで接していたのか? 自分の想像がつく範囲で、話して聞かせた。


 由香子は、ショックを隠せ無い様子だった。 立ち直るまで少し時間が掛かった。

 それでも十月に入る頃、和泉へ手紙を書いた。 今は感謝している。 と、書いてあった。


 事実を知った事は、その内に自分から、双子か里真へ宛てて手紙を書くと、断ってあった。

 和泉は、その手紙が届くまで、由香子が瀬川の正体を知ってしまったことは、黙っている事にした。



 その、十月を迎えるまでの間、準一は早くも五人目の彼女?を見つけていた。 本人は相変わらず、友達だと言い張っている。

 かなり深い関係を持ってしまったコが、ここまでに三人居た。 今までは誰にも打ち明けていない。

 九月末頃。 始めて、その打ち明け話を聞いたのは、意外にも倉真だった。


 珍しく準一から連絡があり、倉真は、いつも利知未に相談を持ちかけていた居酒屋まで、バイクでやって来た。 下宿や、アダムのある街の居酒屋だ。 出て来た時間も遅かった。

 綾子はもう眠っていた。 黙って出て来てしまう。

 それはそれで、また喧嘩の原因になってしまうのだが、ソコまでは考えなかった。

 最近は外泊をしても、以前の様に女の所へ行っているのではないか? とは、言わなくなっていた。 その点では、気が抜けていたのは確かだ。



 居酒屋で、調子良く酒を勧める準一に、やや不可解な気がした。

「……イー加減、話せよ?」

倉真に言われて、準一がやっと口を割る。 既に二時間近く飲んでいた。

「倉真さ、……彼女と、避妊してる?」

言い難そうな雰囲気で、そう聞いた。 倉真は一瞬、目を見開いてしまう。

「ドーユー質問だ」 呆れて、先ずは一言、呟いた。

 準一に何時の間にか、深い関係の女が、出来ていた事を知る。


 倉真に話そうと思ったのには、深い意味は無い。 何時もの仲間内で一番、倉真が一緒に居る時間が少ない。 綾子の相手に忙しいからだ。

 だから、返って話し易いと、そう思ったのだ。


「……お前は、今までどうしてたンだ?」

 準一に似合わず、真面目な事を話している様子に、倉真も真面目に答えてやる事にした。

「気にしてなかった。 危ない時は、アッチも誘ってこなかったし」

「何つーか…、お前らしいな。 勢いと、ノリか?」

「オレ、酒飲み過ぎると、訳分からなくなるし」

真面目な話の筈なのに、呑気に言って、酒を飲む。

「女に、何か言われたのか?」  ……何故、準一が今更、気にし始めたのか?

 準一は、頷いた。

「だからさ、倉真、どうしてンのかなって、思った」

改めて聞かれると、気恥ずかしい感じだ。

 倉真は、酒を煽り飲んだ。 勢いをつけなければ、言える事じゃない。

「まぁ、気が回りゃぁ、使うけどな」

「回らない時は、どうすんの?」

「……中で、出さないようにする」

倉真は酒の所為ではなく、少し赤くなる。 準一が言う。

「ビョーキ、持っていたら困るって言われた」

「……ナンか、スゲー女だな」

 そう思うんなら、誘うな、誘わせるな、と言う所だ。

「それで、その後、やる気出たのかよ?」

「そー言われちゃったからなぁ……。 流石に、酔いが冷めた。」

「だろーな。 まだ、妊娠はイヤだって言われた方がマシだぜ」

「やっぱ、そー思うよね?」

「そりゃ、ソーだろ?」

「結局、別れた。 ……今、別のコの事で考え中」

「次ン時、どうするかってコトか」

「そんな感じかな?」

暫く黙って、酒を飲んだ。 倉真が、小さく言った。

「ま、別れて当然だな……」

そんな風に疑われている相手と、付き合い続ける気は無くなる。

「別に、気にはしてないよ」

ヘラリと、準一が笑った。


 その日は、明け方まで付き合った。 平日のコトだ。 倉真は翌日、流石にバイト中の飲酒運転は不味いと感じ、珍しく仕事を休んだ。


 ……その行動が、綾子の疑惑を再燃してしまった。



 適当に酔いを冷まして、昼過ぎに帰宅した。 眠くなって、軽く睡眠を取ろうと思った。 軽くのつもりが、綾子が戻るまで目覚めなかった。


 綾子はバイトから帰宅して、倉真が戻っていた事を知った。 倉真の姿を探し、ベッドで呑気に眠っている姿を見付けた。 ……イラっときた。


 最近、外泊になる時は、倉真も一応、連絡はしていた。 また怒り出されると厄介だ。

 外泊先は大体、土曜なら宏治の部屋。 平日なら克己の所か、杉村達と夜通し遊ぶ時だ。 杉村達とは良く、夜中の賭けボーリング等をやっている。

 喧嘩騒ぎは、成るべくしない様に注意している。



 綾子は、前回の無断外泊からの大喧嘩以降、倉真の外泊も、少しは許してあげようと考え直していた。

 かなりヤンチャ者の彼が、自分の為に気晴らしさえも我慢しているのは、流石に可哀想だと考えたからだ。 変わりに、連絡だけは入れてくれる様に頼んだ。


 利知未が克己の恋人である以上、ヘンな浮気の心配も無いだろうとも思った。 倉真と克己の関係は、良く知っていた。

 あのツーリングまでは、綾子の頭の中に一つの公式が生まれていたのだ。


 二月頃、夜中に電話をして来た女は、あの時、始めて名前を聞いた、利知未ではないだろうか? と。


 今まで、名前を知らなかった時から、勿論、続いていたのではないか? 名刺の名前は、本名ではないだろう。 ああ言う店で、本名で客を取ることは、……それが、もしも自分だとしても、したくない事かもしれない。

 いつか、アダムで見た店員が女で、そのヒトが『疑惑の利知未さん』で有る筈なんか、無いとも思った。

 男だと、信じていたのだから。


 けれど、実際に彼女の性別を正しく把握して見たら、今度は別の疑惑が生まれた。

 『名刺のヒトは、また別みたいだ。 もう、忘れよう。 でも……』

魅力的なヒトに思えた。 倉真は、ああ言うヒトが好みなのかもしれない。

 話を統合して見ると、今までも、何度も会っていたらしい。 ……それなら、もしかして?


 それで、アダムでの会見後は、そちらの疑惑が元になった。


 趣味はバイクだと言う。 アダムで見た彼女は、中性的な顔では有るが、中々の美人だった。 行動もテキパキしていて、格好良い。 世界も雰囲気も、自分より余程、倉真に近い感じだ。

 恋人同士として付き合うなら、同じ価値観を持っている者同士の方が、どう考えたって、良いに決まっている。 ……倉真は、もしかして。

 我慢して、自分と付き合ってくれているだけ、なのではないか?


 始めて、ツーリングへ連れて行って貰った七月。

 倉真と仲の良い友人に紹介されるのは、嬉しかった。 仲間内の、公認になれる訳だ。

 けれど、疑惑の『利知未さん』も一緒だと聞き、少し不安もあった。

 ……そこで、二人の間に流れる空気が、何と無く違ってたら、どうし様……?


 ドキドキしながら、集合場所へ向かった。

 始めに到着していたのは、疑惑の彼女と、手塚君だった。 直ぐに萩原君と渡辺君がやってきて、克己さんは十分程、遅刻して来た。


 それまで、本当に男同士の様に、タバコを吸いながら話をしていた彼女が、克己さんのバイクが見えた途端、タバコを消して、物凄く綺麗な笑顔で彼を迎えた。 遅刻したコトを、少し膨れる様にして、怒っていた。


 先ずは、それで気になった。 彼女が一気に、可愛い女のヒトになった様に見えた……。 手塚君や萩原君達は、軽く顔を見合わせて可笑しそうに笑っていた。

 それから一日、二人の様子を観察した。

 休憩場所での様子と、解散する時の、凄く仲良さそうな雰囲気を見て、完全に納得出来た。 だから、安心する事が出来た。


 それで今までは、ヘンな疑惑が再燃する事も無く、平穏に過ごして来たのだが……。

 倉真の、あの時の様子を、思い出してしまった。



 昨夜、綾子は、夜遅く出て行った倉真に、直ぐには気付かなかった。

 夜中の二時頃。 ふと目を覚ましてみて、自分の隣が空いたままで有る事に気付いた。 始めはトイレかと思った。 暫くしても何の音も聞こえないので、気になって倉真の姿を探した。

 トイレも未使用、風呂場にもいない。 玄関で、何時も倉真が履いている靴がないことを発見した。

 ……それからは、眠れなかった。

 明け方までジリジリと過ごし、バイトに行く時間になった。 仕方なく、仕度をして出掛けた。


 さっき帰宅して、倉真の靴が有って、先ず驚いた。

 綾子は、九時から四時半でバイトをしている。 倉真は何時も、六時過ぎに戻るのに……。 考えられるのは、仕事を休んだと言うコト。 これは、今までに無かった事だ。

 直ぐに、不安が膨れた。

 どんなに遊び歩いて徹夜になろうとも、自分が好きで始めたバイク便の仕事を休んでしまう事はしなかった。

 その倉真が、バイトを休んでしまう程に、疲れ切っていた理由は……?


 彼の旺盛な体力を思う。 自分は彼が満足するまで、相手をするのが難しい。 ……だったら、満足し切れない分を、今までどうしていたのか……?



 気配に、倉真がやっと目を覚ました。 綾子が、ベッドの隣で立ち尽くして自分を見ている。 その表情に、見慣れた彼女の怒りを知る。


「ワリー、昨夜は、準一と朝まで飲んじまった」

 取り敢えず、直ぐに謝って見た。 綾子の怒りは、収まる筈がない。

「……本当に、渡辺君と一緒だったの……? 今日、仕事どうしたの?」

「朝まで飲んじまったからな、流石に仕事でバイク乗る訳には、いかネーだろ? 休んだ。 頭痛って事になってっから、ナンか連絡あったら頼むわ」

敢えて、ナンでもない雰囲気で言った。 綾子が、じっと自分を見ている。

「マジ、準一だぜ? ナニ疑ってんだ?」

「後ろめたいから、疑われてるって思うんじゃないの……?」


『ヤバイ、マジ怒りだ!』 そう思う。 けれど、倉真はそんなに冷静になれない。

 ……売られた喧嘩は、ついつい、買ってしまう。


「ンなに信用、出来ネーのかよ? イイ加減にしてくれ」

「だって、倉真、春の犬みたいじゃない!?」

「ンだ? 春の犬?」

「……盛のついた、犬みたいに、いつも」

「それ、言うか? だったら、お前こそ後ろめたいってコトになんじゃネーの?」

「どうしてよ? 私は、これでも、」

「我慢してるってのか?」

「……そうは、言ってない」

綾子が、何も話さなくなる前兆だ。 俯いて、動かなくなってしまう。


 こうなったら、もう何を言っても無駄である。

「ソーかよ、判った」

部屋を出て、玄関に向かう。 また何日か、克己の所にでも転がり込もうと思う。

 綾子の声だけが、小さく追い掛けてきた。

「何処行くの?」

「何処だって、関係ネーだろ? ……勝手に想像してろ」

そして、出て行ってしまった。


 綾子は、力が抜けて座り込んだ。 そのまま、何にも出来なくなる。

 ……涙が、流れてきた。



 倉真はそれから、本当に克己の部屋へ転がり込んでしまった。 克己は度々ある事なので、慣れっこである。 暫くほっとけば、二、三日もすれば頭が冷えて、何時も通りに戻るだろうと思った。


 しかし、今回は克己の思惑に反し、少し長引いた。 倉真はそれから一週間、戻る気にはなれなかった。




         二


 九月の中旬。 下宿最寄り駅の駅南で、ある建物が取り壊された。

 駅から徒歩十分のこの地に、来春、葉山修一の店がオープンする予定だ。

 下宿、アダム、バッカスの三軒は、駅北に位置する。 駅南側は商店街組合も別口だ。


 里沙は、何度か現地を訪れた。 仕事としてではない。 これから内装に取り掛かるまでには、まだ間がある。 

 大変な仕事を一端終らせて、里沙は再びインテリアのデザインを、手掛け始めている。 それによって、店のデザインをしていた時期よりは、暇な時間も取れる様になった。

 葉山修二と、デートをする回数も増え始めた。



 十月二週目の日曜・八日。 利知未は珍しく、リビングでロックを飲みながら、里沙と話しをしている。

 里沙に恋人が出来ていた事を、敏感に察していた利知未は、面白半分に突っ込んでみた。


 今週の土曜・十四日に翠の送別会があり、帰宅が遅くなる事を告げる。 翠は結婚退職だ。 そこから話を向けて行った。

「もし、里沙が結婚する事になったら、この下宿はどうなンだろうな?」

と、何気なく聞いてみた。 里沙は、初めて気付いた顔をする。

「そう言われれば、そうね。 考えた事も無かったわ」

アッサリと答える。 利知未は、切り口を変える。

「来年、三十だろ? 翠と一つしか違わネーのに、そんなンでイイのかよ?」

「残念ね、私は二月生まれだから、来年で二十九歳よ?」

「対して変わらネーよ。 ……もしかして、一生独身のマンマで、この下宿を続けるつもりでいたのか?」

利知未が、少し呆れた表情を見せる。 里沙は全く動じない。

「利知未から、そう言う事を突っ込まれるなんて、意外ね」

反対に、自分の事を突っ込まれる。

「貴女こそ、今年の春頃の彼氏とは、もう別れてしまったの?」

「……そんなモン、いなかったよ」

「そうだった? じゃぁ、何処に泊まっていたのかしら? 六月の5日間は。」

 今更、そこを突っ込まれて、利知未は鼻白んだ。

「…ダチの所だよ」

「そう? まぁ、最近は大人しい様だから。 取り敢えず、忘れて上げるわ。 ……でも、またアンな事したら、今度は、お兄さんにも連絡するわよ?」

 からかってやるつもりが、当てが外れてしまった。 利知未は少し、剥れ顔になる。

「優が、あたしに意見できる立場じゃネーよ。 後先考えずに学生結婚しちまうような兄貴が、ナニを言えンだよ?」

「貴女の保護者よ」

「保護者代理、だろ? ……一応、母親が保護者だ」


 利知未は、母親の事を思うと苛々してくる。 あのヒトに保護される立場である事実に、忌々しさを感じている。


「…つっても、あたしも来年は成人するからな。 それまでの辛抱だ」

 あの母に、名目上だけでも保護されているのは、……イヤだ。

 里沙は、利知未の様子を見て話しを変えた。

「そうね。 貴女が二十歳になったら、ちゃんとお祝いしましょうね?」

「……そんな事は、しなくていいよ。 里沙が、結婚するのが早いか? あたしが大学を卒業してココを出るのが早いか? どっちだろうな」

「そうね。 少し、真面目に考えて見ましょうか? 折角のご意見ですもの」

「相手が痺れ切らす前に、考えてヤれよ?」

 利知未は気を取り直して、ニヤリとして言った。



 十日の祝日。 里真と双子は久し振りに、和泉、宏治、準一と、遊びに出掛けた。 今回は、和泉が車を出してくれた。 母の軽自動車を使うので、宏治と準一は自分のバイクで併走していく。 その方が、行動範囲が広がる。


 今回の行先は、樹絵の我が侭で、ある食べ物関係のテーマパークだ。

 朝、九時前に出て行って、昼過ぎまでソコで遊ぶ。 昼食まで済ませてから、場所を変える。 起動力があると、遊びに行ける範囲が広がる。

 その点で、利知未で繋がった仲間達と遊びに行くのは、やはり楽しい。 男が皆、双子より年上だ。 甘え放題である。 ご飯くらいは奢って貰える。


 このメンバーで出掛ける時、行動を共にする相手のパターンが出来ていた。 大体、樹絵と準一が一緒になる。 二人は色々なモノに興味を惹かれて、勝手にアッチコッチする。 何時も一緒だ。


 その二人にくっついて、和泉と秋絵が、半分監視役だ。 秋絵は、樹絵の小遣いの使い具合にセーブをかけ、和泉は、準一がオカシナ事をしない様、行動を監視する。 ……準一から目を離すと、必ず騒ぎが起こる。


 里真と宏治は、大人し目に楽しむ。 里真には、樹絵達と一緒に、アッチコッチして見たい気持ちと、気になり始めている宏治と、なるべく一緒に居たい気持ちがある。 何時も少し悩むが結局、宏治を取る。

 宏治も里真の事は、相変わらず気になっている。 二人は最近、仲が良い。


 テーマパークから場所を変え、午後二時頃。 入園無料の遊園地で遊び始めた。 そこでもやっぱり、準一と樹絵は子供の様に駆けずり回る。

 体力がある和泉はまだしも、秋絵が元気者の二人について行けなくなって来た。 ギブアップして、アイスクリームを片手に、売店前のテーブル席にへたり込む。


 その秋絵に、皆で付き合った。 樹絵もアイスを買って来て、食べながら秋絵の隣に座る。

「なんだよ、秋絵! だらしネーの」

「……ってユーか、樹絵、同じ血が流れてる筈だよね?」

「当たり前ジャン? 双子ナンだから」

「だよな!」

準一が軽く言い、樹絵も当然な顔をして頷いている。

「秋絵も、樹絵ほっといて、自分のペースで遊んだ方がイインじゃない?」

里真が、オレンジジュースを飲みながら言う。 その隣には宏治が座り、タバコを吸っている。 和泉が珈琲を飲みながら聞いた。

「お前、タバコ吸っていて、味覚は平気なのか?」

「味覚、ね……。 アンマ、関係無いかな? 料理で客を呼んでる店でもないし」

「ケド、身長には影響してタリして。」

準一が何も考えないで、また宏治のコンプレックスに突っ込んだ。

「ウルセー。 少しは伸びてるぞ?」

「今、何センチあるの?」

宏治の言葉に、里真が興味を示した。

「…167には、なったみたいだ」

「それ位あれば、イイじゃない? ……私は、気にならないけど」

言葉の終りは、小さく付け足す様な小声だ。


 里真は自分の身長を考える。 確か、今年の春の診断では、156センチになっていた。 ……十二センチの差があれば、バランスは悪くないよね? と、一人、心の中で納得する。 自分はそろそろ、止まりそうだ。


「でも、利知未さんには負けてんジャン?」

また、準一が突っ込む。 里真のフォローが、水の泡だ。

「この前、また伸びたって、ぼやいてたよな?」

樹絵も、何も考えないで話に乗ってしまう。

「マジ? 今、何センチだって?」

「170の大台に乗ったらしいよ? 一応、女なんだけどな、って、本人は少し気にしてたみたいだ」

「利知未さんが、そんな事を気にしてるのか。 意外だな」

「羨ましい事だ。 遺伝子、交換してくれないかな?」

宏治も、コンプレックスだからと言って、イジケていたくは無い。 気にしていない素振りで、笑顔で言った。

「ソー言えばオレ、この前のツーリングん時、面白くって我慢すンの大変だった」

七月のツーリングを思い出して、準一が笑う。

「なに? ナンか、あったの?」

里真は宏治の事を思って、新しい話題に乗り気な振りをする。

「倉真の彼女の誤解を解くからって、利知未さんがさ……、」

 克己と、恋人同士の振りをしていた時の模様を、話し出した。


 あのツーリングの日、何があったのかを、準一が面白おかしく話し終え、宏治が頷いた。

「あの時は、確かに面白かった」

和泉も笑っている。 双子と里真も、面白そうに聞いていた。

「でもさ、利知未さんが女らしい振りしてた時さ、可愛いって感じじゃ、なかったよね」

「どんな感じだったんだ?」

準一の感想に、樹絵が興味津々になって聞く。 男どもが思い出す。

「可愛いって言うより、色っぽい感じかな?」

宏治は、利知未の中学時代と比べて、そう思った。

「そんな感じか? …少し、意外な感じがあったのは確かだ」 和泉も思い出す。

 けれど和泉は、真澄の事で落ち込んでいた時、女らしい雰囲気の利知未も見ている。 意外では有るが、納得の思いだ。

「いっつもアーだったら、オレ達、一緒に遊んでられないよな」

「なんだよ? 手を出したくなりそうって、事か?」

樹絵が、準一の言葉にピクリと反応をした。

 樹絵の微妙な反応には、全く気付かないで、準一が言う。

「ソーソー、ンな感じだ! でもさ、利知未さんに手を出そうとしたら、只じゃ済まないモンね。 やっぱ、何時もは男みたいで居てくれた方が、精神衛生上、良さそうだよ」

「ソーかもな。 おれは、中学時代の利知未さんも見てるからな。 また別の意味で驚いたよ。 ……面白かったけどな」

「中学時代の利知未って、どんな感じだったの?」

 双子も里真も、その当時の利知未は全く知らない。 興味がある。

「本当に、男みたいだった。 けど、バンド活動をしてるのを隠すために、一時期、大人しくして居た時期があってさ。 少しは、女の子らしくしていたな? あの頃は。 色気は全く無かったけど」

「まぁ、中学生でアンマリ色気があっても、困り者よね」

里真が言う。 宏治の証言を聞いて、和泉が言った。

「……六年間で、何があったんだろうな?」


 その話題の中心人物・利知未は、今日もアダムでバイト中だ。



 バイトが一人、急遽休んだことで、朝からマスターにヘルプを出された。 ランチタイムが、手薄になってしまう。

 それでも祝日だ。 それ程の混雑も無かった。 今は、落ち着いている。

 もう一人の便利時間バイト・瀬尾は、今日の昼間は用事を入れており、急な時間変更に応じる事が出来なかったらしい。 通常通り夜から入る。


 ランチタイム終了後、利知未はカウンター席の隅で、賄いを食べている。

「悪かったな」

「別に、何時もの事ですから。 丁度良かったし。 翠と最後に一回、一緒に仕事ができたよ」

「あら、嬉しい事言ってくれる! 利知未が始めてココへ来た時の事、思い出しちゃったわ」

暇な時間なので、翠もカウンター近くで、店内の様子を伺っていた。 翠の言葉に反応して、利知未が聞いた。

「中学一年の時か?」

「ええ、…早いわね。 アレから、六年半も経っちゃったのね」

「翠も、三十路みそじになる訳だ」

「あの頃、二十四歳だったのね、私。 アダムで働き始めて、まだ、3年目だった筈よ? あっという間に、十年近くも経っちゃったわ」

「翠が辞めたら、どうすんですか?」

バイト中なので、マスターには少し、マシな言葉使いで尋ねる。

「人手のことか? 勿論、新しく募集を掛けるぞ」

「社員で?」

「イヤ。フリーターでも長期出来る、可愛くて若い女性を募集中だ」

「可愛くて若いっての、ドーユー事だ?」

翠に振ってみた。 翠も呆れ顔で尋ねる。

「この店の女性アルバイトは、二十代まで限定ですか?」

「そう言う訳じゃないが、今の女性バイトは、こんなんだからな」

利知未を、からかう様な笑顔で見ながら言う。

「ちゃんと女らしく見えるウエイトレスが、必要だろう?」

「…言ってくれますね。 どーせ、あたしはコンなんです」

「お前が制服を替えて、化粧でもしてくれば、条件を撤回するんだがな?」

マスターから振られて、利知未が答える。

「それはパス。 また背、伸びたから。 かなりデカいサイズの制服が必要になりますよ? 経費の無駄です」

「また、伸びたのか? 男ならまだしも……。 普通は、成長が止まる歳じゃ無いのか?」

マスターと翠は、揃って目を丸くしている。

「そんなん、コッチが聞きたいですよ。 ドーユー遺伝子、貰っちまったんだか……」

賄いを平らげて、タバコを取り出した。 火を着け一吸いし、タバコだって本来は、成長を止める筈だと思う。

「しかし、外見がそうなってくるなら、益々、意識して女らしくしないと、嫁の貰い手も無くなるぞ?」

「……その内、物好きなヤツが出てくるかもしれないし。 気にしませんよ」

男っぽい仕草で、煙を吐き出す。 格好良いくらいだ。 翠も呆れ顔である。

「口紅の一本も、持っていなさそうだな」

マスターに言われて、利知未は何故か一瞬、ムッとした。

「口紅の一本くらいは、持ってますが?」

今年の誕生日に、透子がくれた口紅だ。 言ってから、失敗したとも思う。

「一応、女としての自覚は出て来たのか。 良い事だ」

マスターは利知未の言葉を聞いて、オモシロ楽しい様な顔だ。 何と無くメラっと、気持ちが反応した。

「ドー言う意味ですか?」

「制服、作るか?」

マスターが翠に振った。 翠もニコリとする。

「良いンじゃないですか? でも、身長とウエストのバランスを考えると、特注になりそうね」

「だから、イイって。 バイト中に、口紅塗ったりする気は無い」

「女らしくなる気は、無さそうだな。 それならそれでも構わんが。 その分、女性客が増えるからな。 コッチとしては、問題無い」

「売上第一主義かよ……」

「当たり前だろう。 経営者だぞ、俺は」

「だったら、変なコト言うなよな」

利知未の呟きに、マスターが面白そうに突っ込んだ。

「女の制服が、着たくなって来たか?」

「…ンな訳、ネーだろ」

利知未は何故か、面白くない。 仕事中だと言うのに、言葉が何時も通りに戻っている。 頭の中に、別の考えが浮かんできた。

『翠の送別会の時、女らしく見える格好でも、して来てやろうか?』

マスターを、少し見返してやりたくなって来た。

 ……そう考えた、自分の気持ちの原理は、良く判っていない。



 この日は、十八時に上がって帰宅した。 平日なら、火曜は休みを貰っている日だ。 早めに帰り、裕一の形見として持ってきた医学書を開いて、夜まで過ごした。 ……あの頃の事も、少し思い出していた。

 人目が無い所で裕一の事を思い出すと、未だに涙が滲んでくる。

 夜十時ごろ、ノックの音がした。 今日は鍵を掛けていた。 涙を引っ込めて、ドアへ向かった。


 来訪者は里真だった。 紅茶など用意してきている。 長居する気、満万らしい。

「ね、ちょっとだけ、相談に乗ってくれない?」

ニコリと、少し照れ臭そうな笑顔を見せた。

「別に、構わネーぜ。」

特にやり掛けた事が有る訳でもなかったので、素直に招き入れた。


 里真をソファに座らせ、自分はベッドの端へ腰掛けて、対面する。

「教科書を持って来てる訳じゃ、ネーみたいだな」

「タマには、女同士らしく話しを聞いて貰いたかったんだけど……」

「人選、間違えてンじゃネーか?」

利知未が不可解な顔になる。 里真が言った。

「間違えてる訳じゃ、無いんだけど。 ……あのね、利知未は、男友達の方が多いでしょう? どうやったら、あんな風に仲良くなれるのかな? って」

里真の質問を聞いて、少しは納得する。 同時に、どう言う風の吹き回しヤら? とも思う。


 里真が用意した紅茶を飲みながら、話を聞いてみた。

「今日、宏治達と遊びに行ったンだったな。 ナンか、あったのか?」

「ナンかあったって、話じゃないんだけど。 ……ただね、利知未が繋がりで知り合ったんだから、当たり前かもしれないけど」

あのメンバーで遊びに行くと、必ず一度は、利知未が話題に上るのだと言う。

 男共からそうやって、何時も意識される秘訣は? と、聞かれた。

「そンなん、あたしが知るかよ。 アイツ等が勝手に、話しのネタにしてるだけだ。 コッチが知りたいぜ」

利知未はタバコを出して、火を着ける。 その仕草は、相変わらず男っぽい。

『この利知未が、本当に色っぽく見えたのかしら……?』

里真はそう思って、改めて自分と比べて見る。

 ……色気は、自分にも無いと思う。 里真は何と無く、ショックを受けてしまう。


 利知未が色っぽく見えたのは、克己と恋人の振りをして見せていた時だと、準一たちが言っていたのを思い出した。 視点を変えてみる。

 それなら、好きなヒトの前では、利知未も変わるのかもしれない。

「ね、利知未。 恋人がいた事、あった?」 質問を変えてみた。

「……いた事ある様に、見えるか?」

利知未は少し考えて、質問返しをして見た。 成るべくなら、知られたくないと思う。

 質問返しを受け、里真が、ここ二年半の利知未を思い出す。

「私が知ってる間では、無かったのかな……?」


 里真が入居したのは、利知未が敬太と別れた春の事だ。 当時の利知未は余り良く判らない。 そして今年の哲の事は、利知未は恋人として意識していなかった。

 哲に関しては、始めから最後まで、微妙な関係のまま終ったことだ。


「お前がココへ入居してから、ンな気配、感じた事、無いんじゃネーか?」

 里真が頷いた。 利知未は、微かに笑う。

「だったら、ソー言う事だ。 つまり、お前に好きな相手が出来て、その相手と仲良くなりたいって言うなら、あたしの経験は参考にはならない」

遠回しに突っ込まれた気がした。

 里真は、恥かしくなる。

「……別に、そう言う意味で聞いたんじゃ」

「宏治か? 和泉か? まさか、準一って感じは、無いな」

自分の事は上手く誤魔化して、里真をからかい始める。 里真は、俯いてしまった。

「まぁ、アイツ等は、性根からワルいヤツ等じゃネーから、反対はしないケドな。 タダし、考え方や行動パターンまで同じになるんじゃネーぞ?」

お姉さんではなく、お兄さんに言われているみたいだ。

 やっぱり、この利知未がそんなに色っぽくなるなんて信じられないと、里真は思った。


 それから、もう少し話しをして、十一時前には利知未の部屋を出て行った。

 ……この頃から里真は、利知未に、ある感情を抱き始めてしまう。



 3日過ぎ、十四日・土曜日。 アダムは、十九時半に閉店した。

 二十一時から何時もの居酒屋で、翠の送別会が始まる。 利知未はいつも、土曜は夜からバイトへ入っていたので、今日は休みになる。

 折角だったので、少しは性別を感じさせる格好をして行く事にした。

『始めてセーラー服でアダムへ行った時、結構、面白かったしな……』

 その時の事を思い出して、悪戯心が疼き出した。


 大学から戻り、出掛ける前にシャワーを浴びて、仕度をする。

 今日の服装は、スカートではないが、ジーパンでもない。 普段は履かない様な素材の、足のラインがスラリと見える、パンツ姿だ。 足が長いので、益々、綺麗に決まっている。

 シャツも、女物のシャツブラウスだ。 タンクトップを着込んで、態とブラウスのボタンを、三つ目まで外す。 髪もキチンと櫛を通して、仕上げに透子から貰った口紅を塗る。

 出掛けに、玄関で擦れ違った里真が、目を丸くしていた。


 里真は、言葉が出なかった。 つい、見惚れてしまう。

『利知未って……』 本当に、綺麗な顔をしていると思う。 スタイルも格好良い。

『確かに、可愛いって感じじゃぁ、無いわ……』 3日前に、利知未の部屋で思った疑問が、少しだけ解消した。

 ……あんな感じの利知未が女らしくしてたら、可愛いよりも色っぽいかもしれない。

 自分と比べて見て、自身喪失してしまう。

『女の子らしさなら、負けない自信が有るのに……』 そう思い、何故か口惜しく感じた。 



         三


 何時もと雰囲気が違う利知未を見て、アダムの従業員達は驚いた。

 利知未は他の従業員よりも、マスター只一人の反応が気になっていた。 何時かの様に呆然としていたら、してやったりだと思う。


 皆に色々と突っ込まれながら奥へと進んで、既に、ビールへ口を付けていたマスターに、ニコリと女らしい笑顔を見せてみる。

 利知未の今日の服装と笑顔を見て、マスターが軽く眉を上げた。

「お前も、女らしい格好が出来るじゃないか」 大して驚いた感じも無く、そう言った。

 利知未は、イマイチ詰まらない反応だな、と思う。 もっと大袈裟なリアクションを期待していた。

 ち、と小さく舌を鳴らして、何時も通り男みたいな仕草で席に着いた。


 飲み会の時は、自然に座る場所が決まっている。 マスターの隣か向かいには、必ず利知未と瀬尾がいる。 その付近へ、翠と厨房の社員が着く。

 どんなメンバーになっても、ソコは何時も変わらない。 単純に酒豪同士が固まっている感じだ。 中でも、利知未と翠は酒に強い。

 瀬尾は量を飲む訳では無いが、持ち前の調子良さで盛り上げ役となる。 酒を勧めるのも上手かった。 マスターは何時も、それで飲み過ぎる。


 今日は、マスターの奥さんも、少しだけ顔を出した。 佳奈美と渉を迎えに行くからと言い、一次会だけ参加して、一足先に帰って行った。

「家には勿論、これからも遊びに来てくれるんでしょ? 今度、女だけで、ゆっくり飲みましょう」

そう言って、翠と笑顔で挨拶を交わしていた。 利知未にも声をかける。

「何時も、佳奈美の勉強を見てもらって、ありがとう。 その内、家の方へ遊びに来てよ?」

 彼女は相変わらず、気取らない雰囲気だった。 雇用主の奥さんである。 利知未も、それなりの返事をして、笑顔で見送った。


 二次会まで参加したのは、本日の主役・翠と、瀬尾、厨房社員の二人。 後は、夜のカウンター専門の先輩バイトだ。 利知未も残る。 他のパートやバイトは、一次会で帰って行った。

 アダムの従業員数は、全・十三人。 その内、二人はマスター夫妻で、一人が翠。

 ランチタイムパートは、翠と長くやって来たから、勿論、仲も良いが、家庭を持っている。 一次会にだけでも参加してくれたのが、奇跡に近い。 他は、掛け持ちバイトをしているフリーターや、学生だ。


 アダム従業員の内訳は、厨房社員が二人と、マスター夫婦と翠の、計五人が正社員登録されている。 厨房の社員は毎日、時間交代制で入っている。


 マスターの拘りで、『喫茶&バー』という看板ではあるが、食事も売りの店にしたいと考えて、今のスタイルにしたらしい。 開店当時から、良い協力者もあったようだ。


 厨房は、基本的に社員一人とバイト一人。 バー・タイムのカウンターは、マスターと、専門のバイトが一人いる。 利知未と瀬尾はヘルプ要員だ。

 ランチタイムの忙しい時間は、ホールに出るのを最高四人で調整する。 勤務時間中の休憩時間も、その中で回す。

 休日は、シフト制で取る。 必ず一日に二人は、休みを取る様になっている。

 翠が抜けて、暫くは昼間のバイトに、シフトの皺寄せが来る事になる。 マスターは宣言通り、若くて可愛い女性アルバイトの募集を掛け始めている。



 二次会は、翠が懇意にしていたスナックへ行った。 看板時間は午前三時だった。 たっぷり三時間半から四時間、そこで飲んでいた。

 時間を見て何人か抜けて行き、最後まで残ったのはマスターと翠と、瀬尾に利知未だ。


 そのメンバーに落ち着いた頃、利知未は翠に、突っ込まれた。

「今日はどうして、そんなに女らしい格好で来たの?」

かなり酒が入ってきている。 瀬尾は変わらず、マスターに酒を勧めながら、男同士で気楽に飲んでいる。

「どうって言われてもな。 翠の送別会だから、かな?」

「それで、成長した姿を、私に見せ様と思ってくれたの?」

「そんな、タイそうな理由じゃネーよ。 ……この前の話し、覚えてるか?」

「十日の事?」

聞かれて頷く。 酒も入っているので、いくらか素直に反応した。

「あの後、中学ン時に、初めて制服を着て行った日の事、思い出してさ。 ……マスターが、スゲー面白い反応していたの思い出したから、チョイ悪戯して見たくなったンだよ」

翠も、初めて利知未の性別を知った、あの時の事を思い出す。

「私も、かなり、びっくりした覚えがあるわよ?」

面白そうな顔をした。 利知未は少しだけ、照れ臭かった。

「…ま、ソー言う事だ。 ケド、今回はチョイ、つまらなかったな」

マスターをチラリと見て、利知未が言った。


 看板時間になり、翠と、瀬尾と別れた。 帰る方向の関係だ。 利知未は、マスターと同じ方向へ向かう。

 その帰り道、マスターが言う。

「まだ、飲みたりんな。 お前は平気だろ? もう少し付き合え」

「今日も店、開けるんじゃネーのかよ? もう三時だぜ」

「なに、俺の城で飲むんだ。 明け方、休憩所で少し眠れば平気だ」

「店の酒に手を出す気か? 悪い店主だよな」

「誰が、商品に手を出すと言った? あそこには個人所有の、秘蔵の酒が置いてあるんだ。 ……智子には、内緒にしろよ?」

 隠し酒か、と思う。 利知未は小さく吹き出してしまう。 奥さんには、本当に尻に敷かれている感じだ。

「シャーネーな、付き合ってヤるか。」

 二人でそのまま、アダムへと向かった。



 カウンター部分の照明だけ着けて、スポットライトに照らされた様になる。 懐かしいライブハウスのステージを、利知未は少し思い出した。 その所為か、何時もより男っぽさが上がってしまう。

 マスターが休憩所のロッカーから、秘蔵の酒を出して来て、ロックを作って利知未にも渡す。 ニヤリとして言った。

「中々、高級品だぞ? 心して飲め。」

「金、取らネーよな?」

利知未も、ニヤリとしてグラスを受取った。

「当たり前だ」

乾杯して、一口飲んでみる。 ……何処かで、飲んだ味だと思う。

『哲の部屋に何時もあったの、これか……?』

瓶を、手に取って見た。 マスターがその利知未に聞く。

「興味あるか? これはな、俺が半年に一度だけ買ってる、秘密の宝だ。」

「半年掛けて、チビチビ飲んでンのか?」

「高い品だ。 店が繁盛したって、そうそう小遣いに余裕はない」

「奥さんに、牛耳られてんだモンな?」

ニヤリと笑ってやった。 改めて、哲はかなりの坊ちゃんだったと思う。

「一本、いくらするんだ?」

指を五本上げて、マスターが嬉しげに、ニヤリと笑う。

「五万か……」

「良く判ったな。 前、五千か? と聞いた奴がいたぞ」

感心している。 利知未は、軽く肩を竦めて見せた。

「マスターの小遣い、半年分なんだろ? ……想像くらいつくぜ」

哲の部屋で、浴びる様に飲んだ時の事は、おくびにも出さない。

「それにしては、張り込んでンだな」

「好きな物に掛ける金くらい、ケチりたくは無いからな」

慎ましいものだ、と思う。 普通の金銭感覚なら、そう言う物なのだろう。


「……ンじゃ、今度は三ヶ月で、新しい瓶、買わなきゃならなくなるぜ?」

「お前、そんなに飲む気か? ……無遠慮なヤツだ」

「あたしを誘ったのが、運の尽き、ってヤツだ」

「人選を失敗したな。 瀬尾でも連れて来れば良かった」

マスターが情け無い顔をする。 利知未が小さく笑う。

「シャーネーな、近くのコンビニで、安い酒、仕入れて来るか?」

椅子から立つ。 マスターが、財布を出して言った。

「ついでに、ナンか乾き物でも買って来い」

「了解。 十五分で戻る」

渡された五千円札をポケットに仕舞い、利知未は裏口から出て行った。


 改めて飲み始めたのが、三時四十分過ぎだ。 それから一時間、利知未が仕入れて来た酒も底を尽き、再び、高い酒を飲む。


 随分と酒が回って来ていた。 二十分ほど前からマスターは、奥さんとの馴れ初め話パート2を語っている。

「結局、マスターから奥さんに惚れ込んだ、って事じゃネーか?」

「それは違う。 お互いが同じだけ、惚れ合ったんだ」

「お? さっきと言ってる事、違ってきたぜ?」

「そうか?」

マスターはすっかり酔っ払い、自分の言葉にも責任が持てなくなっている。

「さっきまで、奥さんの方がマスターに惚れたんだって、言ってたぜ?」

「そうだったか? …それにしても、お前の口のワルさは、いつまでも変わらんな。 智子と会った頃みたいだ」

「奥さん、そんな口が悪かったのか?」

「お前なんか、比じゃないな。 卑猥な言葉も平気で使っていた」

「じゃ、あたしもその内、少しはマトモになれる可能性がある、って事だ。 良い事じゃネーか」

「人のワイフを捕まえて、少しはマトモってのは、どういう言い草だ」

「今度は、逆ギレかよ? …かなり酔っ払ってンな。」

「智子も、昔はかなり問題行動が多い少女だったらしくてな。 ……警察の手を煩わせた事も、あったようだ。…理由は、お前と違うがな」

「人の話し、聞―てないし」

利知未が呆れて、軽く両手を上げる。 マスターがその仕草に言う。

「智子も、同じ癖がある」


 さっきから、利知未の気持ちが疼き出していた。マスターが、奥さんの事を言う度に、何故か心がチクチクしている。


 つい、憎まれ口にも拍車が掛かる。 ……理性の糸が、少しずつ解れて行く。

「…ッツーかさ、さっきから、ナンであたしと奥さん、比べンだよ?」

「比べてるつもりは、無いぞ? 只、お前と智子は、仕草が似てる所が有ると言っているだけだ」

「それが、比べてるって言うんだ。 あたしは、あたしだ。」

剥れて、片頬杖を突く。 片手で、マスター秘蔵の酒を煽る。 チラリと、マスターを横目で睨んでしまう。

 既に、利知未もかなり酔っている。 利知未本人は、自分が酒を過ぎた時、どんな表情を作っているのか? 全く判らない。

 マスターは、見た目には余り判らない酔い方をする。 緩めていたネクタイを外して、カウンターの上に投げ出した。

「お前、ナニを焼き餅、焼いてるんだ?」

口も悪くなる。 人の事を言えるマスターではない。

「誰が、焼き餅焼いてるんだよ? あたしは、自分のアイデンティティーが失われる事を、怒ってんだよ」

「怒る事か? 俺は、お前と智子を同じに見てるつもりは無いぞ」

「じゃ、ドー見てるって言うんだよ」

「……」 考えて、黙ってしまう。 ……娘を見るような、息子を見るような?

 今、息子を見ている様だと言ったら、益々、利知未が膨れそうだ。


 黙ってしまったマスターを、利知未は首を曲げて、斜め前から見つめてしまう。 彼の困った様な表情を見て、理性がとんだ状態の、悪戯心が疼き出す。

 ……思い切り、女になってやろう。 克己と、恋人の振りをした時のように。 敬太と、恋人同士として、付き合っていた頃の様に。

『そーしたら、このヒトは、どんな反応をするんだろう………?』


 気持ちが切り替わると、利知未の瞳が、色を含み始める。

 その目に、つい、マスターが惹き付けられた。


 二人共、理性が飛んでいる。 マスターの手が、ゆっくりと伸びてきた。

『このタイミングで、この腕を捩じ上げたら、どうなるかな?』

 チラリと思った。  けれど。

 利知未の合気道は、発動しなかった。 ……発動、出来なかった。

『……あれ? これ、ヤバイぞ……?』

唇が、重なってしまう。 ……どうしよう? ……身体が、反応している。


 利知未は彼の首筋に、自分の両腕を回してしまった。


 頭の中は、白くなっている。 只、衝動に流されるまま、舌を絡めあう。

 マスターの手が、利知未の腰を滑り、カウンターチェアとヒップラインの間に、するりと指し込まれる。

 利知未が、軽く唇を離して囁いた。

「…ン…、ココじゃ、ヤだ……」  もう、止められない。

 そのまま、支え合い歩いて、休憩室へ移動した。


 身体を、静かに横たえられた。 利知未は、自分から彼の唇を求めて行く。 ……腕も、また回してしまう。

『……ダメだ』 自分の行動を、セーブし切れなくなった。

 心の奥で、マズイと思う気持ちと、彼を求める気持ちが葛藤している。


 彼の唇が、利知未の広く開いている胸元を、這い回り始めた。

『……でも、………このまま、抱かれたい……』  既に、身体の反応は敏感だ。

……哲と初めて関係した時よりも、気持ちが彼を求めている事を知る……。


 彼の手が、シャツのボタンを外し、タンクトップの細い肩紐を、肩からずらしていく。 ストラップレスの下着は、ホックさえ外してしまえば、邪魔にならない。


 身体に、彼の一部が触れる。 すっかり、そちらへ向かっての意識が、…固まっているみたいだ。

『……もう…、イイや』  利知未が、手を、彼の身体に這わせる様に動かして、準備を手伝った。


 ……もう、理性の欠片も残っていない事を、自分で認めた。

 利知未が、自分を受け入れる為、自ら行動している。 ……それならば。


 これまでの数年間。 徐々に成長して来た利知未を、嬉しい思いで見つめ続けてきた。

三年近く前、どうやら恋人でも、出来たように見えていた。

 その頃から、偶に見える女の表情を、気に止めない様にして来た。

『コイツも、女だ。 歳が来て、イイ相手が見つかれば、嫁に行くだろう』


 愛娘が成長して行く過程で、感じて行くであろう父親のジェラシーを、利知未を見ながら、予行演習でもして来たみたいだ。


 今日、女らしい雰囲気で表れた利知未を見て、本当は少しドキリとした。


 けれど、妻が近くに居り、社員も全員揃っていた。 敢えて感情を抑えて、無反応を貫いた。

 ……あの時、他の社員達と一緒に、からかってやった方が、良かったのかもしれない。

騒ぎに紛れて、知らない振りを決め込んだら、その方が……。


今、こうして。 手が出る事も、無かったかもしれない。


 ……今まで見てきた利知未が、何故こうまで、女に見える物か?


 そして、静かに……。  ……コトが、進んで行く。


 身体の反応が、物凄く敏感だ。 哲に抱かれた時は、ココまで感じていただろうか?

  ……最後の夜だけは、感じていたかもしれない……。

『それは、つまり』  ……自分が、この人に、…愛情を感じている証だ。 恩人? 父親? 友人……?

 違う。 一人の、異性として。  今、一つになって、漸く気付いた。


『……あたしは、いつからこの人を、求めていたんだろう?』

 考える。  意識は、朦朧としている。 身体の悦びに、心の反応に。


『……きっと、随分、前からだ……』

 哲と関係するよりも前から。 敬太と別れて、その心が落ち着いた頃から。


 このヒトの抱き方は、大人しく、優しかった。 一人の女を慈しみ、大切に。

 ……まるで、華奢な人形を壊さない様に…、…宝物を愛撫するように……。

長く、長く。 ゆっくりと……。


 ………利知未は、今までで一番の、幸せを感じた。



 コトが終わって、眠さが襲ってくる。 ロッカーから毛布を引っ張り出して、そのまま二人で包まって、一時間ほど仮眠を取った。


 目を覚まして、裸のまま彼の腕枕で寄り添い眠っていた状態を、改めて目にした。 七時になる所だ。

 マスターは、まだ眠っていた。

『……ヤバイな。 また、やっちゃったよ……』

酒が、まだ残っていた。 寝呆けた頭で、つい数時間前のコトを思い出す。

『………ケド。 ……あたしは、このヒトの事』

隣で横になっている、彼の寝顔をじっと見つめた。

 暫くそうしてから、静かに起き出し、服を着る。 起こさない様に注意しながら、カウンターへ出る。

 昨夜の残骸を片付けて、思い出の珈琲を、二人分淹れ始めた。



 香ばしい匂いに起され、マスターが目を覚ました。 まだ酒が残る頭で、昨夜からの出来事を思い出す。

『……かなり、マズイな』

 従業員に、手を出してしまった。 しかも、まだ十九歳の大学生だ。

 そして中学時代から、娘の様に思い、見守って来た利知未が相手だ。


 のろりと、服を着直してタバコに手を出す。 一本、ボーっとしたまま、灰にした。 

……どう言う顔をして、出て行けばイイのやら?


 珈琲を淹れながら、利知未は考えていた。

『……どうして、あーなったんだ?』

会話も、マスターのその時の表情も、大体は覚えている。

『からかって、逃げ様と思っていた、筈。 ……だったんだけどな』

悩んでいても始まらない。

 唯一、解かってしまった事は、自分があのヒトをどう思い、意識していたのか? ……その、想い。

『……けど、マスターはダメだ』 雇用主で、妻帯者だ。 そして、……心から感謝をしている、恩人だ。

『ナニもなかった。 …って事に、しておかないとダメだな』

決心を着けた。 ……夜明け前の事は、酒の上での過ちだ。


 心が決まれば、徹底する。 やっと起き出して来たマスターへ、淹れ立ての珈琲を出して、カウンター席へ掛けた。


 何事も無かった素振りで、会話する。

「佳奈美、そろそろ反抗期だな」

少しは苛めてやらないと、気分が晴れない。 ……どうしたって、本気になってはいけないヒトだ。 女として、報復くらいさせて貰ったって、罰は当たらないだろう。

「……」

マスターは参った顔をして、言葉も出ない。

「バレたら、嫌われるよ」

上目使いに、ニヤリとしてやった。 すっかり、何時もの利知未だ。

「恐ろしい事を言うな。 酒の勢いだ」

冷やりとした表情になって、弁解する。

「勢い、ね。 ……若いね」

何時もと変わらない様子の利知未に、マスターも徐々に元へと戻れた。

「まだ三十代で充分、通用する自信がある」

「馬鹿言ってるよな。 ……店は、開けるんだろ?」

「当然だ」

 それなら、帰って寝てくると言って、利知未が席を立つ。 十七時入りで良いと言われて、素直に頷いた。

 出口に向かった利知未の後ろ姿へ、マスターの声が短く詫びる。 小さく笑って、利知未が言った。

「取り敢えず、青少年保護法には、引っ掛からないよ。 良かったな」

「…そう言う問題か?」

「そう言う問題だよ。」

「気楽なヤツだな…」

気が抜けた声を出す。 朝、悩んでいた事が、少しだけ楽になる。

「コーユー性格だ。 解かってンだろ? マスター。」

男っぽい利知未の態度に、また気が抜けた。

 短く挨拶をして、後ろ手に軽く手を上げ、出口から消える利知未を、少々複雑な思いで見送った。




           四


 十月の一週目。 倉真は丸々一週間、克己の部屋からバイトへ向かった。

 流石に、あの日の綾子の言葉はキツかった。

『言うに事欠いて、春の犬ってのは、ドー言う了見だ?』

そう思う。 ……ソレでなくても最近、綾子からの束縛に疲れ始めていた。


 六月の大喧嘩以降、夜遊びもしていた。 綾子が、かなり我慢をして譲渡してくれていた事は判った。

 我慢してくれていると思えば、感謝もしなくてはと思いながら、ソレが重荷にも成り始めて来た事は、否めない。


 そこに持って来て、最近、また利知未の事が気になり始めている。

 利知未は以前より、また一段と、女らしい表情も伺える様になって来ていた。

『あの、ツーリングからだよな…』

克己と、恋人同士の振りをしてた利知未は、本当に色っぽい雰囲気だった。


 近頃、他人に言えないような夢を、見る事が偶にある。

 大体、ソコには色っぽい利知未が登場している。 目の前で、克己と抱き合っている所を見せ付けられた夢が、一番、応えた。

『俺は、どうしちまったんだ?』

 綾子に始めて手を出した時の様に、捌け口としての、女を見る目で見てしまっているのだろうか?

『……そりゃ、マズイだろ?』  自問自答する。 今はバイト中だった。 一瞬、信号を見誤る。

「…っとぉ! 危ネー、危ネー…」

 つい、声が漏れた。 冷や汗が、ヘルメットの中から流れ落ちてくる。

 汗が目に入りそうになり、一端バイクを、路肩へ寄せた。


 バンダナを出して、鉢巻にして見る。 その上からヘルメットを被って、準備を改めた。 基本的には、夏仕様だ。

 バイクの運転は、長時間になればなるほど、エンジンの熱を下半身に感じてくる。 気温の暑い時期には、どうしても汗が出る。 倉真は汗止めとして、バンダナを使っていた。

 十月も、日によって暑い日があるので、何時もポケットに常備している。

 準備を整えなおし、気を取り直して、運転に集中する事にした。



 克己は、何時もよりも長居している倉真が、心配になり始めた。

『アイツ等、……喧嘩は相変わらずだが。 ソレにしても、今回は長引いてンな……』

仕事中、手が空いた隙に思う。 ……一度、綾子の様子を見に行った方が、イイかも知れない。

「唐揚げ定食1、日代り丼1、入ったよ!」

おばちゃんパートに声を掛けられ、返事をして調理に取りかかった。

 明日は日曜日だ。 倉真に黙って、アイツ等のアパートへ行って見ようか? と、作業をしながら考えた。


 翌朝、八時頃に起き出した。 倉真は昨夜の深酒が祟り、まだ眠り扱けていた。 そのまま放置して、仕度をして部屋を出る。



 綾子は、何時もより長い倉真の外泊が、心配になってきた。

『この前は、やっぱり言い過ぎた……』

二人が大喧嘩した時の、倉真の行動。 一泊二泊は、当たり前だ。

 同棲を始めてから一年二ヶ月の間に、同じ事が何度も繰り返されてきた。 流石に慣れっこになっている。

 大体は克己か宏治の所へ、転がり込んでいる事も判っている。 けれど一週間は、過去最長記録だ。 明日の日曜、一応は克己の所を尋ねて見ようかと、考えていた。

 兎に角、言い過ぎた事だけは、謝らなければならない。


 綾子は翌日、やはり八時前には起き出し、キチンと朝食を取り、身支度を整えて九時過ぎにアパートを出た。

 ココから克己のアパートまで、電車を使って一時間と少し掛かる。


 綾子が出掛けてから、約十分後。 克己が、倉真のアパートへ到着した。



 克己は、呼び鈴を何度か鳴らして見て、誰もいない事を知る。

『ンだ? 出掛けちまってンのか?』 腕時計を確認する。 九時二十分になる頃だ。

 デパートやスーパーなら、まだ開店していない時間だ。 何か出掛けて行く必要のある、趣味でも持っていたか?  それとも、友人との約束だろうか?

 どちらにしても、綾子の印象的には余り似合わない憶測である。

『…ッテも、勝手にそんな印象を、持ってるだけだしな』

 空振りだ。 少し考えて、一応、綾子のバイト先へ回って見る事にした。 綾子が働いてる時間に、顔を出した事は無い。

 二人が同棲を始める前。 偶には倉真のアパートへ来る事もあった。 その頃、二、三度は買い物をした覚えがある。 その店だと、いつか倉真が言っていた。 思い出して、アパートを後にした。



 倉真は十時過ぎまで、呑気に眠り扱けていた。 目覚めたのは、呼び鈴の音が聞こえて来たからだ。 寝ぼけたまま、克己が出るだろうと思い無視を決め込んでいた。 5度目のチャイムで、漸く起き出す。

「今、家主が留守してンスケド?」

寝ぼけたまま大欠伸をしながら、玄関のドアを少しだけ開いた。


 細く開いたドアの向こうから、倉真の顔が覗いている。 間抜けな大欠伸に、綾子は呆れて目を丸くする。 直ぐに、イラっと来る。

『私が、殆ど眠れないで悩んでいたのに……。 倉真ったら…!』

 怒りが滲み始めた。 綾子の表情に気付いて、倉真は少し慌てる。

『ナンで、綾子がココに来てンだよ?!』

「倉真。 この間は言い過ぎて、ごめんなさい…って、謝るつもりだったんだけど……。 やっぱり、知らない!」

踵を返して、行ってしまう。 倉真はまた慌てる。 追い掛けようとして、タンクトップとトランクス姿の、だらしない自分の格好に気付いた。

 一端、ジーパンを取りに行って、履きながら玄関を出る。 キョロリと周りを見て、綾子の後ろ姿が角を曲がって行くのを見付けた。

『……ッタク、シャーネー!』

 小さく舌を鳴らして、走り出した。


 十月の、少し曇り空が広がる日だ。 タンクトップ姿で走り去って行く派手な頭の青少年を、犬の散歩をしていた主婦が、目を丸くして見送る。

 そのホンの数十秒前に、泣きそうな顔をした少女と擦れ違ったばかりだった。 犬が用を足し終わり、再びご主人様を引っ張って歩き出す。


 三つ目の角を曲がって、漸く綾子に追い付いた。

「チョ、待て!」

後ろから腕を掴む。 綾子がビクリとして、振り払おうとする。

「ヤだ! 離してよ!?」

「態々、謝りに来たンだろーが!? ナンで逃げンだ?!」

「だって、倉真ったら……!」

声高に会話する二人を、直ぐソコの家で庭弄りをしている初老の男性が、覗いて見る。 その視線に気付いて、慌てて声を小さくする。

「…兎に角、落ち着いて話さネーか」

「…話す事なんか、無いもの」

「ンじゃ、何で態々、ンな所まで来たンだよ?!」

また、声が大きくなる。 一端、植え込みの影へ引っ込んでいた男性の頭が、再び覗き込んでいる。 舌を鳴らして、綾子の腕を引っ張って移動した。


 半分、引き摺られながら、綾子が言う。

「痛い、離して!」

倉真は黙ったまま、綾子を近所の小さな公園まで、引っ張って行った。


 ベンチに、少し乱暴な仕草で綾子を座らせる。 ジーパンのポケットを探り、タバコが無い事に気付く。 ……財布さえ持って来ていない。

 苛々と一息、吐き出して、綾子の隣へ乱暴に座った。 足を組み、背凭れへふんぞり返っている。 綾子は横目でチラリと見て、そっぽを向いた。

「……お前な、謝りに来たとか言って、何ツー態度だよ?」

「…ソレは、コッチの台詞です。 ……倉真ったら、呑気によーく眠ってたのね? 私、この一週間、殆ど眠れなかったくらい心配してたのに……」

「心配? 克己ン所にいるって、想像ついてたンじゃネーのか?」

だから来たンだろうが、と思う。

「そう言う問題じゃ無いもの。 ……アレから、凄く反省してたんだから」

「…春の犬、か?」

綾子は倉真に言われ、黙ったまま俯いてしまう。

「…確かに、ありゃ、キツかったぜ」

 少し、寒気がして来た。 太陽は出ていない。 走っていた間は体温も上がっていたが、こうしてベンチに落ち着いてしまうと、身体が冷え始める。

 軽く震えて、鼻がムズムズし始める。 くしゃみが出た。

「戻らネーか? 風邪、引―ちまいそうだ」

「……勝手に、戻ればイイじゃない」

言われて、倉真はムッとした。

「…ソーかよ? じゃ、帰るわ。 暫く、戻る気ネーから。 勝手にやってろ」

そのまま、一人で克己のアパートへ戻って行った。

 ……二人の喧嘩は、マダマダ続く。

 綾子は、暫く呆然とベンチに座っていた。 雲行きが怪しくなってきたのを見て、駅へ向かって歩き出す。


 倉真は克己のアパートへ戻り、勝手に風呂を用意して入った。 明日はまたバイトだ。 風邪を引いてる場合ではない。


 克己は、綾子のバイト先も空振りだ。 綾子は日曜休みだと言われ、仕方なく引き帰した。 帰宅する前、無駄だと思いながら、もう一度だけ倉真の部屋の呼び鈴を鳴らす。 ……やはり、誰も居ない。

『……戻るか』

 諦めて、踵を返して自分のアパートへ戻った。


 帰宅して見ると、倉真が風呂上がりでビールなんぞ飲んでいる。

「お前、イー加減、帰ってヤれよ?」

呆れ顔で倉真に言った。

「ワリーな。 まだ当分、世話ンなるわ」

「んな大喧嘩に成るようなこと、仕出かしたのか?」

「ドーユー意味だ? 俺がナンかしたってか?」

「何時もソーだろーが。 …今回の理由は、ナンだったんだ?」

聞かれても、問題の言葉を暴露する気は無い。

「準一と、夜通し飲んだのが切っ掛けだ。」

「やっぱ、お前の行動が問題じゃネーか。」

呆れ返って、倉真の飲みかけている缶ビールを奪って、飲み干した。

「あ! 克己、テメー!」

空になった缶を奪い返した。 半分は残っていた中身が、全く無い。

 握り潰し、屑篭へ投げ入れた。 立ち上がり、新しい缶を取り出してくる。

「まだ、あンだろ? オレにも寄越せ」

言われて、もう一本、冷蔵庫から出して克己に投げた。

「ビールを投げるヤツが、あるかぁ?」

「ンなモン、ヘーキだ」

克己から缶を奪い取り、上手い事プルトップを引き上げ、零さずに渡す。

「…器用だな…」

自慢げにニ、と笑う倉真を、呆れて見上げた。


 それから、更に一週間。 倉真は克己のアパートへ泊まり込んだ。



 マスターの事を考えながら、利知未は朝、八時過ぎに帰宅した。

 下宿の住人は、全員起き出していた。 本日の当番・冴史が、階段に向かう利知未へ、キッチンから声を掛けた。

「朝帰りでスか。 美加が膨れて、朝ご飯食べてたけど?」

「今日の当番、冴史か」

「そうだよ。 利知未、ご飯どうする?」

酒がまだまだ、残っている。 何も食べる気になんかなれない。

「イイ。 後で適当にヤる」

「了解」

酒が抜けない利知未の顔を見ても、冴史は多くを突っ込もうとはしない。

『どうせ、また朝まで飲んでたンだろーし……』 そう思い、キッチンを片付け、洗濯と掃除に取り掛かる事にした。


 利知未は、自室のドアに『起すな』の張り紙をした。 美加が膨れていたと言う。 何の用事があったかは知らないが、起こしに来られるのは厄介だ。 鍵もかける。

 パジャマに着替えるのも面倒臭い。 服を脱いで下着1枚になり、ベッドへ転がり込んだ。 眠くて堪らない。そのまま、爆睡した。


 次に目が覚めたのは、十五時になる頃だ。 朝から何も入れてなかった腹が、盛大な悲鳴を上げて主を叩き起こした。 大欠伸をして、伸びをする。

 部屋着として使っている、優のお下がりの長袖Tシャツと、トレーナー生地のパンツを履いて、歯を磨いてキッチンへ降りて行った。


 冷蔵庫を物色して見た。 材料は、殆ど底を尽いている。

『…ドーすっかな?』 考え始めたタイミングで、里沙がスーパーのショッピング・バッグを下げて、帰宅した。キッチンへと向かってくる。

「あら。 今、お目覚め?」

「ああ。 買い物行ってたのか」

「ええ。 材料、もう無くなってたでしょう? 今夜、何を作るのかは知らないけど、冴史に言われた材料と、明日の材料を買ってきたのよ」

カウンターの上に、バッグを置きながら、ニコリとする。

「お腹、空いてるんでしょ? 丁度良かったわ、一緒に頂きましょう」

小振りのビニール袋を、利知未に見える様に掲げて見せた。

「スーパーの前に屋台が出ていたから、買って来てしまったの。 今日は私も忙しくて、お昼を食べていなかったのよ」

「助かった。 腹へって、どうし様かと思ってた所だ」

二人で、食材を冷蔵庫へ片付けてから、たこ焼とお好み焼きを平らげた。


 食べ終わり、時間を見て立ち上がる。 そろそろシャワーを浴びなければ、バイトに間に合わない。 前屈みになった拍子に、里沙から聞かれた。

「利知未は、コロンも、ヘアダイも使わないわよね?」

…え? と、頭を上げ、利知未が、里沙の顔を見る。

「…移ってるわよ」

慌てて、自分の匂いを嗅いで見る。 マスターが何時も使っているヘアダイの、微かな移り香に気付いた。

「鼻がイイのよ、私」

里沙が、小さく笑顔を作る。 けれど、瞳には心配そうな表情を見せる。

「早く、シャワー浴びてらっしゃい」

何事も無かった様に言われる。 利知未は、ドキリとしたまま頷いた。

「…ご馳走サマ」

里沙に表情を観察されないよう、少し慌ててダイニングを出て行った。


 シャワーを浴びて、アダムの制服に着替えた。 そのまま、バイクに跨って出掛ける。 改めて、マスターへの想いを整理する。

『……兎に角、何事も無かった事にして、何時も通りに』

 ……あのヒトへの想いは、決して表に出してはいけない。 大事な関係を、失いたく無い。 彼の家庭を、壊してはいけない。

 深呼吸をして、表情を引き締め直した。


 十七時五分前には、カウンターへ入った。 マスターは、これから三十分ほどは、厨房の社員と、今夜のアフターメニューのお薦め等、確認する。

 本来は十六時半の、メニュー交換前の仕事だ。 今日は予定が狂っている。

 それでも何時も通り、挨拶をして仕事を引き継ぎ、何事もなかった様に仕事にかかる。 瀬尾がカウンターへ近付いてきた。

「朝まで飲んでたって? 良く、店を開けれたよな」

「そー思う。 スッゲー、グデグデだったぜ? 明け方」

「瀬川は元気だな。 マスター、一日中カウンターで欠伸噛み殺してたよ」

可笑しそうに笑う。 …そりゃ、そーだろーな。 と、利知未は思った。

「昼間、人手は足りてたのか?」

「日曜だからね、ナンとかなるモンだ」

「そりゃ、良かった。 遅入りにして貰ったからな。 少し気になった」

「ご苦労な事だ。 時間外手当、出してもらえばイーじゃないか?」

「酒に付き合った時間分か? そりゃ、イイな。 通常が百円アップなら、深夜手当てで、時間二百円くらいか?」

「三、四百円は、アップすんじゃねーの?」

「それなら、助かるぜ」

「だろ?」

二人でくだらない事を言って、声を上げて笑った。


 何事も無く、閉店時間が訪れる。 利知未は十一時半前に、タイムカードを押して帰り掛ける。 カウンターから、マスターに呼ばれた。


 珈琲を出され、今朝の事を改めて話した。 厨房の社員も帰っている。

 二人、カウンターを挟んで向かい合う。


 利知未は珈琲を飲みながら、タバコに火を着けた。

「…奥さんに、バレませんでしたか?」

「それは、大丈夫だ。 信用されてる」

「そりゃ、良かった」

何時もと変わらない、男っぽい雰囲気の利知未に、マスターが聞く。

「お前は、…アレが原因で、辞めたいとか思わないのか?」

「何で? 別に、表に出なきゃ問題も起きないでしょ」

軽く、言い捨てる。 マスターもタバコに手を伸ばす。

「それとも、マスターがやり難いとか?」

マスターが煙を吐き出して、答えた。

「…お前が相手だったからな。 それは無い」

「ドーユー意味ですか」

「普段は女に見えない。 …冗談だ」

「イイっすよ、別に。 色気、ネーからな」

「自分で言うか?」

「事実ですから。」

利知未は腕を組んで、ニヤリとして見せた。

「酒の勢いってのは、怖いもんだ」

「それは、俺の台詞じゃないか」

「あたしの台詞で、イーんです」

哲との切っ掛けを、思い出していた。 ……アレも、始めは酒の勢いだった。

 呆れた顔をして軽く首を傾げ、真面目な顔に戻って、マスターが言う。

「……初めてじゃ、無かったんだな」

「…まぁ、色々。 …っても、あたしみたいな生活してきた奴が、経験無かったら奇跡でしょ?」

「変な言い方だが、救われたよ」

「処女喪失の相手が、妻帯者兼、雇用主じゃ、洒落になりませんからね」

首を竦めて見せる。 マスターは一瞬、呆れた顔になる。

「ま、何事も無かったって事で、イイんじゃないですか?」

「……済まないな」


 謝られて、心の奥では何かが、カラカラと音を立てる。

『……これで、良いんだろうけど』

 もしまた、同じ様なシチュエーションになった時、抗う自信は無かった。

『多分、敬太の後で……。 ……初めて本気で、…愛してる』

 心の声には耳を塞いで、男っぽい仕草のまま、挨拶をして店を出た。




           五


 十月二十日・金曜から、新しいバイトがアダムへ入った。 長嶋(ながしま) 皐月(さつき)と言う。 マスターの希望通り、二十歳の可愛い女性フリーターである。

 専門学校まで出て見たものの、中々イイ職場に出会えずに、今年の四月からフリーターで小遣いを稼いでいる。自宅から自転車で通う。

 明るく、楽しい子だった。 瀬尾と同い年で、利知未とも一つしか違わない。 直ぐに、職場に打ち解ける。


 初出勤の日。 アダムの味を知りたいと言い、十八時に仕事を上がった後、カウンターへ座ってアフターメニューから、パスタのセットを注文した。

 アダムは、味で勝負する店である。 なるべく安く、美味しく、楽しくがモットーの店だ。 初めて食べたこの店の味を、皐月は気に入った。

「今日の賄いも美味しかったけど、レギュラーメニューも、美味しい!」

嬉しそうな顔で、ペロリと平らげた。 マスターは、満足そうな笑みを浮かべている。 食後に、ウインナー珈琲を飲みながら、今日から世話になっている新しい雇用主と、会話をしていた。


 十九時少し前。 利知未が、カウンターへ入る。 マスターに挨拶をして、何時も通り仕事に取り掛かろうとして、紹介された。

「今日から入った、長嶋だ。 月2回、日曜と祝日は、お前も一緒の時間になる。 精々、鍛えてやれ」

基本的には、仕事中は苗字で呼び合う。 利知未もそのつもりで挨拶をした。

「瀬川です、宜しく」

何時も通りだ。 アダムでのバイト中は、どうしても男っぽさが上がる。 ……特に、今は。

あの、マスターと関係してしまった日から、女らしい部分には、何時も以上にキツク蓋をしている。


 利知未の少年チックな笑顔に、皐月は見惚れてしまった。

「ドーした?」

利知未が聞いた。 皐月が、ボーっとしている。

「コイツは、内のバイトでも古株だ。 昼間のカウンター業務は任せられる。 俺が出掛けてる時は、コイツに聞けばイイ」

マスターが、皐月の様子に構わず、説明をする。

「はい! よろしくお願いします!」

思い切りイイ笑顔を作って、皐月が言った。 利知未も笑顔を返した。

「客商売向きの、笑顔してンな」

感心した利知未に、マスターが胸を張る。

「当たり前だ。 俺の人物を見る目は、確かだ。」

「ハイハイ、ソーっすね。 厨房、覗きに行かないで良いンでスか?」

マスターはこの時間、夜の準備状態を確認しに、毎日チラリと厨房を覗きに行っている。 利知未に言われて、厨房へ向かう。

 カウンターバイトも入り、瀬尾も現れる。 二人にも皐月を軽く紹介した。


 自己紹介が終わり、皐月が時計を見て言う。

「私、そろそろ帰らないと。 お会計、お願いします」

皐月に言われて、レジに出た。 伝票には、二割引で記入されていた。


 会計を終え、皐月と挨拶を交わしてカウンターへ寄って行く。

「面倒だな。 今日は、あたしが先にホールへ出てるよ」

「イインじゃないの? 近藤さん、イイですよね?」

「構わないんじゃないか? 何時も時間で交代してるんだし」

近藤さん、と呼ばれた、カウンター専属の先輩バイトが頷いた。


 夜のアダムは、カウンター内に二、三人で入る。 ホールは二人で回す。 特に週末はカクテルの注文が多く、三人全員がオーダーに応えるのに、てんてこ舞いすることがある。

 忙しくも無い平日は、カウンターをマスターと近藤が二人で引き受け、利知未と瀬尾は大体ホール担当に回る。

 近藤は、昼間は別の仕事をしているらしい。 バーテンダーになるのが昔からの夢で、大学の二年目から雇ってもらった。 もう、五年目になる。

 今回、翠が社員から抜けた。 変わりに社員ではなくフリーターの皐月を雇った理由は、マスターには、以前から考えていた計画があったからだ。

 近藤が、昼の仕事を辞められるのなら、夕方から入って貰う形で、社員として雇い入れてやりたいと思っている。

 経営のノウハウを覚えさせれば、彼ならば三十代中盤に差し掛かる頃に、自分の城を持つ事も出来るだろうと見ていた。

 それは、近藤の夢でもある。 昼間の仕事と掛け持ちして稼いでいる金は、いつかその為の資金にする予定だ。

 アダムは、夢を持つ人物を応援している。 それは、マスターの信念だ。



 十五日を過ぎて、倉真は一端、自分のアパートへ戻った。

 家賃を払わなければならない。 それから三日程は、自分の部屋で寝起きしていたが、朝食はファーストフードで済ませ、夕食は弁当を買って帰宅する。

 綾子は、全く口を聞かない。 勿論、ご飯の仕度なんてしてくれない。 洗濯と掃除くらいは、やっている。

 やはり一緒に居難くなり、十九日の木曜からは、宏治の部屋へ転がり込んだ。 開店中のバッカスへ行き、看板まで酒を飲み、そのままだ。


 宏治は呆れる。 酒を飲みながらの話しを聞くと、どうも今回の切っ掛けも、倉真の無断外泊だ。 ……綾子の言葉は、やはり言わない。

 宏治宅からは、バイト先まで遠いと言えば遠いが、克己のアパートからだって同じ事だ。 バイト先を挟んで、東西の位置関係だ。


 二十一日の土曜、久し振りに利知未と、バッカスで顔を合わせた。 翌日は休みだ、思い切り飲んでやろうと思った。 意外な人物が、その日はやって来た。

 春のツーリング以来、倉真は一度もここで会った事は無かった。 宏治と美由紀にとっては、時々来ては大金を落として行く、お得意様である。


 十時近くになって現れたその人物は、倉真の一席空けた隣席へかけた。

「随分、久し振りに見た顔だ」

「春のツーリング以来だな」

個人的には、イイ印象を持っては居ない。 けれど嫌いと言う程、彼の事を知っている訳ではない。

「いらっしゃいませ。 水割りで宜しいですか?」

言いながら、宏治がキープボトルとミネラルウォーター、アイスを準備する。 哲は無言で頷いて、お絞りを使う。

「君とは、タイミングが合わなかったな」

「そっちはチョクチョク、顔出してたらしいな」

「この店が、気に入ったからな」

 店の雰囲気ではなく、利知未との時間が、哲にとって大きな出来事だ。

「……語り合う事も無さそうだ。 静かに飲ませてもらおう」

倉真には、余り気に入られていないらしい。 だが、気にはならない。


 宏治を挟んで、三角関係で静かに会話が進んだ。

「利知未は最近、来ているのか?」

「来てますよ。 昨日は、珍しく顔出さなかったな。 今日辺りは来るんじゃないですか」

「利知未さんは、相変わらず月、水、金か?」

「ああ。 来ない日も有るけど、大体そうだな」

「成る程。 道理で、あの頃は何時も空振りをしていた」

「五月、六月頃の話しですね」

 宏治の質問に、哲が薄い笑みを見せる。 その表情を、倉真が横目で見る。

「今日、利知未が来るなら丁度良い」

「何か、話しでも?」

「ああ。 …是非とも、彼女には、報告をしなければならない事が出来た」

「ご期待に添えるのは、十一時半過ぎになると思いますよ」

「そうか。 バイトの後、回って来るのか」

あの数日間の事を思い出して、利知未の来る曜日との合点がいく。

 倉真は、少し気になった。 ……何故、その結果に結びつくのか?

『彼女のバイト日を、コイツは、いつ知ったんだ?』

 その、微妙に変化した倉真の表情を、哲は見ていた。


 それから後も直接、哲と話す事は無く、宏治と話しをした。 綾子の事についても、宏治との会話だ。

 只、哲の耳へは、自然と入る。

「……急に、ナンだけどよ」

「彼女が重荷に成り始めた、って事がか?」

「…重荷、って言うのか?」

「おれには、そう聞こえるけどな」

哲は、黙ってグラスを傾けていた。 フイに言う。

「他に、気になる女が居るんじゃないのか?」

 いきなりの言葉に、倉真も宏治も、哲を見る。

「独り言だ」

哲は薄く笑った。 ……内心では、面白がっている。

「デカイ独り言だな」

「悪いな、酒が過ぎたようだ」

「そんなに飲んでるようには、見えネーけどな」

倉真が軽く言い捨てた。 哲は、密やかに笑ってしまう。

「悩めば良いさ」

「それも、独り言かよ?」

「そうだ。 ……彼女が、そろそろ来る頃じゃないか?」

「利知未さんですか? …そうですね、頃合です。」

時間を見て、宏治が答えた。 丁度のタイミングで、利知未が現れた。


「変わった顔触れで飲んでンな」

 鈴を鳴らして店内へ入り、カウンターの二人を見て、少し驚く。

「久し振りだな。 今日は、お前に用があって来た」

「あたしにか? ……まさか、またか?」

「変な誤解をしないでくれ。 報告があるんだ」

「そうか。 倉真も、久し振りだな」

少し考え、言いながら、二人の間の空席に着く。

「…どーも」

倉真は、『お前』と利知未を呼んだ哲の態度に、何故かムッとしていた。

「利知未にグラスを」

宏治に言って、哲は利知未に、自分の酒を奢る。 宏治はロックグラスを利知未の前に据える。 哲が自分でそのグラスに、氷と酒を満たす。

「先ずは、乾杯してくれないか?」

「ああ。 ナンか解らネーケド、乾杯」

二人で、グラスを合わせた。 哲は口を付ける。 利知未は、倉真のグラスにも軽くグラスを合わせてから、口を付けた。

 倉真は、何と無く面白くない。 ……二人の雰囲気が、何か、違う。

「で、なんの用だ?」

「報告だ。 …円と、籍を入れる事にした」

「ソーか! おめでとう! いつだ?」

明るい笑顔を見せる利知未に、哲も軽い笑顔を返す。

「来月、円の誕生日がある」

「その日か?」

「ああ。 ……お前には、感謝している」

「…コッチこそ、感謝してるよ…」

二人の会話を、倉真は面白くない顔で聞く。

 宏治は、ポーカーフェイスを貫く。 スナックのカウンターに入る者の、礼儀だ。

「部屋も、引っ越す事になる。 二人で暮らすには手狭だ」

「3LDKありゃ、充分じゃネーのか?」

「余裕が無いだろう? 一部屋は、趣味の部屋のまま残したい」

「贅沢だな。 あたしだったら、あれだけ広けりゃ、三人で住むぜ?」

その言葉に、倉真の顔色が変わる。 利知未越しにそれを見て、哲が面白そうな顔をする。 …からかいたくなった。

「気になるか? 利知未とは、そう言う仲だ」

「誰に、言ってンだ?」

「お前の後ろで、驚いた顔をした青少年が睨んでいる」

言われて、倉真を振り向いた。 倉真が慌てて、前を向く。

「ドーかしたか?」

「…別に」

倉真の態度を見て、利知未は小さく笑ってしまう。 少し、考えて言った。

「前、飲みに行った事があるンだ」

「ソイツの部屋へっすか?!」

女好きの、佐久間 哲。 イライラとし始める。

「…ああ。 それだけだ」

「絵のモデルにも、なってもらったな」

「あの絵は、潰したんじゃないのか?」

「モデルにしたのは、本当だ」

何故、哲がバラしたがるのか? 利知未は一瞬考える。 哲の視線の先を見て、倉真の反応を面白がっている事に気付く。  一緒に、からかって見ようかと思ったが、止めた。

「お前、彼女とまた喧嘩してるのか?」

「今回は、長いみたいっすよ?」

宏治が何気なく、話しの先を変えようとする利知未を助けた。

 それを見て、哲が財布を出しながら、椅子から立つ。

「帰るのか?」

「円が待っているからな。 報告をしに来ただけだ。 また、改めて酒に付き合ってくれ」

「ああ。 今度は、円さんも連れて来るか?」

「……イイや。 それは、止めておこう。 …そのボトルを、飲み切ってくれて構わない」

「そーだな、祝い酒だ。 遠慮無く貰うよ」

利知未の言葉に笑顔を見せ、宏治に言う。

「なくなったら、もう一本入れておいてくれ。 金は今、払って行く」

「はい、入れておきます。 ありがとうございます」

会計を済ませながら、宏治が礼を言う。

 哲は、店を出る前に、もう一度倉真を振り向き、挑戦的な笑みを見せて帰って行った。



 翌日、二十二日。 利知未は始めて、皐月と仕事をした。 マスターは、今日も暇な時間は出掛けてしまう。 すっかり、習慣だ。

 仕事中、偶にチラリと自分を見る皐月に、利知未が聞いた。

「どうかしたか? 解らない事でも、あったか?」

「え、と、何でもないです。 金・土って、二日やったから、少しは解ってきました。 ……瀬川さん、医大生って、本当ですか?」

「ああ。 誰が言ってた?」

「昨日、一緒に昼間入った、川田さんが教えてくれました」

日曜、祝日で、利知未とも時々一緒になる、女のフリーターだ。 皐月とフリーター同士で、話しが合ったらしい。歳も近い筈だ。

「いつから、ココでバイトしてるんですか?」

「高校入って直ぐからだ。 受験の頃、半年休止してたけどな」

「今、大学、何年生ですか?」

「まだ、一年だよ。 長嶋は、二十歳ってマスターが言っていたけど?」

「はい。 …って言う事は、あたしの方が一つ年上って事に、なるのね」

言葉の最後は呟く。 利知未は、言葉使いを気にされたと勘違いする。

「ソーなるな。 口が悪いのは、勘弁してくれよ。 長嶋も、仕事以外の事、話す時は、敬語、止めてくれないか?」

「はーい、そーします! あ、お客さんだ」

直ぐに、案内に向かう。 中々、仕事は出来そうな感じだ。


「あの、瀬川さん、カウンターで良いですか?」

一度、客を迎えに出た皐月が、客に待ってもらって聞きに来る。

「構わないぜ?」

この時間の客は、一人でもテーブル席に通すと言う、基本を忠実に気にしたらしい。 客に言われて、確認をしに来た。

 返事をして、直ぐに客を案内して来た。

「倉真じゃないか。 いらっしゃいませ」

「ドーも。 新しい、バイトっスか?」

皐月を見て聞いた。 利知未は頷いて、お冷とお絞りを出す。

「ああ。 結構、可愛い顔してるだろ? マスターの趣味らしい」

小さく笑って、そう言った。

 倉真は、出されたお冷の前に腰掛けて、注文をする。

「…例のヤツ、頼ンます」

注文を聞いて、何か相談事を持って来たのだろうと、利知未は推測する。

「かしこまりました」

店員らしく頷いて、作業にかかりながら利知未が聞いた。

「彼女との、仲直りの方法でも悩んでンのか?」

「…っつーか、…まぁ、そんな所になるのか?」

自分の気持ちには、どうも鈍感だ。

 自問自答風の返事を聞いて、利知未は女らしい、優しい笑顔を見せた。

「また、お前は。 …自分の気持ちも、解ってないのか」

「…気持ち、っスか? ……帰り難いのは、確かだな」

「今回は、ドレくらい外泊中なんだ?」

「…間、三日は戻ったっスケド、都合、三週間。」

利知未は、思い切り呆れる。 それは、確かに長い。 昨夜は話に出なかった。


 昨夜、哲が帰ってから、倉真は綾子のこと所では無い心境に駆られた。

 それよりも、哲と利知未の関係が気になった。 そこの所、自分の気持ちの流れは、掴みかねている。

 哲が、結婚の報告をしに来た事は解ったが、それが何故、利知未に報告をしなければならない事、だったのか? 測り兼ねた。


「随分、大喧嘩だな。 最長記録達成か? …野良猫のホットミルクです」

 例の珈琲を淹れ、倉真へ出した。 今日も、三八〇円計算だ。

「…まぁ、今回はチョイ、俺も…、何つーか」

 あの言葉が切っ掛けなのは確かだが、傷付けられた、と言う表現をするのも、何か違うような感じがする。

「らしくネーな。 言いたくない事を言い掛けた事、先ず、無かったのにな」

今までは、そうだった。 言い難い・言いたく無い事は、スッパリ抜かして話すのが、倉真だ。 お蔭で、真意を測り兼ねた事も、何度もある。

 何時も以上に、倉真にとって大事(おおごと)かもしれないと、利知未は思った。


 倉真は、あの時、綾子に言われた言葉が、ソッチ方面に則した言葉だ。 そう言ったネタを他人に、特に利知未に話すことには、抵抗がある。

 それに今日は、綾子のことよりも、利知未が気になって来てしまった。

 ……昨夜の利知未と、佐久間との会話と雰囲気が、どうしても気になる……。

 だから、綾子のことは理由にしかならない。

『……だったら、逆に構わネーか?』

返って昨夜の事の方が、聞き難いと思った。 それには触れない事にした。 そして結局、綾子との詳しい事情を、利知未に話してしまった。



 同じ頃、克己は綾子と向かい合っている。

 倉真が克己の所へ戻らなくなり、一週間経った。 落ち着いて、暫く保留にしていた調理師免許の勉強を再開して見たが、どうにも集中できない。

『…ッタク! シャーネーな、アイツ等のことは、ヤッパほっておけネーぜ』

気になってどうしようもなかった。 再び、倉真のアパートを訪ねてみた。


 尋ねてみて、倉真も居るかと思ったら、とんでもなかった。 綾子が、一人で居る。

「倉真のヤツ、戻ってなかったのか?」

呆れ返った克己の言葉に、綾子が答える。

「月曜から、水曜までは帰っていたんだけど……。 私も、意地になっちゃって。 口、聞かなかったんです。 ……そうしたら、また出てっちゃいました」

取り敢えず克己にダイニングへ着いてもらい、インスタント珈琲を出す。

「……あのヤローは。 ドーシヨーもネーな」

克己は椅子の背凭れに、思い切り背中を預けた。 真面目に働き出してから、止めていたタバコが恋しくなる。

「…タバコ、置いてネーか?」

綾子は少し考える。 倉真の、買い置きタバコがあった事を思い出して、出して来た。 灰皿と、タバコを纏め買いした時におまけで貰った、使い捨てライターも一緒に出す。

「悪いな。 金、払うぜ」

財布から小銭を出して、テーブルの上に置いた。 パッケージを開いて、一本咥え火を着けた。 綾子が立ち上がって、換気扇を回した。



           六


 倉真から詳しい話を聞き、利知未は、悪いと思いながら笑ってしまう。

「春の犬、か? そりゃ、ナンつーか、…可愛い例えだな」

「可愛い? ドーユー言い草っスか?!」

「年中発情期、と言われるのと、どっちが可愛いと思う?」

「同じ意味じゃないっスか? …ってーか、そう思いながら、我慢して付き合ってンのか? って」

「まぁ、そう取っても、仕方がネーな」

利知未は笑いを収める。 少しくらいは、同情の余地があるかもしれない。

「女なら、さしずめ春の猫って、所か……?」

ふと思い付いて呟いて、また少し笑えてくる。 ククククク、とでも言う様な抑えた笑いに、倉真が憮然とする。

「…真っ昼間から、ドーユー下ネタっすか?」

「お前が、言い出したンだろーが。 …ケド、確かに。 酒でも飲みながら話した方が、相応しいネタかもな」

「楽しそうだな、下ネタだって?」

休憩を終えた瀬尾が、利知未の隣に来た。 チョクチョク顔を出す倉真とは、良く話しもする。

「丁度イイ、瀬尾さん、どう思う?」

「何が? 瀬川、昼食えよ」

「ああ。 休憩時間たっぷり、話させてもらうか」

倉真の隣席へ、賄いを持って移動する事にした。

「長嶋、お前も休憩。」

瀬尾に声を掛けられ、皐月も返事をして、賄いを持って来た。


 皐月は、積極的に会話へ参加する。 下ネタも全然、平気だ。

「春の犬について、どう思う?」

倉真が、瀬尾に振り直した。

「春の犬? ナンだ、それ」

「年中発情期の、ソフトな言い回しらしい」

利知未が注釈を入れた。 瀬尾も、目を丸くして軽く吹き出した。

「ソー言われたのか?」

瀬尾に聞かれ、倉真が憮然としたまま、頷いた。 皐月も笑っている。

「可愛い言い方! あたしも今度、使ってやろう」

「言う相手、いるのかよ?」

「言う相手、募集中でっす! …瀬川さん、言われて見ます?」

そう聞かれ、利知未は始めて、自分の性別をまたも勘違いされていた事に気付いた。 誰も、その誤解を解いていないらしい。

 瀬尾は、視線を外してニヤニヤしている。

「…瀬尾? お前、…っツーか、お前等!」

客席を見ているバイトにも、軽く睨みを効かせる。

「客商売、客商売! 怖い目で睨まない、睨まない」

瀬尾がニヤけながら、利知未に言った。

「あのな、長嶋。 一つ、誤解してるぞ?」

「何をですか?」

「あたしは、女だ。」

「え? また、またぁ! その冗談、アンマリ面白くないですよ?」

倉真も、憮然としていた表情が変わる。 少し、面白そうな顔になる。

 利知未は黙ってベストを脱ぎネクタイを緩め、シャツのボタンを4つ外し、胸を少し開いて皐月に見せる。 瀬尾が、遠慮がちに覗き込む。 倉真が瀬尾のネクタイに手を伸ばし、グイ、と自分の方へ引き寄せる。

『覗かせてたまるか』 そう思っている。 反射的な事で、その意識については、自分で気付かない。

 瀬尾が、誤魔化し笑いをしながら、ドゥドゥ、と、倉真の腕を抑えた。

 皐月は、思い切り目を見開いた。 驚いた顔で、利知未、瀬尾、もう一人のバイトを振り返る。 慌てて、利知未に詫びた。

「…ごめんなさい! …って言うかァ、妹尾君! 水沢さん!」

少し声が大きくなる。 利知未が慌てて、皐月を宥める。

 客が、目を丸くしている。 皐月は、慌てて客席にも頭を下げた。


 綾子は、タバコを吸いながら、難しい顔をしている克己に聞いた。

「利知未さんは、克己さんの彼女、で、いいんですよね?」

質問を聞き、綾子がいつかの芝居を、狙い通りに信じていた事を知った。

 克己は、この嘘をつき通そうと考える。 …そのコトが綾子にとっては、今回の喧嘩と関わり深い疑問なんだろうと、推測した。

「そう、見えなかったか?」

克己の質問返しに、綾子は慌てて、首を横に振る。

「凄く、仲良さそうだと思いました。 ……私と倉真は、どうして何時も喧嘩になっちゃうんだろう? 克己さん達は、喧嘩しませんか?」

「…喧嘩な。 した覚えは無いな。 大体、アイツを怒らせたら、タダじゃ済まネーぜ」

 始めて会った頃の、利知未の強さを思い出す。 力は負けないと思うが、利知未はどうやら、何か武芸の心得が在りそうな事は、見て取っていた。

「…倉真は。 ……本当は、利知未さんが好きなんじゃないかって、この頃、思うんです。 もしかして、この間も」

「ダチの女に、手を出すヤツじゃネーよ」

「ごめんなさい。 そうだとは、思うんですけど……。 でも、ヒトを好きになった時って、…思いがけない事、したりしませんか? 冷静な判断力とか、行動とか…出来なくなるって言うか…。 ……私は、そうだったから」

 家を出て、学校も辞めてしまった。 倉真と、同棲もしている。 以前の自分では、考えられない行動だと思う。

「…アイツが、ガキなだけだ。 アンタの事は、大事だと思うぜ?」

「それなら、どうして?」

「元々、家出癖があったんだよ。 アンタだって知ってンだろ?」

黙って、綾子が頷いた。

 克己は、この問題を解決するのは、倉真次第だと感じる。 ……一言アイツに、言ってやりたい、と思う。

「アンタは、倉真と仲直りする気、あンだな?」

「…はい。 …けど。 倉真が戻ってくれないと、どうにもならないから」

言葉を一度切って、改めて言う。

「もしも、倉真が他のヒトを好きでも、私は、やっぱり倉真が好きだから」

「…ソーか。 解った。 今度、オレの所へ転がり込んできたら、ココへ引き摺って来てやる。 それから後は、二人で話し合いな」

綾子が黙って頷いた。 克己は綾子の意思を確認し、タバコを吸い切り、出された珈琲を飲み切って、倉真のアパートを後にした。



 倉真はアダムのバイト連中に笑われ、自分が拘っていた事が、馬鹿馬鹿しい様な気分になった。 話した事で、少しは吹っ切れた気もする。 改めて冷静に考えて見る気に、漸くなれた。

 考えるのに、まだ少し時間が欲しい感じだ。 結局この日も、宏治の部屋へ転がり込んだ。 宏治は呆れながらも、何も言わずに泊めてくれた。


 考えている内に、自分の感情に疑問が浮かぶ。

『……利知未さんの事は、何だったんだ?』

 哲との関係も気になるが、今日、反射的に瀬尾の視線を、利知未の胸元から引き離した行為は、今更、思うと妙な感じだ。

『俺だって、覗いて見たい気はするぜ…? …ッテ、待てよ?』

 自分が利知未を、女として意識し始めている事に、漸く気付く。

『今までは、そう言う意識を持って、……付き合っては、なかったよな』

怪しげな、夢も見るようになっている。 ……だからと言って、女だからどうだと言うのだ? そんな事は、宣告承知だ。

『利知未さんだって、女なんだよな。 …あのヒトは、自分の身を守るコトくらい、何でもない。 …強いヒトだ』

 自分が利知未に、どうしたいと思うのか? そこの所は、良く解らない。

 比べて綾子は、やはり、自分が守ってやらなければいけない相手だと思う。

『……チョイ、我が侭が過ぎたか』

 ここへ来て、やっと反省だ。 三週間かかってしまった。


 翌日、倉真は。 少しは頭が冷えて、バイト後、素直に自分の住処へと、戻って行った。



 翠が抜けた事もあり、利知未は十月いっぱい、日曜休みを取らないで、バイトへ入った。

 月末の日曜・二十九日は、佳奈美が遊びに来た。

 マスターは珍しく、暇な時間もカウンターへ入っている。 佳奈美がいるからだ。 今日は、皐月と瀬尾が、先に休憩を取っている。


 佳奈美は、カウンター席へ座り、オレンジジュースを飲んでいた。

「今日は勉強、持って来なかったンだな」

「お仕事の邪魔し過ぎて、利知未がクビになっちゃったら、嫌だモン」

「ヘーキだ。 あたしがクビになったら、マスターは日曜の昼間、気晴らしに行けなくなるからな」

マスターは、利知未の言葉に、聞こえない振りをする。

「お父さん、仕事中にどっか行っちゃうの?」

「前も、佳奈美連れて、買い物に行った事あっただろ?」

「タマにしか、しないって、言ってたよ?」

「…ソーユー事になってンのか」

チラリと、マスターを見る。 彼は首を竦める。

「あの時は、翠姉ちゃんがいるから、行けるんだって言ってた」

「成る程ね。 …今は、あたしが翠の代わりなんだよ」

「社員じゃないのに、利知未が代わりなの?」

佳奈美に聞かれて、マスターが言った。

「…タマにな、タマにだ」

「じゃ、時給上げてあげないと、利知未が可哀想」

「って、言ってますけど? 社長」

利知未がニヤリと、マスターに笑って見せる。

「佳奈美、何か、買って貰ったのか?」

「ドーユー事ですか? あたしが佳奈美を、買収して言わせてるとでも?」

今度は、軽く睨んで見た。 睨んでも、何と無く優しい表情だ。


 ……佳奈美の前でのマスターを見ている利知未には、女の顔が現れる……。

 利知未本人は、気付かない。 何時も通りにしているつもりだ。


 時々、ジェラシーを感じる。 胸の奥が、チクチクする感覚に捕われる。

『佳奈美の事、本当の娘として大切にしてる。 …すっかり、愛娘みたいだ。 あたしも、今の佳奈美くらいの頃には、……娘くらいにしか、見られてなかったんだろうな』

 今も、対して変わらないだろうと思う。 酒の勢いで、手を出してしまう程度の女には、見られる様になった、と言う事か……?

『……あの時は、嬉しいと言う気持ちが、身体の、奥の方から沸いてきた』 ……あの夜が無ければ、今、もう少し楽な気持ちで、いられたのだろうか……?

『気付かないままでいた方が、幸せな事もあるみたいだ』 そんな風に思って、ふと、視線が落ちる瞬間。

 利知未の雰囲気が、一気に女になる。 ……慌てて、気持ちを切り替える。


 そうして、マスターへの想いに、キツク蓋をする。 今は何とか、平穏を保っている。 ……波風が立つことは、避けなければならない。


「翠姉ちゃんの結婚式には、利知未も行くんでしょ?」

 佳奈美の声で、物思いから覚めた。 笑顔を作って答える。

「あたし等バイトは、二次会に参加すンだよ。 佳奈美は行くンだよな」

「うん。 じゃ、利知未の変わりに、いっぱい写真、撮って来てあげる!」

「楽しみにしとく。 ピンボケにすンなよ?」

「誰が撮っても、ボケないカメラだもん。 大丈夫!」

話題が変わって、マスターの表情が変わる。 情け無いような、面倒臭そうな、微妙な顔をして首を竦めた。


 仲人なんて、面倒な事をやらされるハメになった物だと、つくづく思う。 それでも、二人の結婚を、祝福する気持ちは変わらない。

 最近、漸く覚悟を決めた。 妻の着物代と、佳奈美の衣装代は、結局、マスターの小遣いから出てしまった。

 ……次の宝は、手に入るのが、二、三ヶ月、遅れてしまいそうだ。

 それを思うと、やっぱり溜息が出てきてしまう。

 マスターの様子を見て、利知未はクスリと、小さく笑ってしまった。



 十一月三日・祝日は、翠の結婚式だ。 アダムは営業をする事にした。

 厨房に若い社員が入り、昼のカウンターを、利知未が引き受けた。 高林は、マスター夫妻と共に、式に出席する。

 平日と違い、ランチタイムも何とか回せる。 夜は近藤が早めに入る。

 夕方からは、昼間に頑張ったメンバーが、翠の結婚式二次会へ出席する。


 厨房の若い社員・松尾が、暇な時間にカウンターへ出て来て、苦笑いをしながら利知未と会話をする。

「アダム始まって以来の、強行軍だな」

「マスターがいなくても、一日くらいは回せる、って事だ」

「一応、今はおれが『社長代理』って事か。 偉くなったような気分だよ」

「従業員の平均年齢も、かなり低くなってンな」

頭の中で計算して見る。 大体平均、二十二歳くらいだ。

「学祭の、模擬店並だ」

「それくらいか。 賄い、出来てるからな。 適当に休憩とってくれ」

「了解。 ありがとうございます」

松尾にニコリと笑顔を見せて、瀬尾と皐月に声を掛けた。


 十七時頃、従業員がスッパリと入れ替わった。 二次会は、アダムの当日営業状態に合わせて、十九時開始に設定されている。 利知未達は、揃って移動して行った。 マスターは、流石に少し、疲れ気味の様子だった。

 それでも、利知未達へ昼の働きを労って、気持ち良く送り出してくれた。


 その日、皐月も始めて、従業員が集まった酒の席へ参加した。

 自分は、翠と面識が無いからと遠慮をしていたが、当の翠本人が、平日のアダムへやって来て、誘ってくれた。

「皆でお酒飲むのも、大切な事よ? 私は、変わりに入ってくれた長嶋さんに、お礼もしたいと思っていたんだから。 絶対に、参加してね」 と、笑顔で言われて、お言葉に甘える事にした。


 翠の心遣いで、皐月は益々、先輩従業員達と打ち解ける事が出来た。

 特に、同年代の瀬尾や利知未、水沢や川田と言うバイト仲間とは、更に仲良くなれたのだった。

 皐月は、酒が入っても茶目っ気たっぷりで、面白い子だった。 この宴会で、下宿店子の美加に続き二人目の、利知未を「利知未ちゃん」と呼ぶ、数少ない友人が誕生した。



 この日、利知未はTPOに合わせ、少しはマトモな格好をして出席した。 大学の合格祝いで、美由紀から貰った腕時計が、上手くマッチするくらいの格好だ。 一応、送別会の時の様に、口紅くらいは塗って見た。

 その姿を見て、皐月が感心した様子で利知未に言った。

「瀬川さんって、そう言う格好したら、凄く綺麗な女の子だったのね」

その癖、態度や飲みっぷりは、今までのイメージ通り、男っぽい。 そのギャップに、また興味を持った。

 利知未は、遠慮がちに参加していた皐月に良く気を配り、瀬尾と一緒に楽しい雰囲気を作った。 本人が意識していなくとも、騒ぎに周囲の人物を巻き込むのは、利知未の特技である。


 翠は皆に祝福されながら、利知未の成長と、彼女の持つ良さが発揮されている様子を、嬉しい気持ちで見つめていた。

 六年半もの間、マスターと共に、利知未をずっと見守り続けてきたのだ。 翠にとっても、妹みたいで弟みたいな、可愛く思える存在だ。



 翌週は、利知未が通う大学で、大学祭が行われた。

 それに合わせて、月一の日曜休みを貰った。 特に、行事に参加する気も無かったのだが、透子からヘルプを出された。


 透子は、あの良く解らないサークルへ、籍を置いていた。

 仲の良い利知未は、普段バイトで忙しい。 暇な時間を潰すのにも最適だ。 何度か出掛けた旅行先から、利知未へ土産を買って来た事もある。

 そのサークルで、『全国美味い物店』と、デパートのイベント名の様な名前の、各地特産・名物料理の模擬店を出すと言う。

 透子は、料理が大の苦手だ。 自分の働き分を、利知未に手助けさせようと考えた。 それで、利知未を引っ張り込んだ。

 透子には、高校時代からの借りが、たっぷりと溜まっている。 利知未は仕方なく、引き受ける事にした。


 金の掛かるサークルだ。 透子は五月頃から、家庭教師のバイトも始めて見た。 大きな家庭教師派遣会社に籍を置き、週・二日は先生をしている。

『だけど。 利知未みたいに出来のイイ生徒は、少ないモンだわ』

最近の学生の学力低下に、少々疑問を持ち始めていた。

『教育学部、選ばなくって良かったぁ!』 と、透子らしく、呑気な感想も抱き始めた所だ。



 十一月。 マスターとは、何事も無く過ぎ様としていた。 二十三日・木曜の祝日。 今月も残す所、後一週間だ。

 利知未はバイト日以外で、久し振りにバッカスへ顔を出した。 何時ものメンバーが勢揃いした。 倉真の姿を見て、利知未は内心、びっくりする。

『まさか、まだ喧嘩が続いてたり、しネーよな……?』

目が合った利知未の表情を見て、倉真が変な顔をする。

「綾子とは、喧嘩してないっスよ?」

「ナンの事だ?」

利知未は、表情を読まれたとは思わない。 何気なく、問い掛ける。

「そー聞きたソーな、顔だったンすよ」

倉真が少し、仏頂面になる。

「ソーか? そりゃ、悪かったな。 喧嘩して無いンなら、イイ事だ」

言いながら、何時も通りカウンター席へ座った。自然に、倉真の隣だ。


 準一が、倉真の向こう隣、和泉の隣から、利知未の隣席へ移動して来た。 かなり酔っ払っている。 始めて、彼女? の事を話した。

「ドーして倉真は、綾子ちゃんと喧嘩ばっかりするのに、一年半も一緒にいれると、利知未さんは思う?」

「なんだよ? もしかして、また女が代わったのか?」

倉真が、呆れて突っ込んだ。

「オレ、喧嘩みたいになると、面倒臭くなって、一緒に遊ばなくなる」

「それで、くるくる代わるのか」 和泉も呆れ半分、納得顔だ。

「……そりゃ、彼女って言わないかもな」 利知未も呟いた。

倉真と綾子の事を思う。 自分の事は、敬太が優しかった。 喧嘩らしい喧嘩になった事は、無かったと思う。

 ……喧嘩らしい雰囲気になったのは、哲が始めてだったかもしれない。


「だから、言ってンジャン! 彼女じゃないって」

「友達、か? …にしては、ダチだって喧嘩すりゃ、仲直りすンだろ?」

「ヤッパ、ソー来る? 倉真は、ソー言うケドさ、仲直りして、また仲良くやりたいって思えるコって、中々いないんだ」

「今まで何人、…ダチが出来たンだ?」

利知未は準一に対して、『彼女』と言う表現は、しない事にした。

「えっとぉ…、一緒に一回以上、二人で遊びに行った事があるコは、今のコで…、六人目、かぁ?」

「何人とヤった?」

「四人、カナ……?」

利知未は何故かムッとして、両側の二人を、同時に小突いてしまった。

「あたしを真ん中に挟んで、ソー言う会話をスルな」

少し、膨れたような表情が、何と無く女らしかった。


 小突かれた頭を摩って、深く考えない準一と、少しびっくりした顔で、利知未を見る倉真を見て、宏治は、何かが引っ掛かる。

『……この前、佐久間さんが言っていた通り、なのかもしれないな』


 ……倉真は利知未の事を、女として気にし始めているのではないか?

 けれど、本人が解っていないらしい。 突っ込むのは、止めにしておいた。



             (二章 愛情の行き先〈……季節を越えて〉7へ続く)



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