七章 リラックス・タイム
利知未の結婚までの話し、大学編の7章です。 90年代中頃に差し掛かる頃が時代背景となっております。(作品中、現実的な地名なども出てまいりますが、フィクションです。 実際の団体、地域などと一切、関係ございません)この作品は、未成年のヤンチャ行動、飲酒運転などを推奨するものではありません。
利知未は年末に、6年間続けてきたアダムでのバイトを辞めた。 勉強が大変になってきたからだ。
倉真との関係では、彼の自分に対する言葉遣いと呼び方を変えて貰った事を切っ掛けにして、以前よりは進展が見られ始めた。 それでもまだ、微妙なままだ。
響子と結婚した克己には、三月の中旬、長男が生まれた。 そして利知未は無事、大学四年へと進級した。
七章 リラックス・タイム
一
春休み中、利知未は家庭教師抜きで久世家へ呼ばれ、マスター一家と夕食を共にした。 佳奈美の中学卒業と、高校入試合格のお祝いだ。
佳奈美は最終的に、通うのに楽な東城高校を選んだ。
「だって、友達も多いし。 別に、そんなに酷い学校じゃ無いでしょ?」
あっけらかんと言った佳奈美に、マスターは情けない顔をする。
「でも、東城高校でも進学クラスへ行く事にしたから。 利知未の家庭教師は、やっぱり、まだ必要だよ」
「そう言う事だから、せめて後一年お願いできるかしら?」
「……そうだな。 五年になったら生活が不規則になりそうだしな。 分かりました。 取り敢えず、後一年は続けますよ」
智子の申し出を、利知未は素直に引き受ける事にした。
どの道、バイクの維持費位は稼ぎ出さなければならない。 少しでも収入に繋がるのなら、このタイミングで家庭教師を辞めるのも、勿体無い事だ。
利知未に続けて勉強を教えてもらえる事を、佳奈美も喜んだ。
直ぐに四月となり、桜の季節だ。 今年も仲間と花見へ行く事にした。
新年会で利知未は、自分の特技を暴露してしまった。 準一にも期待され、当日は早起きをして弁当を作る事になってしまった。
『学校へ持ってく弁当に比べて、量が半端じゃネーんだよな……』 と、準備をしながら、利知未は冷や汗が流れる様な気分だ。 メンバーは今年も同じである。
準備の弁当は、大型の五段重箱二つでは、足りない程の量だ。
去年の事を思い出して、前日から買い出しに里沙の車を使っていた。
里真も宏治の為に頑張ろうと思う。 買い出しから利知未に付き合った。
双子も大学入学だ。 入学式は高校よりも遅い、四月十日・木曜だ。 今は利知未と里真を手伝って、二人揃ってキッチンに立つ。
「これで何とか、漸く一段落って感じか?」
「だね。 今年のお花見は、思いっ切り羽目外せそう!」
出来立ての惣菜を重箱へ詰めながら、嬉々としている。
「お前ら、受験生じゃなくなったからって、未成年だからな。 変な騒ぎ起こすなよ?」
利知未が双子の言葉に突っ込んだ。
「利知未が言える事じゃ、ないでしょ?」
里真に、更に突っ込まれてしまった。
「悪かったな。 そーいや、里真の誕生日は7月末だったか?」
「うん。 私も漸く二十歳。 誕生日過ぎたら、バッカスへ行くの」
「恋人が働いてるスナック何だから、誕生日なんて待たないで行っちゃえば良かったのに」
樹絵の言葉に、利知未が答える。
「宏治の性格、分かってネーな」
「真面目、ってことか?」
「それだけじゃ無いんだよ、アイツは」
恐らく、自分が本当に真面目な生活をして来た訳ではない分、里真の事は余計に気を使っているのだろうと、利知未は思う。
利知未は、花見用・巨大弁当の他、小さな弁当箱を用意した。
「どうするの?」
「朝美もタマには、弁当持って行っても構わないんじゃないか?」
「そっか。 朝美、今日も仕事だ」
「そーゆー事だ。 準備が出来たら、出るぞ?」
「了解! お酒は、宏治達が用意してくれるんだよね」
「ああ。 ついでに倉真が、弁当の荷物持ちに来てくれるって言ってたな」
「倉真君がねー…。 利知未、どうなってるの?」
秋絵が初めて、倉真の事で突っ込んだ。
「どうって、どうもなってる訳ネーだろ」
利知未は少し、機嫌悪そうな声で答えた。
酒と氷の入ったクーラーボックスは、宏治達が運んで来た。 和泉も居る。 かなり重い荷物も何とかなる。
巨大弁当は、倉真が約束通りにやって来て、公園まで運んでくれた。
克己は響子の気遣いで、今年の花見も参加した。
「ついでに、出産祝いの礼を持たされた」
そう言って全員に、お祝い返しの品を渡す。
「車で来たのか?」
「ああ。 後半は、酒は飲めないな」
「子供の名前、学にしたんだな」
「新藤 学か。 悪くないな」
「親父みたいに高校中退する事ないよう、真面目に勉強しろって事か?!」
「ま、そんな所だ」
準一の発言も、克己は笑顔で肯定した。
「まだ一ヶ月、経ってないよな?」
「三月十七日だからな。 漸く、三週間になる所だ」
「んじゃ、あの次の日に届け出したんだ」
「名前、ギリギリまで考えてたからな」
「今度、見に行ってイイ?」
「構わないぜ。 響子がご馳走作って待ってるって言っていたからな。 二、三日前には連絡入れてくれ」
「受験も終わったし、何時でも行けそうだな」
「だね。 皆で押しかけちゃう?!」
「迷惑だろ、あんまり大勢で行ったら」
和泉の言葉に、バイクメンバーが顔を見合す。
「オレら、四人で押しかけたよな?」
「部屋に上がれれば平気だ」
「じゃ、この前、行かなかったメンバーで押しかけちゃおう!」
「イーな!」
「仕方ない、車を出そう」
「待ってるぜ」
双子と里真が盛り上がる。 和泉が言って、克己が答える。
一日、新藤家・長男の話で持ち切りだった。
春休みが終わり、樹絵は入学後、意外と早くに自分を好きだと言ってくれる先輩と知り合えた。 準一から一端、気持ちを離そうと決心していた。 すんなりと付き合い始めてしまった。
同時に、秋絵にも春めいた気配が伺え始める。
秋絵は、映画サークルに友人がいた。 大学入学後に出来た友人だ。 デビューして2作品を発表した冴吏のファンが、そのサークルに居た。
話しているうちに、仲田冴吏が秋絵達の同居人だと知れ、サークル参加を誘われた。
「どうせ、四年間も大学生活送るんだから、楽しんだ者勝ちでしょ?」
そう言われて、何となく納得した。
「けど、役者は無理だよ?」
「イイよ。 他にも色々、仕事はあるから。 一緒にやろう!」
裏方を手伝う方向で、入会の話が決まった。
十八年間、何時も一緒に行動して来た双子は、その活動範囲の違いで、徐々に其々の道を進み始める事になる。
利知未も新学期が始まり、益々、勉強が大変になった。
佳奈美の家庭教師が無い日は、帰宅後、三、四時間は勉強机に向かう。 それでも樹絵の勉強を見る事は無くなった。 いくらか楽にはなっている。
夜は毎晩、朝美と晩酌をし、偶にはアダムやバッカスへも顔を出す。
毎週日曜日は、特に用事が無ければ倉真とツーリングへ出掛けた。 準一も時には混ざり、更に稀に、宏治が混ざる。
ゴールデンウイークには、和泉達が克己の長男を見に行った。 その日は久し振りに、四人でツーリングへ出掛けた。
仲間でツーリングへ出掛けた日、宏治から、樹絵の話が出る。
「里真から聞いたけど、大学の先輩と付き合い始めたって?」
「そーみてーだな。 ま、イイんじゃネーか?」
宏治に振られて、倉真が答えた。
倉真は、新年会からの流れがある。 樹絵から、相談とも報告とも取れる様な電話を受けていた。
倉真の誕生日ごろの話だ。
利知未は今年、倉真への誕生日プレゼントを贈るべきか、贈らないで置くか、悩み続けていた。
『付き合ってるって訳でもないし……。 変にプレゼント贈ったりして、あたしの気持ちに気付かれるのも、何だよな』
悩み始めて、勉強が手に付かなくなる。
去年はアダムでバイトをしていた。 デザートを奢って、祝いの気持ちを伝えた。 あの時は、今以上にプレゼントを交わす様な雰囲気でもなかった。 あれで丁度良かったと思う。
倉真からも、利知未の誕生日には、夕食を奢ってもらった。 特にプレゼントを貰ったと言う訳でもない。
『あらかじめ用意して置くんじゃなければ、まだ平気か……?』
あれから一年経ち、今の二人の距離は、少しは近づいて来た。
『今年は、誕生日プレゼントくらい贈っても、イイかも知れない』
「次の約束、行き先はまだ、決まって無かったよな」
カレンダーを見て、小声で呟いた。
四月二十日の日曜日は、ツーリングと言うより、街中を流した感じだった。
何時も通りに、利知未が倉真のアパートへ回り、遠出を止めて元町へと連れて行った。 春夏のジャケットを眺めて、一着購入した。 元々、欲しかった所だ。
ついでの振りをして煙草の専門店へ入り、以前の様にライターを眺めている倉真へ、何気なく声を掛けた。
「お前、やっぱソレ気になってんだな」
「眺めている分には中々、イイぜ?」
七千六百円の品だ。
やや、高いかとも思ったが、丁度良いかも知れないと、その場で購入した。
「三倍返し しろとは言わないから、安心しな。 一日遅いけど……。 誕生日おめでとう」
店を出て直ぐ、そう言って倉真へ手渡した。
利知未から、初めて誕生日プレゼントを貰った事が、嬉しかった。 購入までの経緯や、品物・値段の問題ではない。
ライターを渡され、倉真は照れ臭そうな笑顔を見せた。
その夜、樹絵から倉真へ電話があった。 恋愛問題で繋がった戦友に、大学入学後の報告と、少し相談をしたかった。
「今日、利知未とデートだったんだろ?」
樹絵にそう聞かれて、倉真も悪い気はしない。
「そう言えない事も、ネーのか」
「倉真は否定しないんだよな。 どうなってるんだ?」
「どうなってるって?」
「利知未はデートって言うと、否定するんだよな。 ……照れてるだけかな?」
「その意見も、間違えじゃネーだろーとは思うぜ?」
「相変わらず、微妙な感じだな」
「そーだな。 大学はどんな感じだ?」
「面白いよ。 勉強は、やっぱ苦手だけど。 ……あのさ、あたし、大学の先輩と付き合って見ようかと思って」
「いい奴、居たのか?」
「悪い人じゃないよ。 歓迎コンパの時、酒飲んで一緒に騒いで、気が合った。 ……だけど、好きかどうかって言われたら、まだ良く判らない」
「付き合ってみて、好きになれればイイんじゃネーか? もうチョイ相手の事知って、駄目なら別れちまえば」
「そんな、簡単な事でイイのか?」
「……俺も、綾子と付き合い始めた頃は、良く分かってなかったからな。 それでも付き合ってく内に、好きだと思えた時期があった」
「そーか。 ……そーだよな。 兎に角、相手の事をもっと見てみなきゃ、分からないよな」
「だと、思うぜ?」
「サンキュ。 ちょっとスッキリした。 …倉真は、頑張れよ?」
「頑張るしかネーだろ」
樹絵に応援されて、電話は終わった。
ゴールデンウイークのツーリングで、倉真は始めて、仲間の前で利知未を呼ぶ。
何度も電話で話したり、二人で出掛けたりした日々の中で、照れ臭い思いが漸く、薄れて来たらしい。
二人の様子に、準一が反応を示した。 宏治を捉まえて聞いてみた。
「何時の間に倉真と利知未さん、そーなったんだ?」
「そうなったって?」
「カップル誕生って事じゃ、無いの?」
「まだ、微妙そうだよ」
「なのか? けど、二人の雰囲気、今までと違うよ」
倉真と利知未は、二人で自動販売機の前に居る。 ジュースを選びながら、幸せそうな笑顔を見せていた。
「おれも、そう見えるんだけどな」
それでもバッカスで飲んでいる時など、宏治が少し突っ込んで聞いてみても、何時も利知未から誤魔化される。
『何か、怖がっている様にも、見えるんだよな……。 らしく無い気もする』
宏治は、最近の利知未を、そう見ていた。
自販の前で、利知未がふいに、小さく笑った。
「どーかしたか?」
「別に。 ……やっと、慣れてくれたんだと思っただけだよ」
ついさっき、自販の前から利知未を呼びかけた事を、思い出す。
「…俺は、構わないんだけどな」
呟く。 利知未が小さく首を傾げる。
今は仲間から少し離れている。 利知未に、女らしい雰囲気が出る。
「後ろで、何か噂されてそうだな」
倉真はチラリと、宏治たちを振り向いた。
宏治と準一は何やらこちらを指差して、話をしている様子だ。
利知未もチラリと後ろを向いて、ポロリと漏らす。
「もう、イイけどな……」
倉真との関係をどう言われても、構わない様な気もし始めている。
『ただ、……それで倉真が、変に構えるようになったら、やっぱり嫌だけど』
「利知未は、樹絵ちゃんの事、解ってるんだよな」
始めに、宏治と話していた内容を思い出して、倉真が言った。
「ジュンのことか。 諦めたのかな? とは、思ったよ」
倉真が缶珈琲を受け口から取り出し、金を投入し直して利知未に促した。 促されて、選び始める。 甘さ控えめの珈琲が見つからなくて、緑茶に決めた。
「サンキュ、後で小銭できたら返すよ」
「奢るぜ、こンくらい」
「ンじゃ、奢られとくか。 ……樹絵の事は気になるけど、本人の意思に任せるしか無いと思ったんだ」
「……利知未が心配しなくても、イイと思うけどな」
「そーなんだけどな。 お前と同じだ」
「……?」
「ほっておけない感じが、するんだよ。 樹絵は」
自分と似た所がある点で、倉真も樹絵も、利知未にとっては心配な相手だ。
倉真は、利知未の気持ちを理解した。
連休中の一日。 利知未は昼間のアダムへ顔を出す。
「早いな。 この街へ来て、9年も経ったよ」
久し振りにカウンターで、懐かしの味を楽しむ。
「お前との付き合いも、9年になる訳だな。 漸く、お前が居ない店にも慣れたな」
「四ヶ月も掛かってんだな、慣れるまで。 寂しいと思ってくれたのか?」
「仕事が大変になった。 始めの三ヶ月は日曜の外出も出来なかった」
「妹尾もいなくなって、苦労してんだろ?」
「新しくバイトを入れた。 今までのお前と妹尾の変わりは、長嶋と別所が頑張ってくれている」
皐月はホールへ出て、別所がカウンターへ入っていた。
マスターと利知未の関係については、疑ったままだ。 偶に会話をする二人を、チラリと見てしまう。
「別所、この珈琲も覚えたか?」
視線に気付いて、利知未が別所へ声を掛けた。
「何とか。 それ、メニューの最後に教えて貰いました」
「そーか。 相変わらず、この珈琲が終了試験か?」
「そうだ。 珈琲は、そいつを淹れられて合格だからな」
「珈琲メニュー全部覚えないと、昼のカウンター任せられないモンな」
「瀬川さんは、どの位でカウンター任されたんですか?」
「あたしは、それでも四ヶ月は掛かったか?」
「三ヶ月だったな。 今の所、お前が一番優秀だ」
「おれは、つい最近ですから、五ヶ月掛かりました」
「それでも、妹尾よりは優秀だな。 妹尾は半年掛かったか?」
「七ヶ月だ。 紅茶は茶葉の種類だからな、ブレンドをする必要は無い」
「一応、珈琲が喫茶アダムの、表看板だからな」
「メニューの数から違いますよね」
会話に参加する別所の姿は、それなりにカウンターにも似合っていた。
樹絵は克己の家へ行った翌日、デートへと出掛けて行った。
「これから出掛けるの? 駅まで一緒に行こう」
秋絵に言われて、二人で下宿を出る。
「秋絵も約束あるのか?」
「サークルの話し合い。 今度作る映画の作品決め」
「学校ある時にやらないのか? そー言う事」
「決まり切らなかったんだよね。 で、冴吏に候補作品の直しをしてもらって、今日それを皆に渡すの」
「そうなんだ」
駅へ向かうバスの中で、秋絵が言い難そうに聞いた。
「ね、樹絵。 ……ジュン君のこと、諦めちゃったの?」
「……諦めたって言うか。 ……って言うか、秋絵、気付いてたんだ」
「そりゃ、分かるでしょう。 ずっと一緒に居たんだから」
「…そーか、バレてたんだ。 …秋絵は、好きな奴いないのか?」
「…わたしも、この前、付き合ってくれって言われた」
「サークルの先輩か?」
「違うよ、同学年」
「どーするんだ?」
「うーん、そう言う風には、アンマリ思えないんだけどな」
「嫌な奴なのか?」
「でもないよ。 樹絵は、好きで付き合ってるの?」
「……あたしも、良く分からない。 けど、嫌いじゃない人だから、付き合ってみることにした」
「そーだったんだ」
樹絵が黙って頷いた。 秋絵は樹絵と、初めてこの話をした。
『つまり、まだ、ジュン君の事は好きって、事なのかな』
余り釈然としなかった。 それでも、樹絵がこれからどうするかは、自分が口を出す事ではない。 話を変えて、駅で樹絵と別れた。
二
五月三週目の土曜日、久し振りにバッカスへ顔を出す。
「また、振られた」
「ここの所、連敗中だな」
「価値観が同じコを見つけるのは、至難の業だ」
「お前の場合、普通と価値観が違い過ぎるんじゃないのか?」
和泉に突っ込まれ、利知未たちにも頷かれてしまう。
今日は五人が集まった。 準一が春休み頃から付き合い始めた彼女? と、早くも上手く行かなくなってしまった。
「トーコさん、また遊んでくれないかな」
準一が、あっという間に気分を切り替えて利知未に言った。
「樹絵ちゃん達も最近、彼氏が出来ちゃったから、遊びに行く暇、無くなっちゃったんだよな」
「それで透子か? イー加減にしろ。 …お前、本気で誰かを好きになる事、無いのか?」
「好きな子は、結構いるんだけどな。 一緒にいて本当に楽しい子は、中々いない」
「お前の乗りに付いて行ける子が、中々いないんだろ」
「そーなのか? …倉真は、利知未さんと何時から付き合い始めたの?」
準一に突っ込まれ、利知未が酒を吸い込んで咳き込んでしまう。
「大丈夫か?」
倉真が、隣で利知未の背中を叩く。
「…付き合ってるって、そー見えたのか?」
漸く咳を収めて、利知未が準一に言った。
「違うの? けど、喋り方変わって、呼び方も違うじゃん?」
「お前だって、喋りは変わンないだローが」
「けど、オレは利知未さんを呼び捨てるなんて、恐ろしくて出来ないぞ?」
「喧嘩になった時、お前じゃ勝てないダローからな」
倉真が誤魔化した。
そう思われるのなら、それでもイイとは思う。
けれど本当の所、まだ利知未から、完全に頼りにされる様にはなれていない。 利知未自身からも、そう言う雰囲気になる事はあっても、積極的なアプローチを受けた覚えも無い。
「そーだな。 ジュンがあたしより喧嘩強くなったら、サン、取って呼ぶか?」
倉真の言葉に、利知未も合わせた。
「そんなん、一生、無理そーだ」
「だったら一生、そのままだな」
「そー言う理由なのか?」
「例えだ、例え」
宏治が和泉とチラリと視線を合わせて、話の向きを変える。
「秋絵ちゃん、映画サークルに入ったんですね」
「里真から聞いたのか?」
「里真からも聞いたけど。 撮影場所にココを貸してくれないかって、聞かれたんですよ」
「ドンな話なんだ?」
「内容は詳しくは聞いてない。 ただ、どうやら冴吏ちゃんが台本、書いたみたいだな。 多分、利知未さんが主人公のモデルなんじゃないか?」
「そうなのか?」
「チラリと、ココでの撮影プランを見せて貰っただけですけど。 そんな雰囲気でしたね」
「…冴吏の奴、勝手に人をモデルにする癖、あるんだよな」
「中学時代に書いた台本も、そうでしたね」
「そーなん? どんな話だったんだ?」
「殆ど多重人格の、女の子が主人公だった」
「言うな、思い出したくも無い」
可笑しそうに話し出す宏治に、利知未が仏頂面で突っ込んだ。
バッカスからの帰り道、倉真が利知未を送って行く。
「すっかり、習慣だな」
「何が?」
「お前に、バッカスから送って貰うの」
「迷惑か?」
「そんな事は、無いよ。 ……ただ、何か、くすぐったい感じがする」
二人の時、利知未の雰囲気は変わる。 その利知未を可愛いと、倉真は思う。
『付き合うとか、付き合わないとか、どういうタイミングから言うものなんだろう?』
ふと、そう思った。
利知未は、倉真と二人の瞬間に、気持ちが落ち着く。
『もう、心配な事、殆ど無いな』
倉真を見てハラハラしていた頃が、懐かしいくらいだ。
『最近は反対に、倉真に心配かけてる……』
関係が、逆転してきたと思う。 …それとも、これで対等なのだろうか?
何気なく、利知未が倉真の手へ、自分の手を伸ばす。
倉真は、その手をしっかりと繋ぐ。
『……小学生みたいだけど、こうしてもらうと、ホッとする』
そんな風に感じて、利知未は少し照れ臭い。
……どんどん、倉真の事が好きになっていく自分を、実感した。
『出来れば、このまま引き寄せたい位だな……』
利知未の手をしっかりと繋ぎながら、倉真は思う。
……けれど、彼女はまだ、自分に涙を見せない。
『本気でこいつ守ろうと思うなら、もっと頼りがいがネーと駄目だな』
倉真は、握っている手に力を込める。
利知未は何かを感じ、その手を軽く握り返した。
翌日、日曜日。 樹絵は今日もデートだ。
待ち合わせの場所へ着き、彼を待つ。 暫くして、相手が詫びながら現れた。
「ごめん、十分遅刻か?」
「いーよ、行こう」
準一よりも、身体付きが逞しい。 いかにも、体育教師を目指している青年らしい、健康的な外見の持ち主だ。
「先輩、車かバイクの免許、持ってないのか?」
「あんまり、必要じゃないからな」
「そっか」
準一のタンデムシートへ乗せて貰った時の事を、思い出す。
「あったほうが、いいかな?」
「無ければ無くて、構わないんじゃないか?」
「そうだよな」
樹絵が付き合い始めた先輩は、内藤 誠一と言う。 樹絵より二歳、年上だ。 準一と比べれば、かなり真面目なタイプだ。 無骨な見た目に似合わず温和な性格だった。 樹絵の、遠慮の無い雰囲気に惹かれた。
「部活、今日は無いんだよな?」
「試合前って訳じゃ、ないからな」
「結構、呑気な部活なのか?」
「試合前は、日曜も祝日も無くなるよ」
内藤はボート部に所属している。 上腕二等筋が中々、立派だ。
何処へ行きたいか、決めてきた訳でもなかった。 本屋へ立ち寄り、映画雑誌を立ち読みして、気になる作品を見つけた。
「映画、行こう」
「面白そうなの、あったか?」
「うん。 それから飯食って、ボーリング」
「そうするか。 今日は、樹絵ちゃんよりいいスコア、出さないとな」
「負けないモンね」
本屋を出て、先ずは映画館へと向かった。
前日、利知未たちはバッカスの看板まで飲んでいた。 昼頃に起き出して、電話をした。
「倉真、タマには映画にでも、行ってみないか?」
「そーいや最近、見てネーな」
「アクションで、面白そうなの見つけた」
「なん時からだ?」
「今から出るなら、午後二時十分だな」
「どっかで飯、食って行くか」
「そーしよう」
電話を切って、外出の準備をした。
昨日会ったばかりだ。 それでも、一緒に居たいと思った。
『タマには、女らしい格好でもしてくかな?』
ジーパンを止め、夏物のパンツルックにした。 髪にも櫛をキチンと通し、軽く口紅も塗ってみた。
『……倉真、どんな顔するんだろーな?』
楽しみになって、くすりと笑う。 女らしい笑顔だった。
倉真のアパートで、チャイムを鳴らす。 少しドキドキした。
『何か、変な感じ……』
返事を聞いて、暫くすると、倉真がドアから姿を現す。
何が違うかは、直ぐには気付かなかった。 何時もと、何となく違う事だけには気づいて、動きが止まる。
「……なんか、変か?」
「…じゃなくて、何時もと違うと思った」
「少しは、気付けるんだ」
良く見て、唇の色が違う事、髪がキチンと整えられている事を知る。
「…後ろ、乗ってくか?」
「倉真の? …タマには、イイかな」
「メットは有るよな?」
「ココまでは、バイクだから」
「そーか。 ンじゃ、行くか」
玄関の鍵を掛け、駐輪所へ向かった。
映画館ビルの中にある店で、昼食を取る。
午前の回を見終わった客が、パラパラと入店して来た。 その中に、樹絵達を見つけた。 樹絵も気付いて、声を掛ける。
「あれ? 利知未! 珍しい格好、してるな」
言われて一瞬、照れる。
「樹絵ちゃん達も、映画か。 飯、これからか?」
「そう。 あ、この人、内藤先輩。 …付き合ってる人」
「初めまして。 樹絵ちゃん?」
この人達は? と言われる前に、樹絵が紹介をした。
「同じ下宿の、利知未。 先輩より一つ上。 医大生だよ。 で、一緒に居るのが倉真。 倉真は、先輩と同い年になるのか?」
「二十一か? なら、一緒だ」
特に二人の関係を、説明するのは止めた。 内藤は、勝手に恋人同士だろうと理解する。
何となく、相席をしてしまった。
午後一時過ぎだった。 チケットは、先に買ってある。
利知未は、いつもと違う格好を樹絵に見られた照れ隠しに、タバコを取り出して吸い始めた。 態度が普段に戻る。
倉真は、少し残念な気もする。 同時に、利知未の性格を思い、納得して小さく笑ってしまう。
『この変化は、ある意味嬉しい事では、あるよな』
自分だけに見せる、女らしい雰囲気。 それは、脈ありの判断に通じる。
「なんか、可笑しいか?」
倉真は樹絵に、突っ込まれてしまった。
「笑ってたか?」
「ニヤけてた」
「そーか? 気の所為だろ」
内藤は、人見知りするタイプでもないらしかった。 倉真が同い年だと聞いて、フランクに話しかける。
「邪魔して、悪いな」
「お互い様、ってことだろ?」
何となく、和泉を思わせる外見と雰囲気に、初対面の頃の和泉とは違う、穏やかな笑顔を見せる。
倉真は、樹絵から話を聞いていた事もあり、何気なく観察もしていた。
「この後、ボーリング行くんだ。 利知未たちは、これから映画か?」
「ああ。チケット、買ってある」
「どれ?」
利知未からチケットを見せてもらい、樹絵が言う。
「あ、これ、どっちにしようか迷ってたヤツだ」
「そうなのか?」
「うん。 結局、スポーツ映画にしちゃったんだ」
「こっちの趣味に、合わせて貰っちゃったからな」
内藤が言い、済まなそうな顔をする。
「いいよ。 まだ、公開始まったばかりだから、次で」
「悪いな」
「それよか、倉真、ボーリング上手いんだぜ? 折角だから、一緒に行きたいな。 ゲームも二人より四人の方が、楽しくないか?」
「おれは構わないけど、これから二人は映画を見るんだよな?」
「二時間くらいなら、どっかで時間、潰せないか?」
倉真がピクリと反応する。
「…面白そうだな。 樹絵ちゃん、上手くなったって言っていたな」
「あたしは、アンマリ得意じゃないからな」
「いいじゃん? 勝負しよう、二対二で! 待ってるからさ!」
「って、言ってるぜ?」
「…倉真は、ボーリング行きたいのか?」
「樹絵ちゃんがドンくらい腕上げたか、気になるな」
既に倉真は、戦闘モードに軽くスイッチが入っている。 利知未は小さく肩を竦めた。
「…仕方ない。 イイよ、直接、ボーリング場へ行くから、先に行ってな」
「やった! 先輩、倉真にも負けるなよ?」
「樹絵ちゃんより、上手いのか?」
「前はね」
樹絵が、不敵な笑みを見せる。
「あんまり、期待されてもキツイな。 じゃ、先に行って、練習しておこうか」
「フェアじゃネーな。 スポーツマンじゃ、ネーのか?」
「作戦は、必要だろう? かなり上手いらしいヤツを相手に、無謀な戦いは、挑むつもりは無いな」
「実力も知らずに、そー言う事を言うのか」
「樹絵ちゃんより、上手いって情報で十分だ」
内藤の言葉に、倉真は今の樹絵の実力を推し量る。 負けず嫌いに火が着いてしまった様だ。
倉真の微妙な表情の変化を見て、利知未は小さく笑った。
時間を見て、利知未と倉真が席を立つ。
「ンじゃ、後でな!」
「ああ、付き合ってやるよ」
男っぽい仕草で、内藤にも軽く会釈をして店を出る。
利知未たちが出て行ってから、内藤が言った。
「樹絵ちゃんと利知未さんは、仲がイイのか?」
「あたしが、利知未のミニチュアって言われてんだ。 良く、勉強見て貰ってたよ」
「成る程。 そうすると、樹絵ちゃんも後、二年したら格好良くなるかな?」
「それは、無理だろうな。 似てるって言われるけど、利知未みたいにはなれないよ、きっと」
それから、一時間ほど余裕を見て、ボーリング場へ向かった。
利知未は、映画館へ向かいながら、内藤に関する印象を倉真と話した。
「どことなく、和尚に近い感じか?」
「だな。 俺も、そう感じたよ。 悪い奴でもなさそうだ」
取り敢えず、樹絵の相手が安心できそうなタイプだと見て、利知未も倉真もホッとした。
「利知未が心配する事、無いって言っただろ?」
「だな。 …倉真こそ。 何だかんだ言って、実は樹絵の事、心配していたんじゃないのか?」
「…心配なのは、樹絵ちゃんじゃなくて、利知未だ」
「……?」
「面倒見がイイからな。 人のこと、気に掛け過ぎだ」
呟いた倉真の言葉に、利知未は一瞬、びっくりした顔をする。 直ぐに微笑が広がって、照れ臭そうな倉真を、横からじっと見つめてしまった。
二人きりになり、再び利知未から、女らしい雰囲気が現れ始める。
映画を見終わり、バイクを止めてある駐輪所へ向かう。
「このシリーズ、第三弾だったんだな」
パンフレットを片手に、利知未が言った。
「倉真の所、ビデオデッキあるよな?」
「一応。 殆どレンタルの、再生専用だけどな」
「前の二作、今度、借りてこないか?」
「気に入ったのか? いいぜ、レンタル屋のカードもあるし」
「…アンダー18ライン専用だったりして?」
「…そー言う事、突っ込むか? 普通のビデオだって、借りるぞ」
「冗談だ、冗談。 …けど、普通のビデオ、だって、って言う所が、微妙だな」
「シャーねーだろ。 相手、居る訳じゃ無し」
『そう言うこと言ってると、襲うぞ?』 と、言いたくなった。 ……言える訳が無い。
利知未は、相手が居る訳じゃなし、という言葉に、変に安堵する。
『……これからは二人きりの時、深酒は禁止かもしれない』
そんなタイミングがあったら、つい、誘ってしまいそうだ。
『…拙いな。 だんだん、そう言う風に倉真の事、感じて来たみたいだ』
まだ、自信は無い。 自分の態度がそうなってきた時、倉真が、女としての自分を、しっかりと受け止めてくれるのか……?
……それとも重荷になって、今の関係まで、崩れてしまうのか。
午後五時前に、樹絵たちと合流した。
「今から二ゲームやって、六時ごろか?」
「飯、食って帰るか?」
「そうだな。 その方が、いいかも知れない」
利知未と倉真の話を聞いて、樹絵が思いつく。
「ンじゃ、前みたいに夕飯、賭けよう!」
「偉い自信だな。 金、持ってるのか?」
倉真に突っ込まれて、樹絵が不敵に笑う。
「そっちこそ。 吠え面かくなよな?」
すっかり戦闘ムードだ。 利知未は内藤をチラリと見る。 目が合って、肩を竦めて、苦笑いを見せ合った。
樹絵の腕は、思った以上に上がっていた。 ボーリングをするのが久し振りだった倉真は、始めの内は押されてしまう。
内藤も、樹絵と何度かやっている。 もともと、運動神経は悪い訳が無い。
普通に、偶に遊ぶ程度の利知未が、足を引っ張ってしまった。
結果、個人的には倉真が、樹絵に僅差でトップに終わる。 二対二の勝負では、負けてしまった。
四人で夕飯を共にして別れた。 倉真が、利知未の分も肩代わりして払ってくれた。 アダムでのバイトを止めてから、小遣いに余裕がある訳でもない。
倉真のアパートまで戻り、自分のバイクに乗り換えて下宿へ戻る。
樹絵が、倉真のタンデムシートの利知未を見て、文句を言った。
「人には禁止するくせに、ズルイ!」
と、膨れっ面をしていた。
三
六月に入り、梅雨の時期だ。
大学にも、テストはある。 それでもアダムでのバイトを辞めてからは、勉強にも再び追いつくことが出来た。 そろそろ何か収入口を、探し始め様かと思い始めている。
『ここんトコ、出る一方だからな……。 準一が登録してる派遣会社、どんな感じか聞いてみようか?』
そう思って大学から帰宅後、バッカスへ行こうと決めた。
今日は金曜日だ。 恐らく、準一も顔を出すだろう。
準一は、六月頭の日曜日、透子を誘っていた。 前日に連絡を入れてみた。
「明日は、お財布君3号と会うから駄目」
「んじゃ、来週は?」
「来週は1号君だな。 今月一杯はスケジュール埋まってんの。 弟君と遊びに行けるのは、来月の中旬過ぎだな」
「ンじゃ、大学の後とか?」
「それも忙しい。 お財布君8号に格上げされたら、付き合ってあげる」
「そーくる? したら、キツイな」
「じゃ、諦めて来月まで待つんだな」
「仕方ない。 どっかに遊び相手でも、探しに行くかぁ」
「そーしなさい。 一応、夏休み入ったら一日くらい、空けといてあげよう」
「うぃーっす。 んじゃ、お休み」
「お休み。 カキ過ぎ注意! バイバイ」
電話が切れて、準一が呟く。
「カキ過ぎ注意って……。 流石、トー子さんだ」
やっぱ、オモシレー人だ、と、思ってしまった。
「利知未さんに、トー子さん攻略方法でも、教えてもらうかぁ?」
そう思った。
そのタイミングで、金曜のバッカスにて、利知未と顔を合わせる。
利知未は一度、下宿へ戻り、夕食と入浴を済ませてから、バッカスへ向かった。 店に着いたのは八時半過ぎだ。 思った通り、準一は来ていた。
「あ、利知未さんだ! ナイス・タイミング!」
利知未の姿を見た途端、準一がニカリと笑う。
「何か、アンマ良くない相談でも、有りそうだな」
「良くないって、言う程でもないと思うけどな」
「お前の相談は、女の事くらいだろーが」
「さっすが、よく解ってる! ま、飲んで、飲んで!」
ボトルを構えて、準一が利知未のグラスへ、酒を注ぎ始めた。
「ま、イーけどな。 あたしも準一に、聞きたい事があったんだ」
「なに? 先に聞くよ?」
「お前のやってる派遣、一日いくら位、稼げるんだ?」
「仕事によるな。 半日なら四千円くらい。 一日で六千から八千。 夜勤なら、一万から一万五千円くらいか?」
「どのくらい前から、仕事の予定、入れるんだ?」
「前日でも全然OKだよ。 利知未さん、やるの?」
「金、稼ぎ口がないと、やっぱバイクの維持費が辛くなって来た」
「だと、三万くらい有ればイイのか? なら、夜勤で二、三日もやれば、平気だと思うよ。 昼間なら、四、五日かかるな」
「半日なら、一週間って所か。 ……やっぱ、無理があるな」
勉強の進み具合を考える。 それでなくても、毎週木曜日は既に潰れている。 隔週で、火曜日も無理だ。
「後は、身体きついかも知れないけど、土曜の夜から日曜の朝までやって、日曜の半日で、二万弱は稼げるかな?」
常連組みの席で、利知未の話を美由紀が聞いていた。
「何? 月三万円くらい欲しいの? それなら金曜の夜、この店を手伝ってくれない? 月、四日。 日給で六千円くらいしか、出せないけど」
「マジで? けど、綺麗に化粧して、ってのは、無理だぜ?」
「利知未に、それは期待しないわよ。 それなら、あと一日、ジュンのやってる派遣会社でバイトすれば、必要金額はクリア出来るんじゃないの?」
「そーユー計算か……。 悪くは、無いな」
「利知未さんが入ったら、倉真もまた、毎週来そうだな」
「気心も知れてるし。 宏治も最近、金曜日は大変そうだものね」
「だな。 摘みの調理も、期待、出来そうだ」
「何だ? 利知未は、料理が得意なのか?」
常連の大熊が、目を丸くして会話に突っ込んできた。
「上手いですよ。 花見の弁当、美味かったよな?」
「利知未さんの料理食えるんなら、オレも毎週、来ようかな」
「準一は、今も毎週、来てるだろう」
大野も口を差し挟む。 準一は、常連組みからも、息子の扱いだ。
「二、三ヶ月に一日くらいは、来ない日もあるじゃん」
「同じ事だろ。 おれは毎週、来てくれても構わないけどな」
宏治が突っ込んだ。
「金はキッチリ、払ってるモンね」
「かなり、勉強してるけどな」
「だから、別の店で飲めないんジャン!」
「毎度あり」
利知未の返事も待たずに、勝手に盛り上がってしまう。
「金曜じゃ、看板までは無理があるぜ? 次の日、大学だ」
「いいわよ、〇時までで。 七時頃、入ってくれれば」
「それなら、平気か…?」
「来て貰えると、助かるわ」
恩のある美由紀に言われて、利知未は断れない。 実際、仕事自体はアダムでの経験もある。 好きな種類の事だ。
「…んじゃ、来週から来ようか」
「是非、そうして頂戴」
今日も金曜だ。 そろそろ、別の客も入り始める。 店も忙しくなって来た。
「アンマ、長居するのもなんだな。 ジュンの相談は、何なんだ?」
「トー子さんの攻略方法を、知りたい」
「 金 」
「そんだけか?!」
「それだけだ」
「キッツイな」
「他には知らネーよ」
「金かけたら、もうチョイ、扱いが良くなるって事だ」
「ま、お前じゃキス止まりだろうけどな」
「そんなん、掛け損じゃん!」
「同じ顔とするのは、気が引けるんだろ」
「やっぱ、弟止まりかぁ」
「弟とキスする姉貴がいるかよ? 玩具止まりってトコだ」
「マジ、珍しくショックを感じる」
「お前にも、デリケートな所があるんだな」
宏治が、珍しそうな顔をして、準一に再び突っ込んだ。
十時前には、バッカスを出た。 今日は、倉真が居ない。 準一と、途中までは一緒に帰った。 帰り道も、準一は相談の続きをする。
「弟と玩具は、どっちが各上なんだ?」
「透子か? どっちも、どっちだろ。 お前、まさかマジになってるんじゃネーだろーな……?」
「マジになってる気も無いけど、闘志は燃えてるかもしれない」
「珍しい。 火傷には、気を付けな」
「火傷、って言うのか?」
「近親相姦に、近いよな」
「そーか? ンな事、無いと思うけどな」
「お前、意外とナルシストだったんだな。 知らなかった」
「興味があるだけだよ。 世の中に三人は同じ顔のヤツがいるって、聞いた事あるし。 その一人がトー子さんなら、一度くらい味見してみたいな」
「……呆れたヤツだな」
「面白そーじゃん?」
余り、深い事は考えていないらしい。 相変わらず、ヘラリとしていた。
朝から雨模様の空が広がる、日曜日。 利知未は、朝美からリクエストを受けた。
「タマには、お弁当が食べたいな」
朝美は、本日もAシフトだ。 下宿を出るまで、まだ四、五十分は余裕があった。 利知未と朝食を取りながら、言い出した。
「何だよ? それは。 弁当作ってくれって、言ってンのか?」
「りっちゃん、話が解る! まだ、時間あるし」
利知未は今日、倉真の部屋へ、ビデオを見に行く約束だ。
「……シャーねー。 作ってやるか」
暫し考え、そう答える。
ついでに倉真の所へも、昼飯を持って行ってしまえと、思い付いた。 そのほうが、金が掛からなくて済む。
「サンク! ンじゃ、片付けは引き受けた!」
「それ位は、当たり前だよな。 …材料、有ったか?」
椅子を立ち、冷蔵庫を物色してみた。 鮭の切り身を見付ける。
「丁度イイ、これ、使おう。 握り飯と、惣菜二、三品で構わないよな?」
「十分です! ヨロシコ!」
四十分程で、出し巻き卵と握り飯、野菜炒めと、粉ふき芋など、三人分の弁当を作ってしまう。
「さっすが、利知未! イイ奥さんになれるよ。 あたしの嫁になる?」
「同性同士の結婚は、外国へ行かなきゃ、 無理だぞ」
「ンじゃ、早速、パスポート取って来よう!」
「バカ言ってないで、さっさと出ろよ? 遅刻するぞ」
「yes sir! じゃ、ね。 お弁当サンキュー!」
朝美がダイニングを出てから、利知未は二人分の惣菜と握り飯を、弁当箱へ詰めた。
それから、ゆっくりと支度をして、九時過ぎに下宿を出た。
今日も双子と里真は、それぞれ出掛けている。 冴吏は部屋で原稿用紙に向かっている。 美加は午後から、友達と遊びに行く約束があった。
朝美が仕事のある日曜・祝日。 里沙は十時頃、下宿へやってくる。
一通りの家事を終え、下宿に残っている店子達と、昼食を取る。 何人残っているかは、日によって、まちまちだ。 夕食の支度と洗濯物を片付けてから、午後四時過ぎには自宅へ戻る。
「最近、日曜に残ってるのは殆ど、冴吏と美加だけなのね」
昼食を取りながら、里沙が言う。
「皆、忙しいみたい。 利知未が日曜に居ないのは、昔から当たり前だったけどね。 里真も樹絵たちも、青春を謳歌してるから」
「冴吏は、そう言う相手は居ないの?」
「今は、原稿用紙が恋人。 美加も中々、そう言う話が無いよね」
「そう言う話って?」
「美加は、好きな男の子とかは、いないの?」
「うーん……。 判んない。 どう言うのが、好きって事になるの?」
「一緒に居ると楽しいとか、何時もその人のこと見ちゃったりとか、考えちゃったり、ドキドキしたり。 …って、感じ?」
「そうね、人、其々だとは思うけど。 そんな所かしら?」
「一緒に居ると楽しい子は、居るよ。 皆でよく、遊びに行ったりする」
「そうなの? 女友達ばっかりだと、思ってた」
「殆ど、そうだけど。 時々」
少し、首を傾げて考える。
「けど、友達はその中で好きな人が居るって、言ってた」
「美加は、居ないんだ?」
「居ない、かな…? 皆、同じで好きだから」
「美加には、まだ春は来ないんだな」
「貴女も、原稿用紙が恋人何て言っているんじゃ、まだまだ程遠い感じね」
「つい、冷静な目で観察しちゃうからな。 感情的に好きだとか、アンマリ無いかも……?」
「それなら当分、昼食時間が寂しくなる事も、無さそうね」
最近は、そんな話をしながら、のんびりとした時間を過ごしていた。
九時半頃、利知未が倉真のアパートへ到着した。
「今日は、歩きか?」
「雨、降ってるからな。 …ビデオは?」
「借りてある。 今日中に返せばイイ。 見終わってから、利知未を送りついでに返しに行く」
「どっちが、ついでだ?」
話しながら、部屋へあがる。
今日は、なるべく変な雰囲気にならない様に、利知未は気を付けている。
「昼飯、金の節約に弁当作ってきたよ」
「マジで?」
「嫌いなもの、無いか?」
「無い」
物凄く嬉しそうな笑顔を見せた。
利知未は、つい女の自分が顔を出しそうになってしまう。 慌てて視線を逸らす。
『子供みたいな笑顔だ……』 そう感じた。 可愛く見えてしまう。
『可愛いって、久し振りに感じたかもしれない……』
敬太の笑顔が、可愛く見えた頃と、寝起きの哲を見た時、以来だ。
二人で珈琲を飲みながら、呑気に一本、見始める。
途中で、アクション技の研究などし始めてしまった。 一作、見終わり、巻き戻して技を盗む。 久し振りに、利知未の合気道が出てしまった。
「イテテテ……!」
「あ、悪い」
慌てて、技を解く。
「つい、ムキになっちまった。」
利知未は、まるで中学時代に戻った様な雰囲気だ。 ヤンチャな男の子見たいになってしまう。
「まだ喧嘩、勝てネーかも知れネー……」
倉真が、自信喪失した顔を見せる。
「力技なら、あたしが負けるよ。 平気か…?」
「筋、違えたか?」
「解してやるよ」
倉真をベッドの上へうつ伏せに寝かせ、背中の筋を解し始めた。
少し、妙な気分になって来てしまう。
『ヤバイ……。 我慢、利かなくなりそうだ』 そのまま、二十分ほどして痛みが薄れ、倉真が思い始める。
雰囲気が、微妙に変わった倉真に、利知未も気付く。
『……拙いかも』 そう感じる。
倉真の背中をポンッと叩いて、言った。
「終了! 痛み、軽くなっただろ?」
「…どーも」
暫く起き上がれない。 利知未が時計を見て、空気を換える。
「そろそろ、昼だ。 飯、食わないか?」
「…そーだな」
「…大丈夫か?」
「平気だ。 飯の準備、頼む」
……倉真は、それから数分、動けなかった。
復活した倉真と、弁当を広げた。 旺盛な食欲に、利知未が目を丸くする。
「握り飯、足りなかったか……?」
「美味い。 …飯、炊くか?」
「惣菜、足りなそうだ」
「これだけありゃ、平気だよ」
「けど、これから炊いたら、遅くないか?」
「塩結びでも作って、見ながら食おう」
倉真が言って、立ち上がる。 キッチンへ立ち、手際よく米を磨ぎ始めた。
「お前、自炊するんじゃないか。 朝美より、よっぽど手際がイイ」
「米くらい、磨げるだろ?」
倉真は、少し照れ臭い。 自炊をしている事は、出来れば内緒にしておきたかったと思う。
「将来、倉真の嫁さんは、楽が出来そうだな」
利知未は、心の中で疼き始めた女の心を、押し込めた。
「……何年先の話だよ」
倉真の頭に、利知未と生活をする自分の姿が、一瞬、掠めた。
『早いトコ、この人を守れる男に、ならないとな……』
グズグズしていたら、何処かの誰かに、奪われてしまうかもしれない。
急速炊飯をセットして、ビデオの続きを見始めた。
二十分程で炊き上がり、利知未が手際よく握り飯を作る。 倉真もビデオを止め、利知未の姿を、ダイニングの椅子へ掛けて眺めた。
その光景に、二人は其々、幸せを感じていた。
『何時か、これが普通になれたら……。』
『……マジ、仕事、探し始めるか』
倉真の視線に気付く。 チラリと見て、目が合った。
「そんなに、珍しいか?」
「この台所に、女が居るのが珍しい」
「……出来たぜ? ビデオの続き、見よう」
敢えて男っぽい笑顔を見せて、雰囲気を変える。
『……倉真は、あたしの事、受け止めてくれるのかな?』 心は、そう呟いていた。
「そうだな。後、一時間以上、掛かる」
握り飯の乗った皿を持って、倉真が立ち上がる。
真剣に、先の事を考え始めた倉真の雰囲気は、また少し、変わっていた。
日曜日、バッカスはシャターを下ろしている。
中では、秋絵が所属している映画サークルの、撮影が行われていた。 宏治が立ち合って、里真も撮影を、興味本位で眺めている。
「壊れ物、入れ替え終わったよな?」
「完了。 正己、入れる?」
正己と言うのが、今回の主役の役名だ。 利知未、男バージョンとでも言えば、良いのかも知れない。 女顔の男、と言う設定だった。
「OK。 行けるよ」
バーテン役が、秋絵のツテでアダムの夜間バイト、近藤から教わってきたシェーカーの振り方を、さっきからずっと練習していた。
「シェーカーは、ウチじゃ使わないからな」
「利知未も、少しはやるんだって。 アダムのマスターが、教えてくれたよ」
「すみません、撮影、始めます。 お静かにお願いします!」
声が掛かって、役者が位置へ着く。 里真にも、声が掛かった。
「客のエキストラ、頼めないかって」
秋絵が言い、里真が宏治と顔を見合わせる。
「けど、私服だし、やったこと無いよ?」
「カウンターで、正己が乱闘始めたら、悲鳴上げてこう、隅へ逃げて、怖がっていて下さい」
「…どうしよう?」
「やってみれば?」
「…そうだね、面白そう」
宏治にも言われ、里真が指定された席へ腰掛けた。カメラが回り始める。
四
六月二週目の金曜日から、利知未がバッカスを手伝い始めた。
倉真の部屋で、ビデオを見ていた日。 利知未から聞いて、倉真が言う。
「だったら金曜の夕飯は、バッカスで食わせてもらいたいな」
「夕飯になりそうなメニュー、バッカスではやってないよな?」
「頼めば、出してくれるぜ? 前も無理矢理、美由紀さんにチャーハン作ってもらった事がある」
「だったら、構わないかな?」
「大丈夫じゃネーか?」
「…だな。 あそこは、もう殆ど家みたいな物だし。 じゃ、待ってるよ」
利知未は笑顔で、そう言った。
利知未が始めて、バッカスのカウンターへ入った日。 和泉と準一も現れる。
「本当に、始めたんだな」
和泉が、驚いて呟いた。
「だから、言ったじゃん! オレが一緒に居る時に話してたんだよ、ウソだと思うか?」
「いらっしゃいませ」
アダムでの、バイト経験が生きる。 反射的に利知未が、声を掛ける。
「倉真も、後で来るって言ってたよ」
「でしょうね」
利知未から聞いて、宏治は当然な顔で呟いた。
さっと、お絞りとコースターを、準一と和泉の前に用意する利知未を見て、美由紀が満足そうな笑みを見せる。
「教える事は、殆ど無さそうね」
「ンな事、無いよ。 スナックのカウンターは初めてだ」
宏治が二人に、仲間専用キープボトルを用意した。
「そーか。 宏治は、何時も飲めないで居たんだよな」
「仕事ですから。 タマには、飲んでましたよ?」
「利知未さん、我慢できるのか?」
「仕事だろ。 アダムでだって、目の前でカクテル飲んでる客を相手にしてたんだ。 平気だよ」
「ジュンと一緒にしない方が、良いだろう」
和泉に突っ込まれる。
「派遣の登録は、何時でも出来るよ?」
「そうだな。 明日、大学の後にでも、回ってみるよ」
「新刊の梱包仕事とか、工場や倉庫の仕事が多いけどな」
「街中で、ティッシュ配るよりは、向いてそうだな」
「そーかもね。 こないださ、遊園地で縫い包み被って、風船配ったんだよな。 したら、偶々、樹絵ちゃんたちがいてさ。 一緒に写真とか、撮った」
「デート中だったんだろ」
「そうみたいだった」
「…お前は、何にも感じなかったのか?」
「何が?」
「仲のイイ樹絵が、別の男と居る所を見て」
「特に、何にも感じなかったけどな。 和尚みたいなヤツだった。 樹絵ちゃんとは、似合ってるんじゃないか?」
「…そーか」
樹絵が、内藤の事を名前ではなく、先輩と呼んでいた事を思い出す。
『樹絵のヤツ、完全にジュンの事、吹っ切ったって感じでも、無かったんだけどな』
少し、複雑な思いだ。 けれど、相手が準一では、仕方が無い事かもしれないとも感じる。
暫くして、午後八時を回る頃、倉真が現れた。
「いらっしゃいませ」
「お、マジ、入ってる」
「ウソ言って、どうするんだよ。 飯は?」
「何か、食わせてもらえるか?」
「そうだな。 美由紀さん、勝手に材料使って構わないか?」
美由紀はボックス席で今日も、常連組みを相手にしている。 利知未に声を掛けられて、軽く振り向いた。
「良いわよ。 宏治と相談して、七百円くらいで見てあげて」
「了解」
冷蔵庫を検分して、焼き蕎麦を見つける。
「これ、使っていいか?」
「イイですよ。 それ作るなら、五百円計算くらいだな」
「ンじゃ、サラダもどきを付けて、七百円くらいかな?」
「そんな所ですね。 利知未さん、作ってくれますか?」
宏治が、倉真をチラリと見て言った。 倉真は敢えて、表情を変えない。
「やるよ。 けど、倉真じゃ1.5人前は作らないと足り無そうだな」
握り飯を、ガツガツ食っていた姿を思い出す。
「じゃ、三人前作って、半分をこっちに出してくれないか?」
田島が、そう提案してくれた。
「良いんですか? 摘みとして、注文受けて」
「構わねーよ。 利知未の料理の腕にも、興味があるからな」
大熊が答える。
「毎度あり!」
利知未が笑顔で答えて、調理を開始した。
九時近くなり、別の客が入り始める。 常連が殆どだ。 何時もカウンターに腰掛けて、飲んでいた利知未を見て、皆、驚いた。
カウンターの内側には、覚え書き程度の伝票が並んでいた。 注文が入るとチェックして、最後に合計金額だけを書いて行く。
「この伝票の書き方で、よく間違えないもんだ」
利知未が感心して、宏治に言った。
「慣れですよ、慣れ。 利知未さんも、直ぐ覚えますよ」
準一と和泉は、十時近くなり、店が込み始めたのを見て席を立つ。
「倉真は、まだ飲んでいくのか?」
「直ぐ裏手だしな。 もう暫く、飲んでく」
「そうか」
和泉と言葉を交わし、ロックを飲む。
『どうせだ。 利知未が終わるまで飲んで、送ってくか』
そう考えていた。 少しでも長く、利知未の顔を見ていたいと思う。
利知未は今日、一度下宿へ戻り、夕食を済ませてから手伝いに来た。
バイクで行こうかとも思ったが、倉真がきっと、今夜も送ってくれるのではないかと、期待していた。
『……甘えても、イイ、よな…?』 そう、思い始めていた。
それから毎週金曜日、倉真が飯を食いに来るようになった。 必ず、利知未の仕事が終わるまで待ち、送って行く。 美由紀もそろそろ、気付き始める。
「あんたも宏一も、頼りにならないわね」
「どういう意味だよ?」
「倉真に、利知未、取られちゃったわ」
「おれは、里真と付き合ってるじゃないか」
「宏一には、中々イイ人が、出来ないわねぇ…」
利知未も商店街常連組みも帰った、0時過ぎ。 美由紀がカウンターへ入り、宏治にぼやいていた。
六月三週目、金曜日。 利知未がバッカスを手伝い始めて、まだ二日目の事だ。 帰り道、利知未を送りながら、倉真が言う。
「今年は、月曜だな」
「何が?」
「利知未の誕生日だ。 …予定は、あるのか?」
「…特に、何も無いよ。 大学行って、帰ったら勉強するだけだ」
「仕事の後になるけど、飯でも食いに行くか?」
「倉真が、祝ってくれるのか?」
びっくりして、嬉しそうな顔になる。
「……他に、誘ってくるヤツ、いなけりゃな」
「…誘ってくるヤツ、居る様に見えるか?」
居て欲しくは無い。 無言になる。
「お前くらいだよ。 サンキュ。 ンじゃ、少しはまともな物、奢ってもらえるのかな?」
「アンマ、堅っ苦しいトコじゃなけりゃ、平気だぜ?」
「じゃ、考えとくよ」
女らしい笑顔を見せる。 倉真は、自分から利知未の手を探ってみる。 応えて、利知未も倉真と手を繋ぐ。 二人の、照れ臭そうな視線が合った。
準一は今日も、透子に電話でアタックだ。
「仕方ない。 明日、大学の後、チョコっとだけ付き合わせて上げよう。 特別措置だかんね。 感謝して、ご飯くらいは奢りなさい」
「マジで? ラッキー! いいよ、アンマ高いトコは無理だけど」
「男のレベルに合わせるのも、イイ女の資格ってヤツよ。 弟君には、そんな期待はしていない。 その代わり、利知未の事よく解ってる所で、役に立ってもらうカンね」
「利知未さんのこと? 何か解ンないけど、了解! んじゃ、大学まで、バイクで迎えに行く」
「五時前には拾ってね。 じゃ、バイバイ」
「バイバイ!」
電話を切って、ガッツポーズが出る。
「何か、ナンパ成功した時より、達成感あるな」
呟いて、鼻歌交じりで入浴を済ませた。
準一は五月最終日から今日までで、透子に十回は電話を入れていた。 二日に一度くらいの計算だった。
透子は、利知未への誕生日プレゼントを探しに行く予定だ。
「ま、バイクでも足にはなるな」
そんな計算で、準一からの誘いを受けた。
透子から利知未へ贈ったものは、酒だったり、口紅だったり、色々だ。
『今回は、どうしようかしらん?』
最近、利知未は大学でも、可愛い様子を見せ始めている。
『コスメセット第二段は、金が掛かり過ぎるな』
利知未が持っていない様な物で、女の株が上がる様な何かを、探そうとは思っていた。
準一が五時前、約束通り透子を拾いに来た。
「トー子さん!」
バイクへ寄りかかり、透子を待っていた。 元気に手を振って合図を送る。
「オネー様とお呼び。」
「トー子オネー様。 何処、行く?」
「先ずは横浜駅前辺りまで、乗せて行ってもらおうか」
「OK」
準一からタンデム用ヘルメットを渡され、素直に被った。
街乗りなら、準一の運転もさほど怖い事は無い。 それでも、透子から突っ込まれてしまった。
「弟、アンマ運転上手くないな。 利知未の方が上手いぞ?」
「利知未さんの後ろ、乗った事アンだ」
「チョコチョコね。 高校時代はイイ足だった」
「そっか、高校時代からの友達なんだな」
「車の免許、持ってないの? お財布君じゃなくて、運転手君にして上げてもいいよ」
「マジで? なら、取りに行こう」
「精精、頑張って。 さて、利知未へのプレゼント、探さないとな」
準一は透子の言葉で、利知未の誕生日が近かったことを知った。
今年、透子が選んだプレゼントは、色っぽいデザインのランジェリー・セットだった。 準一は、初めて入ったランジェリーショップで、恥ずかしげもなく観察して回る。
「楽しいか?」
「楽しい。 あ、トー子さん、」
「オネー様。」
「トー子オネー様、これ、似合いそう」
「利知未には、でか過ぎだな」
「利知未さんじゃなくて、オネー様に」
「買ってくれんの?」
「…無理だ」
金額を見て諦めた。 万単位だ。
「女の下着って、高いんだな」
「ピンきりだね。 ココのは結構、値が張るよ。 年に一度の誕生日プレゼントだし、いくらか張りこんで上げねば。 アタシの時にも期待出来なくなっちゃうでしょ」
「確りしてンな」
「友情が深いのだよ、利知未とは」
「成る程」
準一は、本人から否定されても、利知未は倉真と付き合っているだろうと思っていた。
利知未のことだ。 人に話すとは思えないが、透子はどうやら、利知未に男の影が有る事に、気付いているらしい。
「友情が深いって、ことか」
妙に納得顔で、頷いてしまった。
日曜日、利知未は始めて、派遣でのバイトを経験した。
イベントの準備・撤収仕事だった。 他の仕事に比べて日給が良い。
『結構、力仕事だな』
駅ビルの前に、ステージを作っている。
今日ここで、テレビ番組の撮影が行われる予定だ。 駅ビルとイベント提携しているらしい。
派遣の仕事は雑用だ。 ステージの材料を運んだり、支えたり、パイプ椅子を客席になるスペースへ用意したり、組みあがったステージ上の掃除をしたりする。
それでもティッシュ配りよりは、利知未向きかも知れない。 朝早くから夕方まで、重労働だった。
『ジュンのヤツ、こんなことやってて、何で筋肉付かないんだ?』
準一の、何時までも細身の身体を思い出す。
準一は今日から、普通自動車の免許を取りに行き始めた。 透子に言われ、取り敢えず車も持ってみようかと思う。
『やっぱ、ドライブとか行った方が、進みが速いだろうな』
女の子達との関係を思う。 透子も、どうにかなるかも知れない。
『けど、したらバイクと車の維持費、キッツイだろーな……』
免許を取っても、当分はバイクが足になりそうだと思った。
同じ日曜。 日が暮れ、街へ明かりが溢れ出す頃。 樹絵は、内藤と山下公園に居た。
この時間になると、周りはカップルだらけだ。 樹絵も雰囲気に流されて、ファーストキスを交わす。
薄く開いた瞳に、内藤の背後で、ライトアップされたマリンタワーが映り込む。 ふと、何時か、準一と二人で出掛けた日の事を思い出す。
樹絵の目から無意識に、涙が一筋、流れ出した。
「……樹絵?」
「……ごめん、あたし」 何かが、違うと思う。
「先輩の事は、嫌いじゃないけど……、でも」
内藤が、無言で樹絵を見つめる。
「違う、みたいだ…。 ……今まで、ありがとう。 ……バイバイ」
内藤の腕から、するりと抜け出た。 そのまま、駅へ向かって駆け出した。
その後姿に、内藤は何かを感じてしまった。
「……本気で、おれと付き合っていたんじゃ、無かったのか?」
内心では、解っていた事だと思う。
『樹絵ちゃんは、一度もおれを名前で呼んだこと、無かったな……』
「振られちまったみたいだ」
声に出して、呟いた。
何故か、自分の目から流れ落ちるものを、樹絵は走りながら、袖で拭う。
『……先輩、ごめん。 でも、やっぱりジュンのこと』 忘れられないみたいだ、と思う。
『アイツと居ると、イライラしっぱなしだったけど……。 ……それでも、楽しかった』
気持ちが明るくなった。 何時も笑い声が絶えない時期があった。
『もう少し、よくジュンのことも、考え直してみよう……』 それで、駄目なら。
また新しい相手を探すか? それとも浮気にイライラしながら、準一のことを好きで居続けるか…?
『ゆっくり、時間を掛けてみるしか、無いか』
決心をして、電車に揺られる。
窓の外、マリンタワーの光が、後ろへと流れて行く。
秋絵は本格的に、告白してくれた同級生と付き合い始めた。
川崎 徳雄は、眼鏡を掛けた、大人しげな青年だった。 血液型は、A型だ。
その特長をよく反映した、真面目な性格の持ち主だった。 役者ではなく、主に撮影スタッフとして、特にコンピューター関係を請け負っていた。
自前のパソコンが、部屋に三台はあるらしい。
「出来れば、そう言う仕事に就ければいいんだけどな」
「だったら、どうして、この学校へ来たの?」
「堅実な職業もしながら、副業でやった方が、安全だと思った」
「……確りしてるんだね」
「確実に、やり続ける方法考えた方が、長く出来るだろう?」
秋絵と、そんな会話をする。 そう言う性格だ。
今日も撮影中だ。 冴吏が進み具合を眺めに、やって来た。
「頑張ってる? 差し入れ持って来たよ」
里沙お手製のケーキだ。 美加が朝から手伝っていた。
冴吏のファンは、二年の先輩だった。 休憩中、冴吏に紹介してくれと、せがまれた。
「デビュー作も、この前の読み切りも読みました! 次は何時、掲載されるんですか?」
「また、九月号に載る予定。 今、執筆中だよ」
気楽に答えて貰って、思い切り喜ぶ。
「絶対、読みます! ハードカバー、まだ出ないですよね。 待ち遠しいなぁ…!」
「まだ二作じゃ、ページ数が足りなさ過ぎだし、もう少し人気が出ないと無理だろうな」
「友達に紹介します!」
「ありがとう」
「今、撮影してるの、仲田さんのオリジナルなんですよね? 滅茶苦茶、嬉しいんですよ! 好きな作家のオリジナル作品、撮影出来てるなんて、まだ夢見てるみたいだ」
「カメラマンなんだ。 イイ絵、撮れてる?」
「うちの役者、結構、絵になるんですよ。 あれが、正己役の藤澤 守。」
「本当に女顔なんだ。 秋絵から聞いて、面白そうだったから思い付いたの」
「モデルが居るそうですね。 今度、その人にも会ってみたいな。 格好イイ人何だろうなぁ……。 フィルムに収めてみたい」
「利知未は、嫌がりそうだね」
秋絵の言葉に頷く冴吏を見て、正己のモデルが女だと知った。
話を聞いていた一同が、思い切り驚いていた。
五
翌日、月曜は利知未の誕生日だ。
倉真は急いで仕事を終え、何時もより早くに営業所を出る。
「なんだ、今日は用事でもあるのか?」
仲の良い社員が、倉真の急ぎ振りを見て、声を掛ける。
「チョイ、約束あるンす」
「女か?」
「……ま、そんなトコっす」
「明日、遅刻するなよ」
「それは、大丈夫だろーな」
利知未との今の関係では、これから会っても、遅くなる理由が無い。
「付き合い始めたばっかりなのか?」
「…付き合ってる、って、事にしてイイのか?」
「微妙そうだな。 ま、頑張れ、お疲れ」
「お疲れっす。 お先」
それでも嬉しげな後姿に、話していた社員が、ニマリと笑った。
利知未は一度、下宿へ戻った。 倉真は急いでも、十八時半は過ぎてしまうと言っていた。
夕飯は奢ると言うのだから、入浴だけ済ませておけば、帰宅後、直ぐに就寝できる。
美加が、今年もプレゼントをくれた。
出かける前、透子から大学の学食で貰ったプレゼントを、開けてみた。
「……こんなの、何時、着ければいいんだよ?」
つい、呟いてしまう。
箱の中身は、紫と黒の、レース編みデザインのブラとショーツ、キャミソールのセットだ。
「ってーか、アイツ、良くあたしのサイズ知ってたな……」
ショーツはSサイズ、ブラは65のCカップだ。
「キャミは、Mサイズ寄越しやがった」
着丈があるので、それで丁度だ。 余った胸の分が、少し下がって丁度良い。
文句を言いながら、サイズを調べて身に着けて見ている自分に、はたと気付く。 ……照れ臭いと思った瞬間に、ノックの音がした。 慌てて布団を被る。
「利知未、誕生日だろ? どっか出掛けないのか?」
樹絵が、返事も待たずに扉を開く。
「待て! 開けるな!」
何時もよりも、女らしい高めの声に、樹絵が一瞬止まってしまう。
利知未は布団の中から手を伸ばし、脇にあった洋服を拾った。 これから着て、出掛けようと思っていた洋服一式を、透子からプレゼントのランジェリー一式の上に、そのまま着込んだ。
「何やってんだ?」
「服、着替えてる所だったんだ。 お前、返事くらい待てよな」
「何時も平気で、目の前で着替えてるじゃん」
「…そりゃ、そーだけどな」
漸く、布団から抜け出した。 身体のラインは、隠れないタイプの服装だ。
「これから、出るのか?」
「そーだよ。 何の用だ?」
「ン、と。 報告、しとこうと思って」
「何を?」
「…先輩と、別れた」
「…そーか」
ソファへ移動して、タバコに火を着けた。
「ま、イーんじゃ無いか。 自分の気持ちに、素直に行動すれば」
「……だよな」
「ジュンのヤツ、確り監督しておいた方が、いいと思うぜ?」
「……利知未には、バレてたモンな。 最初から」
「いつかの、賭けの話か?」
「うん」
「お前、下手な小細工出来ないタイプだと思うぞ。 ジュンは結構、鈍いからな、苦労すると思うよ」
「解ってる。 もう少し、時間は欲しいと思うけど……」
「のんびり、行けばいいさ」
「そーする。 …倉真と、デートか?」
ニヤリとして、樹絵が言う。
「デートって、……そうかもな」
利知未は小さく、首を竦めて見せた。 時計を見る。 樹絵が気付く。
「ごめん、出掛けに、邪魔しちゃった」
「いいよ、もう、出るだけだ」
灰皿で、タバコを揉み消した。
「利知未、誕生日おめでとう」
「サンキュ」
「…楽しんで来いよな? 倉真とのデート」
肯定してしまった後だ。 素直に頷いて、樹絵を押して部屋を出た。
酒を飲みに行こうと思っていた。 最寄り駅で倉真を待った。
「ワリー、遅れたか?」
「大丈夫。 今、来た所だよ」
「ンじゃ、行くか」
頷いて、自然に手を繋ぐ。 利知未は、何時もよりもまた、女らしい雰囲気を見せる。
倉真は利知未の腕を、自分の腕へと抱え込む。
「タマには、そう言う振りするのも、良くないか?」
「……イイよ。 じゃ、今日は恋人同士のつもりで、行こうか?」
「ああ」
腕を絡めて、歩き出した。
『敬太との、デート以来だな』
そう感じて、益々、女らしい雰囲気が出て来た。
『……何時か、克己と振りしてた時、ミテーだな』
倉真はそう感じて、嬉しい気分になった。 利知未の喋り方も、少し変わった。
『電話で話してたとき、こんな感じだったな』 更に、そう思う。
それから利知未の案内で、大学近くの、ビア・ホールへ向かった。
今日で、利知未が二十二歳、倉真は既に二十一歳だ。
「倉真が、二十歳過ぎたら飲みに行こうって、行ってただろ? 一年経っちゃったけど、改めて、どっか行きたいと思っていたんだ」
「酒豪同士には、丁度のデートコースだよ」
「だろ?」
男言葉でも、可愛らしい感じだ。 利知未の新しい一面の発見だった。
席に案内され、ビールで乾杯をする。
「なんだ? これ」
写真付きのメニューを見て、巨大なウインナーが、バーから下がっているのを見つける。
「花火、ついてんのか?」
「写真では、そうなってるな」
「頼んでみようか?」
「そーだな。 後は、腹が膨れそうなモン、何か無いか?」
「これなんか、良いんじゃないか?」
「ピザも良いな」
ボーイを呼んで、摘みをオーダーした。
倉真の腹具合に合わせた。 暫くして運ばれてきた皿で、テーブルの上が一杯になる。
「こんな食えンのか?」
利知未が目を丸くしていた。
「入るぜ? お前だって、食えそうじゃないか」
倉真から、お前、と呼ばれて、素直に嬉しいと感じる。
『やっと対等って、事かな……?』
何と無く、照れた様子を見せる利知未を見て、倉真も照れ臭くなる。
『取り敢えず、今日は恋人気分で、イイんだよな……?』
気持ちを納得させて、すっかり、そんな気分で時を過ごした。
皿の2/3程の料理が腹に収まった頃、巨大ウインナーが運ばれた。
「マジ、花火が付いてる!」
利知未が、びっくりしている。 初めて、そんな表情を見た時を思い出す。
『キャビンで、樹絵ちゃんのねずみ花火に、驚いた時みたいな顔だな』
あの時、可愛らしく見えたことも、思い出される。
「火、着いてるよ? すっごい、キレイって言うより、面白いな!」
小学生に戻った様な雰囲気だ。 はしゃいでいる。 倉真はまた、利知未の新しい一面を発見できた。 運んで来た店員も、利知未の様子を見て微笑ましい顔だ。
花火が終わり、残骸だけ先に処理し、一口サイズにキッチンバサミを使って切り分けて、皿に盛り直した。
「ごゆっくりどうぞ」
会釈をして、下がって行った。 二人の目が合って、利知未が照れた顔を見せる。 倉真は改めて、利知未を愛しく思う。
楽しい時間を過ごして、一時間ほどすると、倉真が真面目な顔になり、話し始める。
「来年の春頃までに、就職先、探す」
「バイク便、辞めるのか?」
「ああ。 マジ、将来まで考えて、整備工場を探すつもりだよ」
「良いんじゃないか? 夢があるんだから、頑張らないとな」
少し間を置いて、倉真が言う。
「……お前が応援してくれるンなら、頑張れそうだ」
利知未は笑顔を見せる。
「勿論、応援してるよ。 元、城西中学応援団部・マネージャーだ。 頑張ってるヤツ、応援するのは好きだ」
「そーいう理由かよ」
「他に、理由が欲しいか?」
「…イイよ。 それで、十分だ」
「……ンじゃ、もう一つ理由、つけよう。 今日は、恋人同士のつもり何だから……」
少し照れた様子で、利知未が言った。
「恋人を応援するのは、当然。 ……それで、どう?」
「満足な言葉を聞けたよ」
倉真が、イイ笑顔を見せてくれた。 利知未は、また倉真に惹かれる。
『今日だけは、本当に恋人と過ごしている気分でいよう……』
そう思うと、自然と態度が、改まる。
二時間、ビアホールで過ごした。 帰り道、倉真からプレゼントを貰った。
「何、選んでいいか、判らなかった。 利知未は、アンマこーゆーモン、好きじゃないかとも思ったんだけどな……」
倉真から渡された、細長い箱の包装を解く。 中から、一粒真珠のネックレスが出て来た。
「店員が、六月の誕生石は真珠だって、言ってたんだ。 デザインされたのも見せられたんだけどな。 シンプルな方が、イイかと思った」
「…サンキュ。 これなら、今日の格好でも平気そうだな」
取り出して、その場で身に着けた。
「…どう?」
「似合うんじゃ、ないか」
照れ臭そうに、そっぽを向いてしまう。
『頬っぺたになら、イイかな……?』
何時か、克己に悪戯を仕掛けた時の様に、背伸びをして耳の横へ、キスをした。
倉真が、びっくりして利知未を見る。
「……プレゼントの、お礼だよ」
視線を逸らして、倉真の一歩前を歩き出す。
直ぐに後ろから、手を掴まれた。 倉真が追いついて、利知未の手を自分の腕へと移動する。
「まだ、今日は終わってないよな?」
「……まだ、十二時前だよ」
頷いて、素直に腕を組んだ。
来た時よりも確りと腕を絡め合い、寄り添う様にして、歩き出した。
下宿の前まで送ってくれた。 絡めていた腕を解き、向かい合う。
微妙な雰囲気が二人の間に流れた。 そのまま、キスを交わしそうになる。
「……残念、時間切れ。 今、十二時回ったよ」
「マジ? ……本当だな」
倉真も腕時計を見る。 肩を竦めて、利知未から一歩離れた。
「今日は、サンキュ。 また、バッカスで」
短く返事を返し、倉真が道を引き返す。
その後姿を、利知未は見つめ続けた。
直ぐに、7月に入った。
利知未達の夏休み前、準一は漸く、自動車の免許を手に入れた。 その日、透子が大学を終わる時間を見て、正門前までバイクで向かった。
今日も、バイクに寄り掛かって、透子を待つ。
「トー子さん!」
声を掛けられ、透子が気付く。
「何だ、弟。 オネー様とお呼びと、言ってあったよな?」
「オネー様、ご報告があります」
ニマリと準一が笑って、免許証を印籠ヨロシク、透子の目の前へと掲げる。
「で? 車は?」
「キッツイな。 今日、取ったばっかりだよ」
「免許があっても、車がなければ意味なし! けど、丁度いいからバイクで送って行ってよ」
「運転、下手だけど?」
「事故らなきゃ、平気。 折角、免許取ったんだから、お祝いくらい付き合ってあげよう」
「マジで?」
「時間を上げるんだから、ご飯奢ってね?」
「…リョーカイ。 確り、ヘルメット持ってきてたりして」
「用意が良いな。 ンじゃ、行こうか」
透子をタンデムシートへ乗せて、走り出した。
ファミレスに入り、夕飯を奢る。
「ところで、利知未はどう?」
「どうって?」
「男と、少しは進展ありそうなの?」
「倉真か?」
「ほー、いつか学祭に来た、アイツが相手か」
「知らなかった?」
「言わないからな、アイツは。 プレゼントの効果は、あったのかと思って」
「特に、変わってないみたいだけどな。 前より、少しはそう言う感じに見えてきたよ」
「らしくないな。 イイ男が居たら後先考えず、ヤっちゃうような女が」
「そーなんだ、知らなかった」
「この辺りに、赤い痕付けて来た事だってあるよ? 利知未は」
言いながら、自分のシャツの襟元を大きく開いて、指を指す。
「マジ? 何時頃の話だ?」
「大学、一年の頃」
「やっぱ、利知未さんは早かったんだ」
「弟、知らなかったのか?」
「そー言う雰囲気、出さないからな。 あのヒト」
「高校一年の頃には、既にお盛んだったよ。 アタシも人のこと言えないけど」
「げげ! 高校一年って言ったら、まだFOXで歌ってた時ジャン!?」
「バンドのドラマーが、お相手だったみたい」
深く考えないで、さらりと、利知未の秘密を透子が漏らす。
「スクープだ。 今、結構、人気あるんだよな、敬太さんが叩いてるバンド」
「みたいだね」
「ンじゃ、倉真とは、ドーなってんだ?」
「アタシが聞いてんでしょーが。 っても、弟は知らないのか……。 詰まらん」
「ところで、弟って、止めない?」
「どう呼んで欲しいの?」
「ジュンって、呼んでよ? オネー様。」
「車、買ったらね」
「ンじゃ、頑張るかな」
「ガンバンな。 アタシは懐の大きい女だからね、二週間待ってあげるよ」
「二週間!?」
「弟と遊びに行ける日まで、二週間しかない。」
「…借金、するかぁ?」
暫し考え、準一が言う。
「取り敢えず、レンタじゃ駄目?」
「間に合わなかったら、考えてあげるよ」
「9月まで待ってくれたら、ちゃんと車買うよ」
「中古で、イイ女を誘うのか?」
「イイ女は、お財布君のレベルに、合わせてくれるんだよね?」
「言うな。 ま、イイよ。 その代わり、始めに乗せなさい」
「買ったその日に、迎えに行く」
「当然だな」
準一は、すっかり透子から、玩具にされていた……。
それから準一は、週に六日でバイトを入れた。
『からかわれてるだけか?』 とは、流石に思う。 けれど、闘志が燃えている。
『ま、当分、飽きなさそうだ』
上機嫌で、日々を過ごした。
十日、樹絵から、連絡があった。
「ジュン、日曜は休みか?」
「流石に、休んでる」
「じゃ、次の日曜、遊びに行かないか?」
「樹絵ちゃん、デートが忙しいんじゃないか?」
「…別れたから、時間が空いた」
「いいよ。 次なら、空いてる」
樹絵も、嫌いじゃない。
一緒にいて楽しい女の子のは、今の所、利知未を除いては、双子と透子だけだ。 その翌週は、透子との予約がある。
「じゃ、バイク、乗せてくれよ?」
「OK。 十時頃、迎えに行くよ」
約束をして、電話を切った。
十三日、日曜日。 久し振りに、樹絵と二人で遊びに行った。
喫茶店で話している時、準一が何気なく言った。
「樹絵ちゃんの相手って、和尚に似てたよな」
「ジュン、会った事、無かったよな?」
首を傾げる樹絵を見て、準一がニマリと笑う。
「五月頃、遊園地で縫い包みと写真撮っただろ?」
「……撮ったけど。 何で、知ってるんだ?」
「あれ、オレが入ってたんだ」
言われて、真っ赤になる。 ムカッとした。
「何で、言わなかったんだよ?!」
「デートの邪魔しちゃ、悪いかと思って」
「…それで、ジュンは何にも、感じなかったのか?」
「別に。 結構、似合ってたと思ったけどな」
「……そーか。 でも、別れちゃったよ」
「勿体無いな」
「本気で、そう思うのか?」
「オレ、今、連敗中だかんね。 トー子さん、一筋縄じゃいかないよ」
「トー子さんって、…利知未の友達の、透子さんの事か?」
「そ。 すっかり、遊ばれてるみたいだ。 けど、オモシレーんだよな、あの人」
ヘラリとする準一を、イライラとして眺めてしまった。
『……やっぱ、ジュンはあたしの事は、何とも思ってないんだな』
改めて確認してしまい、悲しくなってしまう。
急に、言葉が少なくなった樹絵の顔を、準一がやや下から覗き込んだ。
「どーしたん? 暗くなっちゃって」
「……別に。 何でもないよ」
それでも、半分は覚悟をしていることだ。 樹絵は気分を切り替え様と、努力した。
それから何でもない振りをして、一日二人で遊んだ。
『何時か、準一があたしのこと、好きになってくれる事って、あるのかな……?』
樹絵は、その思いを当分、隠しておくことにした。
六
夏休み、利知未はなるべく、派遣のバイトを入れて行くことにした。
『それでも、一学期の総復習は、必要そうだ』 戻ってきたレポートの、ランクを眺める。
「良くてB、平均C」 声に出して呟いて、溜息が出てくる。
単位を落とす程の心配は無いが、勉強が必要だと思う。
金曜日は、変わらずバッカスを手伝う。
時間を延ばす事も考えたが、倉真の事を思う。
『帰り道、二人で居られる時間が、大切な気がする……』
今の所、友達よりは進歩した感じもあるが、倉真の思いは、まだ聞けない。
『……やっぱり、自分らしく、無いかな?』
好きだと思った相手には、何時でも自分から積極的だったと思う。
けれど倉真が相手だと、やはり構えてしまう。
『今までが、今までだから……、ショーが無い』
自分の思いに、そんな理由をつけて納得させる。
利知未の誕生日以降、倉真も自分の思いを押さえ込むのが、きつくなって来た。 それでも、まだ利知未は自分に、本当に弱い部分は見せない。
『まだまだ、修行が必要って事か』
何時になったら、そこまで利知未にとって、頼りがいのある男になれるのか?
暗中模索している、と言う感じだ。
変わってきた倉真は、改めて現在のバイト先から社員勧誘を受け始めた。
「お前も二十一なんだよな? そろそろ真面目に就職先決めないと、女に捨てられるぞ?」
仲の良い社員から、そう言われた。
「バイク乗るのが好きで、やってるバイトだからな……。 考えてはいるンすけど、就職するなら、狙ってる職種があるんで」
倉真は、そう言って断った。
最近、職安にも顔を出し始め、就職情報誌を眺める毎日だ。
樹絵は、大学の友人と遊びに行く様になった。 友人の影響でネイルアートの店にも行って見た。
「爪もキレイになったし、今度は美容院行ってサッパリすれば? 樹絵はショートの方が、似合うと思うよ?」
そう勧められ、髪型も変えてみた。
準一に、女として見て貰える為には、少し、自分を改造する必要があるかもしれない、と思い始めた。
ショートヘアになった樹絵を見て、秋絵が言う。
「樹絵が短くしたんなら、わたしはもう少し髪、伸ばそうかな」
「髪型まで一緒になると、本気で判らなくなるモンな」
鏡の前に二人で並んで、そっくりな顔を眺めた。
準一は透子と約束の日、レンタカーを借りて出掛けた。
「『わ』ナンバーか。 仕方ないな。 今日の所は、許してやろう」
「秋まで待ってよ? 絶対、車買うからさ」
「イイよ、それまで弟君のままだな」
「今日は何処、行くんだ?」
「大きな買い物をしようと思ってんの。 荷物運び、ヨロシク」
「げ、それってデートじゃないジャン!」
「レンタカーの分際で、アタシとデートしようなんざ、甘い、甘い。 はい、出発進行!」
「…ラジャー」
やはり透子は一筋縄ではいかないと、改めて思う。
秋絵の所属する映画サークルの、作品が出来上がった。 脚本を担当してくれた冴吏も誘って、プレミアム上映をした。
「で、これを、どこかに出すの?」
「その予定だけど、そうしたら冴吏にも原稿料、必要だよね?」
「イイよ、今回は。 その代わり脚本の名前、変えといてね」
「どうすればいい?」
「そうだな。 ローマ字で、SAERIでいいよ」
「判った。 スーパー、変えとくね」
「ヨロシク」
出来栄えは、まずまずだと思った。
『大学の映画研究会にしては、頑張ってくれたかな?』 脚本家として、そんな感想を持った。
プレミアム上映を見に行って、冴吏のファンからサインをねだられた。
「学部の友人に勧めたら、6割がたイイ感触貰ったんですよ。 この映画、大学祭で上映したら、もっとファン増えないかな?」
「そうなったら、オンの字だな」
「イイ絵、撮れたと思うんですけどね」
「いくつかアングル指定、失敗したと思ったんだけど」
「何処ですか?」
熱心に聞き始めた。 そのまま反省会が始まる。
秋絵と川崎は、平坦な感じだ。
川崎が、あまり感情的になることが無い。 何時もどこか冷静に状況判断をする様子を見て、秋絵は、冴吏に似ていると思った。
「取り敢えず映画も撮り終わったし、どっか遊びに行かない?」
「何処へ行きたいの?」
「のんびり出来る場所もいいけど」
「ネットで何か調べてみよう」
「よろしくね。 夏休みだし、どっかへ観光旅行、行くのも良さそう」
「そうだな。 ホテルか旅館もチェックしておくよ」
泊まりで出かける約束も、冷静な反応だ。
『徳雄って、いつもこうだな』
そう思うが、そろそろ秋絵も、そう言うコトに興味を持ち始めた年頃だ。
相手として、嫌なヤツではない。
そうなった時、この何時でも冷静な男が、どう変わるかも興味がある。
『こういう理由での初体験願望も、ありかな……?』
川崎の影響かもしれない。 秋絵も、冷静なものだ。
里真は、そろそろ就職活動だ。
「短大だモンな、忙しない感じだ」
「けど、仕方ないよね。 皆、通る道だもん」
日曜の夜。 寄り添って二人、話す。
「宏治と、アンマリ会えなくなっちゃうかな……?」
「仕方ない。 まだ半年以上先の話だよ。 考え過ぎるのも良くない」
「……そうだよね。 じゃ、今のうちに一杯、一緒に居よう?」
宏治が頷いて、キスを交わす。 その日も二人は朝帰りだった。
里真は短大卒業後、埼玉の実家へ戻らなければならない。 就職もそちらで探す事になる。
最近は、平日の3日間は自宅から就職活動中だ。 宏治も日曜日休みだ。 週末になると下宿へ戻る、そんな生活だった。
宏治は、里真の就職活動に当たって、こちらに残って欲しいとは言わない。 その点が里真にとっては、悩みの一つだ。
宏治が、自分の近くで一人暮らしをしてでも、残って欲しいと言ってくれたのなら、そうしたいと思う。
宏治の思いは複雑だ。 里真と付き合って二年経つ。 やはり、自分とは環境が違うと思う。
里真の将来を考えた時、どうしても引き止める事は、出来ないでいた。
倉真は八月のある日、アダムのマスターから、突っ込まれた。
「お前、金曜は飯、どうしてるんだ? 六月頃から、来なくなったな」
「…利知未の飯、食ってますよ?」
少し、ふざけて答えて見た。 マスターが、両眉を上げる。
「にしては、別の日はココで食ってるな」
「常連、減ったら申し訳ないかと思って」
「毎日作ってもらえる関係には、まだ、ならんか。 のんびりしたモンだ」
「期待に応えるには、まだ当分、掛かりそうっスよ」
「苦労してるようだな」
「我慢するのが、大変だ」
何を指しているのかは、判った。
自分が、利知未と関係してしまった三晩を考えれば、まだ若い倉真が苦労しているのも、納得の思いだ。
「……いい店、紹介するか?」
「知ってるんすか? 奥さんが知ったら、修羅場だろうな」
自分と綾子が、同棲していた頃を思い出す。
「なる訳、ないだろう。 ウチのは素人を相手にするくらいなら、玄人相手に浮気する方を、推奨している」
「理解がある奥さんだな」
「羨ましいか?」
「何でそうなるんすか? 焼餅焼かれた方が、マシだと思うけどな」
「それ以上の信頼関係が有るのが、夫婦じゃないのか?」
「奥さんの懐が、でかいだけっしょ?」
「そう言うことに、して置くか」
倉真相手に、自分たち夫婦の馴れ初め話をする気は無い。 話を変えた。
「利知未とは、よく会っているんだな。 またココにも顔出すように、お前からも言っておいてくれ」
「言っときます」
それでも倉真が、利知未の名前を呼び捨てる関係になったのを、嬉しいと思う。
早いところ、くっ付けば良いと、マスターは思っていた。
金曜日以外は、利知未は下宿で、相変わらず朝美と晩酌だ。
「毎週、送って貰ってるんだ。」
朝美が、毎週金曜日の、倉真の送迎を突っ込む。
「……送って貰ってる、だけだよ」
「最近、アクセサリーが増えたね」
利知未は、倉真から貰ったネックレスを、なるべく毎日身に着けている。 デザイン的に、服装に拘る必要も無かった。
敬太と付き合っていた頃、彼に会えない日は毎日、指輪を身に着けていた利知未を、朝美は知っている。
「イイだろ、どうだって」
「興味津々!」
「何にも、無いよ」
少し、剥れた顔になる。 朝美が相手だと、どうもポーカーフェイスを貫くのが大変だ。
「チャンス、待ってるんじゃないの」
「チャンス?」
「利知未、隙を見せないんじゃない?」
「……隙、見せるって言ったって……」
ポロリと零してしまう。 朝美がニマリと笑う。
「進展しなくて、悩んでるって訳だ」
「悩んでるとか、そー言うつもりは、無い」
「タマに、溜息なんかついてるジャン」
よく見られてるな、と、利知未は思う。
酒がもう少し進んだ頃、ポツリと告白してしまう。
「……今までの関係が、大事だから」
「利知未らしくないな」
「自分でも、そー思う。 けど、やっぱ倉真が相手だと、……怖い、のかな?」
「付き合い長過ぎて、今更、女として構って欲しいとは、言い難い訳だ」
「そー言う言い方、するか?」
「どー言う言い方したって、同じジャン」
「……そりゃ、そーだけどな」
呟いて、グラスの酒を飲み切った。
「急ぐつもりも、無いよ」
「待っててくれるのかな? のんびりしてて」
「……もし、倉真にそう言う相手が出来たら…、…それは、仕方ない」
「確りしな! アンタはそんな控えめな女じゃ、無いでしょうが」
「…こーゆーネタで、朝美から激励されるとは思わなかった」
「あたしは何時でも、可愛い妹分の味方よ」
「…サンキュ」
微かに笑顔を見せ、グラスを片付けに、ソファを立った。
樹絵の夏休みは、時間が空いてしまった。
『折角だから、バイトでもするかな』
そう思い始める。 手頃な所で、駅前のファーストフード店に、アルバイトへ行き始めた。
「時給は、アンマ良くないけど、時間的にも丁度いいから」
「だったら、アダムで雇ってもらえば、良かったじゃないか? 大学生は昼でも時給・九百八十円出してくれるぞ?」
決めてから、利知未に言われた。
「マジ? 二百円も違うんだ。 そんなに、繁盛してるんだな」
「社員が少ないからな。 バイトへ回す金も、有るんじゃないか?」
「つまり、雇用保険とか、基本月給とか抜きの、ボーナスも無しで、店側はお得な訳だ」
「サービス業なんて、何処もそんなもんだろ」
「成る程な。 今度、探す時は、決める前に聞いてみよう」
「ただし、扱き使われるぞ?」
「そんな風には、見えないよな」
「バイトに昼間のカウンター任せて、遊びに行っちまう店主だからな」
長年、付き合って来たマスターの事だ。 いくらでも憎まれ口は出てくる。
「利知未とアダムのマスターって、仲、良いんだな。 普通、元、雇用主の事、そこまでボロクソ言えるか?」
「マスターは、雇用主って言うより、年の離れたダチって感じだな」
深い関係が有った事は、勿論、言わない。
「ま、でも、解る様な気がするな」
偶に喫茶時間に顔を出しては、倉真と利知未の事をマスターと話している。 樹絵も既に、仲良しと言えるかもしれない。
「面白い人だよな。 流石、利知未と仲がイイだけの事はあるよ」
「どーゆー意味だよ?」
「利知未のダチ関係って、面白い人バッカじゃないか」
「倉真達の事、言ってンのか?」
「それも、そーだけど。 透子さんだっけ? ジュンが、オモシレー人だって、言ってたよ」
「アイツ、まだ透子、狙ってンのか?」
「みたいだよ」
「イー加減、相手にされてないんだから、諦めろって言ってやれよ」
「……あたしが、言える立場じゃないから」
樹絵の様子が、微妙に変わる。
「……お前ら、ノリは合ってると思うけどな」
「何時も、ハラハラするよ? アイツと居ると」
「けど、退屈もしネーだろ?」
「…確かに、そうだけど」
「透子に完全に振られたら、落ち込むと思うけどな」
「そーかもな」
「そン時、狙い目じゃネーか?」
「それまで、待つのか? ……上手く、行くかもしれないじゃないか」
「それは、有り得ネーよ。 あたしが保障する」
「……それなら、もう少し、待ってみようか」
「そーしてみな。 ……まだ、好きなんだろ?」
利知未に聞かれて、樹絵が小さく頷いた。
「ンじゃ、頑張れ」
利知未から笑顔で激励されて、樹絵は少し気分を取り戻す。
「二人の事、よく知ってる利知未が言うんだから、待ってみるのも悪くは無いか」
いくらか明るい表情を見せてくれた。
バッカスで、金曜日のカウンターへ利知未が入っている事を聞いて、宏治ご贔屓のホステス達が、顔を出してくれた。
「あ、本当に入ってる! 倉真君も来てるじゃない」
「どーも」
店に入るなり、千恵美が言う。 倉真が答えて、挨拶を返す。
「女性客、増えたりしてない?」
恭子がカウンター席へ腰掛けながら、利知未に言った。
「いらっしゃいませ。 今の所、それは無いみたいだな」
返事をしながら、お絞りとコースターを出す。
「水割りか?」
「何時も通りで」
「了解」
利知未とも仲の良いホステス達だ。 フランクに会話をしながらキープボトルを用意して、アイスとミネラルウォーターを出す。
宏治がグラスを用意して、何時も通り、二人の好みに合わせて、濃さの違う水割りを作る。
「店は? 今日は金曜日だから、忙しいんじゃないか?」
「利知未の様子を見に、態々、早くに上がらせて貰って来たのよ」
「よく言う! 今日は、ご指名客が少ないから、無理矢理に早上がりして来ただけでしょ」
「イーのよ。 利知未の様子を見たかったのは、本当なんだから」
「すっかり店でも、お局様だからね。 融通利くの」
「あんただって、同じでショーが」
相変わらず、賑やかな二人だった。
「終わったら、直ぐに帰るの?」
恭子に聞かれて、チラリと倉真を見た。
その微妙な視線に敏感に気付いて、千恵美が突っ込む。
「何? 二人は何時から、そー言う関係になっちゃったの?!」
「そー言う関係って、特に変わって無いっすよ」
「そー? 何か、怪しいな」
観察されて、視線を逸らした。 利知未も敢えて、話に乗らない事にした。
その日、利知未は看板まで残った。 明日の仕事があるにも拘らず、倉真も一緒になって、最後まで付き合って飲んでしまった。 美由紀も残業として、黙認してくれた。
八月の中旬、お盆前には、秋絵が泊りがけで出掛けた。 確り、恋人との関係を、深めて来てしまった。
「ね、何回位したら、気持ちイイって、感じられるようになるの?」
旅行から帰った夜。 晩酌をしている利知未を捕まえて、いきなり聞いた。
朝美も隣で、目を丸くする。 利知未は、酒を吸い込んで咳き込んでしまった。
「何で、そー言う事をあたしに聞くんだ?」
「情報が、入って来たから」
利知未の過去は、準一から樹絵、樹絵から秋絵へと、伝達されていた。
「…どー言う流れで、ンな情報が入るんだ」
「ニュースソースは、内緒」
「……知らネーよ。 自分で、体験して覚えりゃイイだろーが」
「りっちゃんってば、照れちゃって! カワイイ!!」
朝美が利知未の様子を見て、突っ込んだ。
利知未の、大学四年の夏は、身の回りが騒がしく賑やかな中で、過ぎて行った。
色々と思い出も増えたが、倉真と利知未の関係は、未だ微妙なままだ。
大学編・第七章 了 (次回は、1月 25日 22時頃までに更新予定です)
七章も最後までのお付き合いを、ありがとうございます。 この回の初稿完成は、2006年 6月16日となっておりました。
次回で利知未の大学編としては一端、区切りとなり、九章に当たる部分は『インターン編 一章』としての、お届けとなる予定です。
次章 告白 も、また予定通りの時間に上げられるように努力しております。 また来週、此処で皆様にお会い出来ますように。