第一章 「双子の狩人と天界学園」 その参
東京某所にある広大な敷地面積を誇る天界学園は、小学校から大学までエスカ
レーター式に進学でき、ほとんどの生徒が小学校の時から入学し、大学卒業まで
の時間をともに過ごす。一般的には知られてないが特殊な学校で、小学生より上
の歳からの入学者が現れることは稀である。故に新入学の生徒がいれば、瞬く間
に噂は広がった。
天野天魔と愛は支給された制服を着て天界学園高等部へと、春の爽やかな風に
導かれるように、桜舞い散る中を登校してくる。
「噂には聞いていたけど、この学園は無駄にデカいな」
天魔は高等部の敷地へと入るための必要以上に大きい、これでも裏門である城
門の如き門を見上げ呆れ気味に呟いた。
「当分の間、この学園が勤務地になるんだね。同じ年頃の子たちと過ごすなんて
初めてだし、なんだか楽しみ」
愛は天魔の肘の辺りをちょこんと掴み、嬉しそうに言う。
門は既に開いており、門番らしい箒を持った小柄な白髪の老人が、笑顔で天魔
と愛を迎え入れ、道に沿って歩いていけばいいと教えた。
二人の眼前には舗装されてない山道がずっと奥まで続いており、その左右に植
えられた桜たちは、狂おしいほどに満開の花を咲かせていた。一キロほど歩いた
ところからはレンガを敷き詰めた横幅の広い道となる。そこから五百メートルほ
ど進んだ辺りで左右にも道が現れ、同じように桜並木通りになっている。この辺
りからは登校してくる生徒たちの姿があった。
登校といっても学園の中にある高級タワーマンションの寮からだ。天界学園の
生徒は、小学生であろうと全員が親元を離れ寮で生活をしていた。
制服は学年ごとに色が違い、誰が何年生かは一目で分かる。高等部は一年生が
青と白を基調にしたものであり、二年生は白と赤、三年生は白と黄色と黒をうま
く組合せている。女子の制服はセーラー服が原型になっているが、その名残は少
ない。短いスカート、レース、腰には大きなリボン、例えるならメイドカフェの
制服に似ている。更に多くの女生徒がニーハイソックスを穿いている。だが女子
の制服に比べ男子の方はそっけなく、色合が学年ごとに女子とだいたい同じだけ
で、普通のブレザー系であり、手抜き加減がまる分かりだった。誰がデザインし
たのかは不明であるが、完全に自分の趣味に暴走していた。
校舎の手前には、行く手を阻むように枝が長く垂れ下がっている枝垂桜が植わ
っており、じっと見ていると語りかけてくる感じの、異質と称すべき存在感を示
していた。とにかく他とは比べものにならぬほど巨大な桜の樹だ。高さと根回り
は約十五メートルはあり、満開の花はまるで滝から流れ落ちる水のように見え、
まさに滝ザクラと称される天然記念物の桜と比べても見劣りしない。樹齢は千年
以上である。
天魔と愛は巨大な桜の樹の下で立ち止まり、見事に咲き誇る花を見上げた。周
りには大勢の生徒がいたが、その場にいた全ての者が動きを止め、天魔と愛に目
をやった。
全ての視線を一瞬で奪い釘付けにしてしまうほど、二人が並び桜を見る光景は
なんとも絵になる。しかし何十人といる全員が動きを止めた一番の理由は、凄ま
じい霊力を感じたからだ。
天界学園の特殊たる部分は、教員、生徒、用務員に至まで全員が霊力を持って
いるところにある。故に生徒たちは他者の霊力がどれ程のものかぐらい理解でき
た。だが天魔と愛は霊力を高めているわけではなかった。あまりにも桁違いの霊
力を秘めていたため、普通の状態でも圧倒してしまったのだ。慣れるまではこう
いった現象が続くだろう。
「いったい何者だ?」
「すげぇ、あの子、超可愛い」
「なにあのカワイイ生き物」
「なんなのあのイケメン。モデル?」
そういったヒソヒソ話があちらこちらから聞こえてくる。
その場にいる全生徒の視線が注がれていたため、愛は恥ずかしそうにモジモジ
していたが、天魔は気にする様子もなく、ただ桜を見上げたままである。
「テンちゃん、みんな凄い見てるよ。なんか恥ずかしい」
愛ははにかみながら呟く程度に発する。
「人前でその呼び方はやめろ。いつも言ってるだろ。つぎ呼んだらこれだぞ」
天魔は愛にだけ聞こえるように呟き、拳を強く握りしめて見せた。
「テンちゃんごめんね。あっ、また言っ」
ゴチンという音が、静まり返っていた辺りに響いた。無論その音は、天魔の拳
が愛の頭にヒットしたものだ。
様子を見ていた生徒たちは、狐につままれたように、何だかよく分からないと
いった顔をしている。
「うううぅ……痛いよテンちゃん……」
愛は頭を抱えてうずくまって痛がる。
「だから外で呼ぶなって言ってるだろうが」
天魔は眉間にしわを寄せ、いつもより低い声で言う。
「許してください、お兄様ぁぁぁ」
愛はまだうずくまっていたが、冗談っぽく返した。
「変な言い方をするなっての!」
天魔の怒りが更に高まったこの時、生徒たちの隙間を、穏やかな春風の如く軽
やかにすり抜け、気配もなく二人に近付く者がいた。
「随分と静かですねぇ。皆さんどうしたんですか」
突然現れたその者の声で、一時停止状態にあった生徒たちは動きを取り戻す。
その者は霊力を抑えておりそぶりは見せないが、只者ではないことが、天魔と
愛にはすぐに分かった。
「相変わらず素敵ね」
「男性なのに、なんて綺麗なのかしら」
「ホンと女の子にしか見えないわよね」
「女子の制服着てほしいよな」
生徒たちから、その者を見てそういった言葉が飛びかう。
「初めまして。高等部の生徒会長をしております、三年の新堂優樹です。以後お
見知りおきを。しかし、あの名高い天野家の御子息御息女と共に学園生活を送る
ことができるとは、なんとも幸せなことです」
優樹は既に二人のことをよく知っている口振りで、穏やかで丁寧な言葉遣いで
微笑みながら自己紹介した。
優樹は男性にしては少し小さく162センチ程で華奢に見え、髪は金髪で腰の
辺りまである。顔は女と言い切っていいほどの超美形で、声も美しく、大きな瞳
はグリーン、肌は色白で、フランス人と日本人のハーフだった。制服は当然、男
子のものを着ているが、違和感しかなかった。
因みに優樹がわざわざ口にした天野家とは、代々強い霊力を秘めたエリートの
家系である。他に日向家、大和家という一族がおり、天野家同様に強い霊力を生
まれ持つ一族だ。その三つの一族を三大宗家と称した。
天野家は三大宗家の中でも、特に強い霊力を持つ者を多く輩出しており、霊界
からも頼りにされ、一族の者は皆ハンターになっている。
しかし多くの者がエリートだともてはやしその力を妬むが、それは何も分かっ
ていない連中だ。その血筋のため力を欲しがる悪霊や妖怪は後を絶たない。それ
は体に取り憑き器とすれば、絶大な力を手にできるからだ。もしも体を奪われれ
ば、親兄弟や仲間に殺されるか、完全に取り憑かれる前に自害しなくてはならな
い。それ故に戦う運命からは逃れられない。生まれた瞬間から死ぬまで、更に死
んだ後もひたすら戦い続けるしかない過酷な宿命を背負う、哀れな一族なのだ。
だが他者がその力を妬むのは仕方がない事である。本当の苦しみなど、本人たち
にしか理解できないのだから。
そして天野家の人間である天魔と愛は、まだレベルは低いが既に霊界からハン
ターの資格を与えられている。
(この人……本当に男か?)
天魔は声に出さなかったが、そう疑問を抱くほどに優樹は可愛かった。
「さあ二人とも、理事長が首を長くしてお待ちしていますよ。私が案内します」
爽やかに微笑みながら優樹は言った。
「あ、ありがとうございます」
愛は天魔の後ろに半身を隠し、子供のように人見知りしながら、少しだけ目線
を上げ弱々しく発する。
それから二人は優樹に連れられ校舎の中へと消えた。が、この時、桜の木に身
を隠し、一連の様子を少し離れて凝視している者がいた。
「キイィィィィィ! なんなの、あのすましたブリッコ女は。新入生のくせにい
きなり目立っちゃって、まったくずうずうしい、絶対許さないから。でも隣の男
の子は素敵」
その者は親指の爪を噛み、ヒステリックに言い放った。
「おい、あそこに居るのって三年の早乙女薫さんだろ。相変わらずデカいなぁ。
どうしてもあの体に目がいっちゃうよな」
近くにいた二年の男子生徒たちが、隠れていた薫を見付けて言った。
「わかるわかる。見ちゃいけないと思うんだけど、見てしまうよな」
「ある意味ナイスバディだからな。胸は限界まではだけてるし」
「あれは絶対わざとだろ。見てくれって言ってるのと同じだよ」
「でも見ないほうがいいぞ。目があったら厄介だしな」
「それより聞いたか、新堂さんが言ってたこと。天野家だってよ」
「三大宗家の人間って初めて見たよ」
「やっぱ物が違うよな」
「あぁ、あの霊力は半端じゃないぜ」
「エリートってか、ムカつくぜ」
「あいつら学園に来て何するつもりだ。修行したりする必要あるのか?」
「そんなことどうでもいいだろ。あの子、可愛すぎるだろ」
「確かに可愛い。テレビに出てるアイドルがブスに見えるぐらいだ」
天魔たちが校舎へと消えた後、生徒たちは好き勝手に噂した。
ここでの噂が学園中に知れ渡るのに、そう時間はかからないだろう。だが噂は
回り回ってかなりの尾鰭が付くことになる。一つ例題を上げると、兄である天魔
は変態ドSの鬼畜野郎で、愛を奴隷のように扱っている、とかだ。やはり先程の
「許してください、お兄様」という、愛が冗談で言ったセリフが勘違いされたの
だろう。更に一週間後には、漫研によって十八禁のエロ同人誌が作られ人気とな
るのだった。
その頃、天魔と愛は優樹に連れられ理事長室へと辿り着いていた。
理事長室の壁紙は白とピンクのストライプで、応接セットも同じ色合だった。
そして空間の半分近くは、大中小の様々なカラーリングのクマのぬいぐるみで埋
め尽くされており、天井には大きなシャンデリアが取り付けられている。このメ
ルヘンチックな部屋を見て、愛はテンションが上がっていたが、天魔は嫌な予感
しかしなかった。
「初めまして、天魔君に愛ちゃん。私がこの天界学園の理事、徳川美雪よ」
優しそうな笑顔を浮かべ、軽い口調で言った理事長は女性だった。
美雪は理事長というわりに随分と若く見え、まだ二十代半ばといった感じで、
スタイル抜群で青い瞳の絶世の美女であった。艶のある漆黒の髪は腰の下まであ
り、色白の肌が髪の黒さを美しく際立たせていた。
天魔はできるだけ見ないようにしていたが、美雪のあまりに大きい巨乳とミニ
スカートから出るムチムチの太ももに、思わずチラチラと視線をやった。因みに
美雪の胸の谷間には、小さなクマのぬいぐるみが挟まっている。だが天魔はその
クマのことよりも、美雪の服装に疑問を抱いていた。
天魔の目線に気付いた愛は、天魔の脇腹に肘で軽く一撃を入れ、小さく「スケ
ベ」と呟く。
「バ、バカか、違うっての。勘違いするなよ」
「ふふふっ、可愛い子たちね、新堂君」
「えぇ、これからが楽しみです」
優樹と美雪は目を合わせ、意味ありげな笑みを浮かべた。それを見た天魔は寒
気に襲われブルっと震える。
「二人とも期待していますよ。でも学園生活の方も楽しんでね」
美雪の口調はとても穏やかで、性格も一見は温厚に見えた。だが特に男目線で
は、なんとも色っぽく妖艶な雰囲気を漂わせている。まるで異性を引き付け魅了
するフェロモンを全身から放出しているようだ。
「あのですね……理事長は、その、言いにくいんですけど、なぜ学園の制服を着て
いるのですか?」
天魔はどうしても気になり、躊躇いながらもそう尋ねた。
「だってぇ、可愛いんだもの。似合ってないかしら?」
美雪はグラビアアイドル張りのムチプリの体を見せ付けるように、何度もポー
ズをとって甘えた声を出す。少し制服のサイズが小さいのか、ポーズを変えるた
びに、ヒラヒラのミニスカートがめくれ、黒いセクシーパンツが姿を現す。
美雪は普段から日替わりで一年から三年の制服を着ており、今日は白と赤を基
調とした二年の制服であった。この理事長なればこそ、コスプレのような制服が
実現したのだった。
「いえいえ、よく似合ってますよ、理事長」
扱い慣れている感じで、優樹は透かさずフォローを入れる。
「それでは理事長、挨拶も終わりましたし、私たちはこれで失礼します。何かと
お忙しいでしょうから」
「えぇ、もう行っちゃうのぉ。いいのよ、たいして忙しくないし」
美雪は甘えた声を出し、天魔の腕をムニュっと胸にめり込ませ抱きつく。天魔
は迷惑そうに恥ずかしがっているが、無意識にその全神経は腕に集中していた。
途轍もない力を秘めた戦士であり、普段からクールな天魔だが、やはり思春期
の健康な少年であり、その柔らかく尚且つ弾力のある胸を、すぐには突き放せな
かった。
「まだ生徒会室にも顔を出さなくてはなりませんから」
「それじゃあ仕方ないわね。また後でね、天魔君」
美雪は残念そうに言ったが、後半の言葉は天魔の耳元で色っぽく発し、ウイン
クを付け加える。
優樹は終始困惑した表情の天魔と、楽しそうにしている愛を連れて理事長室を
出ると、そのまま生徒会室へと向かう。
「新堂さん、あの人が本当にこの学園の理事長なんですか?」
天魔は少し呆れ口調で訊いた。
「そうですよ。なかなかセクシーな人でしょう。生徒にも人気があるんですよ。
ただ禁句として、年齢は絶対に聞いちゃダメですよ」
天魔は力なく笑い、呆れるようにうなだれたが、その忠告を堅く肝に銘じた。
「でも理事長が強い霊力を秘めていることは分かりました。それに凄腕のハンタ
ーであることも」
天魔は美雪を前にした瞬間に、底知れぬ強大な力を感じ取っていた。幾度とな
く修羅場を経験して生き残った者だけが、自然とその身に纏う事ができる兵たる
雰囲気を、美雪はもっていた。そういった体に染み付いたものは、同じ兵同士に
は隠し通せるものではない。特に天魔はただならぬ気配を感じ取る感覚に長けて
いる。
「そう、あの人は強いですよ。と言うより怖いかな。だから怒らせないようにし
てくださいね。天魔君のこと気に入ってましたから、違う意味で襲われちゃいま
すよ。まあ男性的にはアリかもですけど」
優樹は意味ありげに言った後、いやらしい含み笑いをした。
天魔はまた力なく笑いうなだれる。