第一章 「双子の狩人と天界学園」 その弐
悪霊が滅されたことにより、これまで立ちこめていた暗雲は消え去り、辺り一
帯を包み込んでいた霧も徐々に晴れていく。
「まあ悪霊となってまで、現世にしがみつく気持ちも分かるけどな。この世こそ
が真の極楽だからな」
天魔は無表情で感情を乗せる事無く、意味ありげなことを徐に発した。
「そうかもしれないけど、後になって問答無用で地獄に落とされるよりかは、他
の生物としてでも輪廻したほうがいいと思うけど」
「今はまだ他人事だからそう言えるんだよ。いざ生まれ変わってみたら、ゴキブ
リだったなんてこと、あるかもしれないぞ、お前の場合」
「ゴ、ゴキ……無理無理無理無理っ、そんなの絶対嫌だよ! 絶対嫌だからね!
私は生まれ変わったらイルカさんになるんだから。ちゃんと閻魔様にも言ってあ
るし」
「バカかお前は。あの閻魔が個人の願いなんて叶えてくれるわけないだろ。もう
ゴキブリ決定だな」
「イィィィィィィィィヤァァァァァァァァァァッ!」
愛は思わず想像してしまい、頭を抱えながら膝から崩れ落ち、悪霊張りの断末
魔の悲鳴を上げる。
死んだ後に生まれ変われる事を知っていれば、一度でも人間として生きた者は
誰もがもう一度人間になりたいと願うはずだ。何故なら、天国や極楽などという
夢の世界はどこにもないが、あえて存在すると言うならば、それはやはり人間界
と言えるからだ。それ程に人間の世界には、あらゆる快楽が満ち溢れている。
「もしも全ての人間が、生まれ変われる事と、真面目に生きていた者だけが、も
う一度人間になれるチャンスがあることを知っていたら、この世から少しは犯罪
や戦争が無くなると思うか、愛」
「うん。絶対真面目に生きる人が増えるよ。だってゴキブリなんて嫌だもん」
また想像してしまった愛は、本当に嫌そうに顔を何度も左右に振った。
「まだそれ引きずってたのかよ。やっぱりいいや、お前とする話じゃなかった」
天魔は呆れながら呟く程度に発した。
「それより酷いよ、置いてくなんて。待ってって言ったのに。そういうのを世間
じゃ鬼畜って言って、気を付けないといけないんだよ。妹には優しく絶対服従な
んだからね」
甘えん坊のように天魔の服を掴みながら、愛は頬を膨らませ拗ねて見せる。
天魔はチラっと愛の顔を見るが何も言い返さず、そのまま服を掴んでいる愛を
引きずりスタスタと歩きだす。
「そういえば十年程前に、ここと似たような場所に来たことがあるよな。覚えて
るか?」
「う~ん……覚えてないかも。あの頃はいろんな場所で修行して、毎日のように死
にそうになってたし、どこで何をしたとか、ほとんど記憶にないよ」
「そうか……ならいいんだ」
何か大切な事を思い出したのか、天魔は一瞬だが悲哀に満ちた表情をした。
「明日からは東京だな」
廃墟の敷地内から出た天魔は、雲一つない青く美しい遠くの空を見詰めながら
穏やかに言った。
「うん」
愛は天魔を見上げながら小さく頷く。
しかし天魔が話しかけたように、生きている時に犯した罪の大きさで、地獄へ
落とされることを知っていれば、現世では殺人や戦争、その他の犯罪がなくなる
かもしれない。とはいえ突発的な犯罪までは抑えることはできないだろうが、何
より自殺する者が少なくなるだろう。自殺も結局は殺人だからだ。自分で自分を
殺しても、霊界で裁かれる時は殺人を犯した重罪者として地獄へと落とされる。
命とはそれほど重く尊いものなのだ。
だが神や仏は何も教えてはくれない。随分と意地悪だと言いたくもなるが、そ
れこそ神が快楽に溺れた人間に与えた試練なのだろうか。それとも何か深い意図
があって、人間を試しているのかもしれない。と、天魔はたまにそんな事を考え
ていた。
そして現在、この世を彷徨う悪霊の数は急激に増えていた。その大きな理由は
この時代に生きる人間の魂が汚れているからだ。今のこの世には、あらゆる快楽
が満ち溢れ、それを簡単に得ることができる。それ故に欲望は尽きる事無く、ど
こまでも高みへと手を伸ばし登ろうとする。何もかもがあるが故に満たされない
究極のところまで、人間の世界は行き着いてしまっていた。
更に悪霊となった魂は非常に扱いにくく、その中でも本当に邪悪な悪霊は強い
力を欲し暴れだす。そういった悪霊を、魂の監理者たる霊界が放置するわけがな
く、ハンターと称される者達を使い、回収作業を絶えず行っていた。だが急速か
つ大量に増え続ける悪霊の数に対し、霊界のハンターは人員不足に陥っている。
とにかく霊界では有能な人材が少なくて困っていた。
ハンターのほとんどは、生前に正しく生きた霊力の強い者達だ。その者たちが
霊界で特別に元の体を与えられ、ハンターとなっている。だが現在では、霊力の
強い者も例外なく、現世に溢れる快楽と欲望の衝動に負け、他界し霊界にきた時
点で少なからず魂は汚れている。それでは強大な力を持つハンターの資格を与え
られなかった。
危機を感じた霊界は、打開策として大胆かつ巧妙な策を打ち出す。それはなん
と人間界に学校を作ることだった。霊力のある者を全国から集め、ハンターや除
霊師の育成を始めたのだ。
その学校でハンターとしての力と正しい人格の育成をすれば、霊界からしてみ
れば一石二鳥であった。この学校の卒業生たちが社会に出た後も、生きながらに
してハンターの仕事をし、更にその者達が亡くなった後も霊界で体を与えハンタ
ーとして使える。
なんとも都合よく使っているが、それも人間のせいだと言われれば仕方がなか
った。
そしていま霊界は若い世代に期待していた。特にこの四月に高等部へと新入学
する予定の、十五歳のとある双子の生徒に。