第五章 「宗家の力」 その参
「愛、もういいだろ、それぐらいにしておけ。本当に死んでしまうぞ」
愛の側に移動して天魔が言った。その声で、愛は完全に正気に戻った。
役目を終えた天之御柱と妖刀霧雨は口寄せを解除され、煙に包まれ一瞬で消え
た。それに大蛇へと具現化していた巻物も、愛の送る戦闘モードの念が途切れた
ため、自動的に元の巻物に戻り手に納まった。
「私……またやっちゃったんだ。あの人、まさか死んでないよね」
正気に戻った愛は、秘沖の無残な姿を直視することができず、天魔に尋ねる。
「心配するな。あれぐらいでは死なないだろ」
天魔は秘沖の生死をちゃんと確認せず、適当に言った。
「先程の攻撃が「あれぐらい」ですか。まったく、呆れるしかありませんね」
優樹は左右に首を振りながら本気で呆れており、力なく笑った。
秘沖は天之御柱に押し潰され、陥没した地面に化石の如くめり込み倒れていた
が、まだ死んではいなかった。そして満身創痍ボロボロの状態であるが、なんと
か立ち上がろうとする。だがすぐには立ち上がれず、両膝をついて身を起こすの
が精一杯だった。しかしあれだけの攻撃を受けて動けるだけでも大したものだっ
た。そのタフさと立ち上がろうとする執念は、妖狐もそうだが称賛に値する。
「おっ、生きてる生きてる。なかなか元気じゃないか」
沙経は、壊れかけのおもちゃが面白い動きをしたかのように、今の痛々しい姿
の秘沖を見て本当に楽しそうにしている。
「なんであれだけ巨大な物に押し潰されて生きているのかしら。妖怪ならまだし
も、人間なら普通死ぬわよね」
薫は心底呆れながら発し、納得いかない感じで秘沖を見て首を傾げた。
「オーラを纏っていても、我々なら死んでいたでしょうね。恐らくあの男の霊的
体質が、極端に防御系に特化していた、と考えるしかありません」
優樹が導きだした答えは半分は正解だった。
「オーラが残っていなければ、間違いなく最後の御柱の攻撃で死んでいたな。や
はり愛はキレながらも冷静に、奴が防御できるようにオーラを残してやったみた
いだな。そうであろう、天魔」
「いや、それはない。完全に偶然だろ」
天魔はそっけなく言う。
「あら、やっぱりそうなのか」
「そうだ」
「どこまでも厳しい奴だな」
「まだ甘いぐらいだ……てか使ったろ、神通力を」
「ふっ、なんのことだ? 私は知らぬぞ」
「まあいいけどな」
天魔だけは沙経がやったことに気が付いている。
直撃の瞬間に沙経が神通力を秘沖に纏わせ、ダメージを大幅に軽減させていた
のだ。それがなければ、天之御柱の一撃で秘沖は確実に死んでいた。もしも沙経
が動かなければ、天魔が何かしらの方法で止めに入っていただろう。
秘沖の付けている狐の面は割れて落ちており、隠されていた素顔が現れる。目
は切れ長で鋭く、精悍な顔をしているが、頭部からの大量の出血により、はっき
りと顔は確認できない。ただ左の頬に、古傷と思われる大きな傷跡があった。
(あの顔と傷……やはりそうでしたか)
頬の古傷と顔を見た優樹は、秘沖が何者であるのか確信する。だがこの場では
口にしなかった。
秘沖は歯を食いしばり全身に伝わる苦痛に耐えていた。だが体は正直である。
その苦しみに耐えきれず、口から大量の血を吐き出し、咳き込みながら何度も吐
血した。骨折しているのも、一か所や二か所ではすまないだろう。
秘沖のそのボロボロの姿は、自業自得といえばそうだが、愛は後ろめたい気持
ちになっていた。
「認めぬ……お前……たちの力など……必ずこの手で……ころ……」
喋るのもままならない秘沖は、何度もどもりながら言った。だがすぐに苦痛で
顔を歪ませ、前のめりに崩れ落ちる。
秘沖の瞳は不倶戴天の仇でも見るような強い憎しみを帯びており、さし貫くよ
うに愛を睨み付けていた。やはり天魔と愛に、個人的な恨みがあるのは明白だっ
た。
「おい、隠れてる奴、そろそろ出てきたらどうだ」
沙経は突如、何者かに向けて言い放つ。この時、その者の存在に気付いていた
のは、沙経一人だけであった。
数秒の間を置いた後、観念したのかその者は、倒れている秘沖の側へと姿を現
す。他の者に悟られぬほどの気配の絶ち方と、移動時の身のこなしで、只者では
ないとわかる。そして戦闘態勢をとっているわけではなかったが、まったく隙が
ない。
「いやぁ、流石ですね。距離を取っているうえに、完璧に気配を絶っていたと思
いましたが、まさか気付かれていたとは」
その者は、敵意も殺意もなく自然体で、微笑みながら穏やかな口調で言った。
三十代半ばぐらいの男性で、細身の長身、漆黒の長髪と瞳であり、一見は病人
と思えるほどの色白の肌をしていた。少したれ目な感じと、インテリっぽい眼鏡
の効果もあり、優しくいい人そうに見える。服装は黒いスーツにベージュのコー
トを纏い、身なりを整えたその立ち居振る舞いは凛然としていた。
「どうする、お前も戦うか?」
沙経は、新しいおもちゃを手に入れた子供のように楽しそうに言った。
この時、愛の体を使っている天魔が、透かさず一歩前へと踏み出し牽制する。
「ご冗談を。大勢を相手に戦うのはかまいませんが、鞍馬天狗と戦うほど愚かで
はありませんよ。それに私は、あなたの熱狂的なファンですから」
その者は、明らかにお世辞と分かることを白々しく言ったが、どこか聞きよう
によっては、沙経以外は眼中になく、他の者とは戦えば勝てるという自信が感じ
られた。
「ほう、ファンとな。おぬしなかなか見る目があるではないか。天魔と愛とは大
違いだ。お前のような者と、口寄せの契約を交わしたいものだ」
沙経は天魔と愛の方をわざとらしくチラチラと見ながら、嫌味たらしく言う。
だが天魔と愛はそっぽを向き、そ知らぬふりをする。
「随分とご迷惑をかけてしまいましたが、私どもの組織では、今のところ霊界や
宗家と敵対するつもりはありません。我々はただ、自由でいたいだけなんです。
だから今回の事は、この者の単独行動です。しかし放っておくわけにもいきませ
んので、回収させていただきます。このまま放置しても、ただの生ゴミでしょう
から」
その者は、素早く地面に六枚の護符を投げ放つと、自分と秘沖を中心に、移動
時に使う六芒星の魔法陣を作り出す。その瞬間、魔法陣は眩い光の柱を上げる。
「必ず……次は必ず倒す……」
満身創痍の状態で倒れていた秘沖が、信じられぬことに根性で立ち上がり、鬼
のような形相で愛を睨み付け呻くように発する。だがすぐに崩れ落ち、完全に意
識を失った。その姿はあまりにも痛々しく、愛は申し訳なさそうに顔を背ける。
「本当にしかたがない人ですね。まだ敵対する意志はないというのに。しかも偶
然にも、私が本当の仇を見付けてきてあげた記念すべき日にかぎって、こんなこ
とになってしまうなんて運が悪い。皆さんもそう思いませんか」
謎の男は余裕をみせ、すぐには移動術を発動させず、意味ありげな言葉を投げ
かけた。
「いやいや、決して運は悪くないぞ。愛をキレさせてその程度ですんでいるんだ
からな。しかし運がどうとか言う前に、呆れるほど頑丈な奴だ」
沙経は面白がって話を合わせる。
「まあ言われてみればその通りですね。それに伝説的大妖怪、鞍馬天狗に会えた
だけでも運がいいと言えますし……そうだ、このまま退席するのはあまりにも失礼
ですので、今日手に入れたばかりの新鮮な物をお土産として置いていきます。貴
方が退屈せぬように」
その者は、意味ありげでいやらしい笑みを浮かべると、護符を地面に向けて投
げ放ち、六芒星の魔法陣を新たに作り出す。更に天魔や愛に匹敵するかそれ以上
に素早く数種類の印を結び魔法陣を強化した。
そして口寄せされ煙の中から姿を現したのは、ボックス系の車ほどもある巨大
な熊の妖怪だった。全長は五メートルに達し、四つん這いのままでも高さは二メ
ートル程ある。漆黒の巨体の全身の毛は敵を威嚇するヤマアラシの如く逆立って
おり、真紅の光を帯びし瞳は狂気に満ち、遺憾無くその獰猛さを露にしている。
更に現れた瞬間に辺りをまがまがしい妖気で包み込む。
「こいつは……まさかあの時の……」
天魔は眉間に皺を寄せた険しい顔で、眼前の妖怪を凝視した。
「なんだ天魔、怖い顔しおって、鬼熊を知っているのか?」
沙経は口寄せされた熊の妖怪を、鬼熊と呼んだ。
「鬼熊……あの時のあれが、大妖怪の鬼熊だったのか」
天魔は沙経の問いかけに答えず、呟くように発した。
「ふんっ、大妖怪といっても、あやつはまだまだひよっこよ」
沙経は鬼熊を見下すように鼻で笑った。同じ大妖怪と称されてはいるが、実際
にはその態度のとおり、鞍馬天狗の沙経と鬼熊とでは、大袈裟かもしれないが、
天と地と程に強さや妖怪としての位に差があった。
「沙経殿、貴方に名乗らぬ非礼、お許しください。それではこれで失礼いたしま
す」
丁重な言葉遣いで最後まで笑顔を崩さなかった謎の男は、鬼熊の口寄せを迅速
に終えると、そのまま魔法陣の光に包み込まれ、秘沖を連れて結界内の異世界か
ら、いとも簡単に脱出した。
この者はハンターでいえば間違いなく最上級クラスである。そしてあまりにも
隙がなかったため、天魔たちは攻め込めず、ただ為す術もなく見送った。
天魔はこの時、その謎の男と、いつか必ず戦うことになるだろうと、宿命的な
ものを強く感じていた。




