トイレの赤竜さん
新しいトイレのいい所は、やはり空気の違いである。トイレは年季が入る程に怪しげな臭いになっていく。単純な糞便の臭いだけではなく、臭いを消す為の芳香剤や人の居た臭気というのが色濃く出る。人が使う所であるのが、良く分かる臭いだ。
対して、新しいトイレは匂いがいい。当然使用も少ないし、芳香剤もまだ効いている。清々しいと言うには場所が場所だが、でも気持ちいい感じである。パーキングエリアのトイレはどんどん新しくなっているなあ。気持ちいいなあ。
「おう」
ドラゴン、つまり竜が便器から顔を出してなければ。「おう」とか言われなければ。
というか、これはどういう状況なんだ。なんでドラゴンなんて想像上の生き物が目の前に、しかも便器から顔を出しているんだ。訳が分からない。分からないが、コミュニケーションが取れるなら、取る方がいいと見た。戦うとかでどうにかなる相手じゃないだろう。
なので話してみる。
「はい」
まず受け答えから。
「貴方は一体?」
返してみる。
「俺は東の赤山の竜だ。知らないか?」
東の赤山? どこの地名だ? というか、こっちの世界の地名なのか?
「知りません」
「そうか」
失望するのが声からが分かる。だが、すぐ気を取り直したのか、聞いてくる。
「とにかく、これ、なんだ? 俺はどういう状況下なのか計りかねているんだが」
「それはこっちもですよ。なんであなた顔をそんなとこから」
「というかどこなのここ」
言って分かるかなあ、と思いつつ。
「トイレ、……厠です」
「……なんで?」
通じたようで、僕は竜の表情が変わるというのを初めてみる体験をした。そして返す。
「それはこっちが聞きたいです。何かやったんですか?」
「ああ、こっちの世界の最も下手な歌い手の歌を聞いてみようって会があってな」
「なんですかその不毛」
「いやあ、俺達の娯楽というのは枯れてきていてな。歳も、もう数えるのも面倒なくらい生きているし。もう美しい声なんて聞き飽きているんだよ」
「逃げてくるくらい下手な歌を聞くって、枯れるにも程がありますよ」
「うん、俺もそう思う。でも、退屈だったんだ。千年も生きると、本当に退屈なんだよ」
なんとも辛そうにしている。そんな退屈すら吹き飛ばすくらいの下手な歌い手、というのはそれはそれで興味がある。というか、もしかすると。
「なにか、ほんのりですが、なにか得体のしれない音楽が聞こえてきますね、赤竜さんの後ろから」
「ああ、最悪の歌だろ」
成程、あれは単なるボス用BGMとかじゃないのか。ボス用BGMにしてもエスプリ&エッジ効き過ぎて、ゲーム会社にクレームが行くレベルのものだ。
「止められないんですか?」
「こっちが招待した手前、止めろとも言えんだろう。ついでに相手も警戒して、術式で防衛陣を張っている。が、それ以上に止めようと言う気力すら削ぐ下手クソさだ」
漏れ聞こえるのでも酷いのだから、実際聞くと相当なのだろう。ドラゴンのげんなり顔というまたしてもレア体験をしている。
「で、どうするんですか、これから」
「終わるまでここに居るのが一番だろうな。だが、それはそれで暇だ。何か余興はないか?」
と、下手な歌から逃れる為に便器から頭を出す結果になったドラゴンがいう。お前が一番いい余興だよ! というのは流石に言えないので、どうしたものか、と考える。ハッキリ言って、余興の物が何一つない。ゲーム機や本、スマホでもあればいいのだが、生憎、それらは車の中に置いてきている。となると、この身一つである。出来る事は自ずと導かれる。
「じゃあ、僕が歌います」
「……ほう」
空気が変わる。赤竜は、これまた初体験な、笑みを浮かべた。それも、どうだか誰何してやろう、というタイプの。やれるのかと、たぶんだけど、顔が言っている。その問いに、僕は答えるべく、歌い始めた。夜のパーキングエリアのトイレで歌う、という恥を忍びつつ。
歌い終わると、赤竜は言った。
「いい暇つぶしになった。おぬしは、まあ歌では大成せぬな。派手な道を選ばんことだ。うっかり他所の竜の余興にされかねんからな」
それだけ言うと、赤竜の首は便器から消えていった。
三題噺メーカーでやってみよう第三回。今回のお題は「空気」「歌い手」「新しいトイレ」で、ジャンルは「邪道ファンタジー」。おおむねその通りで来たのではないかと思う。邪道ファンタジーの概念が良く分かってない感があるが、その辺は出たとこ勝負である。